第二章 最下位令嬢
婚約破棄の翌日。
私は自室の鏡の前で、いつも通り制服を整えていた。
着崩さないことだけは、どんな時でも変わらない。
むしろこんな時こそ、姿勢を正すべきだと思っていた。
教室の扉を開けた瞬間、空気が変わったのが分かった。
昨日までとは明らかに違う視線が、一斉に私へ向けられる。
誰も声をかけてこない。
けれど、聞こえてくる声は嫌でも耳に届いた。
「不正令嬢……」
「今までズルしてたんだ」
自分の席に着くと、周囲の生徒たちがさりげなく距離を取る。
昨日まで挨拶を交わしていた同級生さえ、目を合わせようとしなかった。
昼食の時間になっても、誰も私の隣には座らない。
食堂の隅で一人、静かに食事をとる。
慣れているつもりだった孤独が、今日はいつもより重く感じられた。
「隣、失礼します」
そう言って近づいてきたのは、意外にもセレフィナだった。
彼女は微笑みながら私の向かいに腰を下ろす。
「私は味方です」
その言葉には、確かに優しさが滲んでいた。
けれど、私の中の何かが、素直に受け取ることを拒んでいる。
周囲を見渡せば、彼女のその姿を見た生徒たちが「さすがセレフィナ様」と囁いていた。
「あんな目に遭った人にまで優しくできるなんて」と。
私だけが、この場の空気に薄ら寒さを感じていた。
言葉ではうまく説明できない。
ただ、彼女の優しさが差し出される時、必ず誰かが見ているという事実が引っかかっていた。
放課後、廊下でクラウス・ローゼンに呼び止められた。
騎士団長の息子であり、ランキング二位の彼は、腕を組んで私を見据える。
「証拠が出たなら仕方ない」
そう言う彼の声には、まだ疑いの色が濃く残っていた。
反論しようにも、私自身、何が「証拠」とされたのかさえ知らされていない。
説明を求めても、教師たちは「調査結果です」の一点張りだった。
そんな中、図書館で本を返却していると、ノア・クロイツに声をかけられた。
眼鏡の奥の灰色の瞳が、静かに私を見つめている。
彼は学園一の秀才と呼ばれ、魔道具製作では常に一位を誇る人物だ。
「君らしくない」
たったそれだけを言い、彼はまた本棚の方へ戻っていった。
信じてくれているのか、疑っているのか。
その短い言葉からは、真意を読み取ることができなかった。
けれど、あの目には少なくとも、他の生徒たちのような侮蔑の色はなかったように思う。
その日の三限目は、魔法理論の授業だった。
テスト形式の実力試験が行われ、私は迷うことなく全ての問題に答えていった。
魔法陣の構築原理、属性理論の応用、どれも自信を持って解答できる内容だ。
答案を回収したマグナス・ロイド先生――私の担任でもある四十代の魔法史教師は、採点を終えると小さく頷いた。
「よくできました」
その言葉通り、私の答案は満点だった。
自分の中で、確かな手応えを感じていた。
これなら、少しは順位も戻るはずだ。
そう思いながら、放課後の掲示板へと向かった。
けれど、そこに表示された数字を見て、私は言葉を失った。
四十一位から――
三十九位。
たった二つしか、順位は上がっていない。
満点を取ったにもかかわらず、この結果はあまりにも不自然だった。
「どうして……」
思わず呟いた声は、誰にも届かなかった。
周囲を見渡しても、この結果を疑問に思っている生徒は誰もいないようだった。
むしろ「不正の疑いがあった生徒だから、慎重に評価されているのだろう」という空気さえ漂っている。
納得できないまま、私は掲示板の詳細を確認することにした。
七項目それぞれの点数が、小さく表示されている。
一位はやはりセレフィナだった。
合計七百六点。
満点を超えることのないはずの数値に、一瞬目を疑う。
いや、七項目それぞれ百点満点、合計七百点――七百六点というのは、何らかの加点措置があったということだろう。
私の合計は五百九十八点。
学力、魔法技術、剣術・護身術、指揮能力、実績――どの項目を見ても、決して低い数字ではない。
むしろ、これまでと変わらない高水準を保っている。
問題は、残りの二項目だった。
品格
十二点
協調性
八点
目を疑うほど低い数値が、そこに並んでいる。
昨日までは、この二項目でも常に上位を維持していたはずだ。
それが、たった一日でここまで転落するとは、どうしても考えられなかった。
数値化しにくいこの二つの項目は、教師と生徒会による評価が大きく反映される。
つまり――誰かの「印象」次第で、いくらでも操作できてしまう部分だということだ。
掲示板の前に立ち尽くしながら、私は自分の中で何かが確信に変わっていくのを感じていた。
これは、単なる評価の揺らぎではない。
明確な意図を持って、私は貶められている。
けれど、それを証明する術は、今の私には何もなかった。
夕暮れの光が掲示板を橙色に染める中、私はただじっと、自分の名前と数字を見つめ続けていた。




