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遠き清磨  作者: ふじまる
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第3章 清風

 いつものようにタマキが鍛冶場小屋で刀造りに励んでいると、窪田清音くぼたすがねに呼び出された。タマキはすぐに作業を中断して清音が待つ奥座敷へ向かった。

「先生、山浦です。入ります」

 タマキが襖を開けると座敷のいちばん奥に、小柄だが妙に威厳のある、白髪頭の、口をへの字に曲げた、見知らぬ老人が座っていた。その脇に清音が控えている。タマキが神妙な面持ちで座敷の中央へ進むと、清音は老人を紹介した。

「こちらは長州藩の家老、村田清風むらたせいふうさまだ」

 村田清風はこのとき五十九歳。破綻寸前にあった財政の立て直し、軍備の増強、学問の奨励、と藩政改革に辣腕を振るい、後に長州藩が明治維新の雄藩になる基礎を作った立役者である。

「村田さまはおまえが造った刀を買い、たいへん満足したと喜んでくださっている」

 清音にそう言われたタマキは「ありがとうございます」と平伏した。

「ところで、今日おまえを呼んだ理由だが」さっそく清音は本題に入った。「わたしは御納戸頭おなんどがしらを解任された」

「え?」タマキは驚いて絶句した。

「老中の水野さまが、わたしの改革案を採用してくださらなくてな、それでお役御免と相成った次第だ」

「そんな・・・」

「役を解かれた以上、ご公儀からの手当てが無くなるので、当家は経済的に苦しくなる」

「・・・」

「おまえを屋敷に置いておく余裕も無くなる」

「わたしのことなど気になさらないでください」タマキは身を乗り出した。「わたし一人くらい如何様にでも生きてゆけますし、いざとなったら赤岩村へ戻るという手もありますから」

「まぁまぁ、そう慌てるな」清音はタマキを制した。「話を最後まで聞け。おまえの処遇はちゃんと考えてあるから」

「へ?」

「村田さまがおまえを長州藩に招きたいとおっしゃっているのだ」

「長州藩に?」

 タマキはチラリと清風の顔を見た。

「長州藩では村田さまの指揮のもと藩政の改革が進んでいる。その一環として村田さまは藩の軍制を大幅に改めようとなさっている。つまり軍備を増強しようとなさっているのだ」

「はぁ」

「軍備を増強するといっても、幕府に反乱を起こそうと企んでいるわけではないぞ。想定される敵は異国だ。異国船が襲来した場合に備えて軍備を充実させておきたいというお考えなのだ」

 清音の説明を聞いたタマキは、先日の佐久間象山さくましょうざんとの会話を思いだした。

(皆さん、同じ危機感を抱いていらっしゃるのだな)

「現在の主力武器は銃と大砲だが、それでも最後に決着をつけるのは白兵戦だ。その際、ものをいうのは刀の良し悪しだ。よく斬れ、斬れ味が長く持続し、折れず、曲がらず、自在に操れる、そういう刀が求められているのだ」

「確かに」

「ところが、長州藩には腕の良い刀工がいない。前々から村田さまはそれを嘆いていらっしゃった。そこで目をつけたのがおまえだ。長州藩に来て藩の刀工たちを指導して欲しいとおっしゃっているのだ」

「しかし」タマキは口を挟んだ。「わたしが長州へ行ったら武器講はどうなさるおつもりですか?」

「ああ、あれか」清音は顔をしかめた。「武器講のことは心配するな。わたしがちゃんと話をつけておくから。おまえは安心して長州へ行ってこい」

「でも、長州はわたしにとって縁もゆかりも無い土地ですし・・・」

タマキがためらっていると、それまでじっと沈黙していた清風が初めて口を開いた。

「これを見よ」

 清風は懐から金属らしき塊を取り出し、タマキの前にごろんと投げた。

「おまえには一目でその価値がわかるはずじゃ」

 塊は刀の材料である玉鋼たまはがねだった、それも滅多に見られないほど極上の。清風が言った通り、一目でそれを見抜いたタマキは感動で体がわなわなと震えるのを感じた。

「その玉鋼で刀を造ってみたくないかね?」

 清風にそう問われたタマキは「長州は鉄の産地なのですか?」と質問した。

「まさか。長州は鉄の産地ではないよ」

「それなら、これほどの玉鋼をどこで?」

「鉄の産地でなくても当藩には良質の玉鋼がたくさんあるのじゃ」

「え、どういうことですか?」

 戸惑うタマキに向かって清風が「その疑問に答える前にひとつ尋ねたい。なぜ今は昔のような名刀が造れないのじゃ? 昔と今の一番の違いは何じゃ?」そう訊くと、タマキは即答した。

「鉄です」

「そう、鉄じゃ」清風は頷いた。「昔は日本各地に良質の鉄がたくさんあった。良質の鉄から造られた玉鋼もたくさんあった。玉鋼を造るたたら製鉄の職人もたくさんいた」

「ええ」

「しかし、戦乱の世が続いたせいで、良質の鉄はあらかた採り尽くされてしまった。それと共に腕の良いたたら製鉄の職人もいなくなった。今ある鉄は、いわば残り物じゃ。残り物の鉄から残り物の職人が造った玉鋼では、いくら刀工に腕があっても、昔のような名刀は出来ない」

「おっしゃる通りです」

 以前から鉄の質が問題だと思っていたタマキは深く頷いた。

「でも、昔の玉鋼が今も残っているとしたら?」

「え?」

「ところで」清風は話を変えた。「鉄の産地といえばどこじゃ?」

「出雲の安来鉄やすきてつなんか有名ですけど」

「出雲で採れた鉄はどうやって各地へ運ぶ? 重いから人や馬では難しいぞ」

「船です」

「その通り。出雲を出た船は日本海を西へ進み、関門海峡を通過し、瀬戸内海に出て大阪へ向かう。つまり当藩の近海を通るわけじゃ」

「長州藩のまわりをぐるりと半周する感じですね」

「瀬戸内海は穏やかだが、日本海は船の難所が多い、特に当藩の周囲には」

「へえ」

「危険を避けるため船は沖合を避けて陸に近いところを航行するのじゃが、当藩の沿岸は海底の地形が複雑だから海が荒れてよく船が難破する」

「難破した船はどうなったのですか?」

「たいていは陸へ打ち上げられた」

「積荷の鉄や玉鋼は?」

「海に沈んだ物もあれば、陸へ引き上げられた物もある」

「陸へ引き上げられた物は?」

「保管されている、長い年月の間に蓄積された分が、あるところに、ごっそりと」

「まさかそれが・・・」タマキがそう言いかけると、清風は「どうじゃ、わくわくするじゃろう? 長州へ来たくなったじゃろう?」と笑った。

「はい」

 タマキの目が輝いている。

「これで決まりじゃな」清風はそう言って清音の方を向いた。「山浦は当藩が預かるよ」

「よろしくお願いします」

 清音はにっこり微笑んで頭を下げた。

 帰り際、清風はタマキに「なるべく早くはぎに来てくれ」と言った。

 萩は日本海に面した長州藩の本拠地である。関ヶ原の合戦に敗れた毛利家は、百二十万石あった領地を防長二州三十万石に削られた。その際、交通の要衝である山口に城を築こうとしたが、幕府は交通の不便な萩に築城を命じた。毛利家が二度と反逆できぬよう、わざと辺境の地を選び、そこに押し込めたのである。

「萩では羽様西崕はざませいがいに、おまえの面倒をみるよう早馬で書状を送っておくから」

「羽様西崕? その人はどういう方なのですか?」

 タマキに尋ねられた清風は「藩のお抱え絵師じゃ」と答えた。

「わしは西崕せいがいを気に入っておってな、自宅に飾る孔子像を描いてもらったくらいじゃ」

「へえ」

「西崕とおまえは歳が近いし、二人とも剣術が達者だし、美に対する感性も似てる気がするので、ウマが合うのではないかな」

「それは楽しみです」

「西崕もおまえと会ったら、さぞ喜ぶじゃろう」

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