6. 羞恥とはなにか
ドンドン。
ドンドン。
「いるのかい? いるなら開けるんだよ!」
遠くから声が聞こえる。
エリザは目を擦りながら目を覚ました。
(あら……ここはどこかしら……)
まだ頭がぼんやりしている。
(朝の紅茶、まだかしら?)
ガチャ。
突然、ドアが開いた。
「お前さんは、バカかい! ドアに鍵もかけないで。襲われたらどうするんだい!」
大きな声に、エリザの目がようやく開く。
確か……昨日会った老女だった。
「ええと……ごめんなさい、おばあ様。家に帰るから、馬車を呼んでもらえる?」
寝ぼけた頭で一生懸命考える。
老女は呆れたようにエリザを見た。
「お前さんは、バカかい! お前さんの家はもうここだよ」
「……え?」
エリザは辺りを見回した。
小さな部屋。
板が剥き出しになったベッド。
昨日の記憶が、少しずつ戻ってくる。
「悪いけど、テーブルの上に置いてあった書類を見せてもらったよ」
老女はエリザを真っ直ぐ見た。
「お前さんは家を追い出された。もう貴族でもないし、帰る場所もないってことだよ」
「うそ……」
エリザは首を横に振った。
「うそよね、おばあ様……。お父様がそんなことするはずないわ。どうか、嘘だと言って」
「いいかい。よく聞きな」
老女の声が低くなる。
「お前のお父様とは、もう縁が切れてる。お前さんは今日から、一人で生きていかなきゃならないんだ」
「うそ……いやよ……」
昨日の出来事が次々と頭に浮かぶ。
「ダミアンは……ベロニカは……他の友達は……」
エリザは人目もはばからず泣き出した。
老女は、そんなエリザをしばらく見つめていた。
「貴族は、お金も権力もなくなればすぐ裏切る奴ばかりだ。よく覚えておくんだ」
「いや……おうちに帰りたい……」
嗚咽を漏らしながら、エリザは泣き続ける。
「しっかりおし。お前さんが何もしなきゃ、このままここで死ぬんだよ」
「いや……もう、どうだっていいわ……」
その時だった。
きゅ〜〜〜。
小さな部屋に、妙に大きな音が響いた。
「…………」
エリザの顔が、みるみる赤くなる。
生まれて初めて、飢えというものを知った。
そして、生まれて初めてお腹が鳴った。
老女は小さく息を吐いた。
「ほら。泣くのはやめて、昼飯に連れていってやるよ。ただし、明日からは自分で払うんだよ」
「……はい」
✥✥✥✥
少し歩くと、こぢんまりとした食堂があった。
老女は慣れた様子でドアを開け、中へ入っていく。
エリザもその後についていった。
誰も椅子を引いてくれない。
(……座っていいのかしら?)
老女を見る。
老女は自分で椅子を引き、さっさと腰掛けた。
エリザも真似をする。
「注文だよ」
老女が声を上げると、店員らしき女性が近づいてきた。
「おや、いらっしゃい。マーサ。まだ元気かい?」
「ふん。私は百まで生きるつもりだよ。相変わらずの減らず口だね」
「ガハハハ! そりゃ結構。注文はなんだい?」
エリザは目を丸くした。
女の人が、人前であんなに大きな口を開けて笑っている。
「そうだね。シチューセットをもらおうか。食後の紅茶は、この子には砂糖をいっぱい入れてやっておくれ」
「はいよ」
店員が去っていく。
エリザは、そこで初めて気づいた。
「そういえば……おばあ様のお名前、まだ聞いていませんでした」
「ああ、そうだったね」
老女はエリザを見る。
「私はマーサ。この辺の大家さ」
「マーサ様ね」
エリザは姿勢を正した。
「改めて、私はエリザです。昨日から本当にありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる。
「バカ。私はただの平民だよ。様付けなんてやめておくれ」
「でも……」
「マーサでいい」
「……マーサ」
「それでいいんだよ」
その時、料理が運ばれてきた。
コトン。
エリザの前に置かれたのは、白いスープだった。
「……これは?」
首を傾げるエリザに、マーサが声をかける。
「平民のシチューさ。ビーフシチューはお貴族様御用達だよ。私はこっちのあっさりしたシチューの方が好きだね」
マーサの目が爛々と輝く。
「ほら。冷めちまう。さっさとお食べ。
ここは、口は悪いが味は保証付きだよ。」
白いシチューから、湯気が立ち上っている。
エリザはスプーンを入れ、一匙すくった。
そのまま口へ運ぶ。
「あつっ!」
舌を火傷するかと思った。
こんなに熱い料理を食べたのは初めてだった。
それでも、もう一匙。
また一匙。
ポロポロと涙がこぼれた。
少し、しょっぱい味がした。
それでも手は止まらなかった。
温かい。
本当に、美味しかった。
生涯、私はこの味を忘れないだろう。




