10. 色々できていきます。(2)
翌朝。
マーサは家に入るなり、床を見た。
「……お前さんは身体を拭くだけで、どうして家まで洗うんだい」
「え?」
エリザも床を見る。
「身体を拭いたら、こうなったのよ」
「そうじゃないよ。タオルはこうやって絞るんだ」
マーサはタオルを水で濡らすと、両手で持ってねじった。
水がぽたぽたと落ちる。
エリザは目を丸くした。
「……それが、絞る?」
「昨日、絞れって言っただろう!」
「だって、知らなかったんだもの……」
マーサは大きなため息をついた。
「朝ご飯は食べたかい?」
「いえ……まだ」
「昨日買ったパンが残ってるだろ。それをお食べ」
エリザは、昨日買ったパンを見る。
(あの、硬いパン……)
昨日はシチューに浸して食べた。
(あれをそのまま食べるの? 毎朝? 顎が疲れるじゃない……)
「昨日のシチューは夕飯に食べるんだよ」
「えっ?」
エリザはマーサを見た。
(夕飯も、昨日と同じものを食べるの? 二日続けて?)
父に勘当されてから、数日。
連日の疲れも重なり、ますますこの生活が嫌になってきた。
目から涙が出そうになる。
「ほら。食べ終わったら洗濯だよ」
「……洗濯?」
「近くの洗濯場に行っておいで。ちょうど隣の家の奥さんが洗濯してるから、やり方を習ってくるんだ」
(私が……するの?)
エリザは固まった。
(洗濯を……。下女の仕事を……。どうして私が?)
「お前さんがしないで、誰がするんだよ」
マーサがギロリと睨んだ。
エリザは目を見開く。
(私の心が読めたの!?)
こうなったら、マーサに従うしかない。
エリザは洗濯籠と石鹸を持ち、共同井戸へ向かった。
足取りが重い。
(恥ずかしい……)
知り合いの誰かに見られたら、きっと笑われる。
(行きたくないな……)
エリザは家へ引き返そうと、そっと振り返った。
マーサが見ていた。
「…………」
引き返せない。
エリザは諦めて洗濯場へ向かった。
「あら、お隣の。エリザさんだったかね?」
声をかけてきたのは、昨日挨拶をした女性だった。
「はい。カノ様。よろしくお願いします」
「ワハハハ! カノ様かい!」
女性が大きな声で笑った。
「そんなふうに呼ばれたのは初めてだよ。カノネェさんでいいよ。みんなそう呼んでるから」
「カノ……ネェさん?」
「そうそう。それでいい」
カノネェさんは、エリザの持っている洗濯籠を覗いた。
「洗濯場の使い方は分かるかい?」
「ごめんなさい。分からないの。教えてもらえますか?」
「もちろんだよ」
カノネェさんは服を一枚取り出した。
「まずは襟や袖だね。石鹸をつけて、こうやって手で優しく洗うんだ」
ゴシゴシと手を動かす。
「うちの旦那なんて、すぐ真っ黒にしてくるし、加齢臭もあるから洗うのが大変でさ」
「へぇ……加齢臭。香水のことかしら」
思わず言葉が漏れた。
カノネェさんの手が止まる。
「あははは! 香水かい! 旦那の体臭だよ」
「体臭……」
「エリザ、あんた面白いねぇ」
「……ありがとうございます」
褒められた。
エリザは少しだけ頬を赤くした。
「ほら。次は足で踏むんだよ」
「足で?」
「そうそう」
エリザは恐る恐るスカートをまくり上げた。
(足を……こんな人前で……)
今まで他人に足を見せたことなどない。
恥ずかしくてたまらなかった。
秋口に入り、少し肌寒くなってきた季節。
カノネェさんが桶で水をかける。
「ひゃっ!」
水が冷たい。
「ほらほら。踏むんだよ」
「はい……!」
エリザは羞恥心に耐えながら、一生懸命洗濯物を踏んだ。
「そうそう。上手じゃないか」
しばらくすると、カノネェさんが洗濯物を持ち上げた。
「あとは絞れば終わりさ」
(絞る!)
それなら知っている。
今朝、マーサに教えてもらったばかりだ。
エリザは洗濯物を両手で持った。
ぎゅっ。
思いきりねじる。
水が流れ落ちた。
(できた!)
「家に戻ったら、物干しにロープを張って干すんだよ」
「分かりました。ありがとうございます」
その時、別の女性が洗濯場へやってきた。
「ちょっと聞いてよ、カノネェさん。またうちの旦那が酒場でさ……」
「あら、またかい?」
二人は楽しそうに話し始めた。
エリザはしばらく立っていたが、会話に入れそうにない。
「では、失礼します」
小さく頭を下げ、洗濯場を後にした。
家へ戻ると、マーサが椅子に座って本を読んでいた。
「おや。帰ったかい」
「はい」
マーサは本を閉じた。
「さて。物干しにロープを張ろうかね」
エリザは目を見開いた。
(マーサ、すごい……)
カノネェさんから何も聞いていないのに、次にやることが分かっている。
(どうして分かったのかしら?)
エリザの中で、マーサへの尊敬が勝手にうなぎ昇りになっていく。
「何ぼさっとしてるんだい。ロープを持っておいで」
「はい!」
ロープを張り、洗濯物を掛けていく。
「ちゃんとシワを伸ばすんだよ。干す前にこうやって、パンパンとはたくんだ」
パンパン。
エリザも真似をする。
(洗濯物を干すだけなのに、やり方があるのね)
平民の生活って、本当に大変。
最後の一枚を干し終える。
風が吹いた。
洗ったばかりの布が、ふわりと揺れる。
石鹸の匂いが鼻をくすぐった。
エリザは空を見上げる。
青い。
「……できた」
なぜだか、少しだけ達成感があった。
(ふぅ……疲れたわね)
家へ戻る。
(紅茶でも飲もうかしら)
「紅茶は一日一回だよ」
「えっ!?」
エリザは勢いよく振り返った。
マーサは何でもない顔をしている。
「薪代がもったいないだろ。それに昨日使った茶葉も乾かしておきな。色が出なくなるまで使うんだよ」
「昨日の茶葉を……また使うの?」
「そんな贅沢な暮らしをしてたら、あっという間に金が底をついちまうよ」
エリザは絶句した。
(じゃあ……何を飲めばいいのよ……)
「井戸の水を飲めばいい。この辺は山が近いから、水が綺麗なんだ」
「…………」
エリザはマーサを見つめた。
聞いてもいないのに、また答えた。
(すごい……!)
エリザの目が輝く。
(マーサって……占い師?)




