第13章 迷い
「先生、お久しぶりです」
弘化三(1846)年、来島光次郎がひょっこりタマキの家を訪ねてきた。ようやく藩の許可が下り、剣術修行をしに江戸へ来たのだった。大喜びしたタマキはキクに酒と肴を用意させ、光次郎と酒盛りを始めた。タマキはまず羽様西崕と周布政之助の近況を尋ねた。
「二人とも元気ですよ」光次郎は笑顔で答えた。「西崕さんは塾を開いて若者たちに絵や学問を教えています」
「後進の育成に励むと言ってたものね、西崕さんは」
「政之助は真面目に役人を続けています」
「彼らしいね」
「藩内では相変わらず椋梨藤太一派が力を持っているので、政之助は閑職に追いやられているみたいですけど、じっと耐えながら時が来るのを待っている様子です」
「偉いな、周布さんは」
「二人とも次の時代を見据えて行動してますからね」
「光次郎さんもそうでしょう?」
「俺は頭が悪いから難しい事はわかんないけど、それでもこれから動乱の時代が来る気がしますね」
「やはりそう感じますか」
「先生にもそういう予感があるのですか?」
光次郎がそう尋ねるとタマキは俯き、「正直よくわかりません」と答えた。「もしかしたら現在の閉塞状況を打破する何かが起きて欲しいと心の中で願っているだけかもしれません」
「そういう気持ちは俺にもありますよ、祭りを待望するような気持ちは」
「祭りに備えて光次郎さんは剣の腕を磨いているわけですものね」
「まぁ、俺にはそれしかできませんからね」
「光次郎さんが羨ましいや」
タマキがぽつんとそう言ったので、光次郎は怪訝な顔をした。
「どうしたんです、先生?」
「いや、何でもないんです」タマキは首を横に振った。「ただ久しぶりに再会した光次郎さんが、すごく立派に、頼もしくなっていたものですから」
「ええ?」
「いきいきしてますよね。時流に乗っているという感じがする。それに比べてわたしは、時代の流れにとり残されたかのように、いや実際とり残されているんだけど、社会の片隅で黙々と刀を造るばかりだ」
「そんなことはないでしょう。先生の名声は聞いていますよ。何でも四谷正宗と呼ばれているとか・・・」
「刀を極めることにどれだけの意義があるのか・・・そんなに価値があることなのか・・・最近よくそう思うんですよ」
「迷っていらっしゃるのですか?」
「迷っているというより寂しいのでしょうね、時代の流れに加わっていないことが。自分と関係の無いところで社会が動いていることが」
「いや、俺も・・・」光次郎は戸惑った表情を浮かべた。「自分が時代の流れの中にいるなんて露ほども思ったことはないし、到底そうは思えませんけどね」
「世の中には見えない流れがあって、光次郎さんも西崕さんも周布さんもその流れの中にいる・・・わたしにはそれが見える・・・感じられる・・・でも、わたし自身はその中にいない・・・」
「そうなんですか?」
「考えてみれば、長州にいた頃は、わたしもその流れの中にいた気がする」
「ほう」
「部外者のくせに改革派の主要構成員気取りで椋梨たちと争っていたじゃないですか・・・あの頃は楽しかったなぁ・・・」
タマキはそう言って笑みを浮かべた。
「ええ、楽しかったですね」
「あの頃は自分が社会の中心にいるように感じた。社会を動かしている気がした」
「実際、椋梨たちは先生を目の敵にしていましたからね」
「たぶん長州がわたしをこんな風に変えたんですよ」
「そんな・・・」光次郎は苦笑した。「長州を悪者にしないでくださいよ、先生」
「ああ、萩に戻りたいなぁ」
「気に入ってもらえて嬉しいです、我が長州藩を」
「長州に生まれた光次郎さんは幸せ者だ」
「ありがとうございます」
「ずっと長州の皆さんの仲間でいたかった」
「先生は俺らの仲間ですよ、これまでも、これからも」
「わたしは長州が好きだ・・・」
光次郎は酔い潰れて眠ったタマキをキクに預け、帰っていった。このところタマキはめっきり酒に弱くなり、すぐに酩酊するようになった。キクは心配し、酒を控えるよう何度も頼んだが、タマキは聞き入れようとしなかった。
嬉しい再会もあれば、新たな出会いもある。
タマキの鍛冶場に小栗又一というとても利発な十代の若者がちょくちょく見学に来るようになった。旗本の家に生まれた又一は窪田清音から山鹿流兵法を習っていたが、ある時「鉄に興味がある」と話したところ、「それなら山浦の仕事を見に行けば良い」と清音に言われ、通って来るようになったのである。清音の紹介とあっては無下に追い返すわけにもいかず、タマキは又一を好きにさせていた。
「又一さん、刀造りを見るのは面白いかい?」
タマキがそう尋ねると、又一はニッコリ笑って「はい」と返事をした。
「どこがそんなに面白いんだい?」
「鉄が変化していくところが面白いです」
「変化?」
「お弟子さんが焼けた鉄を何度も何度も大槌で叩いていますけど、そうすることによって不純物を外へ飛ばし、強度のある鉄に変えているわけでしょう?」
「そうだね。昔からこうやって鉄を鍛えている」
「わたしは質の高い鉄に興味があるのです」
「へぇ、なんで?」
「遠くない将来、鉄が国の基礎になるからです」
「え、そうなの?」
「そうですよ。やがてあらゆる物に鉄が使われるようになります」
「あらゆる物って鉄砲とかかい?」
「鉄砲や大砲のような武器類はもちろんですが、その他に橋とか家とか船とかも」
「木じゃないの、そういう大きな建造物の材料は?」
「木材はもちろん使いますけど、これからはやはり鉄ですよ」
「でも、鉄はすぐに錆びるよ」
「だからわたしは質の高い鉄に興味があるのです。錆びにくい高品質の鉄に」
「又一さんは若いのに凄いなぁ」タマキはいかにも感心した様子で又一を眺めた。「そういう知識はどこから仕入れるんだい?」
「西洋の書物からです」
「さすが。俺なんか学問が無いから、せっせと刀を造ることしか出来ない」
「刀造りの名人じゃないですか、山浦先生は」
又一にそう言われたタマキは「俺は一介の職人にすぎませんから」と自嘲した。
「先生は稀有な方です」
「俺なんぞはともかく、又一さんは将来が楽しみだね」
「いやいや」
「将来は幕府の偉いさんになってくださいよ」
「もちろん幕臣のはしくれとして徳川幕府の発展に寄与したいと常日頃から願っております」
「又一さんのような優秀な若者がいれば幕府は安泰だ」
「恐れ入ります」
「あ、そうそう」タマキは急に思い出して手を叩いた。「実は二年間ほど刀造りを教えに長州藩へ行ってたことがあるんですよ」
「長州藩へ? それはまたひどく遠いところへ行かれましたね」
「お城がある萩へ行ったんだけど、とても美しい町でした」
「ほお」
「その長州藩にも周布政之助という、今の又一さんみたいな、若くて優秀な役人がおりましたよ」
「あ、そうですか」
「仲良くしてもらっていました、周布さんに」
「へぇ」
「幕府も長州藩も又一さんや周布さんみたいな若い力が動かしてゆくのですね、これからは」
「はぁ」
「それに比べ、俺は時代に取り残され、老いてゆくばかりだ」
「何をおっしゃっているのですか」又一は語気を強めた。「これから先、もっともっと良い刀を造って活躍してくださいよ、先生」
「刀造りは時勢と関係ないからね」
「それが芸術というものでしょう?」
「俺の造る刀が芸術品かどうかわからないけど、時勢の外にあるのはちと寂しい」
「ええ?」
「先日訪ねてきた長州藩の知人にも話したんだけど、何か寂しいんだよね、自分と関係の無いところで時代が動いてゆくのが」
タマキにそう言われた又一は何と答えて良いかわからず、黙り込んだ。この小栗又一こそが、後に幕府の近代化を主導することになる、一般には小栗上野介という名で知られた、小栗忠順である。このとき十九歳であった。




