第71話 魔王妃、識字問題を知る
「私は……」
言葉が止まった。
まずい。
名前も。
出身も。
何も、考えていない。
見習い侍女として紛れ込んだのはいいけれど。
一番大事なことを考えていなかった。
このままだと怪しまれる。
……どうしよう。
――その時だった。
「簡単な確認をします」
倉庫担当の女性が声を上げた。
「この中で、読み書きができる人はいますか?」
場の空気が少し変わる。
ソフィアは私に小さく頭を下げた。
「すみません、ちょっと……」
そう言って、向こうのグループへ移動した。
……助かった。
質問はそのまま続いた。
「もう一度聞きます。読み書きができる人?」
何人かが手を挙げた。
私は少し考える。
(この世界の言語は……)
不思議なことに、魔族は人間の言葉を自然に理解している。
読むことも。
書くことも。
まるで最初からそういう設定だったかのように。
(ゲームだから、そういう仕様なのかしらね)
会話ができないとゲームが進まない。
きっとそういう理由ね。
周囲を見る。
手を挙げているのは、全体の二割ほどだった。
(あら……)
少ない。
「では、読むことはできる人?」
「書くのは苦手でも大丈夫です」
今度は多くの手が挙がった。
私は少し遅れて手を挙げる。
目立たないように。
見習い侍女の一人として。
周囲の様子を観察する。
(二割が読み書き可能)
(六割は読むだけ)
(残りは文字が読めない……)
思ったより深刻ね。
(これは……いずれ城全体の問題になるわね)
放っておくわけにはいかない。
その時。
案内役と倉庫副担当が小声で話していた。
「今回、かなり厳しいですね」
「字が読めない子が多すぎます」
私は耳をそばだてる。
どうやら事情があるらしい。
人身売買のルートが潰れたあと。
魔族たちは人間大陸で、直接人を集めるようになったと聞いている。
行き場のない女性。
貧しい家の娘。
そういう事情の者が増えたのだろう。
結果として、
教育を受けていない者も多くなった。
……そういうことね。
(なるほど……)
事情は分かった。
これは放置できない。
指示伝達。
事故防止。
すべてに関わる問題ね。
(対策が必要だわ)
城の中にいたら気付かなかった問題ね。
外に出て正解だったわ。
その時。
ソフィアが戻ってきた。
「お待たせしました」
「大丈夫?」
「はい」
ソフィアはにこっと笑う。
「ところで……」
「どこから来たんですか?」
来た。
さっきの質問ね。
私は一瞬考え――
さっき思いついた設定を口にした。
「東の大陸のほうから来ました」
「えっ?」
ソフィアの目が少し丸くなる。
「そんな遠くから?」
「ええ」
私は曖昧に笑う。
「向こうのほうは、こういう黒い瞳が多いの」
ソフィアは私の目をじっと見た。
「やっぱり!」
嬉しそうに声を上げる。
「すごく綺麗です」
「こんな黒い瞳、初めて見ました」
そういえば。
この大陸では珍しい色だったわね。
東の人間の特徴。
「私の村では」
ソフィアは言う。
「黒い瞳の女性は、美人の証なんですよ」
なるほど。
私は飲み物を口にした。
お茶に近い味だった。
少し癖はあるけれど、
こうして煮出すと飲みやすいのだろう。
「パン、食べないんですか?」
「今日はちょっと、食欲がなくて……」
私はパンを差し出した。
「ソフィア、食べて」
「いいんですか?」
「ええ」
ソフィアは嬉しそうに受け取った。
「ありがとうございます!」
本当に素直な子ね。
しばらくして案内役が言った。
「二十分後に移動します」
「それまで自由時間です」
(ちょうどいいわね)
私は席を立った。
トイレへ向かった。
少し確認したいことがあった。
個室に入り、扉を閉めた。
そして。
ステータスウィンドウを開いた。
(シールド状態だとどうなるのかしら)
画面を確認する。
(いくつか項目が増えている)
生体時間:変更
日光遮断
紫外線から保護
魔族の痕跡を消去
(なるほど……)
昼夜リズムを逆転させたのね。
だから昼でも活動できる。
そして。
魔族の気配も消える。
(だから皆、気付かなかったのね)
私は手を軽く振る。
特に異常はない。
(問題なさそうね)
手を洗う。
ハンカチで拭く。
その時だった。
(あら?)
耳に音が届いた。
ここで聞こえるはずのない音。




