【34】「服を脱げ。全てだ」
今回はあまりに発症が早すぎないか? そもそも、私は数日前フェリックスさまに会っている。その時には黒い霧はちょっとも出ていなかった。どういうこと?
なんて思考逃避するのはここまでだ。フェリックスさまの今回の狂病症状がどう出るかで、私の動きも変わる。罵倒してくるだけなら助かるが、攻撃してくるようなら最悪だ。私がフェリックスさまに勝てるわけない。狂病中は判断力が鈍るものだが、実力差がありすぎる。異様に目が淀んでいるフェリックスさまが無表情に私を見る。さあ、どう出る?
「服を脱げ。全てだ」
「……」
「脱いだらベッドまで行け」
そういう系ですか。おとなしく言うことを聞けば命は取られない? しかしだ。狂病のときの記憶は残る。ここで私が暴行されれば、正気に戻ったフェリックスさまはどうなる? それに最悪の事態までいったとき、私は御使いの力を失う。御使いは処女じゃないといけないらしいので。
……フェリックスさまのためにも、私は獲物になるわけにはいかない。フェリックスさまの一挙一動を見逃さぬよう、私は彼を睨み返す。頭が冷える。私は猟師だ。目の前にいるのは獲物。腹を空かせた狂暴な獲物だ。今まさに、食うか食われるか。ナイフをぎゅっと握りしめる。場合によってはマナ攻撃も準備だ。
「…………っ」
「?」
一定だったフェリックスさまの呼吸が乱れた。二回素早く瞬きしたと思うと、唇が震える。歯が、カチカチ鳴っている。黒い目が私を凝視している。その顔は、今や引き攣っていた。ああ、と呆然とした声が彼から零れ落ちる。
「に……。逃げろ!!」
「!!」
フェリックスさまの叫んだ言葉に耳を疑う。逃げろ、だって? まさか意識があるの? そのパターンは初めてだけど!? しかし、逃げろと言われても。外に出るにはフェリックスさまの横を駆け抜けないといけない。無理だろう。身体の制御が効いてない様子だ。今もじりじりこちらに間合いを詰めてきている。逃してくれるわけない。では窓は? これも無理。開けている間に捕まる。
相手が一歩進む。こちらは一歩下がる。このままでは壁際。行き止まりはベッドだ。ほんの一瞬だけ後ろの状態を見た。それから前を見る。一度は通常状態に戻っていた頭が、今一度冷える。……殺すしかない。もはやなりふり構ってはいられない状態だ。最悪のかたちでの露呈になるけど。私はフェリックスさまに声をかける。なるべくいつも通りに聞こえるように。
「フェリックスさま、わかっています。狂病ですよね」
「う、う。おとなしく、しろ……。」
縺れる口が私に命令してくる。一拍後、彼は私に震え声で謝罪した。極限の状態だからか、蒼白になって脂汗をかいている。瞳孔も開き切っていた。誰か、誰か来てくれ、と掠れ声で周囲に助けを呼んでいる。
……いくら何でも、これはひどすぎる。どうしてフェリックスさまがこんな目に遭うのだ。私は後ろ手に隠していたナイフを前に持ってきた。当然、フェリックスさまの視界にも入る。先ほどまで絶望に塗り潰されていた表情に、一瞬の驚愕が宿る。
きっと、フェリックスさまはすぐに察した。三回(正確には四回)殺された際の状況も部下から聞いているはず。このナイフは、形状は普通だ。しかし刀身が真っ白という特徴を持つ。その話を聞いていればこれが聖物のナイフとすぐに思い至るだろう。相手の動きはかなり鈍い。抜刀の気配もない。きっとフェリックスさまが必死に抗っている。私は宣言する。
「フェリックスさま。大丈夫です。今から殺します」
それが御使いの使命だ。私の殺人宣言を聞いたフェリックスさまが、早く服を脱げと今一度言ってきた。その直後、微かに首を横に振る。それからガタガタ震える声で言ってきた。私の物言いに、返事する。
「……ころして、くれ……」




