第109話 何も知らないまま、私は子犬にポチと名付けました
「無礼な!」
「ライカン・スロープをこのように扱って、ただで済むと思っているのか!」
「たとえ人間どもが魔王城を攻めたとしても、」
「我らは決して手を貸さぬ!」
使節団が魔王城を訪れ、
彼らがエステルへ指を突きつけている。
エステルは冷たい顔のまま、
彼らを無視していた。
私は今、
その場面を見ていることしかできなかった。
(もしかしてこれ、
元のゲームの設定なのかしら?)
その瞬間。
私は夢から覚めた。
◆◆◆
「ん……?」
「ううん?」
目が開いた。
(変な夢……)
(でも、おかしいわね)
(まだ昼のはずなのに?)
(どうして目が覚めたのかしら)
そして一秒後。
がばっ!
私はそのまま体を起こした。
ずきんと頭が痛む。
急に起きたせいだろう。
でも、
今はそんなことを気にしている場合じゃなかった。
(子どもたち!)
(まさか、何かあったんじゃないでしょうね!?)
炎の魔人を通して索敵する余裕もない。
(緊急変換)
(エステル太陽モード!)
さらり。
瞳と髪の色が変わる。
同時に、
肌の上へ日差し遮断シールドが展開された。
私はすぐに馬車の扉へ手を伸ばした。
「あなたたち、大丈夫!?」
ところが、
扉が思ったより重い。
「えっ……どうしてこんなに開かないの?」
力を込めて、
思いきり引っ張る。
ぎいっ!
扉が開いた。
そして目に飛び込んできたのは――
「母上、お目覚めですか? 起こしてしまったのなら申し訳ありません」
「きゃあ!」
「くああ!」
私は一瞬、
ぽかんとした。
でもすぐに状況を理解する。
「あら。あなたたち、土遊びをしていたのね」
私も子どもの頃、
たまにやったものだ。
でもこの子たちは魔力があるぶん、
規模が違う。
地面のあちこちが、
ぼこぼこと掘り返されていた。
(スケールが大きいわね)
他に遊ぶものがないから、
時間つぶしに地面でも掘っていたのだろう。
あたり一面、
まるで工事現場みたいだった。
「ちゃんと埋め戻しております」
双子とエリンが、
風の力で土を押し戻していた。
まるでショベルカーが土を運ぶみたいに、
掘った穴を埋めている最中だった。
私はそのそばへ歩み寄った。
「あとでちゃんと綺麗に洗わないとだめよ」
「土のついた手のままでいたらだめよ」
そのときだった。
(……ん?)
向こう側の土の山の下に、
白っぽいものが見えた。
「あれ、何かしら?」
私はそちらへ近づく。
「これ……?」
土の中に埋もれていたもの。
さっきエリンが触っていた場所だった。
私は思わず、
ぽんと手を叩いた。
「化石だわ!」
「どうやってこんなの見つけたの?」
ただの朽ちた骨にしては、
あまりにも綺麗すぎた。
まるで博物館で見る化石そのものだ。
(何の動物の化石かしら?)
(混ざっていてよく分からないわね)
(でも、顎の骨がものすごく頑丈そう……)
(肉食恐竜の化石とかかしら?)
そしてすぐに、
妙な考えまで浮かんだ。
(うちの子たち……)
(考古学者にしたほうがいいんじゃないかしら?)
(地面を掘ったら化石を見つけるなんて)
(これは才能でしょう?)
「化石、ですか?」
「くうく?」
「くう?」
エリンと双子が、
揃って興味を示した。
私は子どもたちに説明してあげた。
「ずーっと昔に生きていた動物たちがいるでしょう?」
「そういうものが土の中に埋まって、長い長い時間が経つと、こんなふうに残ることがあるの」
「それを化石って言うのよ」
「わあ。すごいです」
「くああ!」
「かあ!」
子どもたちの反応があまりに可愛くて、
私も思わず笑ってしまった。
でも、
すぐに首を横へ振る。
「でも私たちは専門の発掘隊じゃないもの」
「残念だけど、このまま埋めておきましょう」
化石発掘ごっこは、
ここで終了だった。
そこでふと、
別のことも気になった。
(……でも、ゲームに化石なんて出てきたかしら?)
まあ、
それは別に重要じゃない。
子どもたちが退屈せずに時間を過ごせたなら、
それで十分だ。
そのとき、
エリンが声をかけてきた。
「母上。ですが……」
「え? どうしたの、エリン?」
私はエリンのほうを見て、
目を見開いた。
「えっ?」
「それ、何?」
エリンが、
白い毛玉みたいなものを差し出していた。
小さくて白い子。
その子が、
エメラルド色の瞳をくるりと動かしながら、
私を見ていた。
(可愛いけれど……)
(思ったより目つきが鋭いわね?)
エリンが言う。
「子犬を飼いたいです」
「くおお」
「くうう」
双子も目をきらきらさせながら、
こくこくとうなずいた。
「子犬?」
(犬って、もともとこんな感じだったかしら?)
(耳、思ったよりかなり尖ってるんだけど?)
(シベリアンハスキーみたいな種類なのかしら)
拳くらいの大きさの子だった。
私は尋ねた。
「どこで見つけたの?」
「この近くにいたのを拾いました」
その言葉に、
双子が同時にうなずく。
こくん。
こくん。
(これが炎の魔人の言っていた野生NPCなのかしら?)
私はてっきり、
ウサギみたいなものを想像していた。
でも、
実際は子犬だったらしい。
私はもう一度聞いた。
「でも、お母さんはどこにいるの?」
「返してあげなくていいの?」
エリンは落ち着いた声で答えた。
「母親とはぐれてさまよっていた子を連れてきたのです」
「周囲には誰もおりませんでした」
「このままここに置いていけば、この子は生き残れません」
(エリンがここまで言うなら……)
(本当にそういう可能性が高いんでしょうね)
「お世話は、私と双子でちゃんとします」
「うーん……」
私は真剣に悩んだ。
「魔王城で犬を飼ってもいいのかしら……」
悩む。
また悩む。
子どもたちが、
私の返事を待っているのが分かった。
エリンも、
双子も、
ものすごく緊張した顔をしている。
(ここでだめって言ったら……)
(あの子たち、泣くかもしれないわね)
(それに、この子をここに置いていったら、本当に生き残れなさそうだし……)
結局、
私は結論を出した。
「分かったわ」
「飼いましょう」
「わあ!」
「くあ!」
「かあ!」
子どもたちが歓声を上げた。
子犬を抱えたまま、
ぴょんぴょんと大喜びしている。
「ただし、ちゃんとあなたたちがお世話するのよ」
「それから、生きている命なんだから、乱暴に扱っちゃだめ」
「はい!」
「くあ!」
「かあ!」
嬉しそうな子どもたちの顔を見て、
許してよかったと思った。
(しばらく馬車の中で長く過ごすことになるだろうし)
(気を紛らわせる相手にもなりそうね)
「名前はどうしようかしら……」
私は指を唇に当てて、
少し考えた。
(犬らしい名前……)
「ポチにしましょう」
「はい! では今日からこの子はポチです!」
「くあ」
「かあ」
子どもたちが、
ポチをぎゅっと抱いたまま喜んでいた。
(あとで首輪も必要かもしれないわね)
(代わりになるもの、何かあるかしら?)
(まあ、それは後で考えましょう)
そのときだった。
どどどどどっ!
「……あら?」
向こう側から、
馬の蹄の音が聞こえてきた。
私はそのときようやく気づく。
(あ)
(私が起きたの、子どもたちのせいじゃなくて、あの音のせいだったのね)
土煙が上がっている。
かなり慌てた様子で、
こちらへ向かってきていた。
「ようやく護衛部隊が来たのかしら?」
どうやら、
交代担当の者たちが今になって来たらしい。
(本当に遅いわね)
(どうして今さらなのよ)
「母上、日差し遮断シールドは解いてください」
「でも大丈夫ですか? 日差しは?」
「先に準備しておいたものがあるの」
私は馬車の中へ戻り、
全身をぐるぐる覆う服を取り出して着た。
昼間、
どうしても動かなければならないときのために
用意しておいた服だった。
全部着終えると、
思わず鏡を探してしまう。
「……意外と似合うわね?」
少し青みがかった布地。
高級感があって、
絹みたいに柔らかそうだった。
鏡の中の私は、
まるでアラビアンナイトのシェヘラザードみたいだ。
(このまま映画一本撮れそうじゃない?)
中東風の衣装で全身を包み、
私はゆっくりと馬車の外へ出た。
「母上、どうですか?」
「うわあ」
「きゃあ」
「きょお」
子どもたちが、
私のまわりをくるくる回った。
まるで新しいファッションでも見るみたいな顔だ。
(ふふ)
(観客は、私の可愛い子どもたちね)
こうして全身を覆うと、
たしかに少し楽だった。
(露出を減らせば、ある程度は耐えられるのね)
(じゃあ包帯をぐるぐる巻いたら、もっと楽かしら?)
(……いや、それはなしね)
(それじゃヴァンパイアじゃなくて、ミイラになっちゃうじゃない)
そのとき、
ちょうど到着した護衛隊が
私たちの前でぴたりと止まった。
(おお……)
(騎馬術、すごいわね)
ほとんど速度を落とさないまま、
目の前で鮮やかに下馬した。
まるで曲芸団みたいだった。
エリンと双子も、
少し驚いているようだった。
魔王城の騎士たちの中でも、
ここまでの腕を持つ者はそう多くない。
そして先頭の男が叫んだ。
「ご無事でしょうか!」
(ひいっ)
私は心の中でびくっとした。
(びっくりした……)
(なんでそんな大声なのよ)
でも、
すぐに理解する。
(ああ)
(交代が遅れたから)
(遅刻して、今すごく焦ってるのね)
たしかに、
ものすごい外交的失態ではあった。
隣にいるエリンと双子も、
口をへの字にしていた。
それでも私は、
気持ちを立て直した。
(和解)
(平和)
(交流)
良い目的で来ているのだ。
今回は寛大に、
許してあげることにしよう。
もちろん、
言うべきことは言うけれど。
私は冷たく、
でもはっきりと告げた。
「交代が遅すぎます」
「それに、交代部隊が来る前に先任が持ち場を離れるのは礼を欠いています」
少し間を置いて、
私は付け加えた。
「もちろん、あなた個人を叱責しているわけではありません。そちらの体制について申し上げているのです」
言いながら、
私は少しだけ不安にもなった。
(あれ……)
(これ、思ったより直球すぎたかしら)
(外交辞令なんて、よく分からないのよね……)
でも、
もう言ってしまったものは仕方ない。
相手はあたふたと頭を下げた。
「あ、あの……その……はい! 申し訳ありません!」
「交代日程に支障が生じました!」
それと同時に、
後ろにいた者たちまで一斉に動いた。
(おや?)
全員がそろって頭を下げる。
それを見て、
ようやく少し気分が和らいだ。
(誇り高いライカン・スロープが、私に頭を下げるのね)
私は魔王妃であり、
ヴァンパイア一族の長でもある。
けれど、
さっきまでの連中の態度とはあまりにも違っていた。
その瞬間、
ある考えがよぎる。
(なるほど)
(この人たち、頭を使ったわね)
(最初にすごく無礼な連中を寄こしておいて)
(そのあとで、本当に礼儀正しい者たちを出して空気を和らげるつもりだったのかしら)
そして正直、
効果はあった。
さっきまで口を尖らせていた子どもたちも、
この者たちの礼儀正しい態度を見て、
だいぶ機嫌が直ったようだった。
私はうなずいた。
「分かりました」
「では、私たちは馬車へ戻ります。馬をつないで案内してください」
「はい! エステル様!」
「私は総統直属部隊所属のシュルケです」
「部隊責任者を務めております」
その名乗りを聞いて、
私の頭に資料集の内容がよみがえった。
(総統直属部隊?)
(マハトラがくれた資料にあったわね)
(ライカン・スロープ最精鋭の部隊)
(どうりで腕が立つはずだわ)
「さあ、入りましょう」
「はい」
私は子どもたちと一緒に、
再び馬車へ乗り込んだ。
ポチは、
エリンが胸に抱いている。
その子は目を閉じたまま、
ぐっすり眠っていた。
(夜行性なのかしら?)
(それとも、ただひどく疲れているのかしら)
たぶん後者だろう。
さまよっていた子なら、
まともに休めていなかったはずだ。
それにしては、
毛並みがとても綺麗だったけれど。
(それはちょっと不思議ね)
そのとき、
エリンが口を開いた。
「母上」
「今来た者たちは礼儀正しいですね」
「先ほどの者たちは、やはりわざと無礼に振る舞っていたのでしょうか」
エリンは、
シュルケの言った『交代日程に支障が生じた』という説明が、
どこか嘘っぽいと感じているようだった。
私は少し考えてから答えた。
「まあ、向こうにも向こうの事情があるのでしょう」
「たぶん随行日程に何か不備があって、それを収めるために直属部隊が来たのね」
「彼らを寄こしたということは、総統もそれなりに私たちへ気を遣ってくれたということよ」
「さっきのことは水に流しましょう」
私はぎゅっと手を握って言った。
「友好促進」
「はい。友好促進です!」
「くかくか」
「くかくか」
エリンと双子が、
声を揃えて繰り返した。
母上の言葉を、
ちゃんと理解したのだ。
私は小さく笑った。
(そう)
(ここからが、本当の友好促進の始まりなのよ)
(……うまくいくわよね?)
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。ブックマークや評価をいただけると、とても励みになります。




