第九章 体育祭
体育祭は、貴族学園における最大級のイベントだ。
クラス対抗形式で行われ、騎馬戦、障害物競走、魔法リレー、集団戦といった種目が続き、そのすべてがランキングに反映される。
一年の中でも、特に注目度の高い行事だった。
朝礼台の前でクラスメイトたちが集まる中、私は控えめに列の端に立っていた。
種目ごとのメンバー決めが進んでいく中、誰も私と同じチームになりたがらないのは、もう分かりきったことだった。
「じゃあ、リリアーナは控えでいいか」
クラス委員がそう言い、私の名前は補欠選手の欄に記入された。
反論する気力もなく、私は静かにその決定を受け入れた。
これまでの経験から、抗議したところで結果が変わらないことは、嫌というほど理解していた。
競技が始まると、会場は熱気に包まれた。
騎馬戦、障害物競走と種目が進んでいく中、私はただ控え席から観戦を続けていた。
セレフィナの姿は、あちこちの種目で目立っていた。
彼女自身の運動能力はそれほど高くないものの、周囲の生徒たちが積極的に彼女をサポートし、盛り上げていく様子が印象的だった。
異変が起きたのは、午後の魔法リレーの直前だった。
「主力選手が足を捻ったらしい」
「代わりを立てないと」
慌ただしい声が飛び交う中、クラス委員が控え席を見渡した。
その視線が、私の元で止まる。
「リリアーナ、出られるか」
急な指名だった。
けれど、迷う理由はなかった。
私は静かに頷き、リレーのバトン代わりとなる魔力伝達具を受け取った。
「よろしくお願いします」
短くそう告げ、スタートラインに立つ。
周囲の視線には、期待というよりも、不安の色の方が濃く滲んでいた。
それも当然だろう。
急遽出場することになった控え選手に、大きな期待をかける方が難しい。
けれど、いざ競技が始まると、その空気は一変した。
前の走者から魔力伝達具を受け取った瞬間、私は一気に加速した。
風の魔法を足元に纏わせ、地面を蹴る力を最大限に引き出していく。
コースには魔法を使った障害物がいくつも配置されていたが、どれも冷静に見極めながら突破していった。
前を走る選手たちを、一人、また一人と追い抜いていく。
最終的に、大差をつけての逆転優勝という結果になった。
「すごい……!」
「あんな走り、初めて見た」
観客席から、大きな歓声が上がる。
これまで感じたことのないほどの熱狂が、会場全体を包み込んでいた。
クラスメイトたちも、興奮した様子で駆け寄ってくる。
「ありがとう、リリアーナ!」
誰かがそう叫びかけた、その瞬間だった。
セレフィナが涙を浮かべながら、私の隣に歩み寄ってきた。
「リリアーナ様が頑張ってくれて嬉しいです」
その一言が発せられた途端、周囲の空気がふわりと変わるのが分かった。
歓声の矛先が、少しずつ移り変わっていく。
「セレフィナ様、優しい」
「あんな風に讃えられるなんて、さすがだ」
つい先ほどまで私に向けられていたはずの称賛が、いつの間にかセレフィナの人柄を讃える言葉へとすり替わっていた。
実際に走ったのは私だ。
けれど、その事実そのものが、静かに塗り替えられていく。
これまで何度も味わってきた感覚だった。
それでも、今回のこの瞬間だけは、さすがに胸の奥がざわついた。
努力の結果そのものが、あまりにも簡単に、別の物語へとすり替えられてしまう。
競技が終わり、閉会式の準備が進む中、私は一人、控え席の隅に腰を下ろしていた。
そこへ、クラウスが歩み寄ってくる。
彼はしばらく無言のまま、私の隣に立っていた。
やがて、静かに口を開く。
「どうして毎回こうなる……」
その声には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。
これまで幾度となく目撃してきた同じ構図に、彼自身も限界を感じ始めているようだった。
「お前が走った。お前が勝たせた。それは誰の目にも明らかだった」
クラウスはそう言いながら、拳を強く握りしめる。
「それなのに、また彼女の手柄になる」
私は何も言わず、ただ静かに頷いた。
言葉にするまでもなく、彼の言う通りだった。
しばらくの沈黙の後、クラウスは深く息を吐き、私の方へと向き直った。
「今まで、疑って悪かった」
思いがけない言葉だった。
これまで何度も「証拠が出たなら仕方ない」と口にしていた彼が、初めてはっきりと謝罪の言葉を口にした瞬間だった。
「実力を見れば分かる。お前が不正をするような人間じゃないってことは」
クラウスの瞳には、これまでにない強い意志が宿っていた。
「これからは、俺もお前の味方だ」
その言葉に、私は静かに息を呑んだ。
これまで疑いの目を向けられ続けてきた相手からの、明確な味方宣言。
それは、想像していた以上に胸に響くものだった。
「ありがとう」
短くそう答えると、クラウスは小さく頷き、少し照れくさそうに視線を逸らした。
閉会式が始まる頃には、夕日が競技場を橙色に染め始めていた。
セレフィナは相変わらず、周囲の生徒たちに囲まれ、笑顔で称賛を受けている。
その光景を遠くに眺めながら、私はクラウスと並んで立っていた。
一人、また一人と、真実に気づき始める人が増えていく。
その事実だけが、今の私にとって何よりの支えだった。
まだ何も解決してはいない。
けれど、確かに潮目が変わり始めている。
そんな手応えを胸に、私は静かに競技場を後にした。




