53話 抜いてみなよ
「勝負って……」
通路を塞ぐように両腕を広げ、小手橋さんが立ち塞がっている。
押し通ろうと思えば通れる、それくらいのスペースはあるけど。
身体の向きを少し変えようとしただけでも、相手もすかさず合わせてくる。
ニコニコしながらも、その目は私の動きを捉えている。
「逃さない」という意志を感じる。
「携帯版エートレで対戦でもやるつもりですか?みんなを待たせているので、そんな時間は」
「時間は取らせないよ。ちょっとした運試しだよ」
軽やかな口調でありつつも、空気は重苦しいまま。
「君、中学時代はバスケの選手だったんだよね」
「……昔の話です。それが何か」
「じゃあさ」
小手橋さんは胸の前で両手を動かす。大きめの球体を表すようなジェスチャを始めた。
「あなたはボールを持っています。私はディフェンスだよ」
今度は少し腰を落として、両腕を広げた。片方の腕は前方に、もう片方の腕は斜め上に。
ボールに圧をかけつつ、ゴールを塞ぐ構え……のつもりだろうか。
形はぎこちない。ディフェンスというより格闘家の構えのよう。とても素早く動けるようには見えないけど。
その不慣れな姿勢のまま小手橋さんが続ける。
「私の右か左。抜いてみなよ。私はそれを止めるから」
「あの……膝を怪我してるんですよ」
断りたいけど、「怪我は治っているが心因的な問題で運動ができない」ということを丁寧に説明するのも面倒だ。怪我の一言に集約させる。
「じゃ、じゃあさ!『せーの』で右か左に1歩踏み出すだけでいいよ!私もどっちかに移動するから!方向が被ったら『止めた』ってことで私の勝ち!」
だけでいいよ、と言われても……。あくまでも勝負はしたいらしい。
「勝ったら何かあるんですか?」
「ううん、なーんにもないよ。ただの運試しだよ」
くだらない。
相手は運動が得意なタイプにも見えないし、この際あっという間に抜き去って、さっさとこの場を離れよう。
それくらいの体重移動なら足も動くだろう。
ため息を吐きながら1歩後ろに下がり、腰を落とす。
渋々だけど、その勝負には乗ってあげる。そういう意思表示。
「やる気になったね。じゃあ行くよ!」
深く息を吸い、長く吐き、短く吸う。相手を見据え、動きに備える。
「せーの!」
身体を低く。左に傾ける。
相手の身体が反応する。目の前に傾いてくる。
左足でカーペットを蹴る。右へ跳ぶ。
勢いのまま右足を踏み出す。
相手がまた反応した。進路を塞ごうとするのを察知。
右足を軸に身体を反転。相手に背を向ける。回転の力を得て、左足で床を蹴る。右足を前に出す。そのまま身体を回転させ正面に戻す。
左、右、左と切り返し横を抜く動作だ。
大抵の相手は置き去りにできる。
「1歩踏み出すだけ」という勝負内容からは逸脱するけど、関係ない。
勝手に決められたルールごと、ねじ伏せる。相手を抜けば何の問題もない。
素人相手に大人気なかったか。でも勝負を吹っ掛けてきたのは向こうだ。これくらいは……。
「おっと」
そこには通路が広がっているはずだった。
見えたのは手のひら。縞模様の、胸元のリボン。
ぶつかりそうになった小手橋さんが、両手を胸の前に出していた。
慣性のまま抜き去ろうとしていた身体が強制的にストップ。
事態が飲み込めない。
「なんで……」
私の動作の方が速かった。追いつかれていなかったはずだ。
何故、目の前が開けていない。何故、そこにいる。
「1歩って言ったのに、ずるいよー2回も切り返してくるなんて!いやー勝負師だねえ!でも」
フェイントが見切られた?
いくらブランクがあるとはいえ、素人相手に、この私が?
あり得ない。そんなはずはない。
「私の勝ち!」
ただの運。ただの確率。
最初の選択は1/2。たまたまに過ぎない。
こんなもの、空の勝負とはなんの関係もない。
そんなことは分かっている。
「来週の試合、よろしくね。ブザービーター」
分かっているのに……。
歩き去る小手橋さんを振り返ることができない。背中を伝う汗の冷たさを、ただただ感じていた。




