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第54話 魔王城改革、始動

「あなた。エリンも一緒か」


疲れ切った魔王がそこにいた。

副官らしき魔族が五人も張りついているのに、机の上にはまだ書類の山が積まれている。


「すまないが、今ちょっと立て込んでいて――」


「ちょっと待って! 提案があります!」


私はすっと右手を上げた。


「提案?」


「あなたの仕事、もっとずっと楽にできます。少し変えるだけで、ずっと楽になりますよ」


「……ん?」

「……え?」


魔王とエリンが同時にこちらを見た。


どうやって?


そんな顔だ。


(秘策を教えるんだから、それ相応の褒美はもらえますよね?)


私はそっと魔王の耳元に囁いた。


「それは……。ともかく、仕事が本当に楽になるなら、もちろん褒美は出そう」


よし。約束を取った。


私は手を伸ばし、目の前の書類を一枚つまんで見せた。


「まず一つ目。文書の様式を統一しましょう」


「様式を?」


「今はみんな、好き勝手に書きすぎなんです」


各自が自分の書きやすい形で報告書や申請書を上げてくるせいで、内容の把握に時間がかかりすぎる。

しかも、どこが核心なのか、誰が作成者なのかも分かりにくい。


「書式を統一して、各項目には決められた内容だけを書かせるんです。そうすれば今よりずっと早く確認できます。起案書と通知文書は分けて」


私はメモ用紙に必要な様式を書き始めた。


昔、短期のアルバイトで、名の知れた企業に勤めたことがある。

運よく一か月ほど延長で働けて、その時に会社で使われていた文書様式をたくさん見た。


その記憶をもとに、魔王城用の基本フォーマットを作る。


「どうですか?」


私の作った書式を見て、魔族たちが感心したような顔をした。


「これを一括適用すれば、確認速度はかなり上がりそうです」

「各部署の責任者の署名欄もいいですね。責任の所在が明確になります」

「“委任決裁”の項目も良いかと」


わざわざ魔王が見なくてもいい案件は、各部署の責任者の確認で完了させる。

どこまで任せるかは、運用しながら増やしていけばいい。


「ふむ……」


魔王も悪くない顔をしている。


「そして二つ目。事務処理に長けた人材を、もっと増やすべきです」


私は中央ルートで挨拶してきた魔族たちを思い出した。


双子の誕生を祝ってくれるのは嬉しい。

エリンを褒めてくれるのも嬉しい。


でも、基本的に彼らは事務が得意ではない。


書式を揃えても、書く側の能力が低ければ効率は上がらない。


「そ、それが……今いる者たちも、ようやく人数を揃えた程度でして……」


戦争は人材を奪う。


優秀な行政要員を育てるのは難しい。


「分かっています。この問題は短期間では解決できません。だからこそ、外から力を借りるしかないんです」


「どうやって?」


「ライカン・スロープ一族です。彼らの力を借りましょう」


ガタン。


魔王が勢いよく立ち上がった。

何を言い出すんだ、という顔である。


「気に入らないのは分かります。でも、血液パックの件で実感したんです。彼らはこのアトランティスで、最も整った行政体制を持っています」


ヴァンパイア村に負けず劣らず、あの一族もまた謎に包まれている。


だが、あれだけの速度で仕事を回せるということは、それに見合う仕組みを持っているということだ。


「彼らに支援を頼んで、こちらの者たちに仕事を学ばせるんです」


「仕事を学ぶ?」


「顧問や相談役という形で行政要員を派遣してもらうんです。あるいは部署責任者として据えて、魔王城の魔族たちに実務を覚えさせる」


「……なるほど」


魔王は考え込んだ。


「もちろん、機密保持が必要な中枢部門は除外です。あなたが気にしているのはそこでしょう?」


私は“図星でしょ?”という顔で魔王を指さした。


「いや、別にそこは大した問題ではない。ただ……他の一族を魔王城へ入れること自体に抵抗がある」


(あれ?)


その瞬間、私はあることを思い出した。


以前の魔力管理の件でもそうだったが、この世界の魔族には“情報保全意識”があまりにも薄い。


「三つ目! 文書様式にもう一つ追加します。極秘、一級機密、二級機密、三級機密、対外秘です」


私は三十分以上かけて、彼らに文書保安について説明した。


このままだと、人間側のスパイに入り込まれたら、

全部持っていかれかねない。


私が生きていた世界の歴史を見れば、

情報戦と諜報戦こそが戦争の中核だった。


この世界だって同じだ。


情報で負ければ、人間との戦争には勝てない。


「……そうしよう」


私があまりに強く言うものだから、ようやく彼らも危機感を持ったらしい。


さらに、等級ごとに閲覧可能者を制限し、専用の保管庫も設けることになった。


くるり。


私はエリンの肩に手を置いて言った。


「エリン、忘れないで。内なる敵は、外の敵よりも怖いの。こちらの情報を簡単に渡してしまってはいけないわ」


この人たちは、目の前で剣を交えることだけが戦いだと思っている。

でも、見えない戦い――情報を奪い、流すこともまた戦いだ。


それをはっきり伝えておきたかった。


「分かりました。母上からは、本当にたくさんのことを学べます」


よかった。


頭の固くなった大人の魔族はともかく、

まだ成長の途中にいるエリンは、スポンジのように私の言葉を吸収していく。


「でも、そこまで警戒するなら、ライカン・スロープを使わないほうがいいんじゃないですか?」


「はあ……私だってそうしたい。でも、今は事情が事情なの。いわば劇薬ね」


今は、とにかく停滞した行政の改善が必要だった。

あまりに急務なのだ。


「まずは、すぐ変えられるところから変えましょう」


こうして、いったん行政決裁を止め、新たな文書様式が全体に配布された。


ライカン・スロープの村への支援要員要請も、驚くほど順調に進んだ。


向こうで選抜された行政要員たちが、魔王城へ派遣されて助言に当たることになったのだ。


◆◆◆


「魔王妃様のご慧眼には、感服するばかりです」


マハトラが深く一礼した。


「こちらこそ、あなたの助力には感謝しているわ」


今回も彼が間に入り、行政要員派遣に力を尽くしてくれたのだ。


「まさか魔王城のほうから派遣要請が来るとは思いもしませんでした。普通の魔族なら、まず発想しませんので」


「必要なら借りるべきものは借りるわ」


「まったくその通りです。魔王妃様はお会いするたび、ヴァンパイアというより、むしろ我らの一族に近い方だと感じます。……あ、もし不快でしたら申し訳ありません」


マハトラは慌てて腰を折って謝った。


アトランティスの魔族にとって、ライカン・スロープに似ているというのは侮辱に近い。

まして敵対するヴァンパイア一族にとってはなおさらだ。


「構わないわ。あなたがどう思うかにまで口を出すつもりはないもの」


「寛大なお心に感謝いたします」


「ただし、彼らの役目はあくまで助言と補佐。それ以上のことをして、余計な誤解を招かないよう管理してちょうだい」


私はマハトラをじっと見つめて言った。


実際のところ、彼らは公認のスパイとほとんど変わらない。

他国へ派遣された外交官のようなものだ。


だから私は、機密が必要な領域はできる限り外した。

漏れても致命傷にならない部分へ優先的に配置している。


いずれ魔王城の魔族たちが実務を覚え、配置替えが進めば、

その時点でもう彼らの助力は必要なくなる。


「では、私はこれで。新しく到着した同胞たちに、この城での注意事項を伝えねばなりませんので」


「ええ。ご苦労さま」


私は手を振って彼を見送った。


マハトラなら、自分の一族をきっちり管理するだろう。

少なくとも、この魔王城で勝手な問題は起こさせないはずだ。


そういう意味では、本当に便利な男だ。


……こうして考えると、あいつ、ずっと役に立っているのよね。


今まで疑ってばかりいたのは、少し悪かったかもしれない。


でも。


エリンを見ながら

『強くならねばなりません。もっと強く』

などと妙なことを言っていたのを思い出すと――


やはり全面的には信用できなかった。


◆◆◆


「さあ、ご褒美の時間ですよ」


私はぎゅっと拳を握りしめ、魔王に言った。


文書様式の統一によって、処理書類は半減した。

しかも派遣されてきた助言役たちは、若いのに驚くほど優秀だった。


まるで大企業の専門スタッフが、中小企業へ派遣されて現場を立て直しているみたいだった。


今まで魔王城の魔族たちが頭を抱えていた仕事を、

彼らはあっという間に処理していく。


おかげで、それを見て学ぶこちらの事務能力まで上がっていた。


行政処理能力の向上は、そのまま魔王城の戦力向上にも繋がる。


戦争は武器だけで行うものではない。

膨大な事務処理もまた、その一部なのだから。


その時、魔王城お抱えの画家ハンスが声を上げた。


「では、始めます!」


その言葉に、私は肘で魔王をつついた。


「笑ってください」


「そなたのほうこそ笑うべきだろう」


「うぅ……ちゃんと笑ってるつもりなんですけど……」


冷たいヴァンパイア。


笑顔というのは、本当に難しい。


それでも私は、できる限り口元を和らげた。


だって――


初めて描く、家族の絵なのだから。


魔王と私が双子を一人ずつ抱き、

前の中央にはエリンが立っている。


(双子、ちゃんと大人しいわね)


乳母たちの話では、隙あらばベルトを外して飛び上がろうとするので、かなり苦労していたらしい。


だから、家族画の最中に飛び立ったらどうしようと心配していたのだが、

今は翼を畳んだまま静かにしている。


絵を描く前、エリンが揺り籠の双子の様子を見てくると言っていた。


その後から、急に大人しくなった気もするけれど……?


考えをまとめると、私はできるだけ笑顔を作って前を向いた。


ハンスの完成させる絵が楽しみだった。

どんな一枚になるのだろう。


胸が、少し高鳴った。


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