第5章 西崕
萩での生活が始まった。タマキは五人の弟子たちに手伝わせながら毎日刀を造っている。
長州藩が秘蔵していた玉鋼で刀を造ると、地鉄に地沸が厚く沸き立ち、地景が細かく入って、刀身全体が躍動感に溢れた。しかも表面は瑞々しく潤っており、何とも上品で美しい。
(材料が良いとこんなにも違うものか)
完成した刀の出来に惚れ惚れしたタマキは、極上の玉鋼が自分の腕を上げるように思えて、夢中で刀を鍛えた。楽しくて仕方なかった。刀造りがこんなに楽しいと思ったのは生まれて初めてだった。
作業中、タマキは弟子たちに特段なにも教えなかったが、今も昔も刀造りのような類いの修行は、師匠の仕事のやり方を間近で見ながら目でその技を盗むというのが通例なので、弟子たちはタマキの一挙一動を真剣に見守っていた。
夕方、仕事が終わるとタマキは飲みに出掛けた。長州藩から出る手当と刀を売った代金のお陰で、タマキは江戸にいた頃とは段違いに生活が楽になり、酒を好きなだけ飲め、萩に数軒ある女郎屋へもしょっちゅう出入りできるようになったのである。
(藩から毎月決まってお手当が出るというのは、何とありがたいことか)
タマキの実家は農業で、タマキと兄の真雄は農業の傍ら刀鍛冶で生計をたててきたが、それらはすべて自己責任であり、本人の働き次第で収入が増減し、事故や病気で働かないとたちまち無収入になったのに対し、今回は長州藩によって最低限の生活が保障されている。大きな組織の一員となることの恩恵に、タマキは心から感謝した。
女郎屋へ行かない日、タマキは五合徳利を手土産にして羽様西崕の家へ遊びに出掛けた。初めて西崕の部屋へ入った時、壁一面が棚になっており、そこに大量の書物がぎっしり詰まっているのを見て、タマキは心底おどろいた。
「西崕さんは書物がお好きなんですね」
酒を酌み交わしながら教養豊かな西崕と語り合うことは、無学なタマキにとっては大いなる喜びだった。西崕の方も、根っからの教師気質らしく、様々なことを丁寧にわかりやすくタマキに教えた。
ある日、西崕の部屋でいつものように酒を飲みながら談笑していた最中、タマキが棚の書物を眺めてはつくづく感心した様子で言った。
「あらためて思うのですけど、すごい量の書物ですね。江戸でお世話になっていた窪田清音先生の部屋にも書物がたくさんありましたけど、これほどではなかった」
「窪田先生のお話はご家老から伺っております」西崕は答えた。「文武両道に秀でた素晴らしい先生らしいですね」
「はい、窪田先生はとても素晴らしい先生です」
「窪田先生は武術者であり、思想家でもあるそうですから、たくさん書物を読んでも問題は無いでしょうけど、絵師のわたしの場合は些か不都合です」
西崕がそう言って俯いたので、意外に思ったタマキは「え? どういうことですか?」と尋ねた。
「読書しすぎたせいで、わたしは理屈が多すぎる」
「理屈が多いと、なぜまずいのですか?」
「頭で考えて描こうとするからです」
「頭で考えるといけないのですか?」
この質問には答えずに、西崕が「君の造った刀を見せてくれますか?」と言ったので、タマキは腰に差していた短刀を鞘に入れたまま「これは江戸で造ったものですけど」と言って渡した。西崕は渡された短刀を両手で掲げて一礼した後、すらりと鞘から抜いて菖蒲造りの刀身を目の前にかざした。タマキの造る刀はどれも切先が大きく、薙刀を直したような姿をしている。
「いいね」
西崕が一言そう呟くと、タマキは顔をほころばせて「ありがとうございます」と頭を下げた。
「この刀には君という人間がよく表れている。そこが素晴らしい」
「あの・・・どういう意味でしょうか?」
「この刀は君の化身だという意味です」
そう言って西崕が刀を鞘に収めて返すと、タマキは返された刀を握りしめながら「もう少しわかりやすく教えてくださいませんか?」と頼んだ。
「そもそも刀とは何ですか?」
西崕がそう尋ねると、タマキは「武器です」と答えた。
「そう、武器。つまり人を殺す為の道具ですよね?」
「はい、その通りです」
「道具にとって最も重要なのは有用性です」
「有用性?」
「刀なら、よく斬れ、折れず、曲がらず、斬れ味が持続する、といった性質のことです」
「わたしも刀を造るに当たっては、その有用性というやつを一番に重要視しております」
「しかし、それだけでは満足できないのが、ものをつくる人間の性というものです」と、西崕は言った。「やがて自分が創造したものに美を求め始める」
「美を?」
「刀も単なる道具から芸術品へと昇華する。古今の名刀は皆そうでしょう?」
「確かに」
「山浦さんの刀も既にそういう域に入っています」
「わたしの刀もですか?」
「君は芸術家なのですよ、山浦さん」
「えええ?」
「美とは何か? 芸術とは何か?」
「何なんですか?」
「それは生命、生きているということ、命の無い絵や言葉や刀に生命を吹き込む行為です」
「はぁ」
「そして、その生命というのは、他でもない作者の生命です。つまり作者の化身をつくるのが芸術なのです」
「そういうものなんですか?」
「君はなぜ北斎の描いた富士があんなにとんがっているかわかりますか?」
「わかりません」
「葛飾北斎は富士山を描いたのではないのです。自分自身を描いたのです。だからああいう形になったのです」
「なるほど」
「自分の化身をつくるのが芸術です。北斎や写楽の絵にはそれが出来ている。彼らの絵は本物の芸術品です」
「ほう」
「山浦さんも意識しないまま自然と出来ている。君の刀も本物の芸術品です」
「ありがとうございます」
「しかし、わたしの絵は」西崕は悔しそうな表情で言葉を区切った。「まだその域に達していない。わたしの絵は本物の芸術品になっていない」
「そんな」タマキは慌てて口を挟んだ。「西崕さんの絵はどれも美しくて立派じゃありませんか」
「花や動物をいくらきれいに精密に模写しても、それだけでは芸術と呼べないのです。いま言ったように生命が付与されていないと」
「西崕さんの絵は生きていないとおっしゃるのですか?」
「はい、わたしの絵は生きておりません。わたしの絵はわたしの化身になり得ていない」
「それなら西崕さんも大胆に誇張した絵を描けば良いのでは?」
「絵を歪めたり、ひん曲げたりすれば、それで生命を宿せるというような、そんな単純な話ではないのです」
「では、どうすれば?」
「それは未だわかりません。わたしはそれを探すため京に留学するつもりです」
「え?」タマキは驚いて声を上げた。「京へ行かれるのですか?」
「はい。実は藩からお許しが出ましたので、年末に京へ旅立とうと考えております」
「年末って・・・今は十一月だから、もうすぐじゃありませんか」
「はい、もうすぐです。わたしは今すぐにでも京へ向かいたいのです、自分の絵を見つける為に、本物の芸術家になる為に」
「奥さんはどうなさるのですか? 一緒に連れて行かれるのですか?」
「残念ながら小夜は留守番です」
「西崕さんがいなくなると寂しいなぁ、わたしも奥さんも」
「長くても一年くらいの期間ですし、自分の絵が見つかればすぐに帰ってくるつもりですから」
「ご自分の絵が見つかれば良いですね」
「はい、これが最後の機会だと思っております、わたしが本物になれるか否かの」
「西崕さんに餞別を渡さなくちゃ」
「そんなものはいりません。お気遣いはご無用に願います」
「それなら」タマキが弾んだ声を上げた。「西崕さんが帰ってくるまでに、西崕さんの為に短刀を一振り造っておきますよ」
「構わないでください」
「まぁ、そう言わずに・・・わたしはぜひそうしたいのです・・・早く帰ってきてくださいね、西崕さん」
十二月中旬、西崕は京へ旅立った。




