波瑠の考え
「もう、とんだ血の海にしてくれちゃったじゃない。」
「・・・。」
神崎ルカは斑に紅く染まった廊下を気味悪そうに一望しながら溜息を吐いた。
なかなか帰って来ない拓雅を心配して戻ってきた彼女は、慌てふためいて逃げていた霊達を見つけてここまで来たのだが・・・
「もうちょっと綺麗に喰らえないのかしら。」
「・・・。」
見下げて言った先にはぐったりと目を閉じた少女の霊体を抱く波瑠の姿がある。
が、何を話しかけても全く答えようとしない。
しばらく無言だった波瑠は、唐突に少女の霊体を投げ捨てた。
投げられた霊体は宙に舞う事も床に着く事もなく、砂のように崩れ去って消えた。
「少しは腹の足しになった?」
「・・・。」
なおも黙る波瑠にだんだんと焦れてきたルカは、彼の顔を覗きこんだ。
だが、黒髪が邪魔をして表情を知る事は出来なかった。
「・・・頼みがあるんだけど。」
「なーに?」
聞き取りが難しいか細い声に、ルカは小さい子と話すように目線の高さを合わせた。
波瑠が要件を告げると、ルカは思わず首を傾げた。
「いいけど・・・その為に霊体を襲ったの?」
「・・・。」
「本当にいいのね。」
「いい、もう決めた事だから。」
顔を上げた波瑠の瞳は、紅と琥珀色が混ざった綺麗な色をしていた。
気が付くと朝になっていた。
居候している家のベッドの上で目が覚めた拓雅は、しばらくぼんやりと天井を仰ぎ見ていた。
時計を見ると五時半。よし、時間通りだ。
拓雅はさっさと八百万学園の制服に着替えると、一階のキッチンに一人立った。
ブレザーは調理の邪魔になるので食卓の椅子に掛け、長袖のシャツの袖は二の腕まで捲る。
サラダに使う野菜を切ろうと前かがみになった拓雅は胸元で揺れるペンダントの存在に気付いた。
紅く透き通った石がエンブレムの綺麗なものだ。
出来ればこちらも邪魔になるので外したいところだが、外すと何が起こるのか分からないのでシャツの内側に入れておく。
転校初日の翌日、ルカの家で目を覚ました拓雅は朝一番にルカに小言を言われた。
最初は拓雅が帰って来なかったせいで彼女の夜ご飯がなかった事。
二つ目はどうして霊感が強い事を言わなかったのかという事。
そして最後の三つは拓雅の事ではなく波瑠の事だった。
もうちょっと綺麗に喰らってほしい。
聞けば、拓雅が保健室で休んでいる間に校舎に浮遊する霊体を襲ったらしい。
「血気の薬はまだ切れていない筈なのになんでよー!」
というのが彼女の心からの叫びだ。
(僕の方がわからないんですけど。)
そこまで聞いたところでルカから拓雅にこのペンダントをくれたのである。
なんでも霊が拓雅に近づきたくなくなる効果があるとか。
(この後、本当に霊が寄って来なかったので驚いた。)
「ま、お礼なら波瑠ちゃんに言うことね。」
「?」
「波瑠ちゃんの代償のおかげって事。」
そう言って彼女は会話を切った。
あれから一週間、初日の出来事が嘘のように平穏な時間が続いている。
朝ごはんと弁当の準備が一通り終わった頃、ルカが寝間着姿のままでリビングに現れた。
「おはよう拓君。」
「おはようございます。」
いつもの挨拶を交わすと、続いて制服に着替えた波瑠が欠伸をしながら姿を見せた。
だが食卓の席に着こうとすると、右側の棚に肩をぶつけて痛そうに顔を顰めた。
普通なら寝ぼけたという事で笑うところだが、拓雅は笑うどころかとても心配そうな目で波瑠を見ていた。
波瑠の片目は包帯で覆われているからだ。
これが拓雅を護る為に波瑠が払った代償。
包帯はもうじき取れるらしいが、その眼の視力はもう戻らない。
「大丈夫?」
「はい。なかなか片目だけというのも慣れないですね。」
波瑠は全く気にしていない様子でいつものように明るく笑う。
それが逆に拓雅の心に刺さった。
「拓雅、どうかしました?」
拓雅は登校中もどこか浮かない顔だった。
それに気付いた波瑠は拓雅の顔を覗きこむ。
「あのさ、一つ聞いても良いかな。」
「はい。」
「どうして片目を犠牲にしてまで僕を庇うの? まだ会って間もなかったのに。」
「そのことですか。うーん、困りましたね。」
拓雅にとっては真剣な問いだったのに、波瑠は子芝居のように顎に手を当てて考える仕草をしてわざとらしく唸った。
「そうですね・・・特に理由はないです。」
「は?」
「いけませんか?じゃあ・・・。」
キョトンする拓雅に、波瑠は首を傾げてさらに唸った。
そして答えが出たのか、彼は和やかに笑った。
「拓雅が好きだからです。一目ぼれです♪」
「・・・え?」
「ああでも、恋愛のほうの好きじゃないですよ、ふふ。」
「いや、それはさすがに分かるけど・・・もういいや。」
なんだか急に波瑠が乙女に見えてきた拓雅は、ますます月代波瑠という少年の人格が分からなくなってきた。
「えー、拓雅から聞いて来たんじゃないですか。」
「いいんだよ、もう。」
(ま、そのうち整理がついてくるだろう。)
きっとそのうち色んな答えが見えてくるだろうと、拓雅は取りあえず夕飯の献立を思案する事にした。
第一話 終




