【60】心臓を、抉る。
ついにこの日が来た。2月中旬のある日。夢にサラエルさまが出てきた。おお、一年ぶりですね。サラエルさまが言う。
『猟師のサシャ。よく御使いの使命を完遂しました』
「サラエルさま。昨日最後の一人を殺したのに何も起きないからどうしようと思いました。もうどんでん返しはないですよね?」
『狂病者はいなくなりました。今までよく頑張りましたね』
労われた。えへへ、頑張りました。本音を言うと、もうちょっと要所要所で助けてほしかったです。私がお祈りしたときは結局全然出てきませんでしたね。
『聖物のナイフは、教会に寄贈いたしなさい。明朝、王城に向かうのです。御使いの使命完遂とそのナイフの取り扱いについては、信託を下します』
おお、後始末は完璧と。御使い中もそれくらいフォローしてほしかったな。というか、相棒のナイフは教会に寄贈されるのか。ちょっと寂しい。色々な思い出が宿っているものだからね。……大丈夫かな、この聖物。私とフェリックスのせいでどうにかなってない? すみません、やらしい気持ちで何度も使ってしまい。何か責められたらどうしよ、と思ったが特に何も言われなかった。ほっ。
「は!」
「サシャ、起きたか?」
目が覚めた。ここは私の家。私のベッド。いつの間にか昼寝をしていた。ベッドに背中を預けるかたちで、フェリックスが新聞を読んでいた。非番なので家に来ていたのである。私はきょろきょろと辺りを見る。あった。ナイフを手に取る。そして、今先ほどの夢についてフェリックスに話した。フェリックスは一つ頷いた。ぽんぽん、と軽く頭を撫でられる。おつかれさま、ということだろう。
「何だかあっという間だったな。一年前の私は恋人ができるなんて想像もできなかったよ。しかも騎士さまとなんてね」
そこまで恋愛に興味なかったしね。身分違いの恋となれば尚更。そうそう、と私。
「フェリックスに聞かないと」
「どうした?」
「はしたないって思うかもしれないけど」
「言ってみてくれ」
「この聖物は明日寄贈されるでしょ。最後にもう一回使いたい」
「了解した。俺も同意見だ。今やるか?」
「うん。で、使い終わった後には処女を捨ててみたい」
「……」
「どうだろう?」
「最高の提案だ」
こういう会話が案外ある。フェリックスは堅物だけど、私がはしたないこと言っても怯まない。むしろ積極性がある。お互い情欲を隠さない質なのだ。行為に対する恥ずかしさはある。けれど、羞恥心に負けて押し黙ってしまうほどではない。気持ちいいことは好きだ。御使いじゃなくなったなら、さっそく最後までしたい。うーん、と考える。
「最初はやっぱり痛いのかな? 途中までは何度もしてるけど……」
「俺に任せてくれ」
「慣れてる人の台詞だ」
いつも通り、会話しながら殺しの準備を進める。これが最後か。明日からどうなるんだろ。私たちの日常から殺しという繋がりはなくなる。でも、他に繋がる方法はまだたくさんあるはず。フェリックスがベッドに寝転がった。私はいつも通り、ナイフの切っ先を潜り込ませる。大丈夫か聞くと、大丈夫だと返される。フェリックスの顔に苦痛はない。よかった、役目が終わってもちゃんと使えそうだ。
名残惜しさは不思議となかった。すぐに心臓部までナイフを突き入れる。フェリックスが思わずといった様子で身体を少し動かし、ベッドシーツの衣擦れの音がした。互いに見つめ合い、情熱を交換し合う。両想いになった当初あった極度の興奮は、最近はない。それでも愛しさは今のところ変わらない。フェリックスは私の腕をとった。脈をみているのだ。私の心音を感じている。
「フェリックス。明日からも色々、楽しいことしようね」
「君がいれば、いつでも俺は充実している」
この3か月ほど、色々楽しいことをした。勿論お互い仕事があるから時間は限られる。その隙間を縫うのも楽しい。王都ですれ違うとき、お互いに手を振り合う。新しいお店にお酒を飲みに行く。私が狩った獲物を一緒に食べる。次はないと思った外乗ももう一回行った。会話もなく一緒にいるだけのこともある。手だけそっと握るのだ。あとはもちろん、気持ちいいこともした。
そうそう。もう少ししたら、王都を出て小旅行に行くことになった。フェリックスが数日間まとまった休みを取ったのである。王都の外に出るのは久々だ。ルドルフさまやエミルさまは私たちが収まるところに収まったと喜んでいた。いやあ、これからのこと考えると大変な部分もあると思うけど。
今度の旅行のことをぽつぽつ話し合う。お魚料理が美味しいところに行く予定。楽しみだ。話しているうちに、フェリックスが悩ましげな表情をし出す。無意識なのか、拠り所にするように私の腕を少し強く掴んできた。気恥ずかしそうな微笑みがこちらに向けられる。殺してほしいと、目が訴えかけてきた。私は微笑み返す。彼にも意向は伝わった。旅行の話が途切れる。
「それじゃあ、殺すね」
「ああ、きてくれ」
「ナイフはもう使えなくなるけど。また心臓の音、聞かせて」
「いつでも。君の聞きたいときに」
「フェリックス、好きだよ」
「俺もだ、サシャ」
心臓を、抉る。
ベッドがぐっと軋んだ。彼の身に起きた硬直と弛緩を見守り、そっとナイフを抜く。一生懸命こちらを見つめてくる視線が愛しい。目の前で息を荒げる恋人に、私はこの身を捧げる気持ちで抱き着いた。ぎゅっと抱擁し合ってから、もう一度目を合わせる。
あ、と気づく。心臓の鼓動が重なっている。お互いの気持ちが同じであることを、肌越しに感じる。あとはもう自然な流れ。私たちは、そっと唇を触れ合わせた。
サシャ視点の本編はここまでです。次回から、本編のフェリックス視点を連載します(20話予定)。恋愛小説としてはここからが本番、かも?




