幽鬼3&幽霊狩り
「くそっ。逃がした。」
唇を噛んだ波瑠はナイフを鞘にしまって、ブレザーのポケットから薄い薬入れを取り出した。
そこからタブレットを五粒ほど取り出すと、乱暴に口の中に放り込む。
「波瑠・・・?」
彼の表情が掴めない拓雅は恐る恐る様子を窺った。
「大丈夫でした?」
振り返った波瑠の瞳は琥珀色に戻っており、それまでビクビクしていた拓雅はホッと胸を撫で下ろした。
「ああ、なんだかよくわからなかったけど・・・うん。」
「立てます?」
言われて、拓雅は自分の力で立ち上がろうとしたが、足に力が入らず上手く立てなかった。
思わずよろけると波瑠の手が拓雅の身体を支えてくれた。
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
波瑠の手助けを借りてなんとか立ち上がった拓雅は歩くのも彼にサポートしてもらいながら時間をかけて屋上から一階まで下りた。
エレベーターという選択肢もあったが、そこは運悪くメンテナンス中だった。
「保健室で少し休ませてもらいましょうか。一・二時間横になっていれば歩けるぐらいは回復しますよ。」
「うん。
・・・神崎先生は?」
「先に帰りました。」
「・・・。」
波瑠の答えに拓雅は内心でガッカリした。
彼女がいれば車に乗せてもらえると思ったのに。
保健室の先生もまさに今帰ろうとしていたようで、拓雅達がやって来ると少し残念そうな顔をしたが、仕事柄、快くベッドを貸してくれた。
「あのさ、奥村恵っていう人ってうちのクラスにいたっけ。」
ベッドの上に寝かされた拓雅は、傍の丸椅子に腰かける波瑠に尋ねた。
「奥村・・・さん?いいえ、いませんけど。」
それがどうかしましたか?と首を傾げる波瑠に拓雅は「いや。」と言いながらも波瑠を待っている間に起こった事を自分が覚えているところまで話した。
「ふーん。面白いですね。」
波瑠は素っ気なく感想を言うと、肘を膝にくっつけて手の上に顎をのせた。
「彼女も霊なの?」
「少し違うと思います。
確かに元々は普通の霊だったのでしょうけど、俺が見る限りでは今の彼女は両角の犬です。」
「犬?」
「陰陽師的に言えば式神ですね。
まあ、実際のところ生前の彼女自身が術者だったようですが。」
そう言いながら波瑠は冗談めかして右手の人差し指を拓雅に向けた。
「両角は俺と同類です。糧の種類は違いますけど、彼は霊力を吸い取った相手の魂を霊として式神に下せる能力を持っています。
もしあの時に両角の錫杖が壊れていなければ、拓雅は今頃、奥村恵と同じ運命を辿っていましたよ。」
「それは嫌だな。」
笑いながら拓雅はかなり寒気立った。
本当に危ないところだったんだと無自覚ながらにヒヤリとする。
「これで分かりましたよね。このままだと明日にでも死にますよ。」
「そう言われても・・・。」
困った拓雅は目線を泳がせた。
無知な自分にはどうしようもない。
「そう言う波瑠は知ってるの?方法。」
「そうですね・・・。」
波瑠はしばらく考える素振りをみせたかと思うと、おもむろに立ち上がった。
「ちょっと出てきます。」
「え?」
「すぐに戻りますから、拓雅は大人しく寝ていてくださいね。」
軽く手を振って出て行く波瑠を見送った拓雅は、ぼんやりと天井を仰ぎ見た。
「あいつも分からないんだな。」
白い影がゆっくりと浮かび上がる。
部活の時間もとうに過ぎた二階の廊下で、幼い少女の形をした霊体はいくつかの白影を伴って浮遊する。
宙を浮かんでいられるのは楽しい。だって生きていた時には出来なかったことだから。
でもそれは、とても辛い事。だって誰にも認知されないから。
彼女達はまだ生きたい。だから俗世に残留している。
太陽の光は邪魔なほど眩しくて、ただ見ているだけしかできないけど。
今、この月の下でなら。
階段の方から足音がする。生きた人間がやって来る。
生きたい。生き返ってもう一度愛しい人の温もりに浸りたい。
だが少女よりも先に、他の霊体が我先にと飛び出していった。
ああ、今夜も取られてしまったと少女は唇を噛んだ。
が、次に聞こえてきたのは生きた人間の悲鳴ではなく、死んだ人間の哀れな叫び声。
黒い影がこちらへと伸びて来る。
少女を含む残りの霊達は固唾を呑んでその影を見詰めた。
「なんだ、思っていたより血気が残っているな。とんだ穴場だ。」
少女はこの声を耳にした途端に戦慄を覚えた。自分はこの声の主を知っている。
美しくて怖い紅い双眸。
例えるなら妖艶に咲く一輪の薔薇。
彼の恐ろしさを知らない仲間の一人は、人型から姿を転じてまた我先にと彼に襲い掛かった。
眼は極限を超えて飛び出し、破れた肌からは血が溢れんばかりに流れる。
髪はどれも乱れまくり、丸い筈の爪は長く伸びて針のように鋭く尖った。
人間の様で人間ではない。
化け物と呼ばれるのがこの場面では相応しいだろう。
普通の人間なら気絶必須のこの状況で、彼は舌舐めずりをしてナイフを構えた。
「それがお前たちの本性か。」
彼は何の恐れも抱かずにナイフを走らせた。
霊体のとび抜けた眼に一突き差し込み、そこから横に薙ぐ。
続く咢を開く敵にも躊躇いもせずに飛び込み、切り殺した。
霊体相手に殺すなんて表現はおかしいが、少女の目から見ればこれは惨殺、殺戮だった。
音もなく倒れて赤い塊だけを残して四散していく同胞達。
その光景に耐えられなくなった者達は一目散に踵を返した。
少女もそれに続こうとしたが、ワンピースの襟首を彼に掴まれてグイッと引き寄せられた。
霊体を素手で掴むなど普通の人間ではまず出来ない事だ。
そう、彼はまさに何でも喰らう鬼。
生きていようが死んでいようが血が少しでも身に流れているものは容赦なく彼の餌食となる。
「た、す・・・けて。」
当然、必死の命乞いも彼には通用しない。
彼はニヤリと笑うと、刃先を少女の白い首筋に突き立てた。




