第72話 母を見失ったと思った瞬間、目の前に現れました
「もうすぐ追いつく」
エリンが小さく呟いた。
「こおお!」
「こお!」
双子が楽しそうに声を上げる。
エリンはちらりと後ろを振り返った。
馬小屋から感じる魔力の気配。
どうやら父上も、そこに辿り着いたようだ。
ヒントを見つけたのだろう。
さすが父上だ。
(なら、次は馬小屋の周辺を調べるはず)
ここからは時間勝負だった。
母上にはもうすぐ会える。
その時。
大きな倉庫が見えた。
足跡はそこへまっすぐ続いている。
「君たちはここで見張ってて」
エリンが双子に言った。
「父上が来たらすぐ知らせて」
「ケエエッ!」
「ケエッ!」
双子が抗議の声を上げる。
自分たちだけ残されるのが不満らしい。
「言ったでしょ」
エリンは指を立てた。
「君たちは見つかったらアウト」
「僕が先に偵察してくる」
「それに、この道を守るのは大事なんだ」
「もし僕が向こうへ行ってる間に母上がこっちへ来たら困る」
ようやく双子も納得した。
こくこく頷く。
「じゃあ、あの木の陰に隠れて見張ってて」
双子を送り出し、エリンは倉庫へ近づいた。
人間の足跡の中に紛れている――
人間ではない存在の痕跡。
しかもかなり巧妙に隠されている。
エリンでも最初は半信半疑だった。
(母上、さすがですね……)
そう思いながら、さらに身を低くして進む。
やがて。
休憩所のような場所が見えた。
「……え?」
その瞬間。
エリンの体が固まった。
(母上じゃない?)
今まで母上だと思って追ってきた。
だが違う。
そこにいたのは金髪の少女だった。
人間たちの中で一番若そうな娘だ。
普通に会話している。
(どうして……)
エリンは絶望した顔で座り込んだ。
(……失敗だ)
人間ではない痕跡。
だが、それが母上とは限らない。
勘違いだった。
「……うっ」
涙がにじむ。
「母上……」
ぽろぽろと涙が落ちた。
(どうしよう……)
双子は僕を信じてついてきたのに。
全部、僕の勘違いだったなんて。
肩が震えた。
その時だった。
ふわり。
背後から手が伸びる。
エリンの目をそっと覆った。
「誰がうちのエリンを泣かせたの?」
聞き慣れた声。
「……母上?」
振り返る。
そこにいたのは――
エステルだった。
「母上!」
エリンは勢いよく抱きついた。
「うわあああん!」
「はいはい、大丈夫よ」
エステルは背中をぽんぽん叩く。
「泣き虫ね、エリン」
母の声。
それは、幼い頃からずっと変わらない声だった。
外では――
冷酷な魔王の息子。
そう呼ばれるエリン。
だが母の前では。
泣き虫でもいい。
その時だった。
木陰で見張っていた双子も、
母の気配に気づいたのか、一目散に飛んできた。
「きゃは!」
「きゃは!」
◆◆◆
私にしがみついて、なかなか離れようとしない子どもたち。
腰にはエリンがしがみつき、
両腕には双子が一人ずつぶら下がっている。
まるで「絶対に離さない」と言わんばかりに、ぴったりとくっついている。
……動けない。
子ども三人って、こんな感じなのね。
昔は子どもをたくさん産んで育てていたって聞くけれど。
どうやって育てていたんだろう。
本当にすごい。
……しかも、うちはまだ二人残ってるし。
それは今は考えないでおこう。
「もう大丈夫よ。そろそろ離してくれる?」
そう言うと、子どもたちはようやく手を離した。
エリンはまだ私の前に立っていたけれど、
双子は空中をぶんぶん飛び回りながら、楽しそうにポーズを決めている。
「ところで」
私はエリンに聞いた。
「どうしてここまで来たの?」
「ママ探しの遊びをしていたんです」
「ママ探し?」
エリンは少し声を落とした。
「そうしないと、双子が泣きそうだったので」
「母上の気配が、急に消えたから」
「……あら?」
私はふと、シールドの追加効果を思い出した。
(私の気配が消えているから……?)
魔族の子どもたちは、母親の気配が消えるとすぐ不安になる。
うちの子たちは特にその感覚が強い。
だからすぐに異変に気付いたのだろう。
「エリン」
私は頭を撫でた。
「双子をちゃんと守ってくれたのね」
「私との約束、忘れてなかったのね」
「えらいわ」
エリンは嬉しそうに笑った。
◆◆◆
その時。
ガサッ。
誰かが近づいてきた。
「ちょっと、あなた」
女の声。
「こんなところで時間を――」
「……え?」
「もしかして、エリン様?」
旗を持っていた案内係の侍女だった。
彼女は慌てて頭を下げた。
黒髪。黒い瞳。
そして魔族の気配。
魔王の長男。
侍女の肩がびくりと震えた。
(しまった)
私は内心焦った。
ここで問題が一つある。
(どうやって私が魔王妃だと証明するの?)
魔王妃の魔力を出せば一瞬で済む。
けれど――
シールドを解除した瞬間、日差しで肌が焼ける。
(これは完全に想定外の弱点ね……)
どう説明する?
その時だった。
エリンが状況を一瞬で理解したように、静かに一歩前に出た。
「紹介する」
「こちらは母上」
「魔王妃エステルだ」
侍女の顔が一瞬で青ざめた。
「ま、魔王妃様!?」
その場にひれ伏した。
「も、申し訳ございません!」
私は軽く手を振った。
「いいの」
「今回は新しい魔力実験をしていたの」
「そのついでに、少しあなたたちに混ざって様子を見ていたのよ」
そして微笑む。
「それと、あなたたちの苦労も分かったわ」
「できるだけ早く改善できるようにする」
侍女は深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
(助かった……)
私は心の中でそっと息をついた。
エリンがいなかったら、かなり面倒なことになっていたはずだ。
「今日のことは内密に」
「は、はい! 必ず守ります!」
侍女は慌てて去っていった。
私はそっと安堵の息を吐いた。
(よかった……エリンのおかげで、なんとか切り抜けたわ)
――けれど私はまだ、
こっそり抜け出した代償を知らなかった。




