第107話 母上を起こさないまま、遊びが始まりました
「くああ!」
「かああ!」
双子は馬車の外へ出た瞬間、
るんるんと体を揺らした。
そうなるのも無理はない。
ずっと中に閉じ込められていたのだから。
外の空気は、
やっぱり全然違った。
魔王城とも違う。
前に行ったヴァンパイアの里とも、
また違っていた。
目の前には、
草木が生い茂る広い野原が広がっていた。
少し離れたところには、
なだらかな丘も見える。
あそこへ登れば、
ずっと遠くまで見渡せそうだった。
双子もすぐにそちらを見た。
二人が丘のほうへ駆け出そうとした、
その瞬間。
ぴしっ!
「きゃああ!」
「くあっ!」
エリンが、
即座に二人を止めた。
指先から伸びた光の糸が、
双子の腰へ巻きついていた。
「母上が、遠くへ行くなとおっしゃったでしょう」
「うああ」
「くああ」
双子がじたばたともがく。
放して。
苦しい。
まさにそんな抗議だった。
エリンは、
ぴくりとも動じない。
「私から百歩以内です。それを越えてはいけません」
「そうすると約束するなら、解いてあげます」
その言葉に、
双子はすぐさま不満を爆発させた。
百歩?
短すぎる!
ひどい!
そして、
そのまま踊り始める。
不満のダンスだった。
「……」
エリンは黙って見ていた。
双子は両足をどんちゃっどんちゃっと鳴らし、
両手をぶんぶん振り回しながら、
全身で抗議した。
エリンお兄ちゃん、ひどい! ひどい!
ぼくたちは可愛い双子~
魔王城の可愛い子たち~
ウムカウテももうすぐだ~
エリンお兄ちゃん、ひどい! ひどい!
また始まった。
歌詞の半分が自分への抗議だということにも、
エリンはもう慣れていた。
少しだけ見守ってから、
エリンが無感情に言う。
「嫌なら、そのまま縛られたまま不満のダンスでも踊っていたらどうですか」
その一言で、
双子の態度が一瞬で変わった。
百歩で十分!
本当にありがとう!
エリン兄、最高!
だからこれを解いて!
さっきと言ってることが違う。
エリンはそう思ったが、
わざわざ口には出さなかった。
ひゅるり。
光の糸がほどける。
双子は待ってましたとばかりに、
ひゅんと飛び上がった。
もちろん今度は、
きっちり百歩以内で。
「きゃあっ!」
「きゃあっ!」
双子が、
早く来てと言わんばかりに
エリンを呼んだ。
けれど、
エリンは急がない。
ゆっくり歩いた。
母上に任された双子だ。
何かあってはならない。
だから、
周囲にも注意を払い続ける。
そしてついに、
丘の上へたどり着いた。
「わあ……」
視界が一気に開けた。
向こう側まで、
よく見える。
「きゃあ」
「きゃあ」
双子が、
遠くを指さした。
エリンもそちらを見る。
土煙のようなものが上がっていた。
(何でしょう)
(こちらへ……)
(向かってきている?)
いや、
違う。
よく見ると、
何かを追っているようだった。
「くかか」
「くおお」
双子がくるくる回りながら言う。
あそこへ行こう!
見に行こう!
エリンは、
即座に切り捨てた。
「だめです」
すると双子は、
すぐにしょんぼりした。
頭もしゅん。
羽もしゅん。
手足までしゅん。
退屈なのだ。
何もない野原で
じっとしていろと言われたら、
そうなるのも当然だった。
エリンは少し考えてから言った。
「代わりに、あちらがこっちへ近づいてきたら、そのとき確認しましょう」
その言葉に、
双子はまた元気を取り戻した。
わあっ!
今度は喜びのダンスだった。
本当に単純だ。
エリンの視線は、
再び遠くへ向けられる。
(あれは何でしょう)
ただの獣ではない。
(初めて感じる気配です)
おかしい。
とても奇妙だった。
「こほほ」
「くふふ」
双子はますます楽しそうだ。
近づいてくるほど、
気になるらしい。
だが、
エリンは別のことを考えていた。
馬車を振り返る。
(サイレンスの魔法をかけておいて正解でした)
母上は眠っている。
だから出る前に、
馬車のまわりへ
あらかじめサイレンスの魔法をかけておいたのだ。
この程度の騒ぎなら、
きっと防げる。
(必要なら、防御魔法も張ればいい)
(問題ありません)
そのとき。
「くあくあ」
「くああ」
双子が、
エリンの服を引っ張った。
あれを見て!
そういう意味だった。
◆◆◆
どどどどどっ!
一団が、
慌ただしく撤退していた。
エステルと子どもたちを乗せた馬車を置いて去った者たち。
ライカン・スロープ青年団過激派の
突撃隊だった。
「まさか神獣が現れるとはな」
「運が悪い」
もともとの計画は単純だった。
馬車をすり替え、
今回の手紙の件について
謝罪させる。
それだけだった。
ところが、
予想外の事態が起きた。
「見張っていた側から先に連絡が入ったんです」
「神獣の群れが、馬車のほうへ向かっていると」
その報告を聞いた瞬間、
突撃隊は緊張した。
ライカン・スロープの神獣。
フェルリン。
彼らは国境地帯の深い森、
魔境に棲む存在だった。
「もともと、あいつらは外へ出てこないだろ」
「そうだった。だが、数か月前から変わった」
記録を調べた結果も出ている。
王位争い。
敗れた王の子を殺そうとする、
新たな王の側近たちの追撃。
そのせいで、
フェルリンの群れは凶暴化していた。
「今のあいつらは、目に入るものは何でも敵に見えている」
「前を塞ぐものは、何でも引き裂く」
本音を言えば、
兵を動かして始末したかった。
だが、
それはできない。
「法の上では保護種だ」
「ライカン・スロープの神獣には手を出せない」
結局、
彼らが魔境へ戻るのを待つしかなかった。
だが今回は、
その神獣の群れが
よりにもよって馬車のほうへ向かっていた。
すると突撃隊は、
むしろそれを歓迎した。
「ちょうどいい」
「フェルリンが魔王妃を懲らしめてくれるだろう」
「馬車の中にいれば死にはしないだろうが……」
「あの群れを一度味わえば、もう二度とここにいたいとは思わなくなるはずだ」
彼らは、
そう信じていた。
フェルリンは強い。
しかも今、
近づいてきているのは数十頭だ。
「天罰だな」
誰かがぽつりとつぶやいた。
伝説によれば、
フェルリンは遠く離れたヴァンパイアの匂いすら嗅ぎ分けられる。
そしてその力で、
昔の戦争では
ライカン・スロープを守った守護神でもあった。
◆◆◆
「わあ……あれは何でしょう?」
距離が近づくにつれ、
その輪郭がはっきりしてきた。
灰色の狼の群れ。
体は大きい。
牙は鋭い。
殺気は濃い。
そしてその前を、
一頭が逃げている。
「……白い?」
その一頭だけが、
真っ白な毛並みをしていた。
子どもだった。
他の個体とは、
明らかに違う。
「……あれを追っているのですか?」
双子は不思議そうに、
きゃっきゃと騒いでいる。
だが、
エリンが先に見たのは別のことだった。
(どうして、よりにもよってこっちへ?)
ただ進行方向が偶然重なった、
それだけではおかしい。
あの群れは、
正確に馬車のほうへ向かっていた。
その瞬間、
エリンの頭にある考えがよぎる。
「母上の匂い……?」
「ヴァンパイアの痕跡を辿ってきたのですか?」
だとすれば、
なおさら近づかせるわけにはいかなかった。
エリンは、
双子のほうを向いた。
「周辺お片づけ遊びをしましょう」
双子の目が、
ぱっと輝く。
遊び?
楽しそう!
エリンはすぐに条件をつけた。
「条件は、周りが全部片づくまで母上を起こさないこと」
そして、
もう一度念を押す。
「途中で母上を起こしたら、その時点で遊びは終了です」
(サイレンスの魔法はかけてあります)
(でも、大きな音や振動までは完全ではないかもしれません)
だから静かに。
母上を起こさずに、
片づけなくてはならない。
「こおお!」
「くあっ!」
双子が嬉しそうに反応した。
難しそう!
でも、面白そう!
その間にも、
群れはもうすぐ目の前まで来ていた。
ひゅんっ!
逃げていた白い子が、
エリンの頭上をひらりと飛び越える。
(速いですね)
だが、
そこまでだった。
くるり。
泡玉が生まれ、
白い子はその中へ閉じ込められた。
「!」
双子がすぐに反応した。
「くあ」
「きゃあ」
何それ!
ぼくたちも入れて!
エリンは、
小さくため息をついた。
「はあ……だから見せたくなかったのに」
アイリスおばあさまが作った泡を見て、
真似して習得した魔法だった。
とっくに使えたが、
双子がこうなるのが目に見えていたから、
今まで隠していたのである。
「まったく」
「このまま遊びを終わらせたいのですか?」
その言葉に、
双子は慌てて自分の口をふさいだ。
「きゃや」
「きゃっ」
そうだった。
今は遊びの途中。
母上を起こしたら失敗だ。
エリンは、
泡玉の中の白い子を見ながら言った。
「あなたはここにいてください」
「私の後ろへは行かせません」
そう言って、
泡玉を横へ押しやった。
中に閉じ込められた子は暴れたが、
簡単には出られないだろう。
(アイリスおばあさまの魔法は簡単ではありませんでした)
(習得するのに苦労しましたね)
そのとき、
双子が手を取り合って
くるくる回り始めた。
「うぎゃぎゃ!」
「ぎゃぎゃ!」
得意のエアカッターを使おうとした瞬間。
「待ってください。その前に」
どんっ!
急に止められたせいで、
双子は前のめりになり、
そのままお互いに頭をぶつけた。
「くあっ」
「きゃっ」
なんで止めるの!
そんな顔だった。
頭の上には、
ぽこんとこぶまでできている。
だが、
エリンは平然としていた。
「先に警告くらいはしておきませんと」
右手を上げる。
ぶうんっ!
その瞬間、
凄まじい魔力が立ち上った。
激しい風が巻き起こり、
黒い髪がふわりと浮き上がる。
迫っていた狼の群れが、
ぴたりと止まった。
エリンの声が直接聞こえたわけではない。
だが、
意味ははっきり伝わった。
――これ以上近づかないでください。近づけば、あなたたちを排除します。
魔力伝音。
魔族同士で意思を伝えるための魔法だった。
しばらくして、
群れの中から
頭領らしき一頭が前へ出てきた。
その頭領も、
同じ方法で答えた。
――我らが追っているそれを渡せ。
――そうすれば、お前たちだけは特別に生かしてやろう。
そしてさらに。
――なかなか強そうではある。
――だが、まさか我ら全員を相手にできるなどと思ってはいまいな?
エリンが黙っていると、
今度は馬車のほうを意識して言った。
――あの馬車の中にいる者。
――ヴァンパイアの匂いがするな。
――お前たちの仲間か。
――本来なら生かしてはおかぬ。
――だが、泡の中のそれを渡すなら、
――特別に慈悲を与えてやろう。
「……ほう?」
エリンの目が細くなる。
(ずいぶん傲慢ですね)
(母上を……ヴァンパイアだと呼んで、敵意を隠そうともしない)
その瞬間、
さっきまで馬車を護衛していた連中の
無礼な態度までもが
重なって思い出された。
(あのときは母上が止めたから我慢しました)
(ですが、今は……)
エリンは短く告げた。
「遊びの始まりです」
双子へ、
開始の合図を送った。
少しでも続きが気になると思っていただけたら、ブックマークしていただけると嬉しいです!評価もとても励みになります!




