第106話 安全だと思って目を閉じた時、すべてが始まろうとしていました
(あれ?)
(みんなどこへ行ったの?)
(炎の魔人。もう少し周囲を見てちょうだい)
私の視界が、
一気に広がった。
半径一キロ。
その範囲まで、
探知が伸びていく。
(……え?)
(ライカン・スロープの護衛たち……)
(別の場所へ行ってるじゃない)
(うわあ。私たちを置いて行くなんて、どういうことよ!)
(この近くに危険なものはないの?)
炎の魔人が、
落ち着いた声で答えた。
――特筆すべき危険はありません。
野生のNPCの存在だけが、
まばらに感じられます。
(野生NPC?)
その言葉で、
前のことを思い出した。
アイリス山でも、
似たような報告を受けていた。
あのときも、
野生NPCがいると言っていたわよね。
今回も同じ。
でも、
状況はまるで違った。
あのときは、
夫が隣にいた。
魔王の部下たちも、
四方にバリケードを張って待機していた。
でも今は――
(……誰もいない)
荒野の真ん中に、
私と子どもたちを乗せた馬車だけが
ぽつんと置かれていた。
私は馬車の奥へ、
ちらりと目をやった。
(非常警報を押すべきかしら?)
緊急事態が起きたら、
それを押せばいい。
そうすれば、
私たちの位置情報つきのSOS信号が発信されて、
国境で待機している魔王の部下たちが
すぐに駆けつけてくる。
(うーん……)
(どうしよう)
これは慎重にならないといけない。
一度押したら、
もう取り消せない。
下手に押して、
騒ぎを大きくするだけかもしれない。
(いったい、どういう状況なの?)
そのとき、
エリンが口を開いた。
「外に誰もいないみたいです。母上も感じたのですよね?」
「ええ」
双子はそんな中でも、
外が気になるのか
うぎゃうぎゃ騒ぎながら
じたばたしていたけれど、
エリンが両手でしっかり押さえてくれていた。
その姿を見て、
私は心から思った。
(エリンがいなかったら、どうなっていたことか)
「随員たちが交代するのではありませんか?」
「交代?」
「……ああ。そういうことかもしれないわね」
自分たちの担当区間まで護衛して、
そこから先は別の者たちが引き継ぐ。
そういう形なのかもしれない。
(それでも、次の責任者が来るまでは待つべきじゃないの?)
(それに、ひと言くらい先に言うべきでしょう)
私は心の中で、
少しむっとした。
(うかつに非常警報を押さなくてよかったわ)
危険な地域ではないと判断したから、
あの者たちも離れたのだろう。
安全地帯。
いわば、
安全圏みたいなもの。
彼らだって、
何かあれば自分たちの責任になる。
本当に危険な場所なら、
こんなふうに空けたりはしないはずだ。
そのときだった。
肌がぴりっとした。
ごくわずかな刺激。
けれど、
私の体はすぐに理解した。
(日が昇るのね)
「私が眠っている間、エリンが双子をしっかり見ていてちょうだい」
「はい」
「それから、ライカン・スロープの随員たちが来たら、起こしてね」
こうなった以上、
少し眠って待つしかなかった。
(起きても状況が変わっていなかったら)
(そのときは非常警報を押しましょう)
そうすれば、
魔王が軍を率いて迎えに来てくれるはずだ。
私はもう一度、
念を押した。
「外へ出ちゃだめよ。必ず中にいなくちゃだめ」
炎の魔人は危険はないと言っていたけれど、
それでも何が起こるか分からない。
なのに、
私の言葉が終わるか終わらないかのうちに、
双子が大きく身をよじった。
「うぎゃぎゃぎゃ!」
「うああ!」
私は困ってしまった。
(ああ……)
(そうよね。この子たちには本当に辛いわよね)
魔王城にいたときでも、
最低一日に二時間くらいは
外で体を動かしていた。
なのに今は――
(もう半日以上、
馬車の中なんだもの)
子どもたちからしたら、
本当に長くて息苦しい時間だったはずだ。
ボードゲームで、
しばらく気を紛らわせてはあげられた。
でも、
それももう限界だった。
私が迷っていると、
エリンが遠慮がちに口を開いた。
「私が弟妹をちゃんと見ています」
「馬車のそばから離れません」
私は少し考えた。
(どうしよう)
(でも、危険はないと言っていたし……)
(エリンが一緒なら……)
結局、
私はゆっくりとうなずいた。
「分かったわ」
エリンの顔が、
少しだけ明るくなった。
私はすぐに言い添えた。
「ただし、何か出てきたらすぐに馬車の中へ戻るのよ」
「はい」
「それから、必ず起こしてね」
「はい」
この馬車は、
ただの馬車じゃない。
何重もの安全装置。
防護機構。
何が起きても、
この中へ戻りさえすれば
そう簡単に危険にはならない。
双子も、
弾んだ声を上げた。
「きゃあ」
「こおお」
私はその顔を見て、
少しだけ安心した。
頭が重くなる。
外はもう、
すっかり日が昇ったらしい。
まぶたも、
だんだん落ちていく。
そして、
眠る直前。
誰かがそっと
布団をかけてくれる気配がした。
(本当に、いい子たちだわ)
その思いを最後に。
私は深い眠りに落ちた。
すう、すう、すう。
その眠りの間に、
この先子どもたちに
何が起こるのかも知らないまま。




