勇者《Ignorance》②
晴れ渡った空に朝陽が馴染み、そうして明らかになった丘の上の全容は壮観であった。
丘の真ん中に勇者ユウを挟んでレグノイとレンゾ――その彼らの横と後ろには、5万人を超える兵士達が整然と並んでいた。所々に掲げられ涼風にはためく白い軍旗には、金の盾と後光をモチーフにした図柄が描かれていた。
そして対する一方、丘を降った先に拡がる平野には、それを遥かに上回る数のモンスター達が待ち構えていた。
獣人鬼、小人鬼、蜥蜴人、巨人鬼――その数はざっと見積もっても20万匹超。各種族が前列後列と分かれており、多少の不揃いに目を瞑れば一応陣形と呼べなくもない隊列を組んでいる。粗野な物でも装備を整え統率も取れた様子から、モンスターと云えども決して彼らの知能が低くないことが窺い知れる。
平野を埋める異形の大軍勢に、レンゾが溜め息を洩らした。
「よくもまあ、こんなに集めたもんだね」
「臆することはなかろう。こちらは精鋭揃いだ」とレグノイ。
「ああ、僕らは負けない」
ユウが敵軍を睨み据えたまま応えると、レンゾも飄々とした顔で頷いた。
「そうだね。よし、じゃあ行こうか!」
レンゾが杖と声を掲げると、レグノイが背中の曲刀をそれに合わせた。閑静な早朝の丘に、威勢の良い声が高らかに響き渡る。
「いざ、アーマンティルの安寧のために!」
「それと、僕の安眠のために!」とレンゾ。
再び軽く失笑しかけたユウが、咳払いをして気を取り直し――スラリと抜き放った白銀の長剣で天を指して吼えた。
「星霊の加護よ力となれ!」
丘の上に拡がる金色の魔法陣――そこから降り散るキラキラとした光の粒が、兵士達の鎧や剣に染み渡り、彼らの装備をより堅く、より強い武器へと強化する。
ユウは、その効果により自軍の士気が一層高まったことを確認すると、敵陣に向けて真っ直ぐ剣を突き出し、叫んだ。
「行くぞ! ――全軍、突撃!!」
5万の兵が鯨波とともに雪崩の如く丘を駆け下る。対するモンスターの軍勢もそれに呼応して、叫喚とも怒号ともつかぬ鳴き声を上げながら、弾かれたように飛び出した――勇者ユウ率いる人間の軍隊とモンスターの大群。双方が大地を揺らし、ここに決戦の火蓋が切られた。
人間の弓兵隊が空を埋め尽くすような万の矢を放ち、先陣の歩兵や騎馬の頭上を越えて、豪雨の如く敵陣に降り注ぐ。しかしモンスターの進攻は止まるどころか、むしろ狂気に火が点いたかのように、一層大地を揺るがした。
騎馬隊の先頭を駆けるユウが、指で剣を柄から切先に向かってなぞると、剣身がパリパリと音を立てながら白い放電を始める。
「せやぁぁぁっ!!」
敵軍の先駆けとの激突の直前でユウがその剣を真横に薙ぎ払うと、空気の張り裂ける音と同時に扇状の白い閃光――それは地面と水平に疾り、100匹を超える小人鬼を一気に両断しつつ派手に吹き飛ばした。それを見ても一向に怯まぬ獣人鬼の集団には、双つの曲刀を高らかに構えたレグノイが人馬一体となって突っ込み、ビリビリと突き刺さるような怒号を上げながら、竜巻の如き剣撃で縦横無尽に屠り去ってゆく。
「うーん、正に鬼神の如しだなあ。これは僕も負けてられないな」とレンゾ。
彼は二人の後方で素早く呪文を詠唱――すると無数の青い魔法陣が横一列に展開され、魔法陣からゆっくりと巨大な氷の槍が出現した。
「穿て氷塊の刃よ!」
彼が杖を突き出すとその槍は高速で発射され、暴れ回る巨大な巨人鬼達の身体を次々と精確に貫く。そして彼らの苦悶の表情ごと一瞬にして凍り付かせていった。
「皆も続けぇっ!」と雪崩込む歩兵達。
勇者らの奮戦に負けじと各々の眼前にいる敵に剣を振るい、斧を叩き付け、槍を突き刺す。魔法兵の放つ火球や光の矢が、その味方の間を縫って撃ち込まれる。
怒号、金属音、血風、断末魔――人間達の想いを乗せた悲願の最終決戦は、開始とともに佳境へと突入したのであった。
***
激しい戦闘が繰り広げられる丘――その遥か遠方にある山麓に切り立った崖の上に、この世界にはおよそ似つかわしいとは云えぬ、黒のフォーマルスーツを着た者の姿があった。
「おおー、始まった始まった」
崖の縁に座ってプラプラと足を揺らす、小柄な赤髪の少女。――天然の褐色の肌に、キラキラとした円らな瞳と可愛らしい八重歯が相俟って、まるで愛嬌たっぷりの猫といった印象である。
彼女は肉眼ではほとんど砂煙しか見えないであろう遠距離から、ぼんやりとした青い光を放つ右眼で丘の様子を観察していた。その視界には、モンスターを次々と薙ぎ払う勇者の鬼神の如き闘いぶりがハッキリと映し出されている。
「あのガキ、なかなかやるじゃねーか。やっぱ転移者ってのはそこそこ戦えるもんなんかね? なあリアム」
赤髪の少女は乱暴な口調とは裏腹に幼さの残る顔つきで、その見た目には彼女自身が『ガキ』と呼んだユウと大差ない。そんな少女の問い掛けに、その少し後ろに立っていた金髪碧眼の男――リアムが答えた。
「彼は勇者だからな」
少女とは対照的にかなり大柄で、ガッシリとした骨格と筋肉を備えた30代前後の男性。凛々しい目鼻立ちと太い顎がいかにも雄々しいが、その表情は紳士的で穏やかであった。先の少女を猫とするならば、金色で癖の強い巻き毛の彼は、さながら獅子といったところである。少女に倣ってその男も、遠くで戦う少年の姿を見守るように眺めていた。
「情報犯罪者にならずとも、転移者というのは大抵彼のように英雄的な存在になるものだよ、アマラ」
すると赤髪の少女――アマラが八重歯を見せてにやけながら言った。
「経験者は語るってやつだ? 楽しそうだよなー、主人公は。いかにも主役って感じでさ? アンタもそうだったんだろ?」
「ああ、そうだ。私は勇者ではなくスーパーヒーローだがね」
毅然とした態度で誇らしげに胸を張るリアム。その顔を、アマラが目を細めてじっと見つめる。
「――どうかしたのか?」とリアム。
「……なんかそういうの、自分で言うと恥ずかしくない?」
「いや別に……」
二人が丘の方を見ながら話していると、彼らの頭の中に若い女性の声が響いた。
[待たせたな、リアム、アマラ]
芯の通った、少し低めの凛とした声。
[ターゲットの目星は付いた。座標を送る。こちらに合流しろ]
[あいよー!]と、アマラもまた思念で応じ立ち上がると、彼女は近くの岩の塊に向かって徐に手を翳す。
するとその岩は浮遊しながら瞬く間に分解され、直後に再び集まったかと思うと無数の機械部品へと変化した。アマラが宙に指を踊らせとスイスイとその部品達を操ると、それらは数秒と経たぬうちに、流線的なデザインの赤いバイクとして組み上げられた。
「乗ってく?」と、それに跨がるアマラ。
「いや結構」
リアムが手振りとともに応えると、アマラは「あっそ」と素っ気なく返してアクセルを吹かす。そして甲高い音を鳴らして後輪が砂埃を巻き上げた次の瞬間、彼女を乗せたバイクは凄まじい加速でもって崖から飛び出していった。
「…………」
無言でそれを見送ったリアムは再びチラリと丘の決戦に目をやり、音も無くその場から浮き上がっていく。そしてアマラが向かった方角に向き直ると、ドン!という衝撃波を残して一瞬にして飛び去っていった。





