第82話 母が震えた理由
私たちは部屋へ戻っていた。
魔王は執務室へ。
エリンも自室へ。
双子も授乳室のクイーンサイズのゆりかごで、
おとなしく眠っている。
さっきはあんなに暴れていたのに、
やっぱりかなり疲れていたのだろう。
……いや、そもそもあの二人は、
どうしてあんなに元気なのかしら。
ゲームで見ていた頃は、
そこまでよく分からなかったけれど。
こうして毎日見ていると、
あの双子はどう考えても変だ。
私は昼の外出が可能になったことを活かして、
ゲームシステムの確認を続けていた。
確認できたことは二つ。
まず一つ目。
――ゲームは、開発途中で止まっていたらしい。
その結果、
本来なら後でつけるはずだった
細かな説明が省かれたままになっている。
たとえば、
魔王やマハトラが「削除予定NPC」とされている理由も、
詳細説明が入る前に開発が止まっていたようだ。
そこだけ、まるごと空白だった。
とはいえ、
当時の制作者が残したメモから推測はできる。
マハトラも魔王も、
本来なら別の役割を持つ予定だった。
魔王はラスボス候補。
マハトラは、終盤で立場が大きく変わる重要人物。
だが開発途中で方向性が変わり、
その役割を失った。
結果――
削除予定NPCとなった。
そしてもう一つ。
今の世界は、
私が想像していたよりずっと完成度が高い。
ゲームとして出す前に
細かな矛盾や説明を全部埋めるための、
とんでもなく大掛かりな調整システムが
途中まで作られていたらしい。
そのせいで、
ある程度あとから変わったことも、
矛盾しないよう自然に補完されている。
……怖い。
その執念、怖いわよ。
でも。
(……整理しましょう)
この世界は、
私が思っていたよりずっと精巧だ。
どんな状況にも、必ず理由がある。
最初から与えられた設定そのものは書き換えられない。
けれど、その後に変えたり、付け足したりはできる。
なら――
魔王が削除予定NPCであることにも、
必ず理由があるはずだ。
そして、
エリンたちが明らかに普通ではないことにも、きっと理由がある。
(……マハトラが怪しいわ)
どう考えても、
あいつは何かを知っている。
そうでなければ説明がつかない。
私は窓の外を見た。
空は晴れている。
日差しがある。
今なら行ける。
「ちょっと出てくるわ」
そう言って、私は一人で部屋を出た。
◆◆◆
エステルが一人で動き始めた頃。
エリンも、
別の場所で同じことを考えていた。
目を覚ました双子も、
ただならぬ空気だけは感じ取っていた。
「おかしい」
エリンが言った。
「母上が震えた」
さっき、
確かに母上の顔色が変わった。
エリンはそれを見逃していなかった。
そして――
「原因はマハトラだと思う」
双子がこくこく頷く。
エリンは少し考えた。
「でも、父上に言うと大事になる」
父が動けば、
マハトラはすぐに警戒するだろう。
「だから、先に僕たちで確認する」
「きゃあ!」
「きゃ!」
双子が賛成した。
……そして。
その結果、
マハトラが少しだけ可哀想な目に遭うことになる。
◆◆◆
マハトラは執務室で書類を読んでいた。
その時だった。
ウィィィン。
部屋の空気が震える。
「……?」
次の瞬間。
「ぎゃああああああっ!?」
マハトラは椅子ごとひっくり返った。
目の前にいたのは――
巨大化した双子だった。
いや、
大きく見えるような幻覚だ。
しかも二人とも、
口を大きく開けて迫ってくる。
「な、何ですかこれは!?」
マハトラは床に転がったまま叫ぶ。
「エリン様!?」
部屋の隅に立つエリンが、
静かに答えた。
「ちょっと確認したいことがあるだけ」
その顔は、
いつもの穏やかな少年のものだった。
だが、
やっていることはひどい。
双子がさらに迫る。
「きゃああああ!」
「ぎゃあああ!」
幻覚と音声の複合攻撃だった。
マハトラは汗だくで叫ぶ。
「エリン様! やめなさい!
心臓に悪いです!」
「大丈夫」
エリンは淡々と言った。
「たぶん死なない」
「たぶん!?」
双子はさらに口を開いた。
マハトラは床を這って逃げようとする。
だが逃げ道はない。
「きゃああああ!」
「ぎゃあああ!」
「わかりました!
話します! 何が聞きたいんですか!?」
その瞬間、
幻覚がぴたりと止まった。
双子は満足そうに笑う。
「きゃは」
「きゃは」
マハトラは床に倒れたまま、
肩で息をしていた。
「……ひどい」
「ひどすぎます」
エリンは首をかしげる。
「まだ何もしてない」
「十分やりました!」
マハトラが叫ぶ。
「それで?」
エリンの声が冷える。
「母上が震えた理由、知ってるんでしょ」
マハトラの表情が固まる。
一瞬の沈黙。
エリンはそれを見逃さなかった。
「やっぱり」
「知ってるんだ」
マハトラは深く息を吐いた。
「……全部ではありません」
「ですが、私なりに推測していることはあります」
エリンの目が細くなる。
「言って」
マハトラはゆっくり起き上がった。
そして言った。
「魔王様が削除予定NPCだからです」
エリンは黙ったまま聞いている。
双子も真剣な顔だ。
「このまま進めば――」
「魔王様は、いずれ物語から消える可能性が高い」
空気が変わった。
双子の顔がこわばる。
エリンの声が低くなる。
「……どういう意味?」
「まだ確定ではありません」
マハトラは慎重に言った。
「ですが、削除予定NPCというのは
本来その役割を失い、
将来的に排除される可能性が高い存在です」
エリンは唇を噛んだ。
「じゃあ父上は、消えるの?」
「私もそれを避けたいと考えています」
マハトラは真面目な顔で言った。
「だから情報を集めていました」
「ですが……魔王妃様は、
今日それに気づいてしまったのでしょう」
双子が小さく震える。
「きゅ……」
「きゃ……」
エリンはしばらく黙っていた。
それから静かに言った。
「……母上を一人にしたらだめだ」
マハトラは頷いた。
「そうですね」
エリンは立ち上がる。
「父上には?」
「今はまだ言わない方がいいでしょう」
マハトラは答えた。
「魔王様が知れば、
もっと大きな問題になります」
エリンは少し考えた。
そして頷く。
「わかった」
双子も頷く。
「きゃ」
「きゃ」
エリンは扉へ向かった。
出ていく直前、
マハトラを振り返る。
「でも」
「母上が泣くようなことになったら許さない」
マハトラは苦笑した。
「肝に銘じます」
扉が閉まる。
静かになった部屋で、
マハトラはゆっくり息を吐いた。
「……本当に恐ろしい子どもたちだ」
だが、
その顔は少しだけ緩んでいた。
恐ろしい。
だが同時に――
頼もしい。
もしこの子たちが本気で動くなら、
未来はまだ変えられるかもしれない。
ただ、
新たな問題もある。
魔王の親類縁者たちは、
それを格好の口実にして
エステルを魔王妃の座から引きずり下ろそうとするだろう。
魔王が削除予定NPCと知れれば、
彼女を支える立場そのものが揺らぐ。
「……時間がありませんね」
マハトラは窓の外を見た。
魔王城の空に、
冬の星が滲み始めていた。




