第七話 略記(前編)
港の中は人であふれていた。出入りの禁止が特任によって行われたからであろう。
レジデンス管理部門と思われる人員が必死に状況を把握しようと走り回っているのが見える。
その状況は最悪である。大型始祖虫マルタイが人の手を離れて我が物顔で暴れまわっているのだ。次にマルタイが動くとき、おそらく人は最後の選択を迫られることになる。このレジデンスを捨てるという最後の選択を。今後は暴動の可能性すらあるだろう。
しかし、ただそれだけではなかった。人ごみに紛れて市職員、警察、消防、救急、軍、そしてターミナスの人員が秘かに作戦を展開していたのである。
すでに麻痺し始めた組織を束ねた最後の作戦。その要がわずかな人数、しかも一部が学生であることは誰も知らない。
「怪我は大丈夫ですか?」
医務室にあたる場所でミチはフェネクに会っていた。
「ああ、心配ないよ。念のために診てもらっただけだし」
少し元気なくフェネクが答える。落ち込んでいるのだ。
ミチはそんな必要はないのにと思う。
フェネクがマルタイに勝てなかったのはフェネクの実力では仕方のないことだから、というわけではない。あの戦い、フェネクはその力を完全に発揮していた。あれで勝てなかったのならば、およそ想定しうる通常の戦術では太刀打ちできないだろう。
「これから最後の作戦がはじまります」
「ああ」
少しの沈黙。
「悪いけど、参加はできないんだ」
ミチは疑問には思わなかった。この作戦はサモリの手によるものであるので、特任の手が回っていない者はむしろ動くべきではないだろうからだ。
「どこかへ避難するのですか?」
見てみると、フェネクは身支度を整えているところだったようだ。
「ポート横の病院」
知り合いか誰かのお見舞いか。
フェネクも単身このイズイトレジデンスにやってきている。親族ではないだろう。
だが、知人が入院しているのならば長くはひき止められない。
――また今度にしよう――
心がそう問いかけてきた。
ミチもそうしたいと思った。
だがそれはできない。今度なんてないかもしれない。
いや、違う。本音は、逃げたくないからだ。
ミチは一つ息をついた。
「……覚えていますか?」
元気のないフェネクを見てミチは自分を情けないと思った。うまい慰めの言葉一つ浮かんでこない。だから、ミチは自分の素直な気持ちを話そうと思った。
「小さい頃、あなたは私に約束してくれましたね」
「……」
フェネクは少し顔を伏せている。
「全ての人の笑顔を守る、と。そして、私のも……」
少し、フェネクが思い出したような反応を見せた。
「私はときどき未来を思います」
なにから話せばいいのかわからないから、話せることから話そう。
思いを伝える方法なんてそれしかない。
「大人の私、ターミナスとしての私。それで十分だと思っていました。ずっと」
懸命に。
「でも、そう、思い出したんです。あなたの、あのとき私を想ってくれた言葉を」
ただ素直に。
「私はそれをずっと心の底にしまっていました。忘れていたんじゃありません。大切だから、なにより嬉しかったから、大事にとっておいたんです」
元気よく。
「この遠い夢は私の宝物なんです」
壁にかかった鏡。そこに写った自分の顔を見る。
ひどい顔だ。よくもこんな冷たい表情でこんな話をしようと思ったものだ。ミチはそう思った。
「そうして初めて知ったんです、わかったんです」
緊張する。ドキドキする。顔がひきつる。
声を出さないと。伝えないと。目を見ないと。
「これが恋なんだって」
ミチの精一杯の笑顔だった。
「あなたが好きです。ずっと好きでした」
ずっと伝えたかったことだから。
「ずっと一緒にいたい、ずっと心の横にいたいんです」
だから、今、この想いを受け取ってほしい。
「フェネク、あなたと一緒に歩く未来を私にください」
不器用な言葉だったが、心を尽くし、思いを尽くした。
白く狭い空間に風が流れるかのような一時だった。
「……ゴメン」
空間が断たれるような一言。
ミチの思考が止まる。
「俺、付き合ってる人がいるんだ」
「それって――」
口から出そうになった言葉をのみこむ。聞く権利があるのかわからなかったし、聞きたくなかった。
「……フロゥだよ」
フェネクの声はいつもミチの予想とは違う言葉を発する。嬉しいことも、悲しいことも。
「いまさっき連絡が入ったんだ。フロゥが助け出されたって。重体らしい」
「そんな連絡、私は聞いていない……」
「フロゥは、俺の大切な人だ。サモリ教官はそれを知ってて俺だけに教えてくれたんだと、思う」
「……いつから、なんですか?」
「こっちへきて少しして、かな」
いつかのときの会話を思い出す。
――恋愛も普通に行えばいいんです。そうですよね、フェネクさん?――
――ん? ああ、そうだな――
あのとき、フェネクが照れたような様子だったのはミチを意識してのことではなかったのだ。
「私、バカですね。バカだから、ちっとも気づきませんでした」
真っ白になった頭に浮かんでくるのはとりとめのない言葉ばかりだった。
「ごめんなさい」
「そんな……こっちこそ……」
限界だった。
逃げたいと思うまま、その気持ちのままミチは駆け出していた。
黒く美しい髪をなびかせながら。
* * *
「特任は何人動いてるんです?」
ムスっとした表情でゼイガンがサモリに聞いた。確執はまだあるらしい。
フェネクを助け、オスカーを運び込みやってきてみれば、最終作戦を行う中枢にしてはずいぶん貧相な設備である。
「僕だけだよ、表向きには」
「どうしてです? この事態で」
「この事態だから、だよ」
「もう青写真はできている、と。どういうストーリーなので?」
「この状況を解決するとともに、この状況を防げなかった責任を僕がとる。僕一人でね」
「……馬鹿な」
「そうして、すべてを公にする」
「責任ですって? あんたのことは嫌いですがね、あんたになにかの責任があるとは誰も思っちゃいませんよ」
「いいや、必ず責任を取る人間が必要になる。いいや、欲すると言うべきか」
「そういう理屈にはウンザリですよ。起こした奴が悪い、解決しようとしてる奴は誉められこそすれ責任を追及されるいわれなどない」
「緊急事態だからと越権を繰り返して武力を伴った非正規活動を行うんだ、責任を問わないならばもみ消すしかなくなる。我々のこの行動をもみ消したなら、この裏にあったくだらない思惑も闇の中だよ」
「そりゃ……」
それでもいいと言おうとしてゼイガンはやめた。それが無駄だと言い切るにはゼイガンは都合の悪いことを見すぎていたからだ。
「ゼイガン君、君にもわかるはずだよ。我々の役目、存在意義が」
「ターミナスの、いや、この作戦に挑む全ての人の役割……?」
「希望ははまだ消えていないと人々に伝えることだ」
結局、最後にものを言うのは人員。人間を最後に支えるのは人間なのである。
ふと、そう大きくはないないその部屋を通り抜けるミチの姿がゼイガンの視界の片隅に映った。
いくつか声をかけたかったが、もうわずかに後ろ姿しか見えなかったので、一言、大切なことだけを伝えることにした。
「ミチ、遺書を書いておけよ!」
少しだけ首肯くような反応がゼイガンから見えた。
「……」
去っていくミチの姿を見てゼイガンは頭を掻くのだった。
これから挑むのはまさに伝説の中にある怪物だ。人の手に余る支配の及ばない存在である。
しかし、ミチの頭にはなにも思い浮かばず、遺書といってもわずかにしか言葉が浮かんでこず、曖昧なものしか書けなかった。
そして、誰もいない通路で、あの日のように膝を抱えて静かに泣きじゃくった。
だが、あの日のように隣に座ってくれる人は、いつまで経ってもついに現れることはなかった。




