【F1】彼女から目が離せない。
(注)本編のフェリックス視点。サシャ視点と読み比べると面白いかも。愛重め、執念強め、やや鬱々。本編のイメージを裏切り、フェリックスの思考が余裕ない。
自分にとって騎士業は天職である。生まれから受け継いだ恵まれた体質。たゆまない努力を続ければ、それに比例して伸びる実力。何より、清廉な姿勢を貫ければ結果は裏切らない。乗り越えられぬ困難などないはず。自分は生涯騎士業をまっとうするだろうし、その未来に危機が訪れることはない。……そう思っていた。
「良かったよ、大事にならなくて」
「……すまない。お前にも、許されないことを言ってしまった」
「もうそれはいいから。狂病、だっけ? お前の意志じゃないだろ」
大厄災の翌年の2月下旬。俺は狂病というものを発症した。詳細は不明だが、大厄災の魔物が出していた黒い霧を浴びた者がかかるらしい。確かに当時最前線で闘っていた俺は、霧に接触する機会が多かった。だからこの発症は仕方ないことだと周りが言う。
何の前兆もなく、俺は気付いた時には狂病者になっていた。正気になった今思い返すと、口にしたあらゆる侮辱と恫喝が信じられない。それでも、それを言ったのが自分である記憶がある。部下の皆に謝罪しているときも、まだ自失の恐怖が胸に残っていた。皆が俺の謝罪を受け入れ、むしろ俺を心配している。この程度で済んで良かったと考えてしまった自分が、人として情けない。
済んだことをいつまでも引きずっても良いことはない。狂病はもう終わった。早く気持ちを切り替えろ。そう自分に言い聞かせ、騎士業という日常に戻っていく。その日、俺は日中の巡回を任されていた。今回はまとまってではなく手分けしての巡回だ。商店街の方に向かうと、人々の賑やかな声に囲まれる。
「……」
菓子店の前に、女性がいる。女性にしては体格がいい方。短めの茶髪。瞳の色は珍しく、赤だ。相貌に特別さはない。所謂、普通の顔立ちの範囲。仕事帰りと思われる。作業服らしき裾部分に、泥汚れの名残があった。一方、本人の清潔感はしっかりしている。服の汚れは洗っても落ち切らなくなったものだろう。何らかの現場職をしている可能性がある。と、思わず職業柄の分析も交えつつ様子を見つめてしまう。
彼女は菓子店の商品を物色している様子だ。なぜだろう。胸の中をそろりと触られたような感覚が走る。微かに平静が揺らぐ心地がした。彼女から目が離せない。どこかで会ったことがあるのか? 王都の巡回業務の頻度は少なくない。すれ違うことくらいあっただろう。だが、やけに気になるのはなぜなのか。
思わず彼女に声をかける。相手はびっくりした様子だ。無理もない。巡回騎士が突然声をかけてきたのだ。俺は手っ取り早く、面識があるか聞いてみた。相手は俺を知らないという。俺としても、彼女の顔や声で何かが結びつくことはない。
しかし、胸の中を触られているような感覚はまだ続いている。気持ち悪い感覚ではない、と思う。自分事なのによくわからないのも妙な話だ。黙ってしまった俺に話は終わったと思ったのだろう。彼女はさっさと菓子店の中に入っていった。追いかけようか、と思う。
「あ、フェリックスここにいた。どうしたんだよ、立ち止まってさ。何かあった?」
「……いや、何でもない」
向こう側からやってきたルドルフに声をかけられ、俺は目線を彼女から外す。今は巡回業務中だ。何もないのに彼女を追いかけて話を続けるなどおかしい。俺はその場を離れた。胸の中の感覚も、今はもうない。それでも、彼女の存在が頭の片隅に残り続けた。




