第96話 真祖の命令にも、私は絶対に頷きません
「離縁なんてしません! 私が離縁したら、その瞬間に魔王を殺すつもりなんでしょう!」
「従属が拒まれただと?」
真祖の瞳が、
じっと私を見つめた。
まるで、
何かを精査するみたいに。
(うぅ……)
怖い。
でも、
ここで引くわけにはいかなかった。
「なぜ、あやつと離縁しない?」
「魔王がいたからこそ、
私は試練を突破できたんです」
「そのおかげで、
お母様も封印から解放されたんですよ」
「……何だと?」
今回もまた、
真祖は私の言葉が嘘ではないと見抜いたらしい。
私を押さえつけていた力が、
少し弱まった。
「そういえば――あの連中は、いや。あの連中の子孫は、なぜ私の命令に背いたのだ?」
真祖の関心が、
一瞬だけ別のところへ向いた。
「命令、ですか?」
「ヴァンパイア一族の十二座会議体だ。太古、我が最初の眷属十二名を核として作られた組織」
「彼らが、お母様の眷属の子孫だったんですか?」
「あやつらには命じておいたのだ。どこへ嫁がせるのも構わぬが、魔王の家系にだけは純血のヴァンパイアを絶対に嫁がせるなと」
「これは、いかに時が流れようと覆らぬ私の命令だ」
「それを、
よくも破ったものだ」
その言葉を聞いて、
私はようやく理解した。
以前、
魔王から聞かされていた。
十二座会議体の、
あの妙な動き。
(得があるなら何でも受け入れそうな連中が、私を魔王妃にするという提案だけは断った)
魔王も、
その側近たちも。
これほどの条件なら、
あいつらは当然受け入れると思っていた。
なのに、
結果はまったく逆だった。
結局、
ライカン・スロープまで巻き込んで。
そうしてようやく、
私は魔王家へ嫁ぐことができた。
どうしてそこまで拒まれたのか。
その理由は――
ずっと昔に残された、
真祖の命令だったのだ。
(驚いた……)
(あの話、こんなふうに繋がってたのね)
魔王の話を聞いた時は、
ただ大変だった婚姻の経緯を語っているだけだと思っていた。
でも、
そうじゃなかった。
思っていた以上に、
細かく作り込まれた設定だったのだ。
「十二座会議体の連中、皆殺しにしてやる。全部あやつらのせいだ!」
「はい! どうぞそうしてください」
私は、
そこだけは絶対に止めるつもりはなく、頷いた。
ぱちん!
その時、
真祖が作った泡が弾けて。
エリンが、
外へ出てきた。
くるくる回る遊具みたいだとでも思っているのか、
中で楽しそうにしている双子と違って。
エリンは、
もうあの中に閉じ込められている気はなかったらしい。
「ほう。なかなかやるな」
真祖が、
自力で泡を破って出てきたエリンを見た。
そう簡単なことではない。
そんな顔だった。
「アイリスおばあさま。もう泡遊びはしなくて大丈夫です。下の二人も出してください」
大胆な目だった。
真祖を前にしても、
まったく退かない。
「お前……あやつによく似ているな。無表情なところ以外は」
「やつは、いつも笑っていた。それが気に入らなかった」
「あやつ、ですか? アイリスおばあさま、それは誰のことですか?」
ぱちり。
その瞬間、
泡が弾けて双子も外へ出た。
「くぅぅ」
「きゃあ」
双子は、
すごく楽しかったのに終わってしまって残念。
そんな顔をしていた。
「受け取れ。新年の贈り物だ」
子どもたちの手首に、
玉色に光る輪が現れた。
「危険なことが起きれば、それが自動でお前たちを守る」
保護用のアーティファクトだった。
「これは……?」
エリンの目が、
ぱっと輝いた。
私も気になって、
ついそちらを見る。
(今はもう存在しない、古代のアーティファクト……かなりの貴重品よね?)
「危険を感じても逃げぬような連中だ。こういう物を一つ持たせておくべきだろう」
私は急いで、
子どもたちに今やるべきことを教えた。
「ほら。お礼を言わないと。おばあさまにご挨拶」
すると子どもたちは、
両手を揃えてぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます。アイリスおばあさま」
「くぅぅ」
「きゃあぁ」
礼儀正しい子どもたちの態度に、
真祖がわずかに動きを止めた。
こんなふうに礼を言われたことが、
今までなかったのかしら。
もう少しくらい、
子どもたちに反応してくれてもいいのに。
真祖は相変わらず、
ひどく淡々としていた。
その時、
真祖がふいに顔を上げた。
「――あやつが来たようだな」
「まさか……?」
魔王が来たの?
「とりあえず、一度その顔は見ておかねばな……」
真祖が私を見ながら言った。
その目には、
まだ殺気が残っていた。
魔王を殺す気が消えたわけじゃない。
ただ――
今は、
保留になっているだけ。
まだ、
魔王の危機は終わっていなかった。
◆◆◆
見たこともないほど、
夜空を彩る鮮やかな光。
「何だ、あれは?」
「まさか……」
「あれ、アイリス山だろう?」
ヴァンパイアたちが、
空へ噴き上がる光を見ながらざわめいた。
「伝説どおりだ」
「真祖様がお戻りになったに違いない」
彼らは膝をつき、
両手を掲げた。
真祖。
伝承に語られる、
すべてのヴァンパイアの母。
その御方が、
帰還したのだ。
そして同じ頃――
十二座会議体にも、
緊急の報が入っていた。
「アイリス山の頂上から、光が溢れ出しています」
「成功したというのか?」
伝説に記されていた通りの現象だった。
「ありえん話だ」
「では……?」
「偽装だよ。小細工をしているんだ。魔王と結託して、何か特殊な魔法でも使っているに違いない」
「そうですね」
「きっとそうです」
そうして、
“詐欺だ”という結論に傾きかけた時。
一人の男が、
すっと手を挙げた。
「ですが……アイリスに眠る真祖の話を信じている者たちは、動揺するでしょう」
民衆が、
それを本気で信じている。
いわゆる、
土着信仰めいたものに囚われている者たちだ。
「それに加えて、我々には真祖様が残した命令もあるのでは?」
「絶対に純血のヴァンパイアを魔王家へ嫁がせるな、というあれか?」
「昔から伝わっている文句にすぎん。本当に真祖様が残したものだという保証はない」
「その通りだ。いつの間にか慣習になっていただけだろう」
「だが、我々は結局それを破った」
「多数決でな」
「甘い見返りに釣られたのだ」
「だが以前にも、試練を突破したという話はあった。それでも真祖は現れなかった」
「ええ」
「今回も同じでしょう」
「結局は、族長の座を得るための偽装にすぎない」
「本気でそう思うのなら――」
男が、
静かに立ち上がった。
「ドソン公。何を考えておられる」
「我々が直接行って、確認するべきです」
「それに、アイリス山へ近づこうとする一般の者たちも止めなければなりません」
「たしかに、ドソン公の言う通りだ。このままでは収拾がつかなくなる」
他の者たちも、
ドソンの意見に同意した。
伝説に語られる真祖様を迎えようと、
里じゅうのヴァンパイアがアイリス山へ押し寄せるだろう。
もし魔王とエステルが手を組み、
偽の真祖を立てて民衆を惑わせているのだとしたら。
それは、
見過ごせなかった。
混乱が広がる前に、
止めなければならない。
「上級ヴァンパイアをすべて動員しろ」
「周囲を封鎖しろ」
「混乱を防げ。各地の領主にも、至急通達を回せ」
十二座会議体の命令によって、
緊急措置が発動された。
けれど彼らは、
まだ知らない。
今この瞬間。
どれほどとんでもない存在が、
目を覚ましたのかを。




