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遠き清磨  作者: ふじまる
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第6章 来島

 羽様西崕はざませいがいが萩からいなくなると、タマキは何だか寂しくなって、夜は女郎屋に入り浸ることが多くなった。馴染みの女郎がいたせいもある。千本屋という店にいるキクという名の、色白で小柄で地味な、おとなしい娘がそれだった。特に美人というわけではないキクをタマキが気に入った理由は、こちらが話しかければちゃんと受け答えをするけど、こちらが黙っていれば共に何時間でも黙っていたからである。何かにつけおっとりしているキクは、動作が遅いこともあって、タマキは最初「こいつ、おつむが少し足りないんじゃねえか」と思ったが、話す内容はわりとまともだし、一緒にいると時間がゆっくり過ぎてゆくようで、いつしか心のやすらぎを覚えるようになった。タマキはキクのいる千本屋に連泊し、稼ぎのほとんどはこのために消えた。

 そんなある夜、タマキが千本屋の二階の部屋でいつものようにキクとのんびり過ごしていると、階下から騒がしい物音が聞こえてきた。

「何だ?」

 タマキは窓から首を出して外の通りを見下ろした。通りには人だかりができており、その中心にいる髭面の大男が店の人間に向かって何やらしきりと文句を言っている。かなり酔っぱらっている様子だった。

「誰だい、ありゃ?」

 タマキが尋ねると、キクは窓からチラッと下を眺め、いかにも興味なさげな顔で「来島光次郎きじまこうじろうだわ」と答えた。

「来島光次郎? 何なんだ、あいつは?」

「萩いちばんの暴れん坊よ」

 この来島光次郎というのが、後に遊撃隊ゆうげきたいを結成し、元治元(1864)年七月、蛤御門はまぐりごもんの変で闘死することになる来島又兵衛きじままたべえである。このとき二十六歳だった。

「あいつ、なに文句たれてんだ?」

「さぁ、お目当てのを他の客にとられたとか、大方そうゆう話でしょう」

「ふーん、情けない奴だ。ひとつからかってやろうか」

「よしなよ。あんなのに関わるとロクなことがないよ」

 キクが止めるのを聞かずに、タマキは「おーい、そこの人」と光次郎に声を掛けた。光次郎は鋭い目で二階を見上げる。

「何だ?」

「店や他の客に迷惑だから、おとなしく帰んなよ」

「きさま、誰に向かってものを言ってるのか、わかってんのか?」

「さぁ、俺はよそ者だから知らないなぁ」

「よそ者だと? きさまはいったい誰だ?」

「俺は江戸から来た山浦やまうらタマキって者だ。よろしくね」

「江戸から来た山浦タマキ? ああ、噂は聞いてるぞ、刀の造り方を教えにきた野郎だな」

「そう、正解」

「どうやら江戸の青びょうたんに、この来島光次郎さまが長州の流儀を教えてやらんといかんみたいだな。下りて来い。その軽口がきけなくなるくらい可愛がってやるから」

「え? 可愛がってくれるの? 嬉しいなぁ」

 タマキは心配するキクを部屋に残して、いそいそと階段を下りて行った。店の外に出ると、どこから調達したのか、光次郎が木刀を二本持って待ち構えている。光次郎はタマキの方に木刀を一本投げ、「かかってこい」と凄んだ。タマキは木刀を拾い上げ、正眼に構えた。二人の背丈は同じくらいだが、横幅は光次郎の方が倍近くある。じりじりと二人は間合いを詰めていった。

 奇声を発して光次郎が猛然と打ちかかる。それをタマキが冷静に受け、すぐさま反撃すると、カンカンカンと二本の木刀が激しく音を立てた。光次郎が力まかせに押してきたところをタマキはすっとかわし、すかさず相手の小手を打った。光次郎は木刀を落とし、ここで勝負あり。地面にしゃがみ込んで悔しがる光次郎は、タマキを睨みながら「きさまの流派は何だ?」と訊いた。

「江戸の窪田くぼた道場で田宮流剣術を学んだ。一応、師範代だ」

「師範代?」

「師範代の立場から一つ言わせてもらうと、あんたの太刀筋たちすじはちょっと古いな。江戸の道場へ行って修行し直した方が良いよ」

「古い・・・」

「いま江戸には、俺が学んだ窪田道場の他にも、北辰一刀流ほくしんいっとうりゅう千葉周作ちばしゅうさく先生の玄武館げんぶかんや、神道無念流しんどうむねんりゅう斎藤弥九郎さいとうやくろう先生の練兵館れんぺいかんなど、素晴らしい道場が綺羅星の如くひしめき合っているから、一度あんたも江戸へ行って最新の剣法を学んできなよ」

 タマキはそう言うと、木刀を投げ捨て、キクが待っている二階の部屋へ戻っていった。

 翌朝、タマキが鍛冶場で刀造りの準備をしていると、周布政之助すふまさのすけがニコニコしながら現れた。

「聞きましたよ、山浦さん。来島光次郎をこてんぱんにやっつけたんですって?」

「こてんぱんとか、そんな大層なものじゃありませんよ。軽く手合わせした程度です」

「すでに萩じゅうで評判になっておりますよ」

「だから・・・」

「それにしても、あの凶暴な来島光次郎をこてんぱんにやっつけるなんて・・・マジで凄いなぁ、山浦さんは」

 いくら「誤解だ。大袈裟だ。話がひとり歩きしている」と言っても、政之助の耳にはまったく入る様子が無かったので、タマキは諦めて放っておいた。するとタマキの評判はますます上昇していった。

 これに不快感を露わにしたのが、藩の重臣の一人である椋梨藤太むくなしとうたである。このとき三十八歳。長州藩では昔から改革派と保守派が交互に政権を担ってきた。改革派を率いるのが村田清風むらたせいふうであり、この時期は改革派が政権を握っていた。保守派を率いる椋梨藤太は、何としても改革派を引きずり下ろし、政権を奪取しようと狙っていた。ちなみに、このあと幕末の動乱期に入ると、改革派の人間は自分たちを正義派と呼び、保守派の連中のことは俗論派と蔑んだ。当然ながら、保守派の人間が自分たちを俗論派と呼称することは無かったが。

 以上のような状況だったので、改革派の村田清風が連れてきたタマキの評判が上がるのは、保守派の人間にとっては面白くなかったのである。椋梨藤太は自分の陣営から腕っぷしの強い侍を三人選んでタマキを襲わせることにした。

 鍛冶場でタマキが弟子たちと刀造りに専念していると、どやどやと三人の覆面をした侍が入ってきた。

「山浦ってのは、どいつだ?」

 そう訊かれたのでタマキが「わたしですけど」と答えると、三人はタマキを無理やり外へ連れ出した。弟子たちはガタガタ震えていた。鍛冶場の中で暴れられたら物は壊れるし、弟子たちに危害が及ぶ恐れがあったので、外に出たのはタマキにとって好都合だった。残る問題は、どうやって三人を退治するかである。

「よそ者の分際で近ごろ調子に乗っているようだから、我ら三人がきさまに天罰を加える。覚悟しろ」

 侍の一人がそう宣言して抜刀すると、残りの二人も刀を抜いた。タマキは丸腰だが、窪田清音くぼたすがねから関口流柔術を習っていたので、それで反撃しようと身構えたところ、

「おや、先生、剣術の稽古ですか?」

 という声が掛かった。声がした方を向くと、来島光次郎がニコニコしながら立っている。覆面の間から覗く三人の目に動揺が走った。

「剣術の稽古なら俺も仲間に加えてもらわないと」

 そう言う光次郎に向かって、侍の一人が多少おびえた口調で

「来島、きさまには関係の無い話だ。とっとと消え失せろ」

 と喚いた。

「そういうわけにはいきませんわ。俺は山浦先生の一番弟子なのですから」

「弟子?」

 この言葉には侍たちだけでなくタマキも驚愕した。

「あ、先生、この間ご指導いただいた太刀筋が古い件ですけど」光次郎がタマキに向かって声を掛けた。「改善してきましたので見てくださいますか?」

 光次郎は刀を抜き、「やはり練習は真剣でやるに限りますね」と言うや、刀をブンブン振り回しながら侍たちに突進していった。侍たちは「うわ、危ね」とか「助けてくれ」と叫びながら蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

「けっ、情けない奴らだ」

 そううそぶく光次郎のそばにタマキが歩み寄り、「ありがとう、助けてくれて」と頭を下げた。

「何をおっしゃいます。あんな奴ら、先生ひとりでも追い払えたでしょうが」

「いえ、来島さんの助勢はありがたかったです。ただ・・・」ここでタマキは言葉を区切った。「わたしはあなたを弟子にした覚えは無いのですけど・・・」

「またまた」光次郎は薄ら笑いを浮かべた。「わたしを指導してくださったじゃありませんか、先生は」

「指導って・・・わたしはただ江戸の道場へ行った方が良いよと助言しただけです」

「江戸行きは藩庁に申請しました。しかし、許可が下りるまでには時間がかかります。そういうわけですから、江戸へ旅立つまでの間、先生が責任を持ってわたしに剣術の稽古をしてくれないと困ります」

「はぁ? 何ゆえに?」

「これが縁、あるいは成り行きというやつです。人生には成り行きが付き物ですよね、先生」

 光次郎はそう言ってカラカラと笑った。

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