第97話 魔王妃にすがるしかないと、ようやくあの者たちも気づきました
アイリス山へ向かう十二座会議体のヴァンパイアたちは、
この先どう動くべきかを話し合っていた。
「しかし……ありえないとは思いますが、本当に、もし真祖様ご本人だった場合……我々はどうするのです?」
最悪の事態を口にされ、
それぞれが自分の考えを述べた。
「だからといって、
ただ頭を下げるわけにはいかん」
「たとえ真祖といえど、
今、里を治めているのは我々だ」
「そうです。ヴァンパイアの里は、我々と先祖たちが代々築いてきたものですから」
「十二座会議体の協力がなければ里は治められない。そのことははっきり伝えるべきです。本当に真祖がいるのなら、なおさら」
その時、
ドソンが低い声で言った。
「今は、協力だの何だのと言っている場合ではないでしょう」
「では?」
「我々は、
もう死んだも同然です」
「命だけで済めば、
まだマシでしょうが……」
「何を言っているのですか」
「いくら真祖様でも、
我々全員を相手にできるはずが……」
その言葉に、
ドソンは呆れたように言った。
「今の、本気で言っているんですか?」
「ヴァンパイアなど、
真祖様の前ではただの玩具にすぎませんよ」
「真祖様の強さなど、
所詮は伝承にすぎないでは――」
「待ってください!」
「この力は……?」
「今、
皆さんも感じているでしょう?」
山の中腹で足を止めた
十二座会議体のヴァンパイアたち。
ドソンは、
他の者たちを見回しながら言った。
「どうして、
我々全員の手が震えているのでしょうね?」
震えは、
止まらなかった。
山へ近づいたことで、
真祖の存在を本能で感じ取ってしまったのだ。
「本当に、
真祖様は復活されたんです」
ドソンは、
なおも光を放ち続ける山頂を見つめながら言った。
「それでも、真祖といえど我々を排してヴァンパイアを治めることなどできないはずだ」
「そうです」
希望の混じったその言葉を聞きながら、
ドソンは奥歯を噛みしめた。
まだこいつらは、
現実をまったく理解していない。
ごく一部にしか伝わっていない
ヴァンパイア一族の伝承。
そこにあるのは、
真祖への恐怖と畏れだけだった。
(真祖は、最初に作った眷属を一度すべて殺し、そのあと新たな眷属を作った)
(それが、
今の我々の祖先だ)
ドソンは心の中で呟いた。
今は、
協力をどうこう言っている場合ではない。
この地のヴァンパイアを皆殺しにし、
新たな眷属を作り直すかもしれない。
かつて実際に一度、
そうしたのだから。
二度としない保証など、
どこにもなかった。
しかも十二座会議体は、
真祖の命令に背いている。
魔王家へ、
純血のヴァンパイアを嫁がせた。
最悪中の最悪だった。
真祖は間違いなく、
激怒する。
(けれど……)
魔王妃エステル。
新たに一族の長となった彼女が
前に出てくれれば、
命だけは助かるかもしれない。
ドソンは、
他の会議体のヴァンパイアたちに言った。
「山へ登る前に、
一つ確認しておきたい」
「何をです?」
「エステルは……いや、エステル様はエル・ギオルを通過した」
「ならば、
ヴァンパイアの里の新たな長となった」
「その点は、
皆さん認めるのですね?」
ドソンは、
会議体の面々を一人ずつ見ながら言った。
「いや、それは……」
「まさか、
本気で受け入れるつもりだったのか?」
「あんな女を長だと認めるなど」
「ありえん」
その時、
それまで黙っていた茶髪の男が
ドソンに尋ねた。
「どうして、
そんなことを言うのです?」
「今の状況では、新たに長となったエステル様を通して、真祖様に我々への処分に手心を加えていただくしかありません」
「伝承によれば、
エル・ギオルを通過したということは、
長として認められたという意味なのですから」
「はあ……」
「ありえん話だ」
「あんな妙な女を、
長として認めるなど」
他の者たちは、
手を振って拒絶した。
その様子を見て、
ドソンの表情が固くなる。
(この愚か者どもめ)
その時、
先ほどドソンに質問した男が、
右手を挙げて言った。
「私は、
ドソン卿の意見に賛成です」
ドソンと、
男の目が合った。
(あいつが……?)
ルピオル。
自分から意見を出すことは一度もなく、
常に優勢な側に乗って利益だけを取ってきた男だ。
そんな男が今回は、
少数派も少数派であるドソン側についた。
初めてのことだった。
「なに? ルピオル公が?」
「どうしてだ?」
他の者たちも、
驚きを隠せない様子だった。
「ふむ。では、ドソン公の意見に賛成するのは、私一人だけですか?」
ルピオルは周囲を見回しながら言った。
二対十。
完全な少数派だった。
「では、とりあえずここで空気を悪くするのはやめましょう」
「上へ行ってから、
改めて話し合えばいいのでは?」
ルピオルの言葉に、
ドソン以外の者たちは頷いた。
ひゅっ。
彼らは素早く、
山頂へ向かって駆け上がっていった。
その場に残ったのは、
ドソンとルピオルだけだった。
「ついて行かないのか? 君はいつだって多数派についていたはずだが?」
ドソンが問うと、
ルピオルはにっこり笑って言った。
「私はいつだって、
有利な方につきます」
今は、
ドソンの方がまだマシだ。
そういう意味だった。
「有利、だと?」
「少しでも生き残れる可能性がある方ですからね」
「だから私は、
あなたの選んだ方法に乗ることにしたんです」
あの愚か者どもに巻き込まれて
一緒に死ぬつもりはない。
そんな顔だった。
「あなたの言う通りです。どんな手を使ってでも、魔王妃に取り入らなければなりません」
「そうでなければ、
一族そのものが消えるかもしれない」
「真祖様なら、
本当にやりかねませんからね」
「同感です」
エステルは、
エル・ギオルを通過し、
ヴァンパイア一族の長になった。
これまで自分たちが
エステルと魔王にしてきたことを思えば、
あまりにも虫のいい話だ。
それでも今は、
長として真祖の手から一族を守ってほしいと頼るしかなかった。
◆◆◆
ギルガオンが、
洞窟の入口へ先に到着した。
魔王や他の者たちは、
ヴァンパイアどもが騒ぎ立てたせいで足止めされ、
少し遅れていた。
「何だ、あれは?」
洞窟の入口近くに、
縛られている者たちがいた。
「た、助けてください! 悪かった! 本当に悪かったんです!」
ギルガオンの姿を見るなり、
そいつは謝罪ばかり繰り返した。
周囲に落ちている武器を見て、
ギルガオンの目つきが鋭くなる。
「まさか……お前、魔王妃様を狙っていたのか?」
試練に失敗していれば、
魔王妃様は入口付近に現れていたはずだ。
無防備な状態で
襲われていたら危険だった。
魔王様はきっと、
そこを懸念して自分を先に向かわせたのだ。
やはり、
なんとお聡明なお方……!
ぐいっ!
ギルガオンが、
男を片手で持ち上げた。
凄まじい腕力だった。
「誰の依頼だ」
「そ、それは……」
「ギルガオン!」
その時、
自分を呼ぶ声が聞こえた。
「エステル様? それに……っ」
ギルガオンは、
思わずその場に膝をついた。
全身にのしかかる圧力に、
体を起こせない。
(あのヴァンパイアの女のせいか……?)
魔王妃様と共に現れた女が
自分を見ているだけで、
全身がまったく動かない。
(いったい何者だ……?)
どこかエステル様と似た雰囲気がある。
けれど、
放っている気配はまるで別物だった。
(死ぬ)
自分の体が一瞬で粉々になる。
そんな想像が、
頭に浮かぶ。
いや。
あの女がその気になれば、
本当にそうなるだろう。
「あやつか?」
真祖が、
エリンに尋ねた。
「違います。僕の父上は、もっとずっと格好いいです」
その瞬間、
魔王ではないと分かった途端、
ギルガオンを押さえつけていた気配が消えた。
ようやく息が吸える。
けれど、
まだ全身は思うように動かない。
「私は魔王を殺すつもりだ。あやつはどこにいる?」
(魔王様が危ない)
(動け……俺の脚!)
ギルガオンは、
無理やり体を起こした。
「ほう?」
真祖が、
少し感心したような目でギルガオンを見る。
ギルガオンの目は、
なおも真祖を睨みつけていた。
「やる気か?」
だが次の瞬間、
ギルガオンは山の下へ向かって一目散に駆け出した。
まるで必死に逃げ出したように見えるその姿に、
真祖は満足そうな顔で
エリンと双子に言った。
「見たか。あれが強者に出会った時に取るべき姿だ」
「くぅ?」
「きゃあ?」
双子が首をかしげる。
ギルガオン、
どうしたの?
そんな顔だった。
その時、
エリンが首を横に振った。
「アイリスおばあさま。違います」
「違う、だと?」
「あいつは弱いです。ですが、父上への忠誠だけは誰よりも強い」
「本来なら、
絶対に退きません」
「ですが今は、
もっと優先すべきことがあるから逃げたんです」
「逃げた者という屈辱を、
必死に耐えながら」
「そうか?」
真祖は身をかがめ、
エリンと目を合わせて言った。
濃い紅の瞳と、
エリンの黒い瞳がぶつかる。
「ならば、その屈辱を受け入れてまで、あやつが果たそうとしている大事なこととは何だ?」
「父上がここへ来ないようにするためです。危険だと思ったんでしょう」
「かもしれぬな」
真祖は足を止め、
面白そうな顔をした。
「では、その魔王とやらが本当にここへ現れるか、見届けるとしよう」
「あやつがうまく説得して、
ここへ来させなければ」
「魔王という男は、
命だけは拾えるかもしれぬ」
「もっとも――」
真祖が、
エステルと子どもたちを見ながら言った。
「二度と妻子には会えぬだろうがな。それでも、その方がよほど得だろう」
魔王が生き残る機会を、
一度だけ与えてやる。
そんな態度だった。
「ギルガオンが止めても、
父上はここへ来ます」
「なぜ、
そう思う?」
「決まってます。母上と、僕たちがここにいるからです」
「来れば死ぬぞ?」
「僕たちが母上の前で退かなかったように、父上も母上を置いて行ったりしません」
「ケルベスの連中が言う“魔王”とは、すべての魔族を率いる存在だ」
「そんな存在が、
大義名分もなく、」
「ただ命を落とすだけの状況に、
自ら出てくるはずがない」
その時、
今度は私が口を開いた。
「いいえ。どれほど大きな大義があっても」
「愛がなければ、
意味はありません」
「でも、あの人は来ます」
「私を一人にしたままには、
絶対にしません」
短い睨み合い。
私と真祖の視線が、
空中でぶつかった。
(……何かしら)
(私、
何か怒らせた?)
次の瞬間、
真祖がふっと手を振った。
「きゃっ」
凄まじい吹雪が、
四方へ一気に巻き起こった。
(消えた?)
真祖は、
私たちを置いて先に下へ降りていった。
もし彼女が、
魔王と鉢合わせたら。
その場で、
殺してしまうかもしれない。




