第三夜『死者たちの宴』
最初に皿を割ったのは、狼男だった。
「まだ何もしてないぞ!」
「じゃあなんで割れたの」
「置いたら割れた!」
「置き方!」
エルシアは床に散った欠片を拾った。狼男は申し訳なさそうに耳を伏せている。その横で大口が菓子を三つまとめて口へ放り込んだ。
「一個ずつ食べろって言ったでしょう!」
「二個だ」
「今三個入れたよね?」
「一個は?」
「ハナコのだよ」
大口が止まった。
ハナコも止まった。
「……お前、見てたのか」
「見てたよ」
「ハナコのだったのか」
「そうだよ」
「すまん」
「いいよ」
「いいんだ」
「うん。あとで大口の取るから」
「よくない!」
大口が慌てて自分の皿を抱え込む。
「祭りだぞ! 分け合え!」
「さっきまで自分の菓子守ってたでしょう!」
「俺のは俺のだ!」
「最低だね!」
老婆が鼻で笑った。
「ほんと、口だけ大きくなって」
「口だけとはなんだ!」
「態度の話だよ」
「口も大きいぞ」
「見れば分かるよ」
「おばあちゃん、それ四個目」
「確認中だよ」
「何をそんなに確認することがあるの」
「去年より味が落ちた理由さ」
「去年と同じ店だって言ってるでしょう!」
その横で、首なし紳士が静かに茶を飲もうとしていた。膝に置いた頭の口元へ、身体が器用にカップを運ぶ。
「……どうやって飲んでるの?」
ハナコが覗き込んだ。
「普通にですが」
「どこに入るの?」
「さて」
「首から出ない?」
「ハナコさん。食事中にあまり品のない話をするものではありませんよ」
「首ないのに?」
「首の有無と品性に関係はありません」
「じゃあ見せて」
「お断りします」
ハナコが頭を持ち上げようとした。
「ハナコさん」
「ちょっとだけ」
「私の頭で遊ばないでいただけますか」
「減らないよ?」
「そういう問題ではありません」
大口が手を伸ばす。
「貸せ!」
「あなたには絶対に貸しません」
「なぜだ!」
「口に入れるでしょう」
「入らん!」
全員が大口を見た。
「……入るな」
「入るねえ」
「入るよ」
「十分可能でしょう」
「入るな!」
「確認しなくていい!」
紳士は素早く自分の頭を抱え直した。
狼男が笑いながらテーブルを叩く。
「だから叩くな!」
「楽しいな!」
「皿一枚割った人が一番楽しそうなの腹立つ!」
「来年は木の皿にしろ!」
「来年も割る前提で話すな!」
「では鉄だ!」
「重い!」
「十年使えるぞ!」
「十年後までこの宴をやる気?」
狼男はきょとんとした。
「やらんのか?」
エルシアの手が、一瞬止まった。
「……さあね」
「やれ! 百年でもやれ!」
「私を何歳まで生かすつもり?」
「長く生きろ!」
「雑だなあ」
「お前が死んだら、今度はこっちでやればいい!」
「もっと雑になった」
「毎日宴ができるぞ!」
「絶対嫌」
「なぜだ!」
「毎日あなたの遠吠え聞くくらいなら生きる」
狼男が大笑いした。
「そうか! なら俺がお前を生かしているな!」
「そういうことにしておくよ」
「違うよ」
老婆が菓子を選びながら言った。
「あんたを生かしてるのは、私たち全員だよ」
エルシアが老婆を見る。
「……ずいぶん大きく出たね」
「そうかい?」
「私は普通に生きてるだけなんだけど」
「死んだ者に会うために一年を生きるのを、普通とは言わないよ」
狼男が菓子へ伸ばしていた手を止めた。
大口は止めなかった。
「おばあちゃん」
「なんだい」
「それ、私の」
老婆の手に、エルシアが取っておいた菓子があった。
「あら」
「話そらさないで返して」
「誰のだい?」
「私の」
「嘘だね」
「なんで」
「あんたはそれ、昔から好きじゃないだろう」
エルシアは黙った。
「昔から嘘が下手だね」
「……黙って食べてて」
「私じゃありませんよ」
首なし紳士が言った。
エルシアはそちらを見る。紳士は膝の上の頭を少し傾けた。
「何?」
「いえ。私は何も」
「そう」
「エルシア、それ誰の?」
ハナコが菓子を覗き込んでいる。
「私の」
「おばあちゃんが違うって」
「おばあちゃんは黙ってられない病気なの」
「死んでも治らなかったね」
「そうだね」
「二人とも聞こえてるよ」
老婆はしっかり菓子を戻した。
ハナコはしばらく皿を眺め、それからエルシアを見上げた。
「ねえ」
「今度は何?」
「エルシアって、私たちが帰ったあと何してるの?」
「片づけ」
「そのあと」
「寝る」
「そのあと」
「起きる」
「そのあと」
「店開ける」
「そのあと」
「ハナコ、何が聞きたいの」
ハナコは首を傾げた。
「寂しくないの?」
エルシアは菓子の皿を一つ動かした。
「静かでいいよ」
「でも今日こんなにうるさいよ」
「だから明日は静かなの」
「そっか」
「うん」
「じゃあ死んだら毎日会えるね」
「それは嫌だな」
「なんで?」
「毎日ハナコにトイレ使われるから」
「いいじゃん」
「よくない」
「死んだらトイレ代いらないよ?」
「今も取ってないよ」
「じゃあ問題ないね」
「あるよ」
ハナコは納得していない顔で菓子を食べた。
「でも、いつかは死ぬでしょう?」
「まあね」
「じゃあそのときは毎日遊ぼうね」
「ずっと先ね」
「明日でもいいよ」
「よくないよ」
「どうして?」
「ハナコ」
「なに?」
「お菓子食べてな」
「食べてるよ」
大口が笑った。
「死ぬのが嫌なのか、エルシア!」
「別に」
「なら問題ないな!」
「だからって急いで死ぬ理由もないでしょう」
「こっちは楽しいぞ!」
狼男が胸を張る。
「酒もある!」
「あなた酒飲めてないでしょう」
「普段はある!」
「どこで飲んでるの」
「こっちだ!」
「どっち」
「こっちだ!」
「説明する気ないでしょう」
「来れば分かる!」
「勧誘しないで」
「エルシアさん」
首なし紳士が穏やかに口を挟んだ。
「こちらへ来れば、もう別れを数える必要もありませんよ」
「紳士まで勧誘しないで」
「これは失礼しました」
「あなたが言うと妙に説得力あるからやめて」
「なぜでしょう」
「その状態で言われるからだよ」
「なるほど」
紳士は膝の上の頭を見下ろした。
「確かに、多少の不便はあります」
「多少?」
「帽子を被る場所に困ります」
「そこ?」
「大切な問題です」
「お前、帽子なんか持ってたか?」
「狼さん。話の本質はそこではありません」
「ではどこだ!」
「私にも分からなくなりました」
エルシアは笑った。
「何の話してたんだっけ」
「お前が死ぬ話だ!」
「戻さなくていい!」
「死ぬの?」
ハナコがまた聞いた。
「今日は死なない!」
「今日はね」
「ハナコ!」
老婆がけらけら笑った。
「あんた、そんなにこっちが嫌かい」
「嫌なんて言ってないでしょう」
「じゃあ来ればいい」
「まだ行かないよ」
「生きてるだけで、自分はそっち側だと思ってるのかい?」
エルシアの笑みが少しだけ薄くなった。
「……どういう意味?」
「そのままだよ」
老婆は茶をすすった。
「生きてる者は、生きてる者だけ見て暮らすもんさ。あんたは一年に一度、死んだ連中のために椅子を並べて、菓子を用意して、扉を開けて待ってる」
「祭りだからね」
「そういうことにしておきな」
「おばあちゃん」
「なんだい」
「今日ちょっと口悪くない?」
「今日も、だよ」
「自覚あるんだ」
「年寄りは遠慮しないんだよ」
「死んでから何年経ってるの」
「女に歳を聞くんじゃないよ」
「おばあちゃんから始めた話でしょう!」
大口がまた菓子を取った。
「でも俺たちも待ってるぞ!」
「何を?」
「今日を!」
エルシアがそちらを見る。
「お前だけじゃない!」
大口は当然のことのように言って、菓子を噛んだ。
「一年待って、ここに来る!」
「そうだぞ!」
狼男も続く。
「今年は屋根の位置を間違えかけた!」
「それは知らないよ」
「危なかった!」
「何が?」
「知らん家の屋根で吠えるところだった!」
「やめてあげて!」
「でも間に合った!」
「来なくてよかったのに」
「嘘つけ!」
エルシアは眉を上げた。
「何が」
「お前は俺たちが来なかったら泣く!」
「泣かない」
「泣く!」
「泣かない」
「泣くぞ!」
「うるさい!」
「死んだ者だって、待つんだよ」
老婆の声だった。
今度は誰もすぐには口を挟まなかった。
「生きてるあんたばかりが待ってるつもりになるんじゃないよ。こっちにだって一年はあるんだ」
エルシアは何も言わなかった。
「……エルシアは、まだこっちでいいよ」
小さな声がした。
「うん」
エルシアは答えた。
「何が?」
ハナコが聞いた。
「なんでもない」
「またそれ?」
「またそれ」
大口が最後の菓子へ手を伸ばした。
「あっ」
「大口!! それ私の!」
「早い者勝ちだ!」
「さっき分け合えって言ったでしょう!」
「祭りだぞ!」
「便利に使うな!」
「俺にも寄越せ!」
「狼は自分の食べたでしょう!」
「ばあさんに取られた!」
「人聞きが悪いねえ」
「取っただろ!」
「確認しただけだよ」
「腹の中でか!」
「ハナコさん、テーブルへ乗らないでください」
「届かないの!」
「私がお取りします」
「頭置いてからにして!」
「それでは菓子が見えません」
「じゃあ顔こっち!」
「ハナコさん、私の頭を回さないでください」
「アオオオオオ――!」
「狼!!」
外ではまだ祭りが続いていた。笛が鳴り、誰かが歌い、通りを走る子どもたちの笑い声が聞こえる。境の薄くなった夜に、生きている者と、そうでない者の声が混ざっていく。
エルシアの家では、それよりずっとひどかった。
「大口! 口開けて!」
「なぜだ!」
「私の菓子返して!」
「もうない!」
「ある! まだ噛んでる!」
「エルシア、諦めな!」
「おばあちゃんは黙ってて!」
「祭りだぞ!」
「それ言えば許されると思うな!!」
夜は、まだ長い。
誰も帰ろうとはしなかった。




