2-6 匂いが記憶に残るとナスナは語る
「お礼と言ってはなんですが、お茶をごちそうしたいですぅ」
「あ、うん。喉乾いちゃって……。ご好意に、甘えていいかな?」
必死に考えたり話したりする疲労がどっと押し寄せてきたフジは、乾いた笑いをしながらナスナに返事をした。
「はぁい。少々お待ち下さぁい」
フジはナスナが部屋を出た後、ハッと目を見開く。
もしかしたら一杯何千円という値段がする高級なお茶が、振る舞われるのではないかと思ってしまった。
一杯何千円のお茶が存在するのかどうかはさておき、想像できないものが出てくるのは確かだろう。
今更断ろうかと思ったが、ナスナは一度客間を離れている。
外まででて声をかけようにも、この部屋の外は安全かどうか分からない。
またもあらぬ誤解を受けてしまうことも考えられるし、悪ければ流れ弾か日本刀が飛んで来るかもしれない。
「お待たせいたしましたぁ」
「は、はい!」
そうこう考えている内にナスナは戻ってきた。
またも素っ頓狂な声をフジはあげるが、ナスナは気にせずに笑っていた。
茶飲み茶碗をふたつと急須をオボンに載せてやってきたナスナは、テキパキと準備を進める。
そこにフジが断る隙はなかった。
急須から爽やかな黄緑色の飲み物が、茶碗に注がれる。
「これは……おいくらぐらいするの?」
「値段はついてないですよぉ。
わたくしがぁ、気に入った緑茶とハーブをブレンドしたカモミール茶ですよぉ」
「高級なお茶っ葉とか使ってたりする?」
「あまり高級な物を使ってしまうとぉ、毎日飲んだりぃ、皆さんに振舞ったりできませんよぉ。
ですから、ご近所のスーパーで買えるお茶っ葉やハーブなどをブレンドして作りましたぁ」
「そうだよね。こういうのは手軽に飲めるのが良いんだよね」
「はぁい~」
フジはホッとして茶碗を見つめる。
すると茶飲み茶碗が、もしかしたら高級なものかもしれないと感じてしまった。
可愛らしい桜の花びらが舞い散る模様が入った茶碗を手に取ったまま、フジは再び固まる。
「気になりますかぁ? その茶碗はぁ、ご近所の雑貨屋さんで買ったんですよぉ」
「そ、そうなんだ……かわいいと、思うよ」
安心したが妙な感想を言ってしまった。
「ありがとうございますぅ」
ナスナの礼を聞いてフジはまたも一息つく。
万が一割ってしまってもフジの小遣いで弁償できそうだ。
それでも割らないことに越したことない。
フジは慎重に茶碗を口に運ぶ。
冷えたキモが暖かくなるお茶だとフジはまずは感じた。
この部屋のように居心地の良さを感じるような香りが鼻から抜ける。
さらに爽やかな喉越しと後味で、しばらく他の食べ物や飲み物を口にしたくないと思ってしまう。
「いい香りな上に、おいしい」
「ありがとうございますぅ。
飲んでいただいた方がぁ、リラックスできるように淹れてみたんですよぉ」
「うん……あまり緑茶を飲まない僕でも、おいしいって素直に思えるよ」
お世辞ではなく本当においしい。
フジはそれをなんとかナスナに伝えたいと思い、もう一度自分の語彙力を雑巾のように限界まで絞って言葉を口にした。
「ふふっ、本当にそう思っていただけてるようでぇ、うれしいですぅ」
だがそれでもフジの必死さが伝わったのか、ナスナは嬉しそうに笑う。
「もう少しブレンドの研究をしてみてぇ、そうしたら幸福部の皆さんに飲んでいただきたいなと思ってるんですよぉ」
「じゃあ、これが今のナスナさんの研究テーマなんだ」
研究という言葉で、幸福部の部員たちはそれぞれの『幸福になれる方法』を探っていることを思い出す。
模型屋に行った理由も、部屋に入ったときの空気作りも、お茶の香りも、すべてナスナの研究テーマにつながっていた。
「はぁい。匂い――嗅覚はぁ、人間の記憶に残りやすい感覚なんですよぉ。
だからぁ、皆さんといい香りのするお茶を飲みながら楽しい時間を作るぅ。
それが幸せな思い出を作る方法だと思ったんですぅ」
「楽しい時間を」
「フジくんもぉ、わたくしたちと楽しい時間を過ごしましょ~」
今まで楽しい時間といえば、アニメを見たり、プラモデルを作っている時間しかなかった。
友達は作らないようにしているし、家から出るのがそもそも苦手というのがある。
娯楽が本当に限られていた。
だがまるで自分の不幸を中和してくれるような幸福部のメンバーと一緒にいれば、誰かを不幸にすることがなく、余計なことを気にして楽しい時間を駄目にしてしまうことがないかもしれない。
そう思ってもフジは、ナスナの言葉にひとつ指摘をしなければいけなかった。
「僕ってまだ、仮入部なんだよね」
「そうでしたねぇ~。ふふっ」
ナスナもそうだが、皆仮入部扱いであることをすっかり忘れている気がする。
フジはおっとり笑うナスナの表情を見てそう思った。
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「フジくん、ナスナちゃんのお家ってどんなんでした?」
タカミは部室のテーブルから身を乗り出してフジ聞いてきた。
ナスナの話によれば、タカミはどういう家なのかだけは知っているがその中には入ったことがないと言う。
タカミの専門分野が風水であるということを考えれば、ナスナの家庭環境などではなく風水的にどうなっているかが気になるのだろう。
「おっ、その話は僕も気になるなっ。
とても濃い運命線と、小指まで伸びている財運線を持っているし、家のことが気になっていたんだっ」
ケントが難しそうな占いの本を置いて、風のように話に入ってくる。
彼の場合は自分の手相占いが本当に当たっているのか確かめたいのだと、フジは思う。
「わたしも……同志ナスナから、ただならぬ『オーラ』を感じている……」
センの言うオーラがどのようなオーラなのか、フジには分からない。
だがセンもナスナから『なにか』を感じていることは確かのようだ。
黒く長い前髪から少しだけ赤い目が見える。
「あ、えっと、話して良いのか」
三人が気になる気持ちは分かるが、フジは入り口の方へと目をそらす。
ナスナには家のことを話しても幸福部のメンバーなら大丈夫だと、フジは自信を持って言った。
それにフジの口から、ナスナの家について話して良いとはナスナからは言われていない。
だがこういうのは、ナスナの口からちゃんと言わなければいけないとフジは思っている。
「どうなんですかー?」
「もしかして、想像を絶するお屋敷だったとかかいっ?」
「あるいは……フジの言葉では表現できない建築物……」
そうだとしても、目に星のような光を灯しながら聞いてくるタカミや、仲間のことに興味津々のケントやセンに詰め寄られると、フジも話してしまいたいと思ってくる。
目を入り口の方にそらし、体や顔を固くして口が滑らないようにする。
「こんにちはぁ」
そんな助けを求めるフジの目線の先からナスナがやってきた。
「ナスナちゃん、こんにちは!
ちょうど今ナスナちゃんの家がどんな家かって話をしてたんですよ!」
タカミは飛びかかるようにナスナに興味を移した。センとケントも顔をナスナに向ける。
フジはホッとしていると、
「わたくしのお家はぁ、平屋のお屋敷ですよぉ。
ちょっとお仕事の関係でスーツのひとが出入りしてますけどぉ、今度皆さんで来てくれます?」
ナスナはいつもと変わらないおっとりとした笑顔のまま答えた。
「はい! ぜひ!」
「ナスナさん」
堂々とした言葉に驚いたフジは立ち上がり思わず声をかけた。
「フジくんのおかげでぇ、みんなを家に呼ぶことができそうですぅ」
ナスナは堂々とした笑顔でフジに答えた。
そこには嫌われるかもしれないという不安はまったく感じられない。
むしろ幸福部の部員たちともっと仲良くしたい。
自分を知ってほしいという意欲を感じる目をしている。
あまりの変わり方にフジは目を点にして自分を指さし、
「僕のおかげで?」
「はぁい」
確かに昨日、幸福部のメンバーならば家に連れてきても引いたり怖がったりはしないだろうと言った。
だが、少しずつ話をしていくのではなく、急にオープンにするとはフジも思わなかった。




