2-5 不幸少年、ナスナ家にお邪魔する
(かわいい女の子とふたりでプラモショップに行って、その反動としては妥当な出来事だった……)
先程の件のお詫びということで、ナスナの屋敷へと迎えられたフジは、震えが収まらない手を見ながらそう感じた。
屋敷は木造の平屋、歩いている廊下は掃除などが行き届いており、築何年かは分からないがとてもきれいだ。
だが所々の部屋からはタバコの臭いがする。
さらに室内なのに花火を近くで打ち上げたような匂いも混じっていた。
フジはその匂いがすると、花火職人が仕事をするスペースがあると言い聞かせて、気にしないようにナスナのあとに続いて歩く。
「ひっ!?」
フジの背筋を硬直させる不思議な音が鳴った。
音のした方を見ると立派な庭がある。
きれいに整えられたコケや木々に、石の道、たくさんのコイが泳ぐ池があり、その横に音の正体があった。
ししおどし。
思い返してみればアニメに使われるサウンドエフェクトのようなの音だった。
人間がびっくりする必要のない音だということが分かり、フジはホッと胸をなでおろす。
「フジくん、びっくりさせてしまって申し訳ないですぅ……」
そんな様子を見たからか、ナスナ弱々しく間延びした声で頭を下げた。
「あっ、ううん。
こちらこそ、ひとの家をジロジロみるようなことしちゃって、怪しまれてもしかたないよね……」
(ましてや、ヤのつくお仕事のお屋敷だとなぁ)
フィクションの出来事を鵜呑みにするならば、どこかの組と争いをしていたり、事件を起こしたり起こされたりしてもおかしくない場所だ。
そこを通りかかるだけなら良いものの、気にして見ていればこうなってしまうのも不思議ではない。
不幸も重なったがフジが判断を間違えたと、フジ自身でも考えられる。
「こちらへどうぞ」
ナスナに案内された部屋は現代的な和室だ。
クリーム色の高そうな畳の上に、黒光りする高級そうなテーブルと座布団が敷いてある。
床の間には生け花と達筆すぎて読めない掛け軸。
さらに中からは先程の庭がよく見えるようになっていた。
「お邪魔します」
と言ってフジが足を踏み入れると、違う建物に入ったようないい匂いがする。
視覚的には同じ建物だと分かるが、あまりにも違う匂いのためフジは無意識に強く握っていた手をほどいた。
「なんかリラックスできる空間だね」
「ありがとうございますぅ。
客間のお手入れはぁ、わたくしのお仕事なんですよぉ」
ナスナは自分の仕事を褒めて貰ったのが嬉しいのか、明るい笑顔を見せた。
部屋の空気感の違いにフジも安心して、座布団へ腰掛ける。
ナスナは部屋の戸をゆっくりと閉めて、自分もフジの前へと座った。
「フジくんはぁ、どうしてわたくしのお家にいらっしゃったのでしょう~」
「そうだ、これを」
フジは手汗をスラックスで拭いてから、ビニール袋の中にあるナスナが買った塗料などを取り出した。
「フジくんに預けっぱなしでしたねぇ……。
お手数おかけいたしましたぁ」
そう言いながらナスナは袋を大切そうに受け取る。
「僕も預かってたのを忘れてたから、お相子だよ」
「でもぉ、先程家のものが失礼いたしましたぁ……重ねてお詫びいたします」
ナスナがとてもきれいだと感じるほど丁寧に頭を下げた。
友達というより、仕事や家庭のことで大切なことを謝るような動きに、フジは慌てて両手を振った。
「いいよ! 誤解は晴れたし……びっくりしただけ。
僕も勘違いされることしちゃったのが悪いし」
「家のこと驚きましたぁ?」
「……うん」
フジは少し考えてから、素直に頷いた。
ナスナの印象はお嬢様だ。
もし本当にお嬢様だとしたら、どうしてお嬢様学校のような場所ではなく、自分と同じような一般的な高校に入学したのか不思議だと思ってはいた。
それでもヤの付くお家のお嬢様だということは、まったく予想できなかった。
返事をしたフジを見て、ナスナは目線を落としながら、
「こういう場所に住んでるとぉ、皆さん話しかけづらいって思ってしまうようですねぇ。
ですのでぇ、あまり話さないようにしていたんですぅ……」
「そうだったんだね。部活のみんなは知ってるの?」
「タカミちゃんだけぇ……。
でも初めて家に入ってもらったのはぁ、フジくんが初めてですよぉ」
「そ、そうなんだ……」
フジはその言葉を聞いて、激しく動き出した胸元を押さえた。
自分がナスナの屋敷に入った初めての人間。だからなんだというのだ。
ファーストキスを奪ったわけでもなければ、ナスナと『そういうこと』を初めてしたわけでもない。
だがもしそういう関係だとナスナの両親に知られたらどうなるだろうか?
アニメで人間同士の白兵戦に使われる道具が出てきて、その発射口が自分に向けられるかもしれない。
あるいは、日本では基本的に所有が禁止されている大きさの刃物が喉に突きつけられるかもしれない。
現実的な代物ななら良いが、ヤの付く仕事の事務所にはもっとすごい物があると漫画で読んだことがある。
たとえばゲームじゃないRPGや、先程所有を疑われたC―4などがフジの進行方向から出てくるかもしれない。
ということはナスナのお屋敷を出たとしても、今日あったことは他言無用ということになるだろう。
「それでぇ、家のことなんですが、皆様には内密にしていただけますかぁ?」
予想通りの話になった。フジは予想通り過ぎて少し首を引いて、
「はい、うん。もちろん……じゃないと」
消されるかもしれない。
「いつかはぁ、バレてしまうことかもしれません。
ですがぁ、皆さんに怖がられてぇ、お仲間外れにされてしまうのはわたくしでも怖いんですぅ」
ナスナは消えてしまいそうな弱々しい声で言う。
(そういうことか)
内心でホッとしたフジは、ナスナの寂しそうな表情を見て思考を切り替えた。
「確かにびっくりはするかもしれないね……」
「はぁい……」
「でもこれで仲間はずれにされるってことはないと思う」
「そう~、でしょうかぁ」
顔を少し上げて、ナスナは上目遣いでフジを見た。
フジはその愛らしさにどきりとしながら、
「う、うん。だって家のことを知ってからも、僕はこうしてナスナさんと話をしてるから」
しっかりと言うことを伝えたいフジは、はっきりとした声で口にした。
「あっ……」
ナスナはフジの言いたいことに気がついて、声と顔を上げた。
「もしナスナさんのことを僕が嫌いとか怖がったりしちゃったら、渡すものを渡してさっさと帰ってると思う。
特に怖がりの僕なら、届け物も放り出して逃げたんじゃないかな」
「そう、ですわねぇ。
あ、ごめんなさい。フジくんのことぉ、臆病なんてぇ」
「ううん。自分が臆病なのを、僕自身がよく知ってるから大丈夫。
そんな僕でもナスナさんとはちゃんと話ができてるのはその証拠」
フジはなんとかナスナに分かってもらおうと、脳内にある今まで見聞きしたり知っている言葉を絞った。
そして少し自信を持っているふうに装うため、笑顔を作ってみせる。
「僕は幸福部のみんなと知り合って、一日二日しか経ってない。
だから絶対とは言い難いけど、その……みんなは気にしないと思うよ」
ちゃんと言えた。だが、そのあとふと思って、
「ナスナさんが、この家にいるのがイヤって言うなら、話は別かもしれないけど」
と付け加える。
「そんなことないですぅ!
一般の方には優しくするようにぃ、お父様が皆様に強く言っておりますぅ。
フジくんを怖がらせてしまいましたがぁ、ドンであるお父様の忠実に守っていただいている皆様のことぉ、イヤなんて思っておりません!」
「だったら大丈夫だと思う」
必死に語るナスナが、自分の父のことを『ドン』と言ったことについては考えないことにして、フジは穏やかに答える。
だがフジの強がりの魔法は一日どころか五分も持たなかった。
「あ、ごめんね。
事情も知らない僕があれこれ言っちゃって。
なんだかナスナさんみたいな状況のキャラクターがアニメにも居てね。
そのときに思ったことを言いたくなっちゃって、その――」
「ありがとうございますぅ」
強がれなくなり、先程の間での発言を後悔するような感情がうずまき始めたフジに、ナスナはいつもどりの穏やかな声で礼を言った。