【55】……私の好きにすればいいかな。
入院してから一週間後。私は退院となった。初日は意識不明。二日目に一時回復するも、再び夜に意識不明。重篤状態で三日目を過ごしたが、峠を越えたとのこと。四日目の早朝に意識回復してからは早かった。熱も下がり切り、五日目にはほぼ元通りだった。念のためで一週間入院だったけどね。
心因の発熱で死にかけるとかある? とか思ったが、実際は違ったよう。神官さま曰く、高濃度の黒い霧を浴びたことが原因ではないかと。あれは魔界の瘴気が元だ。身体にいい影響あるわけないだろう。
私はマナがちょっとしかないから狂病発症はしない。しかし一時的に体内に蓄積されたことで、霧が悪さをしたのではないかと。今はもう自然発散で抜けたってことかな。ルドルフさまの言い淀みの理由がわかった。別にフェリックスさまのせいとか思わないのに。その旨伝えたら、ルドルフさまは苦笑いしていた。
ところで、入院期間中の私の猟師としての仕事……。今が稼ぎ時なんですけど。一応、王国経由でお金は出してくれるらしい。入院費とか、稼げなかった間の生活費の補填とか。助かります。血税なので噛み締めて使いますね。
フェリックスさまを殺しに行ったとき、私はフードを被っていなかった。つまりサシャのまま御使いの役目を果たしたのだ。号外とかで散々あることないこと書かれていたらどうしよ、と思った。だが、一般人に私の御使いとしての情報は流れていないよう。
映像板が早々に壊れていたこと。観覧席の大多数の騎士さまが既に避難していたこと。このことから、私の正体を知る人は最小限で済んでいたのだ。そしてこちらの事情を顧みて、国王陛下は緘口令を敷いたらしい。すごく助かる。私にとっては賢王。
さて。話は変わるが私はフェリックスさまの入院部屋の前にいる。ルドルフさまの言葉に従い、こちらからフェリックスさまを尋ねることはしなかった。それに夜中一回お見舞いにきてくれたみたいだからね。もう一回来るかなって待っていた。
そしたら結局、その後は一度も私のお見舞いに来なかった。私もう退院ですけど、と昨日ルドルフさまに言った。もうサシャさんから会いに行って、と言われた。ええ……。いざ入室。フェリックスさまは起きていた。窓の外を眺めている。扉が開いた音に反応し、こちらを見る。
「……っ」
「こんにちは、お見舞いに来ました」
やっぱりあれは夢じゃなかったんだな、とわかる。合わせる顔がないと言っていた。今私を見て、そんな顔をしているのもそういうわけ。
「謝らないで下さいね。フェリックスさまに非はないですから」
そう言いながら、フェリックスさまのベッド近くに備え付けの椅子に座る。
「一回お見舞いに来てくれましたよね。声が聞こえていました」
「……身体は大丈夫か?」
「はい。今はすっかり元通りです」
ぎゅっと拳を握って、元気であるアピールをした。
「……俺の出した黒い霧のせいで、君は死にかけた」
「あれはフェリックスさまのせいではないですよ。それに私はしぶといですからね。この通り大丈夫でした」
……どうしよう。とにかくフェリックスさまが暗い。重度の気鬱状態と見られる。元々表情変化少なめな人だけど、これは病的だ。常にある確固たる意志の強さがどこにもない。声も明朗さが失われていて、ぼやけた響きだ。
フェリックスさまの目線が私の方に合わない。私のいるあたりを、疲れ果てたような目で見ていた。顔色を見る限り、ほとんど眠れていないのでは。やがて彼の視線が少し動く。見たのは私の左腕だ。噛みつかれた腕。重苦しそうにフェリックスさまが呟く。
「……痕が残ると聞いた」
「正直あまり気にしません。職業柄、元々古傷は多い方ですから」
服の下とか結構傷痕あるんだよね。あまり綺麗な身体ではない。しかし誇りある傷なので。……びっくりするほど雰囲気が重い。沈黙を気まずいと思ったのは久々かも。私は話題を変えることにした。狂病について情報共有していますよね? と確認する。頷かれた。
「あと一週間後に殺します。私の推測が合っていれば、赤い煙は出ないはず」
「しかし、他の同僚の近くにいるだけで再発というのは」
「それですけど、なんか国王陛下が予防を計画しているそうですよ。実行できるかはこれからの話し合い次第ですけど」
潜伏の可能性がある全員を私が刺し殺すという方法だ。殺すの自体は一人当たり十秒もいらないからね。私はそこまで負担じゃないけど、猟奇的な予防法ではある。光景としてもやばい。でも発症してから殺すより遥かに楽だから、可決してほしい。こんな大騒動はもうたくさん。
……困ったなあ。さっきからフェリックスさまと全く目が合わない。五回目の狂病のあとですら、何とか目を見て話してくれていたのに。改めて考えると、フェリックスさまひどい目に遭いすぎだよね。
何度も再発するわ、酒と薬で暗殺されるわ(気付いてないけど)、狂病で私の家に押し入るわ、それで今回のことだからね。まともな感性でよく精神崩壊せずにいれるものだ。というか、まさに今心が折れているのか。あの日以来お見舞い来なかった理由もそこにある。動く気力すらなかったと。
どうすればいいんだろう。……私の好きにすればいいかな。お互いに目を逸らしていたら、始まるものも始まらない。私は椅子から身を乗り出した。フェリックスさまをそっと正面から抱き寄せる。多分、私の行動が予想外だったのだろう。抱きしめている身体が固まっている。大きい身体だ。あたたかい。微かに脈動が聞こえる。
「フェリックスさまが無事で良かったです、本当に」
切実な願いを込めて言葉を発した。私に対して引け目を感じないでほしい。いつも通りにしてほしい。こっちを見てほしい。その気持ちを抱擁にのせた。
「フェリックスさまは、大丈夫です。私だって大丈夫でした。なんとかなったんです。だからもう、気にしないでください」
「……サシャ。ありがとう」
私の願いは伝わった様子。そう、謝罪より感謝の方が嬉しい。ぎゅっと抱きしめ返される。力強い抱擁だ。でも身体の密着は一瞬で、すぐに離される。感動を分かち合う、友との抱擁の範囲といえるだろう。私はフェリックスさまをじっと見た。フェリックスさまも私を見る。私たちは見つめ合う。
フェリックスさまの瞳の中に、熱がある。情熱がまだここにあることを確信する。こちらを見返していたフェリックスさまが、少し目を見開いた。微かに動揺が伝わる。……そういう反応ですか。じゃあやっぱり、私のこれはそうなのかな。私は椅子から立ち上がり、明るく言う。
「猟師生活の再開でしばらく忙しくなりそうです。一週間後、また来ますね」
「ああ、わかった……」
フェリックスさまは一瞬、私に何か言おうとしたようだ。でも思いとどまったらしい。聞かれたら答えようかなと思ったけど……。まあ答え合わせは一週間後の方が確実だ。それまでこの件はとっておこう。




