第68話 魔王妃、見習い侍女になる
魔王が頭を抱えて悩んでいる、その頃。
その騒ぎの原因になっている女は――
そんなことも知らずに、のんびり空を見上げていた。
(本当に、空がきれい)
朝の澄んだ空気が耳元をすっと抜けていく。
私は人の流れに紛れながら、ゆっくり歩いていた。
馬車で案内することもできるのだろう。
だが歩かせているのは、見習い侍女たちに道を覚えさせるためらしい。
旗を持った案内役も一緒に歩いている。
別に不満はない。
むしろ私は、少し楽しかった。
散歩にはちょうどいい天気だったからだ。
しばらく歩くと、大きな倉庫のような建物が見えてきた。
どうやら、目的地に着いたらしい。
何人かは疲れた顔をしている。
だが、他の者たちはそれほどでもなさそうだった。
(みんな、思ったより体力あるのね。結構歩いたのに)
倉庫の前で案内役が説明を始めた。
「こちらが第一物流倉庫です」
建物の説明が続いた。
「ここは食品以外の軽い雑貨を保管する場所です。物品ごとに固有コードが付けられています」
魔王城で使われる物資の説明が続いた。
(細かく管理されてるのね)
小さな備品ひとつまで、きちんと分類されていた。
「物を運ぶときは二人、または三人一組で動きます。その際はこちらの荷車を使用してください。ただし使用後は必ず返却すること」
指差した先には、手押し車が並んでいた。
(管理はちゃんとしてるみたいね)
実際の輸送は馬車で行うのだろう。
この荷車は積み込み用の補助というところか。
大体の流れが頭の中に浮かぶ。
よかった。
道具があるのに、人だけに無駄な負担をかけるような職場ではなさそうだ。
「特に重い物を持つときは体に密着させてください。離して持つと腰を痛めます」
案内役はその場で箱の持ち方まで実演した。
箱と体の間に隙間を作ると腰を痛める。
必ず体に引きつけること。
(安全教育もちゃんとしてる!)
私は少し感心した。
その後も説明は続いた。
「ここで働くことになれば、各部署から出庫依頼が来ます。その数を確認して渡してください。その際に重要なのが書類作成能力です。魔王城でも数少ない事務仕事ですね」
事務仕事。
その言葉に女たちが少しざわついた。
「詳しい説明は、このあと担当者が行います」
責任者は魔族だが、補佐役は人間の侍女であることが多い。
ここもそうらしい。
しばらくして別の女性が現れ、この場所の事務作業について簡単に説明した。
(そこまで難しそうじゃないわね)
もちろん数の管理は面倒そうだが。
説明が終わると休憩時間になった。
「ここまで歩いてお疲れさまでした。パンと飲み物を配りますので、一つずつ受け取ってください」
どうやら朝食らしい。
簡素なテーブルが並べられていた。
「はぁー、助かった」
「私ほんと疲れた」
「これ馬車で来るべきじゃない?」
「仕事の時は馬車移動らしいよ」
「よかった……すごく心配してた」
すぐにおしゃべりが始まる。
私は輪に入らず、黙って座っていた。
「その……これ」
「え?」
一人の少女が水とパンを差し出してきた。
「受け取ってませんよね?」
「ありがとう」
私が動かなかったので、一緒に持ってきてくれたらしい。
フードの隙間から金色の髪が少し見えた。
年は十七か十八くらいだろう。
この中では一番若く見えた。
周囲は二十代前半くらいが多いから、
私はその中では少し年上に見えているはずだ。
(私はパン食べられないけど……)
外見は変えても中身はヴァンパイアだ。
だがせっかくなのでパンを少し観察する。
(へえ、ちゃんとしてる)
柔らかい。
焼きたてに近いパンだった。
見習いだからと適当に扱われているわけではないらしい。
周囲を見ると皆おいしそうに食べていた。
「ここのパンすごく美味しい」
「最初めちゃくちゃ不安だったけど」
「私、魔族に食べられるかと思ってた」
「わかる」
「前金もらったから来たけど、最後まで逃げようか迷った」
それぞれの事情を話しながら盛り上がっている。
「ここ、座ってもいいですか?」
「どうぞ」
パンをくれた少女が私の向かいに座った。
「私はソフィアです。ロマンティウム王国のメイヤー村から来ました。あなたは?」
どうやらこれが見習い侍女たちの挨拶らしい。
名前と出身地。
簡単な自己紹介。
「私は……」
言葉が止まった。
しまった。
名前も出身も、何も考えていない。
見習い侍女として紛れ込んだのはいいけれど、
肝心の設定が空っぽだった。
このままでは怪しまれる。
……どうしよう。
――その時だった。
別の声が、背後から聞こえた。




