18. 実は私は……
「エリザ、お前さん、あの山を全部使っちまったのかい!?」
マーサが、すっかり綺麗になったリビングを見渡して声を上げた。
「そうなの。昨日持っていった分で最後よ」
エリザは嬉しそうに答えた。
せっせ、せっせとハンカチを作り続け、気付けば半年が経っていた。
「もう作らないのかい?」
「うん。作らないわ」
エリザはあっさり答えた。
「だって、真似した商品が出てきたもの。これからは、今までほど売れなくなるわ」
「ほぅ……」
「お店の方たちも、ハンカチのおかげで他の商品まで売れたからって、少し多めにお金をくださったの。だから、まだ余裕もあるわ」
それから、思い出したように付け加える。
「ドレスも、流行遅れになる前に全部売ったわ。お金は銀行に預けたの」
マーサは片眉を上げた。
(相変わらず、商売の嗅覚は一流だね)
売れるうちは売る。
真似する者が増えれば、さっさと手を引く。
ドレスも価値が落ちる前に現金に換えた。
半年前まで、金は使えばなくなることすら知らなかった娘とは思えない。
「それで、これからはどうするんだい?」
その瞬間。
エリザの顔が、ぱっと輝いた。
「マーサにだけ話すんだけどね」
「なんだい?」
「新しいものを考えたの」
エリザは嬉しそうに一枚の図面を取り出した。
「ほら」
マーサが図面を見る。
その目が、かっと見開かれた。
「エリザ」
「なあに?」
「その図面、今すぐ片付けな」
「え?」
「出かけるよ。ついてきな」
マーサは立ち上がると、すぐに外へ出ようとする。
「ちょ、ちょっと待って!」
エリザは慌てて鏡の前へ行き、ささっと髪を整えた。
✥✥✥✥
マーサの後をついて歩いているうちに、エリザの足取りがだんだん重くなった。
見覚えのある街並み。
行き交う馬車。
着飾った人々。
ここは――。
「マーサ」
「なんだい?」
「ここ、貴族街よね?」
「そうだね」
エリザは立ち止まった。
「いくらマーサでも、私は貴族街には行けないわ」
自分の服を見る。
平民になってから買った、質素な服。
「私はもう、貴族じゃないもの……」
エリザは俯いた。
知っている誰かに会うかもしれない。
そう思っただけで、足がすくんだ。
マーサが振り返る。
「エリザ。お前さん、悔しくないのかい?」
「え?」
「お前を裏切った連中を、見返したくないのかい?」
悪魔のような囁きだった。
「そ……それは……」
エリザの心が揺れる。
マーサはさらに畳みかけた。
「それにエリザ」
「なに?」
「お前さん、毎日風呂に入りたいんだろ?」
「…………はい」
「なら決まりだ。ついてきな」
マーサは再び、勢いよく歩き始めた。
エリザは慌てて後を追う。
誰かに見つかりませんように。
できるだけマーサの背中に隠れるようにして、俯きながら歩いた。
ゴツン。
「痛っ!」
突然、鼻先をぶつけた。
顔を上げる。
そこにあったのは――。
貴族街でもひときわ大きな建物。
アシュベリー商会だった。
エリザの足がすくんだ。
「マーサ。さすがにこの格好では失礼だわ」
「何がだい」
「入れてもらえないかもしれないし……ねぇ、帰りましょう?」
「うるさい子だね。黙って付いておいで」
マーサは、さっさと入口へ向かっていく。
「ちょ、マーサ!」
エリザはあわあわしながら、その後を追った。
すると――。
入口に立っていたボーイが、すっと扉を開けた。
「おかえりなさいませ」
エリザがきょとんとする。
(……おかえりなさいませ?)
なぜ?
だが、マーサは何事もなかったかのように中へ入っていく。
エリザには、もう訳が分からない。
マーサは奥にある昇降機へ乗り込んだ。
エリザも慌てて後を追う。
扉が閉まり、ゆっくりと五階へ上がっていく。
チン。
扉が開く。
そこには、ふかふかの赤い絨毯が敷かれていた。
エリザは目を丸くする。
(ここ……聞いたことがあるわ)
一部の上得意だけが入ることのできる特別な階。
世に出回る前の商品や、一般には売られない品を見せてもらえるという。
エリザは久しぶりに踏む柔らかな絨毯の感触を味わいながら、きょろきょろと辺りを見回した。
そのままマーサの後を付いていく。
一番奥。
重厚な扉の前で、マーサが立ち止まった。
ドンドン!
相変わらず力強い。
返事も待たず、
ガチャリ。
マーサは扉を開けた。
(すごいわね、マーサ。どこへ行ってもそのままなのね……)
部屋の奥。
大きな机に、一人の男性が座っていた。
金色の髪。
利発そうな顔立ち。
男性はマーサを見るなり、ため息交じりに口を開いた。
「突然来て、どうしたんだい。母さん」
(母さん?)
エリザが瞬きをする。
(……誰が?)
「うるさいね。元は私の店だ。いつ来たっていいだろう」
(元は私の店?)
エリザの目が大きくなる。
(…………え?)
(ええええぇぇぇ!?)
マーサがくるりと振り返った。
「すまないね、エリザ。今まで黙っていて」
そして、少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「私の本名は、ヴィヴィアン・アシュベリー」
隣の男性を指す。
「こっちが息子のオスカー・アシュベリーだ」
エリザの顔から血の気が引いた。
「前アシュベリー侯爵夫人!?」
身体が勝手に動いた。
「今までの数々のご無礼、申し訳ございませんでした!」
勢いよく頭を下げる。
「頭を上げな」
マーサ――ヴィヴィアンが、ぴしゃりと言った。
「隠していたのはこっちだ。それに今は隠居した身。私はただのマーサさ」
「ですが……」
「今まで通りにするんだよ。それと、言いふらすんじゃないよ」
「……はい」
エリザは恐る恐る頭を上げた。
「母さん。それじゃあ、お嬢さんも驚きますよ」
オスカーが苦笑しながら立ち上がった。
「どうぞ。お掛けください」
物腰柔らかに、二人をソファへ案内する。
「それで今日は、どうしたんです?」
「エリザ」
マーサが言った。
「さっきの図面を出すんだよ」
「あ、はい!」
エリザは急いで鞄から図面を取り出した。
オスカーが受け取る。
「どれどれ……」
図面に目を落とした。
そして――。
「これは……」
目を見開く。
その表情は、先ほどのマーサとそっくりだった。
(……親子だわ)
オスカーは図面から顔を上げた。
「君は……」
「エリザです」
「ああ、そうだったね。エリザ嬢」
もう一度、図面を見る。
「これは、君が考えたのかい?」
「はい……そうですが……」
オスカーの目が変わった。
先ほどまでの柔らかな雰囲気はどこへやら。
図面を見つめる目が、ぎらぎらと輝いている。
「素晴らしい」
「え?」
「ぜひ、詳しく話を聞かせてほしい」
オスカーが身を乗り出した。
エリザは思わず身体を引く。
(……なんなの?)
マーサは満足そうに笑っている。
オスカーは図面に釘付け。
そしてエリザだけが――。
まったく状況についていけていなかった。




