45話 冷静だから
冷却シートで汗を拭う。扇風機の風が熱を奪い、頭が冷える。
水筒のスポーツドリンクを飲み干し、姿勢を正す。
大きく息を吸い、吐き、呼吸を整える。
長い一日だった。
既に私たちはさんざん死力を尽くした。でも、このあとが一番大事な戦い。
「風咲。体調は?」
「少し落ち着きました。1ラウンドだけなら……」
月子の問いかけには、濁しながら答えた。
「本当に交代しなくていいの?」
「ありがとう市原。でも、やらせて」
みんなの心配を振り切る。この1戦だけは譲れない。
数分の休憩。呼吸を整えた。糖分を補給した。
きっとまだ戦場を見渡せない。
だからさっきと一緒。前だけ見て戦う。
「無理しないでね」
「うん、ありがとう」
心配そうに私を覗き込むひばりには笑顔を作って答える。
VRヘッドセットを装着。意識はハンガーに戻った。
機体と兵装のセットアップ。
それから対戦前に流れる、相手チームの編隊飛行のデモ画面。
機体編成を確認できる短いシーン。
「スラッシュ……待ってたぜ、この瞬間を……」
画面に映る文字列を見て、メイスが呟いた。
桐崎都希乃、そのTACネーム。
私の目が探しているのは別のもの。
白いファントム・ホークに目が吸い寄せられる。
尾翼のマークは……位置が悪く確認ができない。
他の機体に目を移す。
目立つのは、ひし形を思わせるような主翼の機体。
AF-23『ヴァルキリー』。
上面に見えるエンジンの排気口と、その横にV字に広がる尾翼。
敵リーダー、スラッシュの機体。
AF-22以上のステルス性能を持つDLC機体。
対戦でお目にかかることはあまりない。
格闘性能は決して高くないから。
他には、ECM要員であろうAX-35『ライトニング・アロー』。
そしてEX-2k『サーペント』。遠距離ミサイル要員と見える。
「来るぞ!」
モヤのかかるような頭を無理やり動かし、レーダーと前方を見る。
遠くの空に1つ。黒く点が見えた。レーダーには映らない。
「1機、急速接近!」
周りに他の敵は見えない。本当に1機だけ。
角ばったエアインテークに滑らかな上面、斜めに張り出した1対の垂直尾翼のシルエット。
寄ってきたのはファントム・ホークだ。
攻撃の素振りがない。レーダーには映らないまま。
「レーダーロックできません!」
「構わねえ!ガンズだ!」
こちらの機銃掃射をものともせず、軽快に射線をずらしながら、
とうとう私たちの先頭を飛ぶセイバー機に接近し、方向転換。
進路を合わせ、機体を背面まで180度回転。セイバー機に覆いかぶさるように。
「なに?なに?」
キャノピー同士が接触するんじゃないかと思うほど、近い。
もちろんコクピットにセイバーは乗ってないんだけど。なんだか見下してるようにも見える。
「舐めやがって!」
呆気に取られていた。
メイスの声にハッとし、攻撃を仕掛けようと機首を向けたところで。
アラートが鳴った。
「ミサイル来ます!」
空の向こうから白煙を噴き上げ曳光が迫っているのは見える。
敵機は視界外。
遠距離ミサイル『ワイバーン』だ。2発。狙われたのはメイスと私。
「チッ、ブレイクだ!」
ともに回避行動に入る。
「この子は私をご指名みたい。やろうやろう!」
セイバーが機首を上げた。そのまま上昇。
覆いかぶさる相手に機体をぶつけるかのように。
あわやの接触だけど、敵も回避。そのままセイバーと敵ファントム・ホークとの色違い同機体の戦いが始まった。
ミサイル回避中にも関わらず、戦いの様子に目が吸い寄せられてしまう。
「援護、えっと!デコイ、出しますか?」
「ううん、ダガーはメイスたちと一緒にいて~」
セイバーはそのまま一騎打ちに臨むつもりだ。
青空に幾多の飛行機雲が曲線を描きながら絡み、とうとうセイバーが敵の後ろを取った。
6時方向。必殺の位置。
そのセイバーの目の前で、敵機が機首を一気に引き立てた。
前に突き出した機体下面に大気がぶつかり、ヴェイパーがぶわっと広がる。
「クルビット!」
「挑発のつもりか!」
メイスもその様子を見ていた。
対策されているはずの失速機動。
撃墜女王セイバーの代名詞。
本人にわざわざ使うなんて。
……いや、意味がある。ただの挑発に終わらない。
その行動は戦術として成立している。
「え?え?」
対策された機動。確立した対処法。
セイバーだけが対処法を知らない。
「うそ!」
使われる側ではなく、使う側だから。
一瞬で背後に付かれたセイバーの戸惑いを、相手は見逃さなかった。
咄嗟のフレアと急旋回も虚しく、セイバーの機体後部にミサイルが突き刺さった。
オレンジ色の炎が、黒煙が広がり、機体の破片が青空の中に砕け散った。
早々にセイバーが、撃墜女王が撃墜された。
でも今は、ショックよりも確信の方が大きい。
こんな芸当、あの子しか考えられない。
「ごめ〜ん!やられた~!」
敵のファントム・ホークは悠々と離脱を開始。
はっきりと見えた。尾翼。
黄色い、無限大を表す記号。
心臓の鼓動が跳ね上がった。
アフターバーナーを点火。フル加速で一気にトップスピードへ。
「この子は任せて!よく知ってるから!」
「おい待て!」
私の方が速い。すぐ追いつく。
「どうするの~」
「放っとくわけにもいかねえ!ダガー追うぞ!」
「了解です!」
眼前の機体は旋回を開始。左方向へ進路変更。来ると思った。
既に機体は回転させている。バンク角は取っている。
ピッチアップ。旋回。付いていける。
いる。あの子が目の前にいる。
電子の空の向こう、光回線のその先に、あの子がいる!
意外と冷静だ。
もっと取り乱すと思った。
もっと周りが見えなくなると思った。
心臓は破裂しそうなほどに脈打ってるけど。
私はまだ冷静だ。
背後を追う。追える。付いていける。
「めちゃくちゃな飛び方しやがって!」
ここで切り返す。分かる。機体をロール。上昇。
癖を知ってるから。何となく分かる。
次は右へ旋回。動きは鋭い。でもまだ、付いていける。
上昇。斜め45度。ひねるように。バレルロール。これも分かる。
懐かしい。
ダンスみたいな軽快な機動で、敵を次々いなしていくその姿。
かつて敵8機に囲まれてもなお、悠々と蹴散らした勇姿。
憧れだった。目標だった。
だから必死に食らいついた。動きを盗んだ。
「戻れ!深追いするな!」
フレンドとして飛んだ2ヶ月。
「急降下しながらミサイルを撃つと刺さりやすい」とか
「進行方向の先に撃つと当てやすい」とか
機動以外にも、そんなコツを教えてもらってたっけ。
お別れの日。
限界高度のその先に向かってみようと、何度失速しても挑んだっけ。
感傷が湧きつつも、目頭に熱が籠りつつも、気持ちは張ったままだ。
戦闘の緊張は保っている。
撃たれればいつでも回避できる。アラートが鳴ったら避けられる。
味方が警告すれば、すぐ戻れる。
「何してる!撃て!」
大丈夫。私は冷静だから。
「ジャベリン!ブレイク!」
目の前に別の機体が1つ。
扁平な、ひし形のシルエット。
誘い込まれていた。敵エースの真ん前へ。
アラート。気づかなかった。いつから鳴っていた?
「逃げてー!」
いつから味方は叫んでた?
周りが見えないなら、目の前にだけ集中すればいい。
その結果、目の前以外を何も見てなかった。
何もかもをシャットダウンしていた。
それに……あの子の後ろを何度も見ていながら、
私はトリガーを引こうともしていなかった。
スラッシュの撃ち出したミサイルは真正面からコクピットに突き刺さり、機体が炎に包まれた。
翼を失った自機が真っ逆さまに落ちていくのを、呆然と眺めていた。
「ごめんなさい……私……」
辛うじて絞り出した声は、自分でも分かるほど弱々しいものだった。
約束の1ラウンド、8分間はあっという間に過ぎ去り。
敵が私たちを計6機撃墜する一方で、私たちのスコアは0のままだった。




