第53話 魔王城中枢、始まる母の危機管理
私たちが歩いているのは、魔王城の中央ルート。
各部署の魔族たちが行き交う、城内の大動脈だ。
書類を抱えた魔族たちが、私の姿に気づいて次々と頭を下げる。
「双子のご誕生、誠におめでとうございます」
「ご出産おめでとうございます、魔王妃様」
「エリン様、ますますご立派になられましたね」
……ふふ。
双子祝いは二人分で2点。
エリンへの称賛は1点。
よし、今日は合計100点を目指そう。
中央ルートの端に着くころには、
あっさり100点を突破していた。
足りなければもう一周するつもりだったけれど、
思ったよりずっと早い達成だ。
「どこへ行くんですか?」
エリンが不思議そうに見上げてくる。
「お父様の魔力が保管されている場所よ」
遠回りだけれど問題ない。
今はエリンとの散歩の時間だ。
(私が日光に耐えられさえすれば……
子どもたちと野原を駆け回れるのに)
いつか、必ず。
頭の中に、
子どもたちと外で遊ぶ光景が広がる。
――ひゅん、どかーん!
(だめ!)
双子が空高く飛び上がり、
点のように消えていく幻覚。
さっきだって、外へ飛び出しかけたのだ。
授乳室に窓がなくて本当に良かった。
窓があったら――
私は確実に気絶していた。
「母上?」
「……あ、ごめんなさい。行きましょう」
ほどなくして、
魔王の魔力保管庫へ到着した。
ここには、私の血液も保管されている。
「お待ちしておりました」
担当の魔族たちが恭しく迎える。
「ご苦労さま」
労いの言葉をかけ、
私は台帳の確認を始めた。
その間、エリンは興味津々で室内を見回している。
「これが……母上の血を保管する装置ですか?」
金属製の巨大な冷蔵庫の前で立ち止まる。
「はい。魔王妃様がお飲みになる人間の血液を保管する装置です」
「開けて見せて」
扉が開くと、
冷気と共に赤い血液パックが整然と並ぶ光景が現れた。
長時間は開けられない。
すぐに閉じる。
「基本設計は魔王妃様がなさり、完成させたのは魔王様です。
血液パックの製造にも、マハトラ殿が大きく関わっております」
「そうなのね」
エリンは背面へ回り、
装置を熱心に観察し始めた。
(ここは危険な物もないし、大丈夫ね)
私は台帳へ視線を戻す。
(在庫数に差異なし。
照合すれば一目瞭然)
授乳室の空瓶数。
ここからの搬出数。
そして私が刻んだシリアル番号。
突き合わせれば、すぐ分かる。
念のため再確認。
問題なし。
(台帳記載前に抜かれてたら分からないけど……
少なくとも記載後は不可能)
ふふ。
やっぱり仕組みは大事ね。
これがあるだけで、人は安心できる。
(でも……油断は禁物)
担当者を買収される可能性もある。
私は作業中の魔族たちを見る。
信頼はしている。
けれど対策は別だ。
(相互監査体制を組むべきね。
複数人で同時検証すれば、不正は即発覚する)
セキュリティは常に更新していく。
私は管理体制を、さらに強化する必要があると判断した。
すっきりした気分で外へ出る。
「でも、そこまで厳重に管理する必要あります?
他の一族には扱えない技術ですよね」
エリンが首を傾げる。
城の魔族たちも、同じ疑問を抱いているだろう。
“やりすぎ”に見えるはずだ。
私はしゃがみ、エリンと目を合わせた。
この子は次代の魔王。
だからこそ、伝える。
「さっきの血液保管装置、覚えてる?」
「はい。すごかったです」
「あれはライカン・スロープの村の協力があって完成したの」
「マハトラも関わってるって聞きました」
「ええ。核心技術は彼らが持っていた。
彼らなしでは作れなかった」
「そこまで……」
「他の魔族は彼らを嫌うけれど、
好き嫌いとは別に、彼らは常に挑戦する一族よ。
それが最大の強み。
ある意味、人間にとても似ている」
「人間に……」
エリンの目が見開かれる。
柔軟な発想。
この世界の住人にはない視点。
それが私の武器。
「挑戦し続ければ、いずれ答えに辿り着く。
“常識”はいつか更新される。
未来を作るのは、挑戦する者たちなのよ」
「……父上の魔力を盗む可能性も?」
「“可能性”の話よ。
彼らは常識の外にいる。
だからこそ頼れるし、だからこそ警戒するの」
私はエリンの目を真っ直ぐ見た。
「優秀な刃は、いつか向きを変えるかもしれない」
エリンは静かに頷いた。
「肝に銘じます。決して侮りません」
「いい子ね。……さて、お父様のところへ行きましょうか」
せっかくだ。
執務室まで足を延ばす。
――そして見た。
執務室前に伸びる、長蛇の列。
(え……これ全部、決裁待ち?)
「魔王妃様!」
「双子のご誕生おめでとうございます!」
「エリン様もご立派に!」
……すごい。
一瞬で200点達成。
(いや、今は点数の話じゃない)
理解した。
魔王が休めない理由を。
本当に、桁違いに忙しい。
(これ、深刻よ……)
このままじゃ、
魔王は書類に埋もれて倒れる。
その時。
エリンが拳を握った。
「早く大きくなって、父上を助けたいです」
「……ええ」
健気だ。
でもまだ幼い。
――なら。
私がやるしかない。
ずっと考えていたこと。
今こそ。
行政改革、始動。
魔王城に“業務効率化”を導入する。
勇者が攻めてくるのに、
決裁印を持って走り回ってる場合じゃない。
◆◆◆
「魔力、搬入しました」
低く抑えた声が、保管庫の静寂をかすかに震わせた。
箱に厳重に封じられた魔王の魔力が、無機質な床の上へ運び込まれる。
保管担当の魔族たちは無言のまま中身を確認し、
規定どおり一本ずつ管理番号を貼り、淡々と台帳へ記録していく。
紙をめくる音。
印を押す乾いた音。
すべてが、決められた手順の中で処理されていく。
魔力を運んできた魔族は、受領書に確認の署名を受けると、
一礼だけ残して静かに踵を返した。
――その背中は、あまりにも自然だった。
だが。
保管庫の扉が閉まる直前、
彼の指先がわずかにポケットへ沈む。
そこには――
魔王の魔力が封じられた小型アンプルが一本、闇に紛れていた。
一本につき、ほんの僅かずつ。
気づかれぬ量だけを抜き取り続ける。
それを積み重ね、
やがてアンプル一本分にする。
誰にも悟られず。
記録にも残らず。
こうして――
魔王の魔力一本が、世界から静かに消えた。




