幕間07 那由多② 本物のエースパイロット
プロの人が塾に来ないまま、また夏が近づいてきていた。
ゲームの塾には相変わらず毎週通っていて。
今日もお母さんの車で隣町へ。駅の近くの駐車場から、ぼくはゲームの塾に歩いて向かう。いつものコース。
まだ時間もあるし、今日は少し暑いから飲み物を買いたい。塾へのルートから外れるけど、コンビニに寄ろう。それくらいのお小遣いは持ってる。
自動ドアが開くと、涼しい空気が流れてきて気持ち良い。
お客さんは男の人が1人だけ。女性の店員さんが1人、通路にしゃがんで商品を棚に入れている。
その横顔が少し見えた。なんだか見覚えがある。
「邪魔だ、どけ」
「……すみません……」
男の人が通路を通るときに、わざと女性の店員さんにぶつかった。
店員さんが転がるように倒れた。
なんてひどいやつだ。
「大丈夫?」
うずくまる店員さんの側にしゃがんで、ぼくは声をかけた。
でもその顔を見て、ぼくは驚いた。
疲れた顔をしてるけど、分かった。
「プロのお姉さん……?」
女性の店員さんは飛び上がるように立ち上がり、ぼくから離れようとした。
「待って!なんで!」
ぼくは思わず叫んだ。
「秋になったら来てくれるって言ったのに!」
「あのときの……」
店員さんは目をまん丸にしてぼくを見ている。
でもすぐに、顔を伏せた。
「もうプロじゃない。引退したのよ。知ってるでしょ?」
「なんで!日本代表なんでしょ!」
店員さんは顔を伏せたまま。見た目で分かるくらい小さく震えている。
「……何が日本代表よ。あんな茶番、いい晒し者よ」
去年の夏、ぼくたちに見せてくれた優しい笑顔はなくて。
「絶対優勝するね」と自信満々に言ってくれた力強い笑顔もなくて。
別人みたい。
「なんで……」
さっきから、頭の中の「なんで」が止まらない。よく分からない。
なんでプロの人がここにいるのか。なんで引退したのか。なんで塾に来てくれなかったのか。なんで、そんなことを言うのか。
ぼくはただただ、悲しい気持ちになっていた。
店員さんは力なく続けた。
「いるのよ。世界には」
「いるって、何が?」
店員さんの震えが大きくなったように思えた。
「本物のエースパイロット……」
店員さんの手がギュッと握られているのがわかった。
「本物の戦場を命がけで生き抜いたのよ。遊びでやってる私たちとは住む世界が違う。あんなの、勝てるわけがない……」
店員さんは俯いたまま、ブツブツと続けている。
「ミスターがいるなんて聞いてない。選手登録されてなかったじゃない。不正……不正よ。私たちが勝つのが、そんなに不都合だった?私たちだってあんなに頑張ってきたのに、冗談じゃない……協会は知ってたんだわ。だからカメラの故障なんてガキみたいな言い訳を」
店員さんが何を言っているのか分からないけど。
「諦めなければ夢は叶うって、言ってくれたのに」
思わず声に出していた。
あのときプロの人が言ってくれたこと。目の前にいる人は同じ人のはずなのに。
あのときぼくの夢を応援してくれた人と、何だか全然違う。
「プロなんて、ならない方が幸せよ。食い物にされて、都合よく利用されて、嫌な思いをするだけ。楽しくゲームで遊びたいなら、プロなんてなっちゃダメよ。
それに、ゲームばっかりしてきた人を人間扱いしてくれる会社なんて、この世界にはないのよ」
少し離れた位置で、さっきの男の人の「おい、レジ誰もいねえのかよ」という声が聞こえる。
でも店員さんには聞こえてないみたい。
「何が夢よ……そんなものを追いかけてきたから、私は就職だってできやしない!」
ぶつぶつと呟いていた店員さんの声が突然、怒ってるみたいに大きくなった。
「地元に戻ってきても、私の居場所はない。高校の知り合いは来週結婚するっていうのに……私は……私は……」
「じゃ、じゃあさ!」
悲しいけど、なんだか怖いけど、ぼくは勇気を出して声に出した。
それが正しいのか、ぼくには分からないけど。
「ぼくがプロになったら、一緒に、そいつをやっつけようよ!」
店員さんは目を見開いて、震えるのも忘れて、まっすぐにぼくを見た。
「は……?何言ってるの。無理に決まってるでしょ」
「無理じゃないよ!」
もしかしたら、またぼくは間違ったことを言っちゃったのかもしれない。
「ぼくの可能性は無限大だから!」
それでもいい。店員さんに少しでも元気になってほしかった。
店員さんは何も言わない。
そこへ。
「おい店員!早くしろよ!いつまで待たせんだよ!」
男の人が怖い顔で近づいてきた。ぼくは思わず後ずさった。
店員さんは男の人に向き直った。大きく息を吸ったかと思うと。
「うるせえんだよ!セルフレジ使えやボケが!チンパンジーかテメェはよお!」
誰が発した言葉か、咄嗟に分からなかった。
優しそうな店員さんから出た言葉とは思えなくて、ぼくも、声をかけてきた男の人も固まってしまった。
2人が固まったまま、店員さんはふらふら歩き出す。
「10年……くらい?選手生命、ギリ、持つかな……」
何かをブツブツ言いながら、店の外に出ていってしまった。
「マジかよ……ヤバくね?」
男の人が1人で呟いた。
ぼくは急いで後を追った。自動ドアを出て周囲を見回したけど、店員さんがどこに行ったのか、分からなくなってしまった。
* * *
そのコンビニに行けば、働いているプロの人にまた会えるかも。
そう思って何度も何度も足を運んだけど、あの店員さんはいなかった。
そのうちぼく自身も、この街を訪れる理由がなくなってしまった。
何故って。
年が変わる頃に、その塾がなくなってしまったから。
ケイエイフシン?みたいなことをお母さんは言っていた。
よく分からないけど、とにかくぼくはまた、居場所を失ってしまった。




