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遠き清磨  作者: ふじまる
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第2章 象山

 庭の隅に建つ粗末な鍛冶場小屋に入った佐久間象山さくましょうざんは、痩せた青年が火床の前に置いてある短く輪切りされた丸太に腰かけ、打ち上がったばかりの刀に曲がりや歪みがないか念入りに調べているところに出くわした。

「君が山浦やまうらタマキくんか?」

 象山がそう尋ねると、人がいることに気づいていなかった青年はビクッとし、「あ、そうです」と答えてひょろりと立ち上がった。

(随分と背の高い奴だなぁ)

 象山本人も長身だったが、青年すなわちタマキは、それ以上の高身長だった。

「あ、そのままでいいよ。座っといてくれ」

 タマキを座らせた象山は自己紹介した。

「俺は佐久間象山。松代まつしろ藩の人間だ」

「松代藩の?」

「いま殿の補佐役として海防に関わる仕事をしている」象山はそばにあった木箱にどっこいしょと腰かけた。「海防のことで窪田清音くぼたすがね先生を訪ねてきたら君の話を聞いてね。それで面白い奴がいるなと思って寄ってみたんだ」

「それはわざわざ・・・どうもありがとうございます」

 タマキはそう言ってぺこりと頭を下げた。

「そうかしこまるなよ。同じ信濃の武士同士じゃないか」

「同じ信濃の武士と申しましても・・・」タマキは口ごもった。「うちは小諸こもろ藩赤岩村の郷士ですから・・・」

 郷士というのは、武士階級の下層には属しているものの、実態はほぼ農民、そういう存在である。

「郷士も上士も同じ武士だよ」象山は豪快に笑い飛ばした。「そんな事よりも、君の造る刀、えらく評判が良いそうだな」

「ありがとうございます」

「窪田先生もたいそう褒めていたぞ」

「恐縮です」

「いま武器講というのをやらされてるんだって?」

「はい」

「それがちっとも進まないとか」

「申し訳ありません」

「俺に謝る必要はないよ」象山は両手を振って苦笑した。「俺は客じゃないんだからさ」

「はぁ」

「でも、一人三両じゃやる気が起きないよな」

「・・・」

「まったく窪田先生も無茶させるぜ」

「先生はわたしを鍛えてくださっているおつもりなのでしょう」

「そうだろうけどさ、それにしても三両とは安すぎるよ。せめて五両はもらわないとな」

「五両いただいても、わたしの造る手間と時間は変わりませんけど・・・」

 タマキがそう言って俯いたので、象山は話題を変えた。

「刀造りは誰に習ったんだい?」

「兄です」

「ああ、山浦真雄やまうらさねおさんか。噂は聞いてるよ。お兄さんも優れた刀工なんだってね」

「はい、とても優れた刀工です。兄とわたしは九つ歳が離れているのですが、小さい時分から兄の刀造りを間近で見ていたら、自然と刀造りに興味を持つようになりました」

「その後、お兄さんの助手になったんだろう?」

「はい、何年か兄の手伝いをしておりました」

「江戸に出てきたら新しいものを習得できたかい?」

「はい、それはもう・・・特に窪田先生が古今の名刀をたくさん見せてくださったのは、たいへん刺激になりました」

「へぇ、どこからかき集めてきたんだろうね、たくさんの名刀を」

「ご自身で所有なされているもの以外は、旗本の友人さんたちからお借りしてきたものらしいです」

「ふーん、教育熱心なんだね、窪田先生は」

 象山は若干しらけた顔をしたが、タマキは「先生は素晴らしい教育者です」と語気を強めた。

「それで刀造りに専念する日々というわけか」

「はい、そうです」

「息抜きはないのかい?」

「息抜きと申しますと?」

「ずーっと刀造りばかりじゃ、さすがに嫌になるだろう。気分転換というか、お楽しみというか・・・」

「酒が好きなので晩酌は欠かしませんけど」

「女は?」

「女ですか・・・」

 タマキがしばし考え込むと、象山は好色な笑みを浮かべ、「健康な若者なら女が恋しくなるだろう」と言った。

「そういう時は安い岡場所へ行っております」

「岡場所ね。嫁をもらう気はないのかい?」

「嫁は・・・」タマキは困った顔をした。「実はいるんです、国元に、嫁も息子も」

「え、そうなの?」

 象山は驚いてタマキの顔をまじまじと見返した。

「はい、十七歳の時に祝言をあげました」

「早いね」

「わたしは次男で実家を継げませんから、いわゆる部屋住みの境遇になるのが普通なのですが、たまたま近くの大石村に跡取りが娘ひとりで困っているという家がありまして、そこへ婿に入ったのです」

「運が良かったね」

「妻のおようは三歳年上ですけど、わたしにとっては初めての女性でしたし、楽しく幸せな新婚生活を送っておりました」

「年上の女に可愛がられて、か・・・くぅ、憎いぞ、この野郎」

「すぐに梅作うめさくという長男が生まれて本当に幸せでした」

「奥さんと息子を江戸に呼んでやらないのかい?」

 象山にそう尋ねられたタマキは「妻はわたしが江戸にいることを知らないと思います」と答えた。

「はぁ? どうして?」

「わたしは妻の家から逐電した人間ですので」

「逐電した? 仲良くやってたんじゃないの?」

「最初は仲良くやっておりましたよ。わたしが生まれ育った実家は、貧しかったけど家族みんなが仲良くて、いつも和気藹々としていて、だからわたしもそんな家庭を築こうと思っていたんです、当初は。しかし、息子が生まれた頃から次第に・・・その・・・嫌になってきて・・・」

「何が嫌になったんだよ?」

「結局わたしは家の跡継ぎを作る為の道具でしかなかったのです。別にわたしじゃなくても良かったのです。跡継ぎさえ作れれば誰でも良かったのです」

「入り婿なんてどこでもそんなものだろう?」

「単なる家の男手として一生を終えるのか? それが俺の人生なのか? そう思うとたまらなくなり、妻も子供も捨てて逃げ出したのです」

「そりゃあ少し無責任すぎねえか?」

「無責任なのは重々承知しております。しかし、跡継ぎ息子を作るという一番の義務は果たしました。あとは一度しかない人生、俺の好きにさせてくれ、そういう心境でした」

「それで江戸に出てきて刀造りに専念か」

「いいえ、最初は剣術の修行もやっておりました」

「あ、それは窪田先生から聞いた。剣の腕前も相当なものらしいな」

「恐縮です」

「しかし、何だな・・・」象山は鍛冶場小屋の中をぐるりと見回した。「時勢に関係なく、こういう狭いところに籠って、黙々と刀を造る人生ってどうなんだろうな? 君はそれで満足なのか? それが妻と子供を捨ててまで君が望んだ人生なのか?」

 タマキは象山の言っている意味がわからなくて「時勢って何ですか?」と訊き返した。

「今は時代の転換期だという意味だ」

「時代の転換期?」

「ああ、そうだ。俺はいま時代の転換期の真っ只中にいる。だけど、すぐそばにいる君は違う世界にいる」

「そうなんですか?」

「君は隣の清国が異国の侵略を受けていることなんか知らないだろう?」

「はい・・・」

「異国の畜生どもは、まず清国の国民を阿片という麻薬で廃人同然にし、危機感を抱いた清国政府が阿片の持ち込みを禁じると、それにいちゃもんをつけて武力で攻めてくる・・・そういう非道なおこないを平気でやっているんだぜ。酷い話だろう?」

「それは酷いですね」

「あいつらが次に狙うのは日本だ。異国の魔の手から日本を守らなければならない。その為に我が殿は海岸防禦御用掛かいがんぼうぎょごようがかりに任じられたのだ。そして俺はその補佐役だ」

 誇らしげに顔を上げた象山の言葉は次第に熱を帯び始めた。

「これから異国の悪い奴らがどんどん日本に攻めてくるぞ。もうぬくぬくとした太平の世ではいられないのだ。時代が変わる足音が君には聞こえないか?」

「さぁ、わたしにはわかりませんけど・・・」

「争乱は海の彼方からやって来るだけじゃない。国内でも起こりつつある。その兆しを肌で感じないか?」

「いえ、特には・・・」

「数年前、大阪で大塩平八郎おおしおへいはちろうという儒学者が、公儀に反乱を起こしたじゃないか。この話は聞いているだろう?」

「そういう事件があったという噂は聞いたことがありますけど、詳しい内容は知りません」

「まったく情けない奴だなぁ、君は」イラついた象山が一喝すると、タマキは恐縮して「すいません」と頭を下げた。

「まぁ、君の人生を否定するつもりは無いけど、今は嵐のすぐ直前の極めて危険な状況だということを知っておいて欲しい。刀鍛冶だって無関係ではいられないんだぞ」

 象山はそう言い残して去っていった。圧倒されたタマキは、ぽかんとした顔で見送った。

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