第104話 親善訪問のはずなのに、最初から空気が最悪でした
「わあ。見てください、あれ」
「きゃはは」
「くぅふふ」
窓の外を見ながら、
子どもたちが景色を眺めていた。
アイリス山から帰ってきて、
まだどれだけも経っていないのに。
それでも、
旅行だと喜んでいる子どもたちを見ていると、
私まで嬉しくなる。
(うぅ……眠い……)
炎の魔人が言っていた。
ここしばらく、
体内時計の切り替えを
あまりにも長く、
しかも過剰に続けすぎたと。
しかも、
どうせライカン・スロープの里では
ヴァンパイア一族が活動する時間に合わせて
各種行事を行うことになっている。
だから今回は、
昼夜を入れ替えるような時間調整はせず、
本来のヴァンパイアの体内時計のままで過ごしていた。
そのせいで――
今は、
本来なら眠っているはずの時間だった。
子どもたちが楽しそうに遊んでいるのを見届けながら、
私は馬車の簡易寝台の上で
そのまま眠りに落ちていった。
日が沈めば、
また目を覚ますはずだ。
布団、
かけた方がいいかしら。
でも、
私には別に必要ない。
面倒だったので、
そのまま眠った。
馬車の中なら、
子どもたちの安全も問題ないはずだった。
◆◆◆
「ママ、寝てる」
エリンの言葉に、
双子がくるりと振り向いた。
「よいしょ」
エリンが向こう側から薄い毛布を持ってきて、
ママの体にそっとかける。
すると双子も左右から毛布の端を整えて、
ママが苦しくないようにしていた。
「さあ。じゃあ、これから会議の時間です」
エリンが、
薄い冊子を取り出した。
双子が
くぅ、くぅと鳴きながら、
エリンのそばへ集まってくる。
ライカン・スロープ一族の現状と、
勢力関係についてまとめた資料だった。
「まだ子どもの数は少ない。
だから、一族の将来のために
結婚と出産がかなり重視されているようです」
「きゃあ?」
「くぅ?」
「ええ。つまり、
結婚も出産も、
戦闘力を落とさずに
効率よく子どもを残すための制度として
かなり細かく管理されているらしいんです」
エリンがページをめくりながら説明する。
「かなり厳格な運用ですね」
「ただ、
その分だけ男女どちらにも役割があるようです」
「くぅ」
「きゃあ」
双子はよく分かっていない顔をしていた。
それでも、
エリンの話が大事だということだけは理解しているらしい。
「あと、
この一族は総統と長老会の二本立てで
動いているみたいです」
エリンが指で資料の一行をなぞった。
「マハトラは長老会側。
でも、
総統と長老会はあまり仲がよくないそうです」
「きゃ?」
「内部で権力争いがある、ということです」
双子がぴたっと動きを止めた。
そういうの、
嫌い。
そんな顔だった。
「僕もそう思います。
でも、だからこそ
母上が行く意味はあるのかもしれません」
「どちらか一方だけを見て帰ると、
あとで面倒になりますから」
エリンは小さく息をついた。
「だから、最初から
全部見ておく必要があります」
「くぅぅ」
「きゃあ」
双子がうなずいた。
難しい話は分からなくても、
今回はいつもより慎重にしないといけない。
その空気だけは、
ちゃんと感じ取っているらしい。
「それにしても……」
エリンが、
眠っている母を見た。
「母上、
本当に疲れていたんですね」
双子も、
こくこくとうなずく。
「だからこそ、
僕たちがしっかりしないといけません」
「ママを守る会議です」
「くぅ!」
「きゃあ!」
三人は小さく円陣を組むようにして、
こそこそと話し合いを続けた。
◆◆◆
日が落ちる頃、
ようやく私は目を覚ました。
「よく眠れたわ……」
体が軽い。
かなり深く眠っていたみたいだった。
「母上、おはようございます」
「きゃあ」
「くぅぅ」
子どもたちが
嬉しそうに集まってくる。
「みんな、いい子にしてた?」
「はい!」
エリンが即答した。
どうやら、
私が寝ている間も
三人で仲良く過ごしていたらしい。
「もうすぐ着くそうです」
エリンが
窓の外を見ながら言った。
私は軽く身支度を整えて、
馬車の外へ意識を向けた。
やがて、
目的地が見えてくる。
深い森の奥。
そこに、
厳重な警戒のもとで築かれた里があった。
「……すごいわね」
最初に受けた印象は、
閉鎖的。
そして、
武骨。
ライカン・スロープ一族の里は、
ヴァンパイアの里とは
まるで違っていた。
飾り気がほとんどない。
実用性だけで作られたような建物。
見張り台。
高い柵。
そして、
あちこちに立つ武装した兵たち。
まるで要塞だった。
「歓迎されている……感じではありませんね」
エリンが
小さく呟いた。
「そうね」
表向きは、
親善訪問。
それなのに、
こちらを迎える空気はかなり硬い。
ぴりぴりしている。
「くぅ……」
「きゃあ……」
双子も、
その空気を感じているらしい。
私の服を
ぎゅっと掴んだ。
「大丈夫よ」
私は双子を撫でながら、
できるだけ穏やかに微笑んだ。
でも、
正直に言えば。
ここまで露骨だとは
思っていなかった。
◆◆◆
案内役として出てきたのは、
武装した青年団の者たちだった。
しかも、
かなり露骨にこちらを値踏みしてくる。
「ヴァンパイアの長、
エステル様ですね」
「ええ。今日はよろしくお願いします」
私が挨拶しても、
相手の目は冷たいままだった。
「……どうぞ」
口調は丁寧。
でも、
歓迎の気配は薄い。
「ママ。あの人たち、
僕たちをかなり嫌っている感じです」
エリンも、
それを感じ取ったらしい。
「くぅ!」
「きゃあぁ!」
双子がぴょんぴょん跳ねた。
どうして?
なんで?
そんな意味だった。
エリンは、
ぴょんぴょんしている下の二人に地図を広げて見せながら、
ヴァンパイア一族とライカン・スロープ一族の仲が悪いこと、
そしてその理由を説明した。
「くぅああ!」
「きゃああ!」
やっつけよう!
ぶっ壊そう!
そう言っているみたいだった。
「無礼だと思ったら、僕たちが叱ってあげます!」
エリンと双子は、
ママが軽んじられるのを我慢できない、
そんな顔をしていた。
「落ち着いて。ここへ来たのは喧嘩をしに来たんじゃないのよ」
以前受けた助けへのお礼と、
和解が目的。
もちろん、
ライカン・スロープを探る意味もあるけれど。
いずれにしても、
ここで怒鳴ったり、
案内役を叱りつけたりはできなかった。
「それにしても、外交的な訪問なら、たとえ気に入らなくても表には出さないものなのに」
「私が思っていた以上に、
恨みが深いのかもしれないわね」
最初から、
扱いがかなりひどい。
ヴァンパイアの里よりも、
厄介な空気だった。
楽な訪問には、
なりそうもなかった。
◆◆◆
魔王妃エステルが、
再び魔王城を離れた。
子どもたちまで連れていったせいで、
魔王城はひどく静かになった。
双子の笑い声も、
それを静かにするよう言い聞かせていたエリンの声も消え。
それを寂しく感じていたのは、
行政官たちも同じだった。
「ん? あれは……」
「副執事?」
一人の女が、
慌ただしく走っていくのが見えた。
ルウェンだった。
他の魔族たちに見られていることも気にせず、
執事室へ向かって一直線に駆けていく。
「何をしたんですか?」
「何のことか分かりませんね。まずは息を整えて、ゆっくり話してください。ほら、ゆっくり。いち、に……」
魔王城の新年予算案を確認していたマハトラが、
顔を上げながら言った。
「今、そんなことを言っている場合じゃありません。あなたは魔王妃の協力者じゃなかったんですか?」
「ほう? その言い方だと、まるで私が一族の裏切り者ではなかったのか、と言いたいように聞こえますが?」
マハトラが、
眼鏡をかけ直しながらルウェンを見た。
「そ、そういう意味ではなくて……どうして長老会に、あんな内容の手紙を送ったんですか?」
「あんな内容?」
知らないふりをするマハトラ。
するとルウェンが叫んだ。
「あなた、正気なんですか!」
ルウェンは、
マハトラが送った手紙の写しを
勢いよく机に叩きつけた。
それが流出して、
彼女の手に渡ったのだ。
「これはもう、ヴァンパイア一族がうちの一族に宣戦布告するのと同じじゃないですか!」
魔王妃の名で送られたものではあるが、
その文面を書いたのは
委任を受けたマハトラだった。
そこには、
目を疑うほど無礼な内容が並んでいた。
激怒したライカン・スロープ青年団の手で、
魔王妃が殺されるかもしれない。
すっ。
マハトラが、
かけていた眼鏡を外した。
それと同時に、
その体から凄まじい殺気が噴き上がる。
「私だけがあの方々の恐ろしさを味わうのは、不公平ですからね」
「不公平……?」
「真の強さ。魔王城の変化と、その可能性について。私はずっと語ってきました」
「ですが、長老会の誰一人として耳を貸さなかった」
「それに――」
マハトラが、
ルウェンを見た。
その瞬間、
ルウェンはまるで猫の前の鼠のように
一歩も動けなくなった。
「青年団の有能な人材だと思っていた者でさえ、頭が固いままで何一つ理解していない」
「う……それは……」
「結局、直接味わうのが一番早いのです。真の強さと恐怖を。こういう衝撃療法でもなければ、あの者たちの慢心と傲慢は砕けないでしょう」
そう言い終えると、
マハトラは再び眼鏡をかけた。
「はっ……はぁっ……」
ルウェンは、
そこでようやく床にへたり込んだ。
悪鬼マハトラ。
その言葉が、
再び頭をよぎる。
ただ睨まれただけで、
死の恐怖を叩き込まれたのだ。
「要するに、真の強さについていくら語っても、あの方々はまるで理解しない。だから、直接経験してもらうことにしたのです」
「もちろん、そこに私怨が多少混ざっていることまでは否定しませんがね」
エリン様と、
双子の下の二人にやられた時の記憶が蘇る。
ぐるぐるに縛られて、
火で焼かれかけたこともあった。
凍りついて、
死にかけたこともあった。
それ以外にも、
いろいろな試練があった。
もちろん、
あの方々の強さを直接見られたのは嬉しかった。
だが、
自分だけが味わっていると思うと腹が立った。
他の連中にも、
一度は味わわせるべきだった。
「総統がどんな反応を示すのか、楽しみですね」
ライカン・スロープを率いる長老会。
そして、
その中から選ばれた
長老会の長――総統。
ライカン・スロープもまた、
ヴァンパイアに負けず劣らず
内部が複雑だった。
マハトラは、
これから起こることを思い描きながら
笑みを浮かべた。




