第六話 愛した道(後編)
「泣いちゃダメだよ」
困った顔で幼いフェネクが話しかける。
「泣いて、ない……」
幼いミチは膝を抱えて静かに泣いていた。
たしか、菩提術の稽古の後だっただろうか。そのとき泣きだしてしまった直接の原因を今はもう覚えていない。ただ、自分へかけられるプレッシャーや不安、心配、恐怖からだったことだけは間違いない。
ミチは幼い頃からすでに周囲の期待の的だった。文武両道才色兼備。周囲のあらゆる人からの一方的な希望を背負っていた。
「泣いてるよ。悲しいことがあったんでしょ?」
はじめはただ誉められるのが嬉しかった。だが、いつの頃からか自分自身に神童と呼ばれるにふさわしい振る舞いを強いていた。まだ小さなミチにとってそれは日々を知らず知らずに過酷にしていた。
もうよく覚えていないが、もしかしたらこのときだけではなく、時折ミチはこうして隠れて泣いていたのかもしれない。
「よいしょ」
隣にフェネクが座った。
「オレね、目標があるんだ」
どこか嬉しそうに、楽しそうにフェネクが話す。
「オレ、悲しんでいる人が一人もいない世の中にしたいんだ」
「……」
「だから戦うんだ。悲しみを生むすべてと」
「……」
「勝てなくても、負けない。寄り添って、最後まで見捨てない」
「……」
「だから、ミチがミチでいられるようにもオレはしたい」
「……」
「今のオレじゃミチが泣いていることはどうしようもないのかもしれないけど……」
ふと、ミチはフェネクの顔を見た。
「いつかオレがきっと、この世から全部の悲しみを消してみせるから。ミチも笑顔にしてみせるから」
そのときのフェネクの笑顔だけはよく覚えている。
そして、今も自分が頑張っていられるのはこのときのフェネクの笑顔のおかげなのだと思い出した。
ミチはフェネクをずっと好きだったのだ。
* * *
「わかった」
サモリが電話を切る
「……全滅だ」
「なにがですか?」
オーランドがおそるおそる聞く。
「軍だよ。管理部を通じて潜んでいた小隊が全部やられた」
「じゃあ、大型始祖虫は?」
「止める奴はもういない」
オーランドとミチの表情がにわかに暗くなる。
「悪い情報はまだある。幼虫の数から、奴らこのレジデンス内で増殖期に入りかけている」
「敗北した、レジデンス……」
「諦めるな、まだいくつかの救いがあることを教えてやる。まず、幼虫どもだが、アルファやクイーンにあたるものはまだ生まれていないらしいこと」
「つまり、ただの増殖ということですか?」
「そう。ただの勢力拡大で、定着の準備ではないと思われる。まあ、尖兵といったところだね」
自分でも整理するようにサモリは話す。
「次にゼイガン・エイオンと協力関係を結べた」
「それって」
「残存する勢力を結集しマルタイを駆除する」
「あの、いえ……」
少しだけ何かを言おうとしてミチが黙った。その様子を見たサモリがさらに言葉を続ける。
「動けなくなったオスカータイプを確保した。厳密にはゼイガン君が回収してくれてこっちに持ってきてくれる」
「!」
「フェネクは無事だよ。命に別状はない。ただ、まずは治療室に向かっているけどね」
「フェネク……」
ミチにしては珍しい、心の底から安堵した表情だった。
「教官、フロゥは?」
「うん。把握は、している。でも、救出には……まだ少しかかる」
サモリの濁し方から最悪の状況を想像する。
「さて、ゼイガン君にはもう通達してあるが、君らにも協力してもらうよ」
サモリの表情が今までにないほど真剣に、そして冷たく変わった。
「ゼイガン・エイオン、オーランド・テイラー、ミチ・マエダ。これらの三名を特任で緊急徴用する。これら三名の者は特任の命令を最優先。独立執行権の行使によって、他のいかなる制限も受けることを禁止する」
立ち上がり、サモリと向き合うミチとオーランド。
「此度のターミナス緊急配備は軍主導によるクーデター及び大型始祖虫の兵器利用の嫌疑がある。諸君らには大型始祖虫・マルタイの即時駆逐及び重要参考人ヒルヤ・ヒリヤの確保を命じる」
サモリのこの指示はこれまでのものと性質の違うものである。指令や命令と呼ばれるもの、つまり学生としてではない、真に駆除員としての仕事としての指示なのだ。
「ですが、どうやってアレを倒すんです? オスカーを回収してきたって……」
「いくつかの手を考えている」
サモリがそういうと同時にある画面を映し出した。
そこはポートにある格納庫のようで、すでにオスカーが持ち込まれていた。それだけでなく、ゼイガンのインディアや指揮車両など、一連の器材が揃っているようだった。中には見たことの無いタイプのものもあって、まるで見本市のようである。
だが、特に気になったのはそこにいる人員である。オスカーを分解しているように見えるが、明らかにターミナスの人間ではない。
「この人達は?」
「蘭田のスタッフだよ」
「蘭田!? なぜ蘭田が?」
「この『事件』のチームとは別さ。彼の部下達だよ」
「彼……? あなたは!」
サモリが迎え入れた人物を見てミチは驚いた。
「あのときは娘が、モモがお世話になりました」
深々と頭を下げるその男は、フェネクが転向してきた初日の『外』乱入事件で助けた女の子の父親だった。
「もう知っているだろう。彼はイオギ・ローレン。件のローレン家の婿殿だよ」
少し含みのある言い方であった。
「あのとき助けてくださったフェネクさんが弊社の計画に巻き込まれたこと、心苦しく思っております。つきましては、皆様に協力いたしたく」
実に申し訳なさそうにするイオギ。ミチは今にも飛びかかって喉笛を噛みちぎってやりたいと思ったが、彼の協力は明らかに必要だった。
決して許したくない相手だが、認めなければならないのである。
「イオギさん、オスカーについて説明をお願いします」
「はい。まだ蓄積は少ないですが、フェネクさんの音響知覚能力のモニター結果をオスカーの潜伏AIにケーブルしています」
「それは……」
今イオギからあっさりと語られた“音響知覚能力”と“AI”なるもの、それこそがおそらくは軍とオスカー、そしてフェネクを繋ぐ線なのだ。
「そんなもの……」
そんなものにこれから頼らなければならないのである。
「自動的に最適化されるように調整しますので、マルタイの行動パターン予想の精度は戦ってる間にも上がっていくはずです」
「さらにはオスカーの全面的なパワーアップを行ってもらう。ミチ、オスカーにはおまえが乗ってもらうよ」
「会社を裏切ることになりますが、私は後悔していません。モモを助けてくれた人がこんな目に合っているのを黙って見ていられるほどには冷酷になれませんから。おそらくはそれが私の立身を妨げているのですが、それでいいのだと今は思っています」
「……ません」
「はい?」
「あなたのことなど聞いてません」
ミチの精一杯の抗議であった。
「それでもダメな場合は?」
オーランドが不安そうに質問する。フェネクの戦いを見てのことだろう。
オスカーがフェネクの能力を得たマシンになったとしても、そのフェネク自身が敗れているのだから当然ではある。
「最後の手段を使う。MOTHERシステムだ」
「マザー?」
「オーランド、知ってるか?」
「ええ、マスター・オブ・ザ・ハイ・エネルギー・ライフル・システム。普段は使われていないレジデンス迎撃用システムの奥の手ですね」
「うん。高精度戦術高エネルギー電子レーザーキャノン。その真の目的は……」
「他のレジデンスからの侵攻を想定しての防衛用」
サモリはさらに続ける。
「現在、特任でポートの封鎖をすませている。誰もこのイズイトへの出入りはできない。これは始祖虫の出入りをシャットアウトするためだが、別の意味もある。これから残存勢力を掌握し、最後の戦いを挑むことになる。時間は無い。全てを解決し、即座に幼虫の掃討作戦を開始しなければならないからね」
「最後の、戦い……」
「文字通り最後だ。後はないよ。学生である君らを巻き込んで申し訳ないと思っている……出撃までの数時間、準備を済ませて休んでおくんだ。ご家族への連絡も忘れるなよ」




