第99話 もう一人じゃないと、私はお母様に伝えました
「あなた!」
「父上!」
「くぅぅ!」
「きゃあぁ」
岩陰からエステルと子どもたちが飛び出し、
吹き飛ばされてきた魔王を受け止めた。
「……ごほっ。私は大丈夫だ」
魔王が息を荒くしながら言った。
エリンと双子は、
父が無事だと分かった瞬間、
本当にほっとしたような顔をした。
それは、
私も同じだった。
彼の首筋には、
まだくっきりと手の跡が残っている。
あと少し力が入っていたら、
首の骨が折れていたはずだ。
「アイリスおばあさま! ひどいです」
「くぅぅ!」
「きゃあぁ!」
エリンと双子が、
頬をふくらませて抗議していた。
「アイリスおばあさま? ああ……そういうことか」
魔王はそこでようやく、
アイリスおばあさまが誰のことか気づいたらしい。
子どもたちが真祖をそう呼んでいるのだ。
「父上に対して、あまりにも乱暴です」
子どもたちは、
向こうで背を向けて座っている真祖を指さして言った。
「それはね……みんな。たぶん、おばあさまは今までずっと家族もいないまま、一人で生きてきたからよ」
私は子どもたちをなだめながら言った。
「家族もいないまま、一人で?」
「真祖。文字通り、
最初のヴァンパイアだから」
鶏が先か。
卵が先か。
そんな話がある。
いろいろな考え方があるけれど、
進化という視点で見れば、
先にあるのは卵なのかもしれない。
けれど、
創造という視点なら。
最初から、
鶏がそこにいることになる。
この世界は、
創造主によって作られたゲームの世界だ。
つまり、
ある瞬間に突然、
存在するようになるものがいる。
真祖は、
最初のヴァンパイア。
長い長い時間を、
家族もいないまま過ごしてきた。
それだけじゃない。
封印されたせいで、
さらに長い間、
たった一人でいなければならなかった。
「アイリスおばあさまは、寂しいことに慣れすぎてしまって。こういうのに、まだ慣れていないのよ」
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
エリンが私を見て尋ねた。
「ママに任せて」
私は真祖のほうへ歩いていった。
◆◆◆
真祖のもとへ、
エステルが近づいてきた。
「そんなふうにしてないで、一緒に魔王城へ行きましょうよ」
「何だ。離せ」
後ろから抱きつかれると、
真祖が手を振った。
「私たち、家族じゃないですか。もう一人にはしません。子どもたちとも一緒に過ごしましょう?」
「お前たちと? 私はこのアイリス山を離れられん」
「えっ? どうしてですか?」
エステルが目を丸くして、
真祖を見る。
「あやつらがかけた封印は解けた。だが、私にかかっていた制約まで完全に消えたわけではない」
「長くこの地を離れてはいられぬ。完全に制約が解けるには、まだかなり時間がかかりそうだ」
「じゃあ、しばらくなら外へ出られるんですね」
「そうではあるが……」
「どれくらいですか?」
「せいぜい三日ほどなら、大丈夫かもしれぬ」
微妙な時間だった。
「それに、行ける範囲もヴァンパイア一族の領域あたりまでだ」
「それなら、時間があるたびにアイリス山へ来ます。私たち、家族なんですから」
「ちっ。そんな無駄なことを……家族、だと……」
「もう一人じゃありません。私たちがいます。ほら、あちらを見てください」
エステルの言葉に、
真祖が向こうを見た。
魔王と子どもたちが、
真祖を見ていた。
双子はにこにこと笑っていたけれど、
エリンはまだ、
父を投げ飛ばしたことに腹を立てているらしい。
「ふん」
真祖と目が合った瞬間、
エリンは腕を組んだまま、
ぷいっと顔をそむけた。
「あの小僧……」
「エリンは、ああ見えて優しい子なんです」
エステルが、
あとでちゃんと自分から言い聞かせると真祖に告げる。
「くぅくぅ」
「きゃあぁ」
その時、
双子が真祖のまわりをくるくる飛び始めた。
「何だ、これは?」
するとエリンが、
両手を頭の後ろに回しながらゆっくり近づいてきた。
「下の二人は、あのシャボン玉みたいなものにもう一度入って遊びたいみたいです」
中に入ったまま、
ふわふわ浮かんでいた。
あれが、
またやりたいらしい。
「そうか」
真祖が指を鳴らすと、
双子は再びさっきの泡の中へ閉じ込められた。
「くぅぅぅ!」
「きゃはは!」
双子は、
くるくる回る泡の中で楽しそうに声を上げた。
まるで観覧車にでも乗っているみたいだった。
「わあ。お母様、すごいです。子どもたち、本当に楽しそう」
エステルが横で拍手しながら言う。
「とりあえず、あやつの処分は保留にしておく」
「まだなんですか?」
「この場で殺さなかっただけでも、ありがたく思え」
「分かりました。今は、それだけで十分です」
エステルはそのことを魔王に伝えるため、
足早に駆けていった。
「魔王家と婚姻、か……」
真祖の脳裏に、
遠い昔の記憶がよみがえり始めた。
◆◆◆
山肌が大きくえぐれていた。
三日三晩、
戦い続けた痕跡だった。
「おい、真祖。本気か?」
全身ぼろぼろの男が、
銀髪の女に向かって言った。
「本当に神へ挑むつもりなのか?」
「ああ、そうだ。あの空の上にいる連中に挑む」
ぼろぼろの男とは違い、
傷一つない女が、
岩の上に腰かけたまま答えた。
「止めたいが……聞かないんだろうな?」
「当然だ。神に挑む力を得るために、私の眷属たちすら全員始末したのだからな」
もう後戻りはしない。
そんな口ぶりだった。
「なら、お前が神と戦うためにこの地を離れるなら、“魔王”の呼び名は俺たちの家がもらってもいいよな?」
「仮にお前たちが魔王を名乗っても、他の魔族が認めるとは思えぬが?」
その時、
横になっていた男が身を起こし、
体についた土を払ってから言った。
「まあな。ヴァンパイア一族の支持がなければ、このアトランティス全体を束ねる魔王とは言えないだろう。だから、一つ提案がある」
「何だ?」
「いつか、お前の血を引く娘を魔王家の男に嫁がせるんだ。そうすれば、その間に生まれた子を通して、本当の統合王朝ができるかもしれない。どうだ?」
黒髪の男が、
にこにこと笑いながら真祖に言った。
「くだらぬ」
バキッ!
真祖が、
腰かけていた岩を砕きながら立ち上がる。
「そんなことは絶対にない。神への挑戦のために私がこの地を離れることになっても、残された者どもに私の意志を刻んでおく」
【決して純血のヴァンパイアを魔王家へ嫁がせるな】
「この命令を残しておけば、あやつらは何があっても従うだろう」
「残念だな。俺に似た子どもがお前に“おばあちゃん”って呼ぶところを見てみたかったんだが」
初代魔王の言葉に、
真祖は鼻で笑った。
そんなことは、
絶対にありえない。
そう言いたげだった。
◆◆◆
「アイリスおばあさま。そろそろ下の二人を下ろしてください。母上も父上も、もう山を下りないといけません」
真祖の目に、
黒髪と黒い瞳を持つ少年が映る。
自分の前でも怯えず、
堂々としていた子だ。
あやつに、
よく似ている。
「そうだな」
真祖が手を伸ばし、
エリンの頭を撫でながら言った。
――私たち、家族なんです。もうお母様は一人じゃありません。
エステルの言葉が、
脳裏によみがえる。
不完全な失敗作だと思っていた、
自分の娘。
だがその娘は、
信じられない贈り物を持って戻ってきた。
「……あれ? でも、あれは何でしょう?」
その時、
山の下からこちらへ上がってくる者たちが見えた。
ヴァンパイアの群れだ。
しかも、
かなりの実力を持つ上位ヴァンパイアたち。
十二座会議体のヴァンパイアたちが、
到着したのだ。
魔王は彼らの姿を見ると、
双子を後ろへ下がらせ。
自分が前へ出て、
それ以上近づけさせないように立ちはだかっていた。
「お母様。あいつら、エリンのウムカウテを口実にして魔王城へ来て、暴れようとしたんですよ」
エステルが真祖のそばで、
そっと囁いた。
厳密に言えば、
実際に来たのは別の連中だ。
けれど、
結局はあの十二座会議体が仕組んだことだった。
「ほう? 我が孫のめでたい日に、だと?」
エリンが、
真祖を見た。
自分を孫だと認めてくれたのだ。
「少し躾けてやらねばならぬな」
真祖が、
十二座会議体のヴァンパイアたちへ向かって歩き出した。
彼らにとっての、
裁きの時間が近づいていた。




