17. ないとみな欲しくなるんです。
薄いピンク色の布を三巻、白を一巻、水色を一巻。
エリザがそれらすべてをハンカチに仕立て終えるまで、一か月ほどかかっていた。
本気を出せば、もっと早くできる。
だが、マーサからは再三、
「根を詰めすぎると身体を壊すよ」
と言われている。
家事もしなければならない。
だから、これくらいでちょうどいい。
トントン。
久しぶりに、大人しくドアが鳴った。
マーサなら毎朝、ドンドンと叩く。
だから、マーサではないことはすぐに分かった。
ガチャリ。
ドアを開けると、雑貨屋の店員が鞄を前に抱え、背筋をぴんと伸ばして立っていた。
「エリザさん。大切なお話がありますの」
いつもと様子が違う。
エリザはすぐに道具を片付け、椅子へ案内した。
「マーサさん、ご歓談中でした?」
「いいさ。私はいつも来てるんだから」
マーサは店員を見る。
「それより、そんなに改まってどうしたんだい?」
雑貨屋の店員はエリザへ向き直ると、鞄から一枚の書類を取り出した。
「エリザさん。今後、ハンカチを私どもの店だけに置いていただけませんか?」
「あなたのお店だけに?」
「はい。その代わり、売上の六割をエリザさんへお渡しします」
店員は慎重な面持ちで続けた。
「王女様が薄いピンク色のドレスをお召しになってから、貴族令嬢の方々が我先にと買い求めるようになったのです」
エリザは、ゴクリと喉を鳴らした。
「店頭に並べれば、すぐになくなってしまいます。正直に申しますと、ちょっとしたいざこざまで起きておりまして……」
店員は困ったように笑った。
「もちろん、他の商品も一緒に買ってくださるので、とてもありがたいお客様なのですが……。こちらとしても、在庫を切らすわけにはいきません」
そして、深く頭を下げる。
「どうか、すべて私どもの店に置いていただけませんか?」
エリザはすぐに答えた。
「お断りします」
「え?」
店員とマーサが、同時に目を丸くした。
「どうしてですか?エリザさんにとっても、悪いお話ではないかと……」
店員が慌てて言う。
「他のお店とのお付き合いがあります」
エリザは淡々と答えた。
「またお願いしますと言ってくださっているのに、それを無下にはできません」
「ですが……」
「そうですね……」
エリザは少し考えた。
「薄いピンク色だけ、値段を倍にしてはいかがでしょう?」
「倍に?」
「はい。それから、お一人様二枚までにします」
店員は黙ってエリザを見る。
「もちろん、他のお店でも同じ値段にします。そうすれば買い占めも減って、今より多くの方に行き渡るでしょう?」
「あ……」
「薄いピンクが買えなかった方が、水色や白を見てくださるかもしれません。他の商品を一緒に買ってくださる方もいるでしょうし」
エリザはにっこり笑った。
「お互いに利があると思います」
マーサは驚愕していた。
まだ商売を始めて、ろくに日も経っていない少女である。
それなのに条件の良い独占の話を断り、これまでの取引先との信用を優先した。
そのうえ、ただ断るだけではない。
すぐに別の案まで出したのだ。
「エリザさん、素晴らしいですわ。ぜひ、そうさせていただきます」
店員は立ち上がった。
「では、すぐに店へ戻って準備いたします。エリザさんとお取引されている他のお店には、私どもの方からお伝えしておきます」
「お願いします」
「エリザさんは、制作に集中してください」
そう言うと、雑貨屋の店員はそそくさと帰っていった。
マーサは閉まったドアをしばらく眺めていた。
「……エリザ」
「なあに?」
「いや。なんでもないよ」
エリザは首を傾げると、また刺繍枠を手に取った。
✥✥✥✥
ハンカチは、大爆発した。
置いてある店には長蛇の列ができた。
一人二枚まで。
そう決めたことで、貴族の家では侍女や下働きまで買い物に駆り出されるようになった。
各店も黙って見てはいない。
ハンカチを目当てに来た客へ他の商品を勧める店。
整理券を配る店。
喫茶店では、お茶を飲みながら順番を待ってもらう仕組みまで作った。
どの店も、ここぞとばかりに商魂逞しく工夫していた。
一方、エリザはというと――。
少し浮かれていた。
なにしろ、薄いピンク色のハンカチは値段が倍になった。
順調に売れている。
当然、手元に入ってくるお金も増えた。
財布の紐が、ほんの少し緩くなっていた。
ある日。
店にハンカチを置き、売上を受け取った帰り道。
小さな女の子が、道端で花を売っていた。
もうすぐ日が沈む。
それなのに、籠の中にはまだたくさんの花が残っている。
女の子は焦った顔で道行く人に声を掛けていた。
だが、誰も振り向こうとしない。
エリザは足を止めた。
翌朝。
マーサは、部屋に置かれた桶を見て眉をひそめた。
色とりどりの花が、溢れんばかりに入っている。
「……エリザ。これはなんだい?」
「ああ、それ?」
エリザは嬉しそうに振り返った。
「綺麗でしょう?」
「そうじゃない。なんでこんなにあるんだい」
「昨日、小さな花売りの女の子が困っていたから、全部買ったの」
マーサの顔から表情が消えた。
「エリザ」
「なあに?」
「人に施せるほど、お前に余裕はないだろ?」
その言い方が少し意地悪に聞こえて、エリザはむっとした。
「値段も倍になったんだから、いいじゃない。順調に売れているし」
マーサは深いため息をついた。
「エリザ。ハンカチを作るにも金がいるんだよ」
「分かってるわ」
「本当に分かってるのかい?」
マーサは指を折っていく。
「布を買う。糸を買う。アイロンを使えば薪もいる。生活するにも金はかかる」
エリザの顔から、少しずつ笑みが消えていく。
「それに、店に置けば売上の一部は店の取り分だ。売れた金が全部、お前のものになるわけじゃない」
「…………」
エリザは、ガンと頭を殴られたような気がした。
(確かに……)
まだ布はある。
だが、糸は買い足さなければならない。
薪もいる。
家賃も払わなければならない。
そして――。
(ドレスも、あと二枚しかない……)
今までは、足りなくなればドレスを売ればよかった。
だが、それにも限りがある。
エリザは、桶いっぱいの花を見た。
昨日まであれほど膨らんで見えた財布が、急に頼りなく思えてくる。
「……忘れていたわ」
商売は順調。
売上も増えた。
だからといって、使えるお金まで同じように増えたわけではない。
エリザはまた一つ、現実を突きつけられたのであった。




