第88話 夫に剣を教わっていたら、子どもたちが大喜びでした
「エリン、危ないかもしれないから、この近くにいてちょうだい」
「はい」
子どもたちは雪原を元気いっぱいに駆け回っていた。
雪玉を投げ合いながら、
楽しそうに笑っていた。
だが――
これはエリンが不利だ。
双子は二人。
しかも――空も飛べる。
「きゃはは!」
「きゃは!」
エリン兄ちゃん、今じゃなきゃいつ勝てるの!
まさにそんな空気だった。
「おい、お前たち!」
ドスッ! ボスッ!
エリンが両手を伸ばすが、
お構いなしに飛んでくる雪玉。
いや――
もはや雪爆撃だ。
一人が投げ、
もう一人が続けて投げる。
交互に続く連携攻撃。
双子はまるで一体であるかのように、
息がぴったり合っていた。
しかも上空から投げてくるため、
下にいるエリンはさらに不利だ。
(わあ……)
(これが空中戦力の強さ……)
「うっ……」
エリンは、これは無理だ、という顔をした。
「きゃはは!」
「くはは!」
双子の勝利のダンス。
歓喜のダンスや喜びのダンスが
お尻ふりふり系だとしたら、
勝利のダンスは――
蜂が蜜の場所を伝えるときに踊る、
あの八の字ダンスのようだった。
「もう遊んだでしょ。そろそろベビーカーに戻りなさい」
いつもなら嫌がるはずなのに、
今回は意外と素直だった。
どうしたのかしら。
疲れた……?
いや、あの子たちに限って――
すぽん。
きゃはは。
きゃは。
双子がベビーカーを指さして喜んでいる。
ベビーカー、走らせよう。
走れ!
そんな意味に見えた。
双子を乗せたベビーカーは、
エリンの担当だ。
「危ないから、ゆっくりね」
「はい」
私の言葉が終わるより先に――
エリンはベビーカーを
びゅん、と走らせた。
まるで走る乗り物だ。
「気をつけて! ゆっくり!」
私はもう一度注意した。
幸い、ここはふかふかの雪原。
しかもベビーカーには、
魔法による安全装置もついている。
それでも――
油断はできない。
楽しそうに遊ぶ子どもたち。
その姿を見ているだけで、
私も幸せだった。
「気をつけてね」
私はもう一度声をかけた。
視界の中で動くように言い聞かせてから、
周囲へと目を向ける。
(真っ白……)
一面の雪。
まるでスキー場のようだ。
私は尾根の方へ視線を向けた。
まだ日が沈むまで、
少し時間がある。
身体を守るシールドも、
もうしばらく維持しなければならない。
「わあああ!」
エリンの声が響く。
普段の落ち着いた声とは違う、
弾んだ声。
やっぱり子どもね。
あれだけ本が好きな子でも、
外に出ればこうして無邪気に遊ぶ。
私はもう一度、
エリンと双子を見つめた。
どれだけ見ていても飽きないもの。
それが――
私の子どもたちだ。
やがて時間が流れ、
陽がゆっくりと傾き始める。
もうシールドを維持する必要はない時間だ。
護衛部隊は野営の準備に入った。
そして――
魔王は部下たちと共に、
何やら話し込んでいる。
詳しくは分からないが、
暴風軍団だとか、そんな単語が聞こえた。
部隊の駐屯。
陣地配置。
そんな軍事用語が飛び交っている。
任せておけば問題ない。
彼は――
軍事の専門家だから。
そして私は――
子どもの専門家。
子どもたちが元気に育つよう導く、
先覚者であればいい。
そう思うと、
最近マハトラがつけてくれたその呼び名を、
私もよく使うようになっていた。
私は反対側の道へと目を向けた。
山道だから不安だったが、
アイリス山の近くまでは
道もよく整備されている。
この分なら、無事に辿り着けそうだ。
ぱちぱち。
日が沈むと、
周囲の警戒が一段と強まった。
焚き火も灯され、
周囲を照らしている。
そして子どもたちは――
すでに馬車の中に戻っていた。
様子を見に行くと、
疲れたのか、もう眠っている。
まだ食事の時間ではないし、
少し寝かせておいてもいいだろう。
馬車の外には、
五人の騎士が配置されていた。
ギルガオンが自ら選んだ、
最精鋭らしい。
彼らは私を見ると、
剣を軽く掲げて礼をした。
子どもたちの警護に異常なし。
そう確認して、
私は再び周囲へと視線を巡らせた。
向こうでは騎士たちが忙しく動いている。
警戒に立つ者。
食事を準備する者。
バリケードを築く者。
その時――
整然と並べられた木剣が目に入った。
合間に訓練できるように、
騎士団が持ち込んだのだろう。
興味を引かれた私は、
そちらへ歩み寄り、一本手に取る。
思ったより重い。
(竹刀とは違うわね)
(訓練用なら竹刀の方がよさそうだけど……)
(剣道場で一年くらい習っていたから、
竹刀の方が手に馴染むのよね……)
だが――
実戦で剣を使うこの世界と、
現代の感覚は違う。
それでも竹刀は有用だった。
特に――
怪我のリスクを減らせる点が大きい。
(今はこれしかないし)
私は木剣を握り直した。
(重い……)
どうやら実際の剣に近い重量にしてあるらしい。
それは利点でもあり、
同時に欠点でもあった。
相手に大きなダメージを与えかねないからだ。
「母上?」
「ん? 起きたの?」
ぐっすり眠っていたわけではなかったらしい。
それはよかった。
後で食事をさせなければならないし、
ずっと寝ていても困る。
「きゃがが!」
「きゃあ」
双子がベビーカーから顔を出す。
自分たちも振ってみたいのだろうか。
まだ駄目。
この子たちに持たせるには危険すぎる。
その時――
魔王、つまり夫が、
私が木剣を持っているのを見て歩み寄ってきた。
私が木剣を手にしているのが、珍しかったのだろうか。
「どうですか?」
私は映画で見た動きを思い出しながら、
構えを取ってみせる。
「ほう?」
完全な素人には見えなかったのか、
魔王が感心したように呟いた。
「私にも剣術を教えてください」
「ただ待っているだけでは、時間がもったいないですし」
試練では武器の持ち込みに制限はない。
せっかくなら、
この世界の剣術も少し身につけておきたかった。
何が起きるか分からないから。
「よかろう」
彼はすぐに、
剣の持ち方から丁寧に教え始めた。
(ふむ……)
(こう握るのね)
やはり竹刀とは違い、
重さも扱いも別物だ。
「刃が長いほど先端は速くなる。
ゆえに、長い剣ほど有利だ」
それは私も知っている。
竹刀の長さが統一されているのも、
そのためだ。
どちらかが長ければ、
公平ではない。
「腕を伸ばして」
魔王がすぐ隣に立ち、
一つ一つ丁寧に教えてくれる。
ぴったり寄り添うような距離での指導。
少し――楽しかった。
そして――
エリンと双子は、
少し離れた場所から
その様子を見ていた。
ちらりと見ると、
特にエリンの目が輝いている。
一方で双子は、
少し興味が薄そうだった。
空を飛ぶ子たちだから、
剣よりも別の武器に惹かれるのかもしれない。
それに対してエリンは――
魔法使いの素質はあっても、
魔王の長男。
いずれ剣を帯びる可能性が高い。
その時のために、
今から関心を持っているのだろうか。
ウムカウテの次の段階に進めば、
剣術も学ぶことになるはずだ。
それでも――
まだ自分で剣を持たせるのは早い。
幼すぎる。
危険だ。
「では、やってみるといい」
「えいっ!」
私は教えられた通り、
突きと斬りの練習を始めた。
最初はぎこちなかったが、
十分ほどでだいぶ馴染んできた。
「見事だ」
魔王が感嘆する。
そして――
私自身も驚いていた。
経験もあるが、
エステルの身体そのものが
これを素早く吸収している。
そもそも反射神経も筋力も、
人間よりはるかに優れている。
ああ。
この体で日本にいたら、
剣道大会で優勝していたかもしれない。
いや、その前に――
芸能事務所からスカウトが殺到していたかも。
街もまともに歩けないくらいに。
……まあ、その話は置いておいて。
訓練を終えた私は、
ついに魔王へと挑んだ。
「手合わせしましょう」
もちろん勝てるわけはない。
私は攻撃。
魔王は防御。
これ、かなり不利じゃない?
そもそも手合わせと言えるのかしら。
「よかろう」
意外にも、魔王はあっさりと受け入れた。
どこからでも来い、と構える。
ふふ。
余裕ね。
でも――
油断は禁物ですよ、旦那様。
この瞬間だけは、
魔王でも夫でもない。
ただの剣士。
エステルだ。
その時――
子どもたちの歓声が上がった。
どっちを応援してるのかしら?
耳がぴくりと動く。
……まさか。
今、魔王も?
無表情のままだが、
彼の耳もわずかに動いた気がした。
「母上! 父上! がんばってください!」
エリンが声を張り上げ、
双子も一緒にきゃあきゃあと声を上げる。
二人とも応援する子どもたち。
その声に背中を押されて、
私たちは剣を交えた。
「やあっ!」
私は力を込めて木剣を振り下ろす。
どう?
このくらいなら――
え?
魔王があっさりと受け流した。
本当に――
軽く。
とん、と弾かれ、
私の木剣が揺らぐ。
(え?)
その瞬間、
私の視界に説明ウィンドウのようなものが浮かんだ。
【パリング】
攻撃を受け流し、相手の体勢を崩す防御技術。
その瞬間――
エリンが声を上げた。
「父上! 今のは何ですか!」
目が輝いている。
普段よりも、
明らかに強く。
双子も興味を示している。
「ふふ……」
これは、父のすごさを見せる機会かしら。
普段はなかなか見せられない姿。
いつもは執務室で書類に追われている人だもの。
子どもたちと過ごす時間も少ない。
でも今は――
こうして目の前で、
自分の力を見せることができる。
その光景を見て、
自然と笑みがこぼれた。
こんな一面もあるのね。
どれだけこの瞬間を
待っていたのだろう。
子どもたちに、
かっこいい父親の姿を見せること。
それは、とても大事なことだ。
だから私も――
黙ってはいられなかった。
「すごいです」
「今の、パリングですよね?」
「どうやったんですか?」
「な、なぜそれを……」
魔王が一瞬だけ動揺した。
まさか私が知っているとは思わなかったのだろう。
「本当にすごいです」
「達人しか使えないっていう伝説の技ですよね」
「ふふ、まあな」
少しだけ、
得意げな表情になる。
私の称賛に加えて、
子どもたちも目を輝かせているのだから。
私は――
夫を立てる女。
そして――
十分に持ち上げたところで、
再び勝負再開。
その時だった。
私の視界の端に、
見覚えのない文字列が浮かんだ。
【■■■ポイントを使用して、剣術スキルを強化しますか?】
(……■■■ポイントって何よ)
意味は分からない。
でも――今は、使えるものは全部使う。
私は意識の中で、
はいを選んだ。
【基本剣術Lv1 → Lv10】
【特殊技能《見切り返し》を習得しました】
次の瞬間、
頭の中に剣筋と体捌きが流れ込んできた。
「じゃあ、遠慮なくいきます!」
「来い!」
タッ!
やはり――
一人で素振りするより、ずっと楽しい。
魔王もただ受けているだけだが、
どこか楽しそうだった。
だが――
ここからが本番。
私の攻撃が、
徐々に鋭くなる。
連続三段突き。
これは――
入った。
魔王も素早く手首を動かす。
それほどまでに、
不意を突いた一撃。
結果――
再び、あの技が使われた。
見えた。
けれど――
まだ身体が追いつかない。
バンッ!
その衝撃で、
私は後ろへ数歩よろめいた。
防御を捨てた突進だったため、
反動が大きい。
ずるっ。
「あっ」
足元の石を踏んだ。
体勢が崩れる。
そのまま――
後ろへ倒れる。
ここは、小さな石が散らばる場所。
このままでは――
頭を打つかもしれない。




