第90話 護衛を出し抜いた子どもたちと、試練の洞窟
エリンと双子が馬車に入ると、
残っていた護衛騎士たちが馬車を円形に囲んだ。
ギルガオンが配置した精鋭。
命を懸けてでも、
子どもたちを守らなければならない。
周囲に目立った危険はない。
それでも――
警戒を緩めるわけにはいかなかった。
すでに、
何かあれば即座に撤退できるよう、
馬車を動かす準備も整っている。
「しっかり守っているな」
エリンが窓の外をちらりと見た。
騎士たちは、
蟻一匹すら近づけないという気迫で、
鉄壁の警戒を敷いている。
エリンと双子は、
顔を見合わせた。
そして――
にやり。
父上と母上が山に登ったのに、
自分たちだけ大人しくしているわけにはいかない。
「帽子、ちゃんとかぶって」
エリンが先に、
下の二人に外套を着せる。
母上がしていたように、
顎紐までしっかり締めた。
「よし、これでいい」
自分の帽子も、
耳の下までぐっと引き下げる。
「この前の遊び、もう一回やるぞ」
「今回は――難易度が上がってる」
ママ探しの遊び。
「きゃはは!」
「きゃは!」
双子が拳を振り上げた。
だが――
どうやって?
外には、
目を光らせる騎士たちがいる。
どうやってあれを抜けるのかと、
双子はエリンを見た。
すると――
エリンが白墨を取り出した。
そして馬車の床に、
魔法陣を描き始める。
「こお?」
「こお?」
双子が不思議そうに覗き込む。
近距離転移。
さらに――隠蔽。
それを同時に使うつもりだった。
「それと、これが……」
「僕たちのダミーです」
カチリ。
エリンが白墨を、
座席の上に投げた。
すると――
それが姿を変える。
眠っているエリン。
そして双子。
見た目には、
三人ともそのまま眠っているようにしか見えない。
これを見れば、
外の騎士たちは当然、
まだ中にいると思うだろう。
「きゃあ」
「きゃっ」
双子が声を上げかけると、
エリンがすぐに指を立てた。
「しっ。静かに」
「――行くぞ」
ひゅん。
次の瞬間――
エリンと双子は、
魔法陣の光とともに消えた。
ママ探しの遊び。
――開始だ。
◆◆◆
「……ん? 今の音は……」
双子の声に気づいた騎士が、
振り返る。
念のため、
慎重に馬車へと近づいた。
窓から中を確認する。
そこには――
魔王の御子たちが、
静かに眠っているように見えた。
異常はない。
彼は向こうにいる仲間へ、
問題なしの合図を送る。
それを受けて、
他の騎士たちも再び警戒態勢に戻った。
彼らに与えられた任務は、
魔王と魔王妃、
そしてギルガオンからの最優先命令。
どれだけ疲れていようと――
最後まで、
子どもたちを守り抜かなければならない。
◆◆◆
さく、さく。
雪を踏む音が響く。
「ずいぶん積もっているわね」
記憶が、ふと蘇る。
前の私は、
雪の積もる山を一人で歩くのが好きだった。
そのせいか――
今の私も、
山道を進むことにそれほど苦はない。
むしろ――
魔王が連れてきた騎士たちの方が、
苦戦している様子だった。
魔王領の多くは平地。
彼らは山に慣れていない。
しかも夜。
松明があっても、
簡単ではない。
ギルガオンが呟く。
今後は、
雪山の行軍訓練も必要だと。
ちょうど新たに得た領地に、
適した場所もある。
少しだけ、申し訳なくなった。
結果的に、
夜間雪山訓練まで追加させてしまったから。
(子どもたち、大丈夫かしら)
ふと、心配になる。
けれど――
精鋭の騎士たちがいる。
問題はないはずだ。
(……あれね)
ついに――
青い線で封じられた洞窟が見えた。
左右には、
淡く光る魔石。
この程度の明かりでも、
ヴァンパイアには十分だ。
昼間のように見える。
入口には、
管理者らしき男が二人。
封鎖の線を取り払う。
その瞬間――
冷たい気配が、
洞窟の奥から流れ出した。
「……む」
それを感じ取ったのか、
魔王がわずかに眉を寄せる。
思ったより厄介だと、
感じたのだろう。
「参観者の方々は、
あちらのキャンプへ」
向かいの峰には、
小さな拠点が設けられていた。
ここは聖域。
外部の者は、
長く留まれないらしい。
「試練の最中に、命を落とす可能性があります」
「事前にお伝えしておきます」
低く冷たい声。
明らかな敵意。
「……何だと?」
魔王の空気が変わる。
「大丈夫よ」
私はすぐに囁いた。
「わざと言っているだけ」
「記録では、死者は出ていないわ」
マハトラの調査にも、
死亡例はなかった。
気を失い、
入口付近で発見された。
そこまでしか記されていない。
つまり――
無事だった可能性が高い。
私の態度を見て、
案内役の男が口を開く。
「失敗者は、例外なく
身体に異常を残しました」
「これは上層部のみが知る記録です」
「……」
魔王の表情が、
再び変わる。
今度は本気で止める顔だ。
「大丈夫」
「これは私の意志よ」
「信じて」
私は彼の手を握った。
「危険だと感じたら、即座に中止しろ」
「はい」
魔王は細身のレイピアを差し出した。
柄には、緑の宝石。
美しく、軽い。
扱いやすそうな剣だった。
「これを持っていけ」
「ありがとう」
「必ず成功するわ。安心して待っていて」
私は手を振り――
入口へ向き直る。
いよいよ。
始まる。
ゆっくりと、
洞窟の中へ足を踏み入れた。
――きらり。
瞳が、赤く染まっていく。
闇に適応する、
ヴァンパイアの眼。
力が引き出される。
(まるで、魔王城の洞窟に戻ったみたいで……落ち着く)
不思議と、落ち着く。
足取りは軽い。
だが――
どこまで進めばいいのか。
(索敵)
(……やっぱり違う)
(ここ、おかしい)
探知範囲が――
わずか三十メートルしかない。
(どうしてこんなに狭いの?)
*この場所はデバッグ領域ではないため、
能力に制限がかかっています。
(制限?)
*変更不可。
ロック状態とお考えください。
なるほど。
デバッグ存在である炎の魔人にとって、
ここは干渉できない領域らしい。
(面白いわね)
むしろ、興味が湧いた。
(あなたから見て、ここは何?)
*“分岐点”領域と推測されます。
(分岐点?)
まだ知らない場所が、
この世界にはある。
(それ、どういうこと?)
炎の魔人が、
分岐点について説明してくれた。
*ストーリーラインの変化に備えた保管庫とお考えください。
(ほう?)
(予備のストーリーが蓄積されているのね)
つまり――
言い方は立派だけど、
実際は、
ゲーム開発の途中で設定だけ作って
そのまま放置されたものを集めた場所、ということかしら。
だとすれば――
それほど危険な場所ではない?
私は問い直した。
(索敵範囲内に危険はある?)
*ありません。
(分かったわ。じゃあ、このまま進むわね)
炎の魔人が危険だと判断すれば、
知らせてくれるはずだ。
(あら。これは?)
しばらく進むと、
分かれ道が現れた。
「まさか……迷路?」
道は左右に分かれている。
どちらへ進めばいいのかしら。
索敵で見ても、
大きな違いはない。
(うーん……どうしようかしら)
その時――
中央の壁に、
何かが描かれているのが見えた。
(これ……どこかで見たことがあるわね)
(あ、そうだ。心臓)
ヒント?
いったい、どういう意味かしら。
(もしかして……)
血液の流れ――体循環と肺循環。
体循環は、
左心室から出た血液が
全身を巡り右心房へ戻る流れ。
肺循環は、
右心室から出た血液が
肺を経て左心房へ戻る流れ。
昔、覚えるために
必死に暗記した記憶が蘇る。
(もしこれが……)
(血液の流れ、そして心臓へ戻ることを示しているなら)
右。
私はそう判断した。
(索敵)
(異常はないわね)
そのまま、
右の道を進む。
正しい方向を選んだ、
そんな感覚があった。
そして――
少し進むと、
今度は壁画が現れた。
左右の壁に埋め込まれた魔石が、
淡く光っている。
ゆっくりと観察できた。
(不思議ね)
私と似た、
長い銀髪の女性。
彼女は翼を広げ、
空を飛んでいた。
その絵は、
それで終わらなかった。
時間が流れるように、
次の場面へと続いていく。
誰かと戦う姿。
そして――
続くのは、
激しい戦いの連続だった。
(すごいわね……)
たった一人で、
数多くの魔族を倒している。
最後の絵は――
高い山の上に立ち、
下界を見下ろす姿。
まるで叙事詩。
なのに――
なぜか、
その表情には
孤独と悲しみが宿っている気がした。
(まさか……あの人が真祖?)
最初のヴァンパイア。
一族の女王。
私はしばらく、
その絵に見入っていた。
でも――
どこか、似ている。
将来、子どもたちが成長した頃、
私もあんな姿になるのかもしれない――
そんな気さえした。
ゴオオ……
「ひっ……」
その瞬間、
異様な音が響いた。
私は驚いて、
反射的に振り向く。
(祭壇?)
円形の白い板。
(あら……?)
炎の魔人がいた場所と、
どこか似ている。
(炎の魔人、あれを確認できる?)
――返答がない。
接続が切れていた。
索敵も、消えている。
(あら……どういうこと?)
力が封じられた?
いいえ――
存在そのものが、消えた。




