第52話 空飛ぶ双子と、母の体力限界
エリンを育てていた頃のこと。
泣き声で眠れず、何度も夜を明かしたものだ。
それに比べて、双子は不思議なほど泣かなかった。
いつも笑っている子たち。
……なのに。
「あなたたち、ちょっと大人しくしてちょうだい」
「きゃははは!」
「きゃっ!」
ひゅん、ひゅるるっ。
おむつ姿の双子が、空中をびゅんびゅん飛び回っていた。
お腹の中でレースをしていたこの子たちは、
今度は授乳室で、空中レースを再開したらしい。
かと思えば、何が気に入らないのか、
今度は空中で取っ組み合い。
まだ言葉も話せないのに、
「きゃああっ!」「あーっ!」と叫びながら、
何かを必死に競い合っているらしい。
「……ベルト、外すんじゃなかった」
目を覚ました双子が、
翼の下――腰に巻かれたベルトを外してほしいと、
身振りで訴えてきた。
私は何も考えず、それを外してしまった。
その瞬間。
「あっ!」
乳母たちが悲鳴を上げた。
けれど私は、何が起きるのか理解していなかった。
――そして結果が、これだ。
封印を解かれた悪魔のように、
双子は一気に宙へ舞い上がった。
ぶおんっ!
「危ない!」
空中でぶつかり合いながら、
壁すれすれをかすめて飛び抜ける。
心臓がひやりと縮む。
「あ、あの……」
「どうしましょう……」
乳母たちも慌てている。
けれど迂闊に手を伸ばせない。
下手に掴めば、かえって怪我をさせかねないからだ。
――結局、私がやるしかない。
「もう、おいでなさい!」
「きゃはは!」
「きゃっ!」
でも双子は笑うだけ。
私の手をするりとかわし、
楽しそうに飛び回る。
「うぅ……」
まさか母親とかくれんぼのつもり?
三十分以上も追いかけ回した末、
先に限界が来たのは私のほうだった。
ぺたん、と床に座り込む。
「つ、疲れた……」
世のお母さんたちが、
「子どもが走り回るだけで疲れる」って言う理由が、
ようやく分かった気がする。
「お食事をお持ちし――きゃあっ!」
「だめ! 扉を閉めて!」
反射的に立ち上がり、叫んだ。
この状態で外に出たら?
想像しただけで、心臓が止まりそうだった。
ひゅんっ。
どこにそんな力が残っていたのか。
さっきまで倒れていたはずの私は、
瞬間移動みたいな勢いで扉へ駆け、
勢いよく閉めた。
――間一髪。
本当に、紙一重だった。
あと少し遅れていたら、
双子は城の廊下へ飛び出していただろう。
そうなれば、
魔王城は間違いなく大騒ぎだ。
当の本人たちはそんな心配も知らず、
扉が開く隙を狙って、
ぶんぶん飛び回っている。
「もう、そろそろ降りてちょうだい」
けれど止まらない。
(摂取した魔力が全部スタミナに回ってるの……?)
(どうしてあんなに休まず飛べるのよ……)
幸いなのは、
危険すれすれで回避していること。
でも、いつ事故が起きてもおかしくない。
「もう十分遊んだでしょう!」
私が揺り籠を指さしても、
双子は“魔力を使い切るまで降りない”と言わんばかり。
――その時。
ぴたり、と動きが止まった。
扉のほうをちらりと見ると、
次の瞬間、揺り籠へすぽんと飛び込む。
「今だわ!」
急いでベルトを締め直す。
……ようやく、電池切れ?
覗き込むと――
「え?」
双子は手をつなぎ、
翼をかけ布団みたいに重ねて、
寝たふりをしていた。
バレバレだ。
眉がぴくぴく動いている。
「ふふっ」
思わず笑ってしまう。
一時間以上振り回されたけれど、
この姿を見たら全部許せる。
空飛ぶ悪魔は、また天使に戻った。
……でも、どうして急に寝たふり?
コンコン。
扉が叩かれた。
「母上! 弟と妹に会いに来ました!」
「どうぞ」
もう安全だ。
分厚い魔導書を抱えたエリンが入ってきた。
「図書館で読んでいたのですが、弟と妹が気になって」
手元の本を見ると、
もう中級魔導書に進んでいる。
早すぎる。
エリンがそばに来ると、
乳母が台を用意した。
それに乗り、双子を覗き込む。
黒い瞳がじっと見つめる。
「本当に寝ているんですか?」
その声に、
双子のまぶたがぴくっと震えた。
「起こしちゃだめよ」
私はエリンを抱き上げる。
まだ軽い。
いつか持ち上げられなくなるのだろう。
「静かにね。一緒にいましょう」
向かいのベッドへ腰掛ける。
「ここで本を読んでいいわ」
「いいんですか?」
目をきらきらさせるエリン。
「もちろん」
双子にかかりきりで、
エリンを構ってあげられなかった。
魔王は多忙。
エリンはいつも図書館。
……気づけば寂しい思いをさせていた。
手振りで乳母たちを下がらせる。
双子を除けば、部屋には二人きり。
エリンは静かに本を開いた。
ただ隣にいるだけで、嬉しそうだった。
私は魔導書を覗き込む。
(……なにこれ、全然わからない)
文字は読めるのに、まるで意味が頭に入ってこない。
記憶は呼び出せても、
新しい知識は努力が必要らしい。
(エリンって、どれだけ賢いの……?)
さらさらと読み進め、
すべて理解している様子だ。
真剣な横顔。
初めてじっくり見る姿だった。
十分ほどして、そっと立ち上がる。
揺り籠を覗く。
銀髪の双子は熟睡していた。
すぅ……すぅ……
寝たふりから本気寝へ。
念のため、
ボタンを押して半透明の保護膜を張る。
これで防音・防塵・異常警報完備。
(まるで家庭用インキュベーターね……)
しかも自動沐浴機能付き。
「この子たち、母上を困らせてませんか?」
いつの間にかエリンが隣に立っていた。
「まったく、母上を大変にさせて」
腕を組み、双子を見下ろす姿。
思わず笑う。
もう“兄”の顔だ。
「ふふ、エリン」
「はい?」
頬をつまむ。
「あなたもね、よく泣いて大変だったのよ?
夢でサイレンが鳴ったと思ったら、
あなたの泣き声だったんだから」
「お、覚えてません……」
顔を赤らめて目を逸らす。
可愛い。
「二人が寝てる間、少し散歩しない?」
「行きます!」
手をつなぐ。
乳母を呼び戻し、
私たちは部屋を出た。
城内を回りながら、
エリンと一緒に溜まった用事を片付けていく。
まず最優先は――
魔王の魔力保管庫の在庫確認。
ずっと引っかかっている。
理由は説明できない。
でも嫌な予感がする。
今の平穏は、砂の城みたいなもの。
少しの綻びで崩れる。
あの時も感じた。
見えない何かが、こちらを見ているような気配を。
世界の“強制力”に飲み込まれる前に――
私は、先に手を打つ。




