第56話 飛び回る双子と、エリンの危機管理
「翼持ちの魔族、か……」
エリンは図書館の机いっぱいに本を広げていた。
普段読んでいる魔導書とは違う。
魔族の生理や身体構造、そして各種族の習性や性質についてまとめられた書物だ。
そこには魔族の分類が細かく整理されていた。
翼を持つ魔族は、その中でも特別な存在だった。
だが、その数は極端に少ない。
だからこそ、翼を持たない大多数の魔族たちは、彼らの習性をほとんど理解していない。
「なるほど……」
エリンの黒い瞳がわずかに輝いた。
「僕たちの一族の翼は……退化というより、変異に近いのか」
翼持ちの魔族といっても、すべてが同じではない。
一族ごとに固有の特性がある。
ページをめくりながら考え込んでいたエリンは、ふと視線を上げた。
「……ん?」
城内の廊下の向こう。
微かな魔力の動き。
「また城の中を飛び回っているのか、あの子たち」
エリンは机の横に置いてあった白墨を手に取った。
そして床に、素早く魔法陣を描き始める。
転移魔法陣だった。
◆◆◆
ヒュンッ!
魔王城の廊下を、銀色の影が二つ横切った。
おむつ姿の小さな体。
黒い翼と白い翼が、同時に羽ばたく。
まるで競争でもしているかのような速度だった。
授乳室を出た瞬間には、すでにかなり遠くまで飛んでいた。
その勢いのまま――
廊下の角を曲がった瞬間。
ドン!
「ぐはっ!」
歩いていた男の背中に、双子がそのまま衝突した。
「うぅ……」
男は前のめりに倒れ、しばらくうめき声を上げて動けない。
その上で、双子がふわりと空中に浮いた。
そして同時に首をかしげる。
「にゃ?」
「にゃあ?」
何かがおかしい。
そんな顔で、倒れている男を見つめていた。
そのとき――
コツ、コツ。
整った足音が廊下に響いた。
双子の視線がそちらへ向く。
「そこで何してるんだ」
落ち着いた声。
エリンだった。
「はあ……」
エリンは倒れている男と、飛び回る双子を見て額を押さえた。
「前を見ないで飛んで、廊下で誰かにぶつかったらどうするんだ?」
両手を背中に回し、教官のような口調で言う。
双子がびくりと体を震わせた。
そしてお互い顔を見合わせる。
ぺこり。
男へ向かって頭を下げた。
「にゃ……」
「にゃ……」
謝罪だった。
それを見て、男が慌てて立ち上がる。
「だ、大丈夫です! 双子様! それにエリン様!」
妙に焦った声だった。
「私は問題ありません。それでは――」
そのまま立ち去ろうとする。
だが、その瞬間。
エリンの表情が静かに冷えた。
「……おい」
空気が止まる。
「そこ、止まれ」
低い命令。
男の体がぴたりと止まった。
ゆっくり振り返る。
エリンの冷たい瞳が、まっすぐ男を見据えていた。
「弟と妹が、お前から父上の魔力を感じたと訴えている」
エリンが一歩前へ出る。
「だから、君のところへ飛んでいったんだ」
さらに一歩。
「どうして君から父上の魔力を感じた?」
沈黙。
生まれて間もない双子。
だが、この時期は感覚が異常なほど鋭い。
特に――魔力。
父上の魔力だけは確実に嗅ぎ分ける。
男の目が揺れた。
「な、何のことか……」
「ポケットの中」
エリンの視線が下へ落ちる。
「それ、何?」
「え……」
次の瞬間。
ドンッ!
「ぐあっ!」
エリンの蹴りが男の膝を正確に打ち抜いた。
男が床に転がる。
その拍子に――
コロン。
小さなガラスのアンプルが転がり出た。
エリンがそれを拾い上げる。
空だった。
だが、微かに魔力が残っている。
父上の魔力だった。
「どうして君がこれを持っている?」
男は慌てて頭を下げた。
「私は魔王城の配送担当です。空のアンプルを回収していたのですが……一つだけ返却処理を忘れてしまいまして」
「それで?」
「書類上はすべて返却済みにしてしまったので……修正するのが面倒で、こっそり処分しようと……」
エリンの表情が固まる。
ただの業務ミス。
そう主張している。
実際、管理制度が変わって間もない。
似たような混乱は城のあちこちで起きていた。
疑いは残る。
だが、証拠はない。
「次から気をつけろ」
エリンは冷たく言った。
「母上の作った管理規則を破れば処罰される」
「は、はい!」
男は何度も頭を下げて去っていった。
エリンはその背中を見送る。
そして双子を見た。
二人は、授乳室へ戻されると思ったのか泣きそうな顔をしている。
「僕と来い」
目的地は――
魔王の魔力保管庫だった。
◆◆◆
「エリン様、ようこそ」
保管庫の魔族たちが頭を下げる。
エリンはすぐ命令した。
「補給倉庫から大型の天秤を持ってこい」
「天秤ですか?」
「これからはアンプル箱の重量も測る」
数だけでは不十分。
もし魔力を少しずつ抜いていたら。
重量で分かる。
「配送担当にも伝えろ。
今後は重量検査も行う」
エリンは細かな指示を重ねた。
エステルが大枠を作ったのなら、
細部を整えるのは自分の役目だ。
◆◆◆
そのとき。
「にゃ!」
「にゃあ!」
双子が目を輝かせて天秤へ飛び乗った。
新しい遊び場だった。
左右の皿に一人ずつ。
ギィ……
最初はほぼ同じ重さ。
だが――
片方が下へ。
もう片方が上へ。
まるでシーソーだ。
「きゃは!」
「にゃあ!」
大喜びの双子。
エリンのこめかみがぴくりと動く。
「そこまでだ」
双子は顔を見合わせた。
そして――
扉へ向かって飛び出す。
だが逃げられない。
光の輪が二人を拘束した。
「少し待て」
エリンはため息をついた。
「母上のところへ連れて行く」
その言葉に双子はぴたりと止まった。
エリンは二人を脇に抱え上げる。
「ベビーカーを持ってこい」
すぐに持ってこられた。
移動用のベビーカーだった。
「ここに座れ。すぐ行く」
エリンはそのベビーカーを押し始めた。
廊下の魔族たちが驚く。
「エリン様が……?」
双子は外の景色に大興奮だった。
「僕も昔、母上にこうしてもらったな」
エリンが小さく呟く。
そして――
エリンはベビーカーを押しながら、小さく笑った。
――母上も、きっとこんな気持ちだったのだろう。
そう思うと、胸の奥がじんわり温かくなった。




