第六話 愛した道(前編)
そこが暗いのはただ地下だからではない。本来そこには光はないのだ。原初の暗闇、宇宙に迫る暗闇。そこに潜り込む大型始祖虫、光を背に降り来るオスカータイプ。
レジデンスの時間が夕方にさしかかり、環境のリズムを一日の終わりに合わせはじめていた。
先にある『吹き抜け』に進ませるわけにはいかない。フェネクの中にある焦りが大きく膨らむ。
だが、フェネクはそれすらも別のものごと押し殺してマルタイの先へと回り込み、一つ息をつき、改めて構えなおした。
そうすると、それまで興味は向けても敵視はしていなかったマルタイがわずかにフェネクを気にしたようだった。
マルタイの変化を受けてオスカーはさらにその気配を変えた。
そして体重を崩すかのような初動。マルタイの単純極まる反応では読みとれずに接近を許していた。
姿勢にこめられた戦法。それは機械の人形であるネクチサイドには今もって応用されていないものである。
反動を制した打撃。ミチと同じく打撃の威力をつきつめた異質な操縦法である。
菩提活殺術。フェネクもまたこの戦闘技法を体得していた。ミチと同じくイワノダから授けられたものである。
フェネクのそれはミチのそれよりなお激しかった。
後ろ回り蹴り、飛び膝、上段回し蹴り。ロボットにあるまじき蹴り技を重力下で行っている。オスカーでなければ脚部が耐えられないであろう挙動である。
だが、その見返りに、通常のネクチサイドとしての動きではまるでダメージの見られなかったマルタイをわずかにだが揺らがせた。
コックピットの中でフェネクが吠えた。
それはたった一人の鬨の声である。
肘を撃ちつつ重心を落とし、比較的柔らかいであろう胸部の下、腹部に差し掛かるあたりを徹底的に狙った。
少しずつだがマルタイが退きはじめていた。
その猛烈さをフェネクは加速させる。
一瞬、わずかな瞬間、フェネクのオスカーはミチやゼイガンのそれを明らかに上回っていた。
――キェ……ン……――
マルタイが鳴いた。
どんな意図かはわからなかった。
だが、複数ある足をせわしなく動かせ、広げ、振りかぶったことから、なにか攻勢に移る気合いの声だったとも思えた。
懐に潜り込んでいるフェネクからではわからない死角からの素早い攻撃。
フェネクは避けた。
それもギリギリの距離で、である。
フェネクが避けて、避けた足をまたぎ、その足が動く前にまたオスカーが攻撃に入る。そのあたりでようやくオスカーのカメラが状況を処理を完了した。
マルタイとオスカーの動きは、まるで事前に打ち合わせたをした殺陣のようであった。
会話のような格闘戦。
フェネクは短時間の間になにかの力を確実に伸ばしていた。厳密にはある力によってマルタイに相対する方法を鋭敏にしていたのである。
オスカーの見えない部分がフェネクを観察する。
この時点で言えることは、オスカーは、フェネクは、目一杯働いたということだ。機能するものを全てを動員してマルタイを倒すべく全力を尽くした。
だが、それでもなお、フェネクはマルタイには敵わなかった。
オスカーの動きは戦うにつれ少しずつ鈍くなっていっていた。機能の異常ではない。オスカーの機体に糸のようなものが絡まっていたからである。
よく見ると壁や床にも糸が伸びており、マルタイの動きはオスカーと戦うのみなならず、オスカーを捕らえるためのものだったのだとわかった。後退も、応戦も、すべては単なる本能のため。マルタイにとってこの戦いは戦闘や決闘ではなく、あくまで狩りの延長にすぎなかったのである。
フェネクに勝ち目などはじめからありはしなかった。
あっという間にかたまっていく機体。迫るマルタイ。
フェネクの中の恐怖が膨らんでいっていた。
焦りでも、危機感でも、使命感でもないもの。フェネクのとっての敵はマルタイだけではなかった。徹底的に押し殺さなければ身動き一つとれないもの。恐怖心。
迫るマルタイに震えることしかできないオスカーこそ今のフェネクそのものだ。
雨に打たれた子供のように歯を鳴らし、ついにフェネクは叫んだ。
それは、紛れも無い悲鳴であった。
フェネクの声に明らかにマルタイが反応した。
* * *
彼らの無数の銃口が油断なくある一点を睨み付けていた。
しかし、それら小銃はこれから使用を予定している相手にはほぼ通用しないであろう豆鉄砲である。
その後方にはもっと大型の銃器が取り揃えられていた。機関銃や無反動砲、対物狙撃銃、グレネードランチャーといったようなそれらである。そして、さらにはターミナスでは『外』用と言われるような野砲じみたライフルを持った彼ら用の装備を検討する目的のネクチサイド。
彼ら、策略によってねじこまれた軍は最後の作戦に臨んでいた。
つまり、ターミナスを利用したオスカーテストの終了、その幕引き役である。
「最後に確認しますが、レジデンスへのダメージは……」
「考慮せんでよい。そちらは私が処理する」
通信先からの返答にその兵士、いや士官は額に深い溝をつくった。
民間人への被害はどうなるのか問いかけたかったが、怒りを買うだけだろう。彼らにとって考慮しなくてよいという指示は考えるなと道義であるからだ。
「ターミナスはどうなりましたか?」
「大丈夫だ」
「では、つまり」
「全滅したよ。そちらに行くことはない。エサにしては上出来だった」
副官にあたる人間はもれ聞こえたその返答に吐き気を覚えた。
始祖虫の専門家とされる人間の指導のもとテストの動向を探りつつ最終的な安全弁として配置された彼らではあったが、本心では不服に思っていた。
「何者です?」
通信が切れた後副官が思わず聞いた。
上からの命令とはいえ指示系統に割り込んでくる人間など只者でもまともでもあるわけがなかった。
「ゴルドリオ・ワフマン……族議員だよ」
上官である士官が不機嫌そうに答えた。
わざわざリスクを負うような作戦も馬鹿馬鹿しかったし、被害を思うと暗澹たる思いしかしなかった。
しかし、彼らは見落としていた。戦士であるはずの彼らは、接近する敵意の塊に気づけなかったのである。
ボトリ、ドサリ、ボトボト。土嚢が落ちるような音が繰り返され、後方に位置する兵達がそれに気づいたとき、彼らは自分達の無力さを知った。
雪崩のように迫る柔かな体と硬い牙。
突然のこととは言えなかった。冷静に見れば誰でもわかるほどにそこは狩場だった。緻密というにはあまりに杜撰であった。
レジデンスが夜を作り出すための準備で形作られた本来存在しない通路。かつて彼ら自身が潜んでいた場所。そこを走って迫り来る群れ。
マルタイの幼虫。
気配はずっとあった。怪しい部分も沢山あった。しかし、彼らは自分達を信じすぎたのである。過信とも違う、正当であろうとするあまりに裏切りを予見できなかったのである。ヒルヤ・ヒルヤの裏切りを。
「こ、後方、脅威出現!!」
一人の声を皮切りに戦闘がはじまった。
彼らはその不測の状況でよく戦った。未知なる怪物を相手に用心深く、そして立派に戦った。どれだけ倒そうと、どれだけやられようと。
しかし、やはり彼らも、ターミナスと同じく一時間ともたなかった。
そしてその被害は、ターミナスの比ではなかった。被害の大きさだけではなく、悲惨さも。
彼らは本当によく戦った。誰にも声が届かない虚空の傍で。自分達が生きながらに食われても、最後までレジデンスへのダメージに配慮し続けた。最後の、最後まで。
たとえそれがイズイトというレジデンスの敗北が決まった瞬間だとしても。
* * *
静寂が支配したころ、微動だにしなくなったオスカーの近くに現れるネクチサイドがあった。インディアタイプ、ゼイガンである。
遅れたのではない、待っていたのである。
何をか。フェネクが負けるのを、である。
なぜか。オスカーを回収するためである。
ゼイガンの好む作戦ではない。サモリのものである。
「まだだ、フェネク・ギヨタン。我々にはまだやれることがある」
敗北したレジデンスで、まだ奇跡を信じている者達の足掻きがはじまる。




