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【35】目指すは心臓。

私を捕まえようとフェリックスさまが次の一歩を詰めてくる。次の瞬間、私はミニテーブルに置いていた飲み物のカップを片手で持つと、フェリックスさまの顔に思い切りぶちまけた。中身はまだたくさん入っている。しかもお酒。反射だろう。液体が顔にかかると同時、相手の目が瞑られる。そういう人間的な反応は健在でよかった。完全に怯まれなかったらどうしようかと。一気に距離を詰める。ナイフを両手で持つ。目指すは心臓。


「っ!」


避けられた。腕の片方を掴まれてしまう。ぐっと持ち上げられかける。させるか! 私は踵に神経を集中する。それから勢いよく、全体重でフェリックスさまの足の甲を踏み潰した。折る勢いだ。ここは無防備な箇所。いくら靴を履いていても、痛みは相当だろう。呻き声が聞こえる。


「やあ!」


掴まれていない方の手に力を込める。そして掌底のかたちでフェリックスさまの喉仏をぶん殴った。ここをまともに殴られれば、一瞬呼吸が止まる。腕の拘束が外れた。フェリックスさまが衝撃で噎せている。今なら!


「ぅぎゅ!」


間合いに入ろうとしたところで腕が振り回されて、吹き飛ばされてしまう。後ろにたたらを踏み、棚に身体がぶつかった。変な声が出る。私がぶつかった衝撃で、棚の道具がいくつか床に転げ落ちたよう。わざわざ見はしない。後ろを見る余裕なんてない。獲物から目を逸らしたらこっちが殺される。ナイフをぎゅっと握り直し、フェリックスさまを睨み据える。次はどう動くか。そう頭を巡らせていたとき。


「「サシャさん!!」」


開け放たれた入口からルドルフさまとエミルさまが入ってきた。来てくれた! 二人がかりでフェリックスさまを取り押さえる。すごい衝撃音がした。ミニテーブルの脚が折れてしまう。フェリックスさまが仰向けに打ち倒される。ルドルフさまがフェリックスさまの身体を締め上げた。エミルさまはフェリックスさまの利き腕を拘束している。


「サシャさん!! 今のうちに!!」


私の正体を知らないエミルさまがいる。でもそんなこと気にしている場合ではない。私はフェリックスさまに駆け寄る。フェリックスさまが拘束を免れている腕を持ち上げる。もしかして、マナを? 狙いは締め技をしているルドルフさまの頭部だ!


私は腕を振り上げた。獲物は床に仰向けに転がっている。激しく抵抗して、暴れている。その動きを完全に止める心地で、私はナイフを獲物の胸に突き刺した。心臓を貫通し、肺に抜け、そのまま床に串刺しにするように。異様に早い脈動。それに聞き入る時間もない。渾身の力でナイフをねじ回す。心臓を、抉る。仮初の絶命を突き付けた。


フェリックスさまが目を見開く。呼吸が止まる。身体が緊張して跳ね上がった。死の衝撃による硬直だ。真っ赤な煙が噴き出す。


一拍後、痙攣したように全身震えた。手の指がすべて突っ張り、地面でのたうつ。片足の踵が、床を罅割る勢いで蹴りつけた。ぎぎぅ、と異様な声が食いしばった口から零れ落ちるのを聞く。……殺しの動作が乱暴だったからか。彼の晒した形相は、まさに苦悶そのものだった。私はその有様を、いつも通りまっすぐ見つめていた。

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