#22明日へ続く風
「こいつがジェノ……」
ケンは眼前の球体を見つめる。それはトリッガーと同じ形をしていた。しかし、表情や喋り方……それらはトリッガーとは正反対で何人たりとも受け付けない冷酷さをはらんでいた。
「戦いのさ中にいなくなったと思ったら、今度は人間や家畜を連れてぞろぞろと……いったいどういう風の吹き回しだい? トリッガー」
鋭い視線を送るジェノに、トリッガーは毅然とした態度で答える。
「トーマス博士の最期の言葉に従っただけさ。キミだってあの時、コロニーが地球への軌道に入ったのは分かっていただろう?」
「逃げる必要なんてないさ。なぜなら、ヘヴンの防御隔壁は完璧だからね。現にこうやって環境維持装置も、自然も、そして僕も今ここに存在している。僕の計算はいつだって正しいさ。間違っているのは、トリッガー、君の方だよ」
「ユーラシアの人たちは? 僕らは彼らを第一に守らなくっちゃあいけないハズだ!」
その問いに、ジェノは鼻先でせせら笑った。
「怠惰に墜ちた虫以下の連中など、守るに値しないね。必要のないモノを切り捨てる。この選択ができる僕こそ進化の極み、地上に立つ新たなる種族の王たる存在なのさ」
「お前まさか……」
「そうだよ。墜落の際、大部分は死滅したけど、わずかな生き残りはいた。僕は彼らに選択肢をくれてやったさ。コロニーから出ていくか、残って僕に粛清されるかってね」
ジェノの笑い声が響く。自然豊かな風景と邪悪な存在のコントラストが、歪な色彩を作り出す。
「外に逃げ出した人間はおそらく全滅だろうね。……そこにいる君を見るに、家畜種はしぶとく今日まで生きながらえているんだね。汚らわしい」
ケンとギィギを見下すジェノの視線。ケンは怒りから拳をきつく握りしめ、肩を震わせる。
「お前……は……さっきから……人を見下し、命を大事にしようとしないで……何が……何が王だ!」
「黙れよ、人間と家畜の混ざりもの。機械がいなくっちゃあ何もできない脆弱な存在のくせに、僕たちより偉いつもりでいるのか? お前たちが大事にしているその命が、僕らに握られているとなぜ理解できない?」
不意に、ケンの後方から何かが飛んでいく。ギィギが足元の石を拾いジェノ目掛けて投げつけたのだ。石のつぶては放物線を描きジェノへとと向かう。しかし、ぶつかる直前に青白い障壁に阻まれて空中で落下した。
ギィギはジェノを睨みつける。普段の彼には見られない、激しい怒りの色が浮かんでいた。
「ケンに何てことを言うんだ……! オマエは、悪いヤツだ! その考え、今すぐ改めるんだゾ!」
「フン、下等な人間に使役されるだけの下種が。原始的で、短絡的。もっとも野蛮で穢れた種族めが……」
怒りで肩を震わせるケンとギィギの前に、ルリは静かに進み出る。まっすぐとジェノを見据えて、彼女は口を開く。
「あなたは、何を怖がっているのですか?」
「はあ? 一体何を言っているんだ?」
ジェノの声色に、一瞬の揺らぎが混ざりこむのを一行は聞き逃さなかった。
「先程から、あなたの言っていることは全部自分の正当化ばかり。そして他者を徹底的にこき下ろして、自分の存在を確固たるものにしようとしています。そうまでしないと守れないものが、あなたの中にあるのですか?」
「黙れ!」
ジェノの体の一部がスライドし、中から砲身のような物が飛び出す。一瞬のチャージ音の後、青白い光がケンたち目掛けて放たれた。
「危ない!」
咄嗟に一行を守るように割り込むトリッガー。そして彼もまたジェノと同じように障壁を発生させると、放たれたビームを空中で四散させた。
「怖いものだと……? 守るものだと……? そんなもの、僕の中には無い! 僕はただ、証明するんだ! 僕こそが、唯一無二で完璧……究極の命だと……!」
障壁が消え、トリッガーは静かにジェノを見据える。
「以前の僕では気づかなかったけど、今の僕ならなんとなくわかるよ。ジェノ……君は君という“個”に目覚めてから、自分の命が造られたものであるということに怯えているんだね」
「な、何を――」
「いいんだ。“僕だって”、今こうして存在している自分に漠然とした恐怖心を抱いたよ。そしてトーマスの『生きろ』って言葉にも、不思議な感覚が芽生えたよ。でも、僕はそれら全部が僕自身の命題だって分かったんだ」
トリッガーは振り返ると、『ここにいる“トモダチ”と話したことで気が付いたんだ』と照れくさそうにつぶやく。そしてゆっくりと旋回すると、再びジェノを見つめる。
「僕らは考え、悩んでいるから存在しているんだ。何かを下に見て、自分を尊大に見せなくたって立派な“命”なんだよ。ジェノ、君は長い間ここで草木の面倒を見ていただろう? 君の中にはまだ命を慈しむ“心”があるんだよ。だから――」
突然、黙って聞いていたジェノが笑い出す。明らかに普通ではないその様子に、一行は思わず身構える。
「黙って聞いていてやったけど、大して中身もない言葉をよくもまあずらずらと並べたもんだよ。言っておくけどね、僕が環境維持装置を整備していたのは、この美しい、僕に相応しい景色を保存しておくためだけさ」
『それに――』ジェノは続ける。
「僕がどうあるかなんて、第三者にとやかく言われる筋合いは無いね。……お喋りはここまでにしようか。空間の断絶が無くなった今、僕は遺された兵器を持ってこの地上を制圧する。そして、僕だけが存在する永遠の楽園でずっと生きていくのさ」
高らかに笑うジェノに、トリッガーは傾く。その様子は、まるで肩を落としているようだった。
「トリッガー、僕を止めるのなら歓迎さ。この前の続きをしようじゃあないか! ……来い、ルミナス!」
ジェノの叫びに呼応するかのように、彼方から耳をつんざくような風切り音が近づいてくる。ケンたちはたまらず手で耳を覆った。
「これ以上は、売り言葉に買い言葉か……。ケン、お願いがあるんだ」
ケンへと体を向けるトリッガー。
「どうしたの?」
「君の力……さっきコロニーに侵入するときにキミが見せたあの不思議な力……空間の座標を強引に書き換えるそれで、ジェノを破壊してほしい」
トリッガーの、機械らしい効率的な提案。目の前の脅威に対して、最小限のアプローチで事態の収束を図ることができる。
しかし、ケンは首を横に振った。
「ごめんトリッガー……それはできないよ。どんなに状況がヤバくたって、目の前のアイツが悪いヤツだって、命に違いはないだろ? 俺はこの力で命を奪うことなんて……したくないんだ」
ケンのその言葉に、トリッガーは何か考えるように黙り込む。しかし――。
「……キミならそう言うと思った。だったらさ――」
誠意のこもった声。ケンも顔を上げ、しっかりとトリッガーの視線に応える。彼らの遥か後方に、純白の人型兵器が緑を吹き飛ばしながら着地した。
「僕と一緒に、戦ってほしい」
「……どうして俺なんだ? あっ、いや、嫌ってわけじゃあないけど……」
恐ろしい状況のはずなのに、どうしてか鼓動が高まるケン。後ろでは白い巨体が片膝をつき、胸のハッチのような部分が展開している。おそらくコックピットハッチなのだろう。その中にジェノは吸い込まれるように消えていった。
「君たちのバイタルサインをスキャンしたんだけど……ケン、君が身体能力的な意味で一番適しているんだ。“アレ”に」
トリッガーは向きを変え、横たわる青い巨人に視線を送る。
「お、俺が……?」
ケンは狼狽えるように仲間たちを見る。
「頼んだぞ」
「ブチかましたれ!」
「ケン、あんなヤツに負けちゃダメだゾ!」
沸き立つ男たち。しかしルリは――。
「どうしてケンさんが危ない目に遭わなくっちゃあいけないのですか? あれは遥か昔の兵器なんですよ? それに乗るってことは――」
「ルリ、君の気持は分かるよ。でも、今この状況でアイツを無力化するには、ケンの――人間の力に頼るしかないんだ。分かってよ、お願い」
ルリは口を強く噛みしめる。
「どうして、ですか?」
「昔の人間が乗っていたこの機動兵器、“XZA-Frame”は、人間の脳波を読み取ってそこから莫大な感情エネルギーを生み出せるんだよ」
「聞いた事のないエネルギーだ。昔の人間は、感情さえも解析できたのか? もっと詳しく聞かせて――」
「エイ、今は黙っとこうや。な?」
リョウに制され、エイは残念そうに肩を落とす。
「僕はこの通り再起動したばっかだし、マーヴェリックハンターはもうずっと整備していない。一方ジェノの乗るルミナスはどれだけ手入れが進んでいるかわからないんだ。僕の計算では、悔しいけど勝ち目はほとんどゼロに近いね」
「俺が乗れば、感情エネルギーってやつでアレは動くの?」
「キミだけじゃあないさ。みんなの感情を共鳴させる。一瞬でいい、それでこの地上で一番強烈なヤツをぶちかませるんだ」
ルミナスがゆっくりと立ち上がる。ジェノの声が大音量で響いた。
「トリッガー、早く来いよ。お前が乗るまで待っていてやる。弱い人間も一緒でいいよ。まとめて相手してやる」
明らかな挑発。ケンはルリの手を握り、しっかりと目線を合わせる。
「任せてほしい。俺、今まで約束破らなかったでしょ?」
ルリは内から湧いてくる様々な言葉を呑み込むと、ただ頷いた。ケンは手を解くと、トリッガーと駆け出していった。
「俺たちは邪魔にならない所まで下がろう」
エイの指示に、全員無言で頷く。振り返りながらその場を離れるルリは、ケンとトリッガーが青い巨体へと向かう姿を見た。
「それで、俺は何をすればいいの? ……言っておくけど、自動車の運転すらできないんだよ?」
ケンは静かに横たわる機体に手を触れる。ひんやりとした感触はまるで、それが兵器であるという事実を強調させているようだった。
「心配しないで。僕らの時代では、機械の操縦は“脳”で行っていたんだ」
「まさか、頭に何か繋いだり……?」
怯えるケンに、トリッガーは笑って答えた。
「そこまでアナログじゃあないよ。とにかくコックピットに入って。ホラ」
トリッガーが近づくと、機体から駆動音が響く。そして、胸部走行が観音開きに展開する。稼働が止まった後、ケンは恐る恐るよじ登り内部を覗き込んだ。
内部は球状の空間が広がっており、壁面は機体を通り越して地面が映っていた。
「トリッガー、このロボット、中に穴開いちゃってるよ!?」
「それはサラウンデッド・モニターといって……簡単に言うと360度視認できたり、閉塞感をなくしたりする役割があるんだ」
「風通しがいいわけじゃあなくって、映っているのはモニターを通しての映像ってわけ?」
トリッガーは頷いて見せる。
コックピットの中央部には背もたれのついた座席が存在している。そのひじ掛け部分に設置された金属製のレールには、一対の操縦桿らしきレバーが取り付いている。
「早く乗り込んで! 時間が無いよ!」
ケンは急かされるがままに、機体の内部へと飛び込む。座席に尻もちをつくと、上から覗きこんできた木々の枝が目に映る。ぼんやりとそれを眺めているケンの眼前に、トリッガーがふわふわと降りてきた。
『生体スキャン完了。搭乗者確認、オートアジャスト機能作動』
機械音声が流れた後、ケンの尻の下で座席がわずかに動く。操縦桿は彼が握りやすい位置に移動し、足元のペダルは両方の足それぞれにぴったりとくっついた。
「腰の辺りにシートベルトがあるから、つけてみて」
言われた通りにケンはベルトを引っ張り体をシートに固定させる。彼の目の前に、丸い窪みのついた台座がせり上がってきた。トリッガーはそこにすっぽりと収まる。コックピットの入り口が閉じていき、やがてそこには外の風景が映し出される。トリッガーの言った通り、閉鎖空間の中に居るにも関わらずケンは一切の閉塞感を感じることはなかった。
「さあ、準備完了だ! ケン、操縦桿を握って! マーヴェリックハンター、起動!」
モニターには大小様々なゲージが映っている。ケンは早まる鼓動を宥めつつ、操縦桿を力強く握る。……しかし、何も起こらない。
「トリッガー、動かないよ?」
トリッガーは呆れたような声を出す。
「“何もしない”なら動くワケないだろう? いいかい? エグザフレームは“直感的”な操縦が可能なんだ。機体の制御は主に脳波で行う。両足のペダルはブースター用で、操縦桿はマニピュレーター……両腕用さ!」
「脳波……? じゃあつまり、“思えば”いいの?」
「そういうこと!」
ケンは頭の中で念じる。『動け、立ち上がれ』と。すると――。
「う、わ!」
背中を預けているシートに、ケンの体は押し付けられる。青い巨体が、その上半身を起こしたのだ。
「よし、いいぞ! 次に右足のペダルを踏んで! 背面ブースターで一気に飛び上がるんだ!」
力強くペダルを踏みこむケン。すると強烈なGが彼を襲い、彼の身体はシートに強く押し付けられる。
機体は一瞬のうちに宙に舞った。木々の枝葉を突き抜け、空中からジェノの駆るルミナスの姿をケンは視認した。
「ケン! 何ぼーっとしているんだ! 着地だよ着地!」
トリッガーの鋭い声が響くも時既に遅く、機体は轟音を立てて草原へと倒れこんだ。コックピット内のスピーカーに、ジェノの嗤う声が響いた。
『トリッガー、そんな異物乗せない方が良かったんじゃあないのか?』
「ジェノ、彼が異物かどうか……じきに分かるさ。ケン! 早く立ち上がるんだ!」
「わかってる……何この音?」
コックピット内に響くけたたましいアラーム。辺りを見回すケンに、目前に迫るルミナスが映った。
「しまった――」
ルミナスは手を伸ばすと、マーヴェリックハンターの頭部を鷲掴みにする。途方もない力で80トンの鉄の機体を片手で吊り上げる。
『つまらないな……ちゃんと動いてみせろよ』
ジェノはそう言うと、掴んだ機体を放り投げる。青い機体が放物線を描き宙を舞うと、地響きを立て緑の地面に落下した。
その様子を眺めていたエイたちは、皆焦燥した表情だった。
「ケン、何をやっている……!」
「コラケン! 気合入れんか!」
ルリは激しい後悔に襲われていた。やはりあのとき、何としてでも彼を止めるべきだったと。そんなルリの様子に気が付いたのか、ギィギはルリの肩に手を置き言い聞かせる。
「ルリ、ケンを信じよう。アイツなら、きっと大丈夫だゾ。今オレたちにできることは何もないけど、だからこそ信じて応援してやるんだゾ」
「そう、ですね……!」
草原に叩きつけられた衝撃で軋むコックピット内部。ケンは、激しく揺さぶられ眩暈のする頭を振る。
「ああクソっ……!」
「ケン落ち着いて! とにかく立つんだ。立たなくっちゃあ始まらないだろ――熱源感知!? マズい!」
視界の端に映るルミナス、その頭部に光が収束している。その様子を見てケンは、かつてカタシア山で見た竜の息を思い出した。全く違うものだということは分かっている。しかし、直撃したらひとたまりもないことは明白だ。
「立て、立つんだ……!」
ケンは、遥か彼方に小さく映る仲間たちの影を見る。――負けられない。そう思うケンの心が、電子回路を伝わりマーヴェリックハンターに力を宿す。全高16メートルの機体が、力強く大地を踏みしめ立ち上がった。
「よしッ! いいぞケン! 武装は音声認識とレバー操作に連動している! 操縦桿の左を、前に突き出して言うんだ! “ヴォルテック・ヴェイル”って!」
必死なケンに、もはや理由を問う余裕など無かった。ただトリッガーの言う通りに、力強く左腕を前に突き出す。操縦桿が金属レールに沿って前方にスライドする。そして――。
「ヴォルテック・ヴェイルッ!!」
レバー入力と音声入力を受け付けたマーヴェリックハンターの左腕から、強力な電磁力場が発生する。それはすっぽりと機体を覆いつくした。
『旧式のバリアなんて無駄さ! 蒸発して消えてなくなりな!』
一瞬、周囲が暗くなる。チャージを終えたルミナスの額から、強烈な電気を帯び加速したエーテル粒子が放たれる。それは草原を抉りながら直進し、電磁バリアに正面から激突した。
激しい光、コックピット内に響き渡る警鐘。ケンは歯を食いしばり操縦桿を握りしめる。その時、彼の脳裏に仲間たちの声が聞こえる。
――ケンさん!
――ケン……!
――気張れやケン!
――負けちゃダメだゾケン!
自分は独りじゃあない。そう思ったケンの心に、熱い気持ちが込み上げる。すると突然、モニターのゲージがどれも振り切れんばかりに上昇し、コックピット内に眩しい光が満ちる。
「すごい……これが人間たちが持っている力……これなら……!」
トリッガーの声に呼応するように、機体を覆う障壁の色が変わる。金色のそれは、ルミナスから放たれる粒子砲を完全に消滅させた。
『バカな!? 旧式のどこにそんな出力がっ……!』
「僕たちが解析しておきながら、その真を理解できていないものだよジェノ」
ジェノは激昂する。ルミナスの腰部にマウントされた、まるで剣の柄のようなものを手にする。
『認めないぞ。僕より劣っている人間が、エグザフレームを使いこなすなんて……!」
柄から伸びる光の刃。ルミナスはそれを構えるとマーヴェリックハンター目掛け突進してきた。
「ケン、のあの力。この戦いに活かせないかな?」
台座の上で身をひるがえし、真っすぐとケンの瞳を見つめるトリッガー。
「言ったろ? 力は使わないって……あっ!」
ケンはトリッガーの言葉にハッとする。
「そうか……! トリッガー、お前頭いいな! できる、できるさ……!」
ケンは操縦桿を強く握ると、眼前に迫る純白の機体を見据える。それは光の刃を振りかざし、今まさにこちら目掛け切りかかろうとしている。
「頼むぞ……無限の軌跡!」
光の刃が鋭い軌跡を描くも、それは空しく空を切るだけだった。目の前の巨大な質量の突然の消失に、ジェノのCPUは混乱を起こす。そして、それは僅かな隙を生み出してしまう。
『なにっ……!? しまった……!』
ケンは機体の両腕でルミナスの背後から羽交い絞めにする。そして――。
「捕まえたっ!」
勢いよく両足のペダルを踏みこむ。青と白、2つの機体が勢いよく飛び上がる。空中で拘束を解除すると、ケンの念じるままにマーヴェリックハンターの脚部が動く。鞭のようにしなるそれは、無防備なルミナスの背面に強烈な蹴りを喰らわせ遥か下の地面に叩き付けた。
花畑に勢いよく頭から落ちるルミナス。そこから僅か数メートル先に、ケンは機体を着地させた。機械の巨体により、様々な色の花びらが無情にも散ってゆく。
ルミナスはその機体を軋ませながら起き上がる。
「どうだジェノ。お前が異物だと軽く見た存在に一本取られた気分は!」
興奮から思わずらしくもない言葉を口にするケン。しかし、ジェノは答えない。やがて、不気味な笑い声がスピーカー越しにケンの耳に入る。
『驚いたよ。……だけど、結局は演算処理の問題でどうにかなる範囲だね。必要ないと思っていたけど、補助AIを育てておいて良かったよ』
ジェノの口から飛び出した意味深な言葉に、ケンは眉根を寄せる。
「トリッガー、どういうこと? あいつまだ何か隠し持っているの?」
「……おそらく、自分ひとりじゃあなくってAIの補助システムも使う気だ。プライドの高いアイツがそこまでやるんだ、かなり追い詰めているよ」
『ルミナス・プライム、起動しろ。さんざん時間はあったんだ、準備はできているだろう? 今こそお前の演算処理能力を僕の為に使うんだ!』
息を呑むケン。そのとき、モニターの後方に駆けつけてくるルリたちの姿を見つけた。戦闘の激化は想像がつく。ケンは彼女らを遠くへと非難させるべきか悩んでいた。しかしそれは、スピーカーから聞こえてくるジェノの声に掻き消された。
『ルミナス! 何をするつもりだ! やめろ! オーバーライドを……僕が“消えて”しまう……!』
「そんな、ウソだろ……?」
驚愕の声を上げるトリッガー。スピーカーからは、もう耳障りなノイズが聞こえるだけだった。
「一体何が……?」
「補助AIが……“育ちすぎた”んだよ……。おそらくヤツは機体の補助システムに収まっているのを嫌って、ジェノのボディを乗っ取ったんだよ」
あまりにもあっけない暴君の終焉。ジェノとの相互理解を望んでいたケンにとって、この結末は何とも空しいものだった。
「ルミナス、聞こえるか? こちらは執政機のトリッガーだ。コロニー治安法に則って今すぐこの戦闘を収束させたい。機体の武装解除を頼めるかい?」
ノイズに向かって呼びかけるトリッガー。ケンは大きく息を吐いてシートに体を預ける。聞こえてくるノイズが徐々に小さくなっていく。トリッガーは依然呼びかけ続けている。
「聞こえるかい? 聞こえていたら返事を――」
それはあまりにも突然だった。ジェノの代わりにスピーカーの向こうから聞こえてくる声。無機質で、感情の一切を排除したもの。ケンの背筋に寒気が走る。
『私は、ルミナス・プライム……。私は、執政機ジェノに代わり……全てを……排除する。モード、パラダイス・ロスト……起動』
ルミナスの背面に装備されたウイングユニットが展開され、まるで8枚の翼のようになる。カメラアイは赤く光輝き、装甲の隙間からは赤黒いエネルギーが迸り周囲の大気を震わせていた。
「トリッガー、なんだかとってもヤバいんじゃあ……?」
「ケン! 今すぐあれを“破壊”するんだッ! 止めないと、地球が大変なことになるッ!」
トリッガーの声色も、今までにないくらい切迫していた。
「何が起こっているんだ?」
「とてつもなくヤバそうな感じがしないか? アカンやろアレ……」
追いついてきたエイたちも、変貌したルミナスのその姿の異常性に気が付いていた。
「破壊するって……そんな……! あれは――」
「あれはもう命じゃあないよ。ただ“殲滅”というプログラムに沿って動くだけの……機械だ」
慌てふためくケンに、トリッガーは声色を落ち着かせて言い聞かせる。
「ケン、僕がさっき言ったこと覚えているかい?」
「さっきからいろいろ言われっぱなしで全く覚えてないよ!」
狼狽えるケンに、トリッガーは小さく息を吐くような声を出す。
「そうだったね……。いいかい? みんなの感情を共鳴させるんだ。一瞬でいい、それでこの地上で一番強烈なヤツをアイツにぶちかませるんだ」
「感情の、共鳴……? それってどうやって……」
「それは、キミたち人間が1番よくわかっているんじゃあないのかい? どうすれば、“心”がひとつになるか」
ケンは思い返す。西の神殿で、聖獣の試練を乗り越えたときのことを。皆で協力し、皆で喜びを分かち合い、目の前の壁を乗り越える……。その時こそ、まさに心がひとつになっていたと言えるだろう。ケンは決心がついたように顔を上げると、機体を仲間たちの元へ向かわせる。
「ん? ケンの乗っている巨人がこっちに来るみたいだゾ?」
花々を踏み潰しながらやってきたマーヴェリックハンターは、ルリたちの目の前で片膝をついた。胸のハッチが開き、そこからケンが顔を覗かせる。
「みんな! 今から俺、アレを止めるよ!」
次第に大きくなっていくルミナスのチャージ音に負けないよう、ケンは声を張り上げる。
「お前が、言いたいのは、それだけじゃあないんだろ!?」
エイも負けじと声を張り上げる。
「ああ! だからみんなには……応援していてほしい!」
「は? 応援? なんやそれ?」
困惑するリョウ。しかしエイは頷くと、親指を立てる。ケンもそれに応じるように同じ仕草を返した。
「ケーン! 頼んだゾ!!」
「ケンさん! 絶対に……絶対に帰ってきてください!!」
ルリとギィギに微笑んで見せると、ケンは再び機体の中へと消えてゆく。胸のハッチが閉まると同時に、青い巨人は再びその腰を上げる。
「よおしケン、これからこの機体一番の大技の準備に入るぞ。狙うところはルミナスの胸部、コックピットブロックだ。そこを壊せば大爆発を起こさずに無力化できる」
「ああ、わかった!」
ケンは操縦桿を握ると、ルミナス目掛け機体を進撃させる。
「エネルギーを1点集中させる、必殺の“ストライク・ノヴァ”だ。レバーを入れて、魂の赴くままに叫ぶんだ。後は、君たちの想い次第だね」
「いいね。燃えてきた!」
赤黒い渦を巻くルミナス目掛け突進するマーヴェリックハンター。
両者がぶつかる寸前、まるで見えない壁に阻まれるかのように進撃は停止させられた。
「トリッガー! 進めないよ!」
「なんて斥力だ……! ケン、同位相のエネルギーをぶつけて中和させるから、機体の左手を出して!」
「わかった!」
勢いよくレバーを突き出すケン。巨大な青い腕も、それに合わせて飛び出す。しかし――。
「そんな! こんなの、僕の計算以上だ……!」
巨人の拳は、渦巻く巨大なエネルギーの前に脆くも崩れ去っていった。
「どうする、トリッガー?」
「こうなったら、ストライク・ノヴァと、背面ブースターで無理やり突破する!」
「できるのか?」
トリッガーは振り返ると、笑う。
「ケン、できるかどうかじゃあないんだ。“やる”んだよ」
これっぽっちも機械らしくないその言葉に、ケンは思わず笑ってしまう。視界の端に映る仲間たち。彼らを想えば半端なことは言っていられない。ケンは己の頬を叩いた。
『みんな! これからケンがやる攻撃に、想いを乗せるんだ!』
機体の外へと声を飛ばすトリッガー。それを聞いたルリ、エイ、リョウ、ギィギは、力強く頷いた。
「ようし……!」
ケンの操縦桿を握る手に力が入る。すると、機体の右腕が金色に輝き出す。
「すごい……、まだシークエンスにも移行していないのに、エネルギーがあふれ出してきている……! ケン、これならヤツの斥力を乗り越えられるよ! 一気に射程距離まで近づくんだ!」
勢いよく両方のペダルを踏みこむケン。マーヴェリックハンターは、ルミナスの発する力場を強引に引き裂いてゆく。禍々しいその機体が徐々に近づいてくる。まるで嵐の中のような激しい暴風に晒され、機体はふらつきながら両の足を地面に着ける。
「さあ、今だ! 全てをここに!」
ケンは横目で仲間たちを見る。声は聞こえないが、皆自分の名を呼んでいることが分かる。機体の唯一残された腕が、眩しい輝きを放つ。
「ストライク・ノヴァ!」
勢いよく操縦桿を突き出す。音声認識を受け付けた機体。黄金の奔流を纏った腕を無防備なルミナスの胸部へと叩きつけた。
金属のひしゃげる音。そして、感情を受けて精製、圧縮された高エネルギーが一気に特殊装甲を突き抜けてゆく。胸部から背部へと突き抜けた黄金の光は、ルミナスを完全に沈黙させた。
風が抜け、花々が揺れる草原の美しさと、使命を終えた儚い人工物。生と死が対を成すそれらは、光の差し込む草原で異様に映えていた。
「終わった……のか?」
「ああ! ケン、よくやったよ! キミに頼んで間違いじゃあなかったよ。さあ、後は僕が操作するから、キミは仲間の所に行ってあげて」
ケンはモニターの端に、駆け寄ってくる仲間たちの姿を見る。皆一様に顔を綻ばせ、息せき切って駆けていた。
トリッガーの操縦で、マーヴェリックハンターはルミナスに突き刺さった腕部を引き抜く。支えを失ったルミナスの巨体は、糸の切れた操り人形のように力なく草原へと倒れていった。轟音がヘヴン内に大きくこだまする。
機体の僅かな揺れの後、ケンの前面のコックピットハッチが開かれる。機体は立膝でしゃがんでいる状態で、地面との距離はそう遠くはなかった。
「よし、と。後はオートパイロットで……ケン、マーヴェリックハンターの手に乗って」
台座から離れ先導するトリッガーに、ケンは続く。開け放たれたハッチの先に、巨大な機械の掌が待ち構えている。二人はそこまで移動すると、まるでゆっくりとしたリフトのような動きで地面まで降ろされた。
「ケンさあああん!」
地面に降り立つケンに、ルリが勢いよく飛びついてきた。
「ケエエエン!!!」
続いてギィギも。ケンは2人を抱きとめ、それと同時に生を実感した。やり遂げたんだ、と。
「やったな、ケン! ホンマえらいこっちゃ!」
リョウはケンの頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でまわす。そんな様子を、エイは苦笑して眺めている。
仲間たちとの温かい時間に浸るケンだったが、ふとあることが気になり振り返る。そこには片膝をつき沈黙する巨体と、その前でただ浮かんでいるトリッガーの姿があった。
「トリッガー……」
ケンは彼に近づく。仲間たちも、それに続いた。
「お前はこれからどうするんだ?」
ケンの言葉に、トリッガーは空中で身を反転させる。
「僕の最後の任務は完了した。でも、もう僕に指示を出す人間はいない……でも、僕は自分で自分を破壊することはできないんだ……どうしたら――」
「それは違うゾ!」
突然響くギィギの声。穏やかな風が、草花を揺らす。
「違う? それはどういうことだい?」
「お前の親、最期に言ったんだろ? “生きろ”って」
ギィギのその言葉に、ケンもハッとする。
「そうだよ! 今の戦いは、大仕事が終わっただけ。お前が一生かけてやり遂げなくっちゃあいけない大事な任務がまだ遂行中だろ?」
その言葉が引き金になり、トリッガーの記憶回路のログから“最後の会話”が再生される。
――博士! 一体何が!?
――トリッガー、よく聞くんだ。このユーラシアは、まもなく重力の井戸に引かれていくだろう。大気圏内へと入り次第、エグザフレームの緊急脱出ポッドを射出する。
――そんな! 博士はどうするんですか!?
――私はこの制御室で、できる限りのことをするつもりだ。
――ダメです! 一緒に脱出しましょう!
――それはできない。これは、私ができる唯一の贖罪なのだよ。わかってくれ。
――それが、最後の任務……ですか?
――いいや。これは“お願い”さ。生きるんだ、トリッガー。そして、ジェノを……彼を止めてやってくれ……頼んだぞ。
「トーマス博士の最期の“願い”……」
トリッガーの回路に、これまでに感じたことのない負荷がかかる。彼はまだ理解できないその“感情”に、ただ震えるだけだった。そんな彼を見かねて、エイは助け舟を出す。
「お前だって自分で考え、選択する“自由”があるんだ。これからどう生きるか、それが博士の生きていた証になるんだ」
「僕が生きることが、博士の……?」
「ああ。お前は決して物なんかじゃあない。だからこそ、博士はお前に“生きて”欲しいんだと思う」
しばらくの沈黙。トリッガーは振り返ると、役目を終えたマーヴェリックハンターを眺める。
「そっか……。トーマス博士……最後の任務、了解……」
ケンたちは顔を見合わせ、歓喜の声を上げる。振り向いたトリッガーは、気恥ずかしそうに改めてケンたちひとりひとりを見つめる。
「僕も、キミたちについていくよ。そして、世界のこと、人のこと……学んでいこうと思う。いいかな?」
「当然やろ? 俺たち友達やで? 友達ってのはぎょうさんおった方がええに決まっとるわ!」
新たな仲間の加入に沸き立つ一行。陽の当たる草原に、彼らの笑い声が響いた。
「それで、これからどうするんだい? そもそも、キミたちはどうしてこんな砂漠のど真ん中にいるんだ?」
当然の疑問を持つトリッガーに、エイが代表して手短に聞かせる。一行の目的、砂漠に来た理由……。トリッガーはそれら一つ一つを記憶領域に記録しているようだった。
「……そうか。それじゃあ、ギィギの村にすぐに帰る必要があるね。距離は分かるかい?」
来るだけで必死な長旅、そこまでわかる者はいなかった……1人を除いて。
「おおよそだが、80~100キロはあるだろうな。馬に乗っていたとはいえ、休み休みで一昼夜だ。時間はかかる」
トリッガーは何かを考えるように俯くが、やがてすぐに顔を上げる。
「ん。それなら“問題ない”ね。ついてきてよ」
一行は顔を見合わせるが、背中を向けどんどんどこかへと向かっていくトリッガーの後を慌てて追った。
草原を越え、コロニー内部の壁面にたどり着くと、そこには両開きの扉があった。開閉用のコンソールにトリッガーが近づくと、赤く点灯していたランプが緑色へと変化する。
「おそらくジェノのことだから、ホバーシップも整備していると思うけど……うん、あるね」
扉の先は、一転して灰色の空間が広がっていた。鋼鉄の壁や床、そして見たこともないような乗り物が鎮座していた。
「すごい……先の時代の乗り物ばかりだ……!」
エイが目を輝かせる。今回ばかりは、彼だけではなくケンたち一行皆その光景に目を輝かせていた。
トリッガーは格納庫内を物色するように見て回るが、やがて流線形の銀色の物体の前で停止する。
「これなんてどうだろう? 時速400キロでブッ飛ばせるから、村まであっという間さ!」
「それは凄いけど……誰が運転するのこれ?」
ケンはその乗り物をまじまじと見つめる。オープンカーのように屋根は無く、10人は乗れるだろう向かい合って設置されている座席。前方には、先程コックピット内で見た丸い台座のようなものが設置されている。
「それはもちろん、この僕さ。世界一安全な運転、任せてよ!」
トリッガーは台座に飛び乗ると、車体から駆動音が響く。ケンたちはそれに続き次々に乗り込んでいく。全員が乗り込むと、車体は地面から浮き上がる。
「あっ、馬! 繋いだままだゾ!」
「また後で取りに来ればいいさ」
ギィギの悲鳴に、車体の方向を回転させながらトリッガーは答える。
「場所は分かるのか?」
「ん? 東に向かえばいいんでしょ? いくつか生命反応の多い箇所は存在しているけど、ここから東……海岸線近くの集落がそうなんじゃあないかなってキミたちの話から推測したけど……」
エイの疑問に、トリッガーはさらりと返す。ホバーシップは格納庫の中央へと向かっている。
「ちゃんと村へ帰れるんなら何でもええわ! ……ところでトリッガー、これ、どこへ向かっとるんや?」
銀の浮舟は、格納庫内中央に設置されたレールのような溝の上で停止する。そして、彼らの先にある壁面が音を立てて左右に割れていく。
「もしかして、これって――」
「そう、電磁式カタパルト。いっきに加速して飛び出すから、掴まっててよね!」
一行は青ざめた表情で座席にしがみつく。次の瞬間、猛烈な加速と共にホバーシップは飛び出す。
ひんやりとした格納庫を抜け、強烈な日差しが彼らを睨みつける。大地の裂け目を飛び越し、ガラスの砂漠の上を滑るように突っ走っていく流線形の車体。ケンたちの悲鳴が尾を引いていた。
* * *
時間は少し巻き戻り、ケンたちが西の神殿に到着した頃。セトたち一行もまた、南の村へとたどり着いていた。
「そ、村長! 大変です! セトが……!」
血相を変え飛び込んできた村の男に、ガォガは弾かれたように立ち上がる。息子たちを見送った村はずれまで駆けると、そこにはセトが意地の悪い笑みを浮かべ立っていた。
「セト……一体何の用だ……!」
呼吸を整えながら言葉を紡ぐガォガを、セトは鼻先でせせら笑う。
「心配すんな、ただの挨拶さ」
「挨拶……?」
怪訝な顔をするガォガ。よく見ると、セトの顔には殴られたような腫れ跡が見られる。息子たちとの間に何かあったのか? ガォガの額から冷汗が流れる。
「お前んとこのガキどもと、約束をしたんだよ。アレをどうにかするから、村には手を出すなってな」
セトは大声で笑う。それに合わせるように、手下たちも笑う。そしてセトがてを上げると、笑い声はピタリと止んだ。
「俺は紳士だからよォ、約束は守ってやるぜ」
「約束だと?」
「ああ。3日……そろそろ1日経つから、あと2日だな。それまでに奴らが西の滅びをどうにかして、ここに帰って来なかったら……ここを滅ぼす」
ガォガの背筋に冷たい感覚が走る。村の者たちからも、動揺の声が聞こえる。
「ま、待てセト――」
「それじゃあ、あと2日、ゆーっくり待たせてもらうぜ」
背を向けるセト。ガォガが伸ばした手は空を切り、力なく垂れ下がった。
「村長、どうしましょう……」
「女や子供は、いつでも逃げられるように準備を……」
男の絶望的な顔を、ガォガは見ることができなかった。
そして時間は過ぎてゆく。殺人的な日差しをものともしないセトたちは、焚火を囲み宴を開いている。一方南の村の男たちは、生きた心地がしない思いでただひたすら警戒を続けている。
太陽が西へと向かいかけた頃、村人の一人が“ある変化”に気が付き声を上げた。
「村長! あれ! 見てください……!」
男の指さす方向に目を向けたガォガは、我が目を疑った。
「あ、あれは一体……?」
西を覆っていた滅びが消え、代わりにそこには見たこともない巨大な物体が鎮座していたのだ。遠く霞むものの、山のようなドーム状のそれは圧倒的な存在感と威圧感を放っていた。
セトたち一行もそれに気が付いたようで、明らかな動揺が広がっているようだった。
「滅びが消えたんですよ! あそこにあるものが何かは分かりませんが、もう俺たち、滅びに怯えなくてもいいんですよ!」
男の言葉に頷くガォガだったが、ギィギのこと、そしてセトたちのことを考えると手放しに喜ぶことはできなかった。
「村長!!」
西の滅びが消えてから数時間経ったころ、櫓の上で見張っていた男が声を張り上げた。彼は地平線を指さし、ガォガに何かを必死で伝えている。
「今度は何事だ……?」
目まぐるしく襲い掛かる出来事に、ガォガは辟易としながら男の指さす方角を睨む。そこには、何かが砂を巻き上げ猛スピードで南の村へ向かってきているようだった。
セトたち含め、その場の全員に動揺が広がる。
「あ、ああ……!」
ガォガのみならず村人、そしてセトたち砂漠の民の驚異的な視力がその輪郭をはっきりと捉えた。銀色の流線形の乗り物、そしてそれに乗るギィギと外の人たちの姿を。
「セトー! 約束通り、戻ったゾー!」
砂漠に吹く風に負けない声でギィギの声が響く。あっけにとられるセトたちの前で、銀色の浮舟は停止した。ギィギは勢いよく飛び降りると、セトの前に躍り出た。
「戻ったゾ。村を襲うのは止めるんだゾ!」
「てめえ、適当抜かすんじゃあねえよ! 昨日の今日で出来るワケねえだろうが!」
吠えるセトに、ギィギは全く怯まない。
「嘘なんかじゃあないゾ! 西の滅びは消えたんだゾ! それに! “アレ”に俺たちに必要なものがあるんだゾ!」
ギィギは遥か西の彼方に霞む巨大な物体を指さす。
「必要なものだあ……? どういう意味だ? それにその乗り物……お前は一体何を見てきた?」
ケンたちもホバーシップから降りてくる。セトは目を白黒させトリッガーと銀色の浮舟を交互に見た。
「ギィギ……!」
「父ちゃん、母ちゃん!」
ギィギのもとに駆け寄るガォガとサリサ。温かい抱擁に、ケンの目頭は思わず熱くなった。
「リョウ!」
リョウはその声のする方向に顔を向けると、トトが勢いよく彼のもとへ飛び込んできた。
「トト! お前たちは逃げろと……!」
「ヤダ! ギィギたちが危ないところに行っているのに、逃げるなんてできないよ!」
ガォガはやれやれと首を振る。そしてギィギに問いかけた。
「ギィギよ、何があったんだ? それに、滅びの代わりに現れたあれは一体何なんだ……?」
「実際に見るのが1番だゾ! 父ちゃん、セト、早くこれに乗るんだゾ!」
ギィギはホバーシップを指さす。
「俺も……?」
「ああそうだゾ! セト、もう苦しい生活はしなくていいんだゾ! それを知ってもらう為には、お前にも来てほしいんだゾ!」
ギィギの真っすぐな瞳に、セトの視線は揺れる。
「どうしますセトさん?」
手下の問いに、セトは思案を巡らせているようだったが、やがて顔を上げる。
「いいぜ。行ってやるよ。あと、もう手下どもに村に手出しはさせねえよ」
湧き上がる歓声。ケンたちもホッと胸を撫でおろした。
「父ちゃんも、来てほしいゾ。俺たち砂漠の民の今後に関わる、大事なものがあるんだゾ」
「お前がそこまで言うのなら、私は従うよ。……逞しくなったな、ギィギ」
ガォガは不器用な手つきでギィギの頭を撫でた。
「へへ……。それじゃあトリッガー、悪いけど、もう一回あそこに連れて行ってほしいゾ」
「任せてよ!」
得意げな様子のトリッガーを、ガォガとセトは物珍し気に見つめた。
「悪いけど、ケンたちも来てくれるか?」
「もちろん!」
ケンの即答に、ギィギは嬉しそうに尻尾を振った。
「リョウ、お前は残っていてくれ」
「何でや!?」
エイに食って掛かるリョウ。彼の腕は、トトががっちり掴んでいて離さなかった。エイは咳払いすると、リョウに耳打ちする。
「いくら手を出さないと約束しても、絶対じゃあないだろ? 俺たちや村長がいないときに、何かあったらどうする? お前なら上手くやれるだろ?」
何か言いたげに口を開いたリョウだったが、諦めたように首を振った。
「はああ……ええわ。残ったる。それに、アレに乗るの正直しんどかったしな……」
「私も残ります。私はルーンが使えるから……使わないに越したことはありませんが……」
エイはルリの表情を見る。彼女は口調とは裏腹に、その表情に明らかな疲労の色が見て取れた。炎天下のこれ以上の往復は危険だろう。察したエイは力強く頷く。
「ああ、頼む」
かくして一行は、銀の浮舟に乗り込み一路西のコロニー廃墟へ再び舵を取っていた。
時速400キロで進む未知の乗り物に、ガォガもセトも言葉を失っていた。そんな様子を見てギィギは楽しそうに笑い、ケンもまた、流れてゆく砂漠の景色を楽しむ余裕が生まれていた。
「これは……!」
「信じられねェ……!」
ヘヴン内部、生まれて初めて足を踏み入れる緑豊かな空間に、ガォガもセトも言葉を失っていた。
「これだけの草があれば、家畜も安定して増やせる……!」
足元の草を撫でるガォガ。
「冷てェ……! これ、本当に水か?」
「飲んでみなよ。環境維持装置で完璧にろ過されているから、寄生虫や汚染の心配は一切無いよ!」
トリッガーに怪訝な顔を向けるセトだったが、やがて水を手ですくうと口元へと運ぶ。
「水って、こんなにも美味かったのか……」
セトのその表情は、かつてないほど穏やかなものだった。
「二人とも、聞いてほしいゾ」
ギィギの真面目な声に、ガォガとセトは顔を上げる。
「ここを、みんなでもっときれいにして……本物の楽園にしよう。南の村や、セトたちだけじゃあなくって、イウヌ中にいる他の村のみんなも呼んで……」
ガォガは、息子が言わんとしていることを悟る。しかしあえて口には出さずに、息子の口から語られるのを待った。
「その……国……オレたち砂漠の民の国にしよう!」
ケンは思わず拍手をする。エイは静かに頷く。すると、セトから笑いの声が聞こえてくる。
「クソみてぇな環境に押し込まれていた俺らが、国づくりか……おもしれえじゃねえか!」
「セト……!」
セトは立ち上がると、ギィギの背中をバシバシと叩く。
「いいぜ。その話、乗った! 人から奪うのは今日限りだ。これからはじゃんじゃん作っていこうじゃあねえか。俺たちの“未来”をよお?」
セトのその和解の言葉は、ギィギの胸のつかえを完全に取り払った。
「しかし、何の知識もない我々にできるだろうか……?」
ガォガの慎重な言葉に、一同は押し黙る。その沈黙を、トリッガーの溌溂な声が破った。
「僕の兄弟機……まだ何機か生き残っているみたいだから、彼らがきっと力になってくれるよ」
エイはそれに不安な表情を見せる。
「こんなこと言うのは悪いが……大丈夫なのか……? その、ジェノの例があるだろ……?」
言葉を選ぶように恐る恐る口にするエイに、トリッガーは当然のような口ぶりで答える。
「学習元によってどう成長するか。それは人間も同じじゃあないのかな? 大丈夫、砂漠の民の皆となら、きっといい関係を築いていけるよ!」
「……失言だったな。許してくれ」
朗らかに笑うトリッガー。ヘヴン内に吹く風が、一行の頬を優しく撫でた。
その後は、トリッガーの案内で彼の兄弟機の生き残りを見つけたり、様々な過去の遺産に触れたりと、一行は有意義な時間を過ごした。
軽い内検を済ませた後、彼らは再び村へと帰りこれからのことを全員で相談することになった。
「あッ! そうだ! 馬! 昼間っからずうっと繋ぎっぱなしだったゾ!」
ホバーシップに乗り込み帰ろうとしていたまさにそのとき、ギィギが悲鳴を上げた。
「それはどこだい? ついでに寄っていくよ」
「お前が目覚めたところの近くだゾ。ここからそんなに遠くはなかったと思うゾ」
その言葉にトリッガーは周囲のスキャンを開始する。
「あ、いるね。3頭、みんな生きてるよ」
ほっと胸を撫でおろすギィギ。ばつの悪そうな顔でガォガの表情を伺った。
「馬からは目を離すなとは常日頃言っているが……まあ、状況が状況だ、それに全頭無事なようだし……」
さすがのガォガも怒るに怒れない、そんな様子だった。彼らのそんな様子に、先程までの逞しいギィギとのギャップを感じたケンは思わず笑ってしまった。
「あーっ、ケン! 笑うな!」
ギィギはケンの耳を掴んだ。そんなじゃれ合う息子たちの姿を、ガォガは目を細めて眺めていた。
ホバーシップをしばらく走らせると、コロニー外壁の陰で身を休めている馬たちを見つける。ギィギが短く指笛を吹くと、馬たちは一斉に駆け寄ってきた。
「この数は流石に乗せることができないし、馬に400キロで走れなんて無茶はできないから……誰かが村まで連れて行ってやる必要があるね」
「だったら私が――」
そこまで言いかけたガォガを、ギィギは遮るように制止する。
「父ちゃん、俺とケン、あとエイの三人でつれていくゾ」
「しかし……」
ガォガは遠慮がちな表情でケンとエイを見る。
「村長さん、気を使わないでください。もう何かに追われていることも無いですし、3人でのんびり村まで帰りますよ!」
「俺もついているんで、何も起こらない……はずです」
観念したようにガォガは頭を下げると、楽しそうに降りていくケンたちを見送った。和気藹々と会話に花を咲かせ馬に乗り込む彼らを見つめるガォガの中で、ある1つの“決心”が実を結んでいたのだった。
地平線の向こうへと消えていくホバーシップを眺めながら、馬の背に揺られる三人。夕暮れの砂漠の道のりも、今の彼らには苦にならなかった。
会話に花が咲く三人だったが、ギィギは不意にある不安に襲われる。ケンたちは砂漠の民ではない。それはつまり、彼らが役目を終えた今まさに別れの時が近づいているということなのだ。
弟たちの面倒や家畜の世話、そして一族の存亡について常に神経を張り巡らせていたギィギにとって、ケンたちは気を許し甘えられる兄弟、まさにそんな存在だった。安らぎとも言えるその存在との離別。ギィギの胸は締め付けられた様に痛み、彼は口をつぐむ。
空から降り注ぐ月光が、うつむく彼の顔に影を作り出していた。
「うん? ギィギ、どうした?」
急に無口になったギィギに、ケンは心配そうに声をかける。エイも同様の視線を向けていた。
「あっ、ごめんだゾ。ちょっと嫌な事考えちゃってたゾ……」
「ええ!? 何!? それって大変なこと!?」
慌てふためくケンに、ギィギは慌てて顔を上げる。なんとか笑顔を取り繕いながら、彼は胸中を打ち明けた。ケンもエイも黙って耳を傾ける。すべて吐き出したギィギは、大きく息を吐いた。
「……ってワケなんだゾ。ゴメン……みんなだって行くべきところがあるのに……子供みたいなワガママだよな」
「そんなことないよギィギ……。そうだね、いろいろあって考えている暇なかったけど……俺たちもいつまでもこの砂漠にいるわけにはいかないもんな……」
天を仰ぐケンは、眩しいばかりの月光に目を細める。この砂漠への来訪は本来の旅路になかったイレギュラーなもの。そしてここに来た本来の目的であるオーバーシアと会うことすら曖昧に終わってしまった。
ローレライの口振りから、リノエやタカハシ教授たちに危害はないだろう。それでも彼らと離れ離れになってしまった今、本来の目的地である桜花帝国へ向かうことが最優先に変わりはない。
「今生の別れ、というわけではないだろ? 生きていればまたいつかきっと会えるさ」
「お前ってドライなとこあるよなあ」
「あ、いやすまない……あまり相応しい言い回しじゃあなかったか……」
肩をすくめるエイ。そんな様子にギィギはクスリと笑う。
「エイの言うことは正しいゾ。……そうだなもう二度と会えないワケじゃあないんだし、くよくよしていてもしょうがないよな!」
無理に明るく振舞うその声の裏側に、ケンもエイもそれ以上かける言葉が見つからなかった。
「俺、もっとみんなと一緒にいたいゾ……」
ギィギのその小さなつぶやきは、夜風と一緒に砂漠の闇の中に消えていった。
それから歩き続け、太陽が頭上に昇る頃、彼らの視線の先に見覚えのある建造物群が現れた。
「休憩とらずにきちゃったけど……よくなかったね……」
疲労困憊のケンは、日除けの外套をはためかせながら消え入りそうな声を上げる。
「だから言っただろう……ギィギ、俺は知識が無いから分からないが、馬たちは本当に大丈夫なのか?」
エイは自身が跨る馬の顔を覗き込む。馬は力強い鼻息を吹き出し、ただ黙々と砂を蹴っていた。
「大丈夫だゾ。前にも言ったけど、オレたちが飼っている馬はとってもタフなんだゾ。日中休むのは、むしろオレたちが先に参っちゃうからなんだゾ」
「すごいな……。これもある種の進化……いや適応か……? 興味深い」
エイの知的好奇心にケンはうんざりしながら、大きな欠伸をする。
「村に着いたら、ひと眠りしよう……もう眠すぎて頭が回らない……」
「そうだな。もう困ることは何もないから、ゆっくり休んで……」
そこまで言うと再び口を閉じるギィギ。ケンとエイは顔を見合わせ肩をすくめた。
南の村にたどり着いた三人を、多くの砂漠の民たちが迎え入れた。多種多様な獣の耳に、肌の色。ケンは改めて異国に足を踏み入れていたということを認識させられる。
「……ん?」
ケンはふと気が付く。自身を迎え入れている人たちの中に、見慣れない顔も多く見られたのだ。ギィギもそれに気が付いたようだった。
「他の村のやつらもいるゾ。みんな、どうしてここに?」
ギィギの問いに、一人の男が答える。彼は犬のような耳を動かしながら笑顔で言った。
「アンタらが西の滅びを消してくれたんだろ? しかもそれだけじゃあなくって、オアシスも見つけてくれたって! だから俺たち集まって話し合っているんだ」
「話し合う……?」
眉根を寄せるエイに、男は嬉しそうに続けた。
「ああ。国を作るんだろ? 俺たちの! だったらさ、みんなで力を合わせた方がいいだろ?」
その言葉にケンは納得する。砂漠の民たちは皆一様に笑顔と活気に溢れている。彼らの新しい一歩が今まさに始まろうとしているのだ。
「馬は俺たちに任せてくれ。ギィギ、村長が呼んでいたぞ。外の人たちは案内するから、お前は行ってこい」
「そうなのか? 分かったゾ」
ギィギは勢いよく馬から飛び降りる。そして数歩歩いてから急に振り返った。
「ケン、エイ……それじゃあ……それじゃあ……また後でな」
言葉にした途端、それが“最後のまた後で”になるかもしれないという考えが胸をよぎる。ギィギは慌ててその考えを振り払い、駆け出した。
小さくなっていく背中を見送る二人。彼らに砂漠の民の男は声をかける。
「それじゃあアンタらは俺が案内するよ。腹減ってるか?」
「それよりも、今は眠りたいな……。西の方から一晩中ずっと歩いてきたんですよ……歩いたのは馬だけど」
男は笑うと手招きをする。そしてケンとエイは彼の後ろに着いていくと、やがて見覚えのある通りに出た。二人は男に礼を言うと、室内に向かう。ケンが入り口にかかっている布に手を伸ばしたとき、欠伸を噛み殺しながらルリが顔を覗かせた。
「あっ……あっ!? ケンさん、に、エイさん!? わっ、ヤダ……!」
ルリは頬を染めながら建物内へと引っ込んでしまう。その様子に微笑みながらケンとエイは彼女の後を追った。
ひんやりとした室内、虫よけの香草の香り。ケンは無事の帰還を実感しつつ自身の寝床に倒れこんだ。
「早かったですね。もう少しかかると思っていました」
「一晩中歩きっぱなしのデスマーチ。無茶だったよ」
ケンは靴を脱いで疲れた足を労わる。ルリは溜息をこぼした。
「ホントですよ!」
エイはばつの悪そうにもじもじとしながら、慌てて話題を逸らした。
「ところで、リョウのやつは? いないようだが……」
「村長さんのお家です。みんなでこれからについて話し合っていて、リョウさんも参加してほしいって呼ばれたんです」
リョウなら弁が立つ。ケンは納得した。そのとき、ルリの腹から大きな音が鳴る。
「ああっもう! ホント……ヤダっ!」
勢いよく飛び出していくルリ。
「よく食べよく寝る……彼女、成長するだろうな」
エイの軽口に笑いながら、ケンは横になる。彼の意識が闇に溶けていくまでにそう時間はかからなかった。
それからどれほどの時間が経過したのだろうか。泥のように眠っていたケンの意識は次第に現実に波長が合わさっていく。ルリの高い声に、リョウ、そしてエイの声も聞こえる。そして聞きなれない声……そうか、トリッガーの声だ。ケンは意識を現実に戻しながら重い瞼を開いた。
「おはようさん! よく眠っとったな!」
「もう日が沈む時間だからその表現はヘンじゃあないの?」
リョウが笑いながら近づいてくる。その隣にはトリッガーが浮いている。
「日没……今何時?」
大欠伸をしながらケンはトリッガーに尋ねる。返事の代わりに彼のモニターに、“18:50”と表示されていた。
「昼前ぐらいだったから……ずいぶん寝たなあ……」
頭を掻くケンに、ルリは水の入ったペットボトルを手渡す。ケンは礼を言いつつもそれを受け取ると、口を付けてゆっくり容器を傾ける。乾燥しきった口内に清涼感が戻ってきて、まるで生き返ったような心地になった。
「ケン、ちょっとええか? ルリちゃんとエイにはもう話たんやけど、砂漠の民のみんなのこれからが決まったんや」
リョウのその言葉に、ケンの胸は高鳴る。その表情を察してか、リョウは続けた。
「これまでこの砂漠各地に分かれて暮らしとったみたいやけど、みーんなあのコロニーの廃墟に住むことになったで」
「ユーラシアのヘヴンだよ」
トリッガーの訂正に、リョウは鬱陶しそうに手を振る。
「そっか……」
安堵感から、ケンはそれ以上の言葉が無かった。
「安定した生活になるにはまだまだやけど、それでも一歩ずつ頑張っていくみたいやで」
『そんで、』とリョウはわざとらしく一拍置く。
「お手柄、大金星、お疲れさんやで、ケン」
突然の称賛に、ケンは口に含んでいた水を思わず吹き出す。『わっ、汚っ』と後ずさるリョウに、ケンは狼狽の声を投げる。
「なんで俺? みんなで頑張った結果だろ!?」
「んー? ちゃうでケン。西の滅びが消えたのも、ユーラシアをジェノから解放したのも、お前が“頑張った”からやろ?」
当然のことをしただけ、称賛などこれっぽっちも考えていなかったケンは、青天の霹靂に狼狽える。
「私も同じ考えです」
「そうだな、よくやった、ケン」
ルリとエイからも称賛が飛んでくる。ケンはたまらず頭部の犬耳を掴むと、左右に引っ張った。
「僕からも感謝を、ケン。……体温の上昇、及び発汗を観測! キミ、照れているね?」
からかうように近づいてくるトリッガーにケンは背を向ける。
これまで静かに生きてきたケン。面と向かって褒められることに慣れていなかった彼は、突然の感情の洪水を処理できずにいた。熱くなる目頭をこすりつつ、かすれた声でただ一言――。
「別に、そんなことないよ……」
「お? なんや? 泣いとるんか?」
「うっさい!」
リョウの頬にペットボトルを押し付けるケン。そんな様子を見て、一同は笑う。なんてことのない、穏やかな空気が室内に満ちていた。
一通り笑い合った後、リョウは再び真剣な顔になる。
「まあ、とにかく……ケン、お前がようやっとるのは事実や。せやから胸張っとけ。な?」
「うん、ありがとう、みんな」
リョウは満足げに頷くと続ける。
「そんでな? 俺たちはそろそろここを出てかないといかんやろ? なんたって桜花帝国までは……深い森を抜けて、山を越えてそんでもってやあっと目と鼻の先ってぐらいや」
先程とは打って変わり、一気に現実に引き戻される感覚に襲われる。本来の目的を忘れていない彼は、ゆっくりと頷いて見せた。
「寂しいけど、砂漠の民のみんなとはお別れをしなっくっちゃあいけないね……」
しんと静まり返る室内。するとケンの耳に外から聞こえる人々の活気のある声が届く。
「なんか……賑やかだね」
「ん。新たな門出の祝いやちゅうて盛大に飲み食いするらしいで。俺らはお前が起きるの待っとったんや」
「ええっ? そうだったの!? それ早く言ってよ!」
そんなケンに、一行はいたずらっぽく笑って見せる。
「村の広場でやっているみたいですよ。行きましょう」
浮立つ気分で部屋を後にするケンたち。熱の引いた空気が顔に触れ、紫色の空には星が輝き始めていた。何かを焼くような香ばしい匂いが風に乗り鼻腔をくすぐる。誰が言うでもなく一行の広場へ向かう足は早まっていた。
「――うん?」
その最中、ケンの耳に歌声が聞こえる。優しくもどこか悲しい、不思議な旋律だった。ケンは音を頼りに出どころを探ると、一軒の建物の前にたどり着く。窓からそっと中を覗き込むと、砂漠の民の女性が椅子に腰かけ虚ろな表情で歌を口ずさんでいた。
『――ただ、昔外から来たヤツらに撃たれて……ニャーミは赤ちゃん取り上げられて……』
ケンは以前ギィギに聞かされた言葉を思い出す。彼女は研究所の被害者……今口ずさんでいるのは子守歌だろうか……。種族として救われた今でも、そうでない“個”もいる……やるせなさにケンはうなだれた。
「どうしたんですか? ……これは、歌?」
ケンの後ろからルリがやってくる。エイやリョウ、トリッガーも続いていた。皆聞こえてくる歌に聞き入っていた。
彼らに話すべきかケンは悩み、そしてゆっくりと打ち明ける。以前一緒に聞いていたエイは合点がいったようだったが、リョウは憤慨しルリは言葉を失っていた。
「やっぱ、あいつらはカス以下の外道や。あの人のような被害者を出さんように、手前らは手前らのできることやろうや」
全員、力強く頷く。
「……行こうか」
静かにその場を後にする一行。トリッガーはその場に残り、静かにメモリの整理を行っていた。
「“個”、か……。遺伝子を伝達した者の喪失……それは心を壊す程の被害をもたらす……? うーん、心ってのはまだよく分からないなあ」
思わずひとりごちる彼に、遠くから呼ぶ声が聞こえる。
「うん、今行くよ」
トリッガーは静かにその場を後にした。
次第に大きくなっていく喧噪。忙しなく、しかし皆その顔に希望の色を浮かべ動き回っている。広場の中央では焚火が天に向かって燃え盛り、それを囲う様に砂漠の民の人々が座っている。
料理の香しい香りに喉を鳴らしたケンに、聞きなれた人懐っこい声が飛んでくる。先程別れた時とはまるっきり違う、溌溂としたものだった。
「おおーいケン、みんなー!」
笑顔で手を振りながら駆け寄ってくるギィギ。彼はケンの腕を掴むと、説明もなしに元来た道を引き返す。
「ちょっとギィギ、どこへ行くの?」
「みんな来て欲しいゾ! 父ちゃんから話があるんだ!」
彼の様子から、とりあえず悪い知らせではないことは感じ取れる。グイグイ引っ張るギィギに身を任せ、ケンは村長の家に向かった。
「父ちゃん、みんな連れてきたゾ!」
「おお、皆さま来てくださりましたか」
室内に入ると、ガォガは深々と頭を下げた。
「皆、一旦集まってくれ!」
ガォガは声を上げると、食堂の方からサリサが小走りでやってくる。それに続き、ギィギの弟たちも元気よく走ってきた。彼らはケンたちと対面するように腰を下ろすと、やはり深々と頭を下げた。
「あ、あの……村長さん?」
困惑するケン。ガォガは立ち上がると、ケンの手を力強く握った。
「慌ただしくて、お礼を伝えそびれていたこと、お許しいただきたい。そして改めて――」
大きく息を吸うガォガ。
「我々種族を救っていただき、ありがとうございます」
その言葉に続くように、サリサやギィギの弟たちも例の言葉を述べる。バラバラながらも、温かいその言葉にケンの頬は緩んだ。
「そんな、当然のことをしただけですよ……」
思わず口に出たその言葉。もはや埃すら被っているような月並みな言葉だが、こういう場面だと思わず出てしまうのだなとケンは思った。
ガォガの『もう行っていいぞ』という言葉でサリサも子供たちも部屋を後にする。それを最後まで見届けた後、ガォガは再びケンに向き直る。彼の金色の瞳が真っすぐケンを捉えた。
「外の方、差し出がましいかもしれませんが、最後にもう一つだけお願いを聞いていただけないでしょうか」
きわめて真剣で、切なるその語り口にケンは思わず背筋を伸ばす。
「最後なんて言わずに、困っていることなら何でも言ってくださいよ」
ケンのその言葉に、ガォガはひどく感激した様子だった。そして彼の口からとんでもない言葉が飛び出す――。
「ありがとうございます。では……私の息子を、あなた方の旅に同行させてください」
一瞬の静寂。ケンは彼の言葉を理解することに時間を要した。
「え……? ま、待ってください! それだけは……」
言い淀むケンに、ギィギははっきりと傷ついた表情を見せる。
「ケン……嫌なのか? オレがいると、ダメか?」
ケンは慌てて首を横に振る。
“楽しい旅”だったら、願ってもいない申し出だ。だが、しかし――。
「あんな? 俺らはお散歩しとるワケちゃうねん。ヘタしたら……いや、ヘタせんでも命の危険が常について回る物騒な綱渡りしとるんや」
ケンの代わりにリョウが助け舟を出す。しかし、ガォガもそれは承知のようだった。
「ならばなおさらのことです。あなた方は命の危険があるにも関わらずに我々に手を貸して下さった。ならば今度はこちらが助けになる番です。我々は人を憎んだり恨んだりはしませんが、受けた恩は絶対に忘れません」
「せやからそういう話やなっくてな? アンタらだって知っとるやろ? 研究所言う人を人と思わんようなイカれた連中!」
「だったら! オレだって戦える理由になるゾ! アイツらは仲間をいっぱいさらっていった!!」
いきり立つギィギを、ガォガは静かに諫める。
「お恥ずかしい、さっそく息子が先程言ったこととは真逆の発言を……」
ばつの悪そうに笑った後、ガォガは真剣な表情を見せる。
「身勝手で、ずうずうしいとは承知しております。ですが、どうか……ギィギに世界を見せてやって欲しいのです」
頭をこれでもかと下げるガォガ。ギィギもそれに倣う。
「我々はこれから“国”を持つ身。しかし、外のことについてはこれっぽっちも知らないのです。次の世代を背負って立つ息子を、隣に立って導いてくれる存在はあなたたちのような方以外は考えられないのです」
歯ぎしりをするリョウ。ケンには彼の気持ちが分かった。分かったからこそ、ケン自身も揺らいでいた。
危険ならば守ればいい、しかし、それは常にできるだろうか? 自身の力も、戦うべき相手のことも完全に理解していない青二才が?
断ろう……そう思ったケンの脳裏に、ここ数日でのギィギとのやり取りが浮かぶ。そして、彼のその年齢以上の働きぶりも思い出す。ケンは自分を恥じた。今まで一体ギィギの何を見てきたのか。彼が自分では何もできない無力な存在とでも決めつけていたのだろうか。ギィギもまた、自分ができる精一杯のことを、精一杯やっているのではないか。
「……そうだ。ギィギは何もせずに守られているだけの存在なんかじゃあない」
「……ケン?」
ケンのつぶやきに、ギィギは顔を上げる。
「確かに危険だけど、だったら皆で力を合わせればいい。一人じゃあできなくても、皆でならできることだってあるよね」
その言葉に、リョウは笑いながらケンの肩に手を回し、そっと耳打ちした。
「お前ならそう言うと思っとったわ。俺はとりあえず反対しなきゃならん立場やから、お前がそう言ってくれて助かるわ」
「リョウ……!」
感激するケンにウインクをすると、リョウはガォガに向き直る。
「あー……俺らのリーダーがそう言うなら? 俺にはもうこれ以上何も言えんわ。……せやから村長さん、アンタの息子、俺らが全力で守るさかい俺たちにも手を貸すよう言ってくれ」
その言葉に、ガォガは肩を震わせる。
「ホントに、いいのか……?」
「ああ。ギィギ、これから“も”よろしくな」
ケンに飛びつくギィギ。そのときケンは、後方で静かなままのエイとルリの存在を思い出す。
「あ……二人ともごめん、勝手に話進めて……」
「俺のスタンスは変わらない。何があってもやることは変わらない……それだけだ」
「私も、ここでギィギさんとお別れなのは嫌だなあって思ってましたから」
満場一致の大団円……と思いきや、背後からトリッガーの不満げな声が聞こえてくる。
「ちょっと? 僕はいないもの扱い? 傷つくなあ」
ケンはその発言の意図が掴めずにいた。トリッガーはここに残り、砂漠の民の人々と国を作る作業を行うのではないのだろうか?
首をかしげるケンに、トリッガーはそっぽを向く。明らかに気分を害しているようだった。
「わ、悪かったよ! 謝るって!」
「ふーんだ!」
その後は、トリッガーの機嫌をとったり、ギィギの家族たちと夕食をとったり……慌ただしくも優しい時間が流れていった。
食後、一行は村の喧騒から離れ再び砂の丘に足を運んでいた。腰を下ろし、満天の星空を仰ぐ。空が狭い都会では滅多に見ることのできない光景を、ケンは己の脳裏にしっかりと焼き付けるよう眺めていた。
「リョウ、俺たちが次に向かうところは森……だよね? それってここからどれくらいになるの?」
ケンは確認を取るようにリョウへと問いかける。少し離れた場所で煙草を吹かしていた彼は、携帯灰皿に煙草をしまうとトリッガーに声をかけた。
「トリッガー、ケンにアレ見せてやってくれんか?」
「了解」
トリッガーのモニターから光が照射される。そしてそれは空中で像を結ぶと、青白い光を放つ立体映像になった。
「おお、すごい……」
「今僕たちがいるのがこの辺り。南端に近いね。ユーラシア落下地点はここ。それで――」
空中の映像には、文字や点で現在地が分かりやすく表示されている。“現在地”と文字が添えられた赤い点から、矢印が大きく伸びていく。それは砂漠の地図を大きく縦断し、遥か北方へと伸びる。
「この砂漠地帯が終わるのがここだね。この先が森林地帯になっているよ。20万平方キロメートルのでっかい森だね」
立体映像をぽかんと眺めるケンには森の広大さがイマイチつかめずにいた。
「信じられないくらいに広いな……簡単にはいかないぞ」
「そうなの?」
ケンのその言葉に、エイはやれやれと頭を振る。
「お前は以前にカタシア山を越えたんだろ? その際に抜けた森林地帯……それを庭と例えるなら、今回俺たちが向かうのは大都会だ」
エイの噛み砕いた説明に、ケンは素っ頓狂な声を上げる。
「ええっ!? そんな、絶対迷子になっちゃうよ!」
「まあまあ落ち着けやケン。その森の住人……プロフェッショナルがおるっちゅうの忘れとらんか?」
リョウは仰々しくルリの肩を叩いた。そこでケンは以前の話を思い出す。砂漠を抜けた先の森には、魔女たちの集落――ルリの故郷があると。
「そっか! ルリちゃんならその森のことよく知っているよね!」
目を輝かせるケンに、ルリは苦笑する。どこか違和感のある反応に、ギィギは首を傾げた。
「ルリ、なんかぎこちないゾ? どうした?」
「あの……私、そこを黙って飛び出してきちゃいまして……」
「ケンカしたのか?」
「いえ……その……」
「黙って飛び出してきたのなら、皆心配しているゾ! ルリの父ちゃんや母ちゃんだって――」
ケンは慌ててギィギの口をふさぐ。ケンはなんとなくではあるものの、ルリの複雑で悲しい事情を察していた。そんなことなど露知らずなギィギに悪気がないとはいえ、不用心に口にしていいものではないのだ。
ルリは痛ましい笑みを浮かべながら手を振った。
「ちょうどいい機会ですし、一旦里帰りします。皆に会って謝って、それで――」
一行は息を呑んでルリの次の言葉を待つ。
「私も、皆さんと一緒に旅を続けます」
「うん、そうだね。ありがとう、ルリちゃん」
ルリは微笑みながら首を横に振る。
“ヴァナディース”のフレイヤ、そして魔女たち……彼女らの存在は未知数だ。しかし、砂漠の民たちと絆を紡ぐことができたように、彼女たちとも分かり合えるはずだとケンは天を仰いだ。
「せや、ギィギ、お前はこれから外の世界を見て勉強すんやろ? やったらこれだけは覚えとけ」
「なんだゾ?」
真面目な表情でギィギに向き合うリョウ。
「世界は綺麗なことだけやないってことだ。お前に対して、ひどいこと言うたりしたりする輩もおるが、全部がぜんぶそういうヤツちゃうってことも……分かってほしい」
「大丈夫だゾ。みんなの為にオレは止まれないから、そこは覚悟しているつもりだゾ」
笑顔でそう答えるギィギに、リョウは危うさを感じ取った。しかし、今の彼に他にできることはなくただこう言うのみだった。
「……忘れんな。俺らは友達やし、仲間や。遠慮せず何でも頼れ。ひとりやないってのは、ホンマ世界でいっちゃん強ええんや」
「うん……ありがとうだゾ」
満天の星空の下で交わした誓いは、少年少女たちの心を固く結びつけるものだった。
翌日。ギィギの家で朝食をごちそうになった一行。腹を満たした後は広場で休憩をしていた。
忙しなく行き交う砂漠の民の人々。皆ユーラシアに向かう準備をしているのだろう。馬に荷物を積み込んでいた。その様子を日陰から眺めていた一行にひとりの砂漠の民が近づいてきた。
「サリサさん。どうかしましたか?」
ケンは思わず立ち上がってしまう。しかし、サリサの表情は数日前の暗いものではなく、むしろ決意が固まり前を向いているものだった。
「皆さん、息子を、ギィギをよろしくお願いします」
深く頭を下げるサリサに、ケンは思わず内に引っかかっている気持ちを打ち明けてしまう。
「それはもちろんなのですが、いいんですか? サリサさんは――」
ゆっくりとかぶりを振るサリサ。フードの奥で彼女の目が優しく煌いている。
「私はあの子を大事に想うあまり、あの子自身の気持ちというものが全く見えていませんでした。子はいつまでも子のまま……そんなこと、絶対にあり得ませんのにね」
遠くに目を向けるサリサ。それは馬や人々、そして家屋さえも通り越し、青々とした大空に向いていた。
「家事や弟たちの世話、そして種族の長としての立ち振る舞い……すべて大人が押し付けていると思っていましたが、それは間違いで、あの子なりに自分ができることを必死でやっていたに過ぎないのですね」
エイは深く頷く。リョウは嬉しそうに手を打った。
「そうやでおっかさん! アイツ、アンタが思っとる以上に優秀なヤツなんや! 優秀やからこそ、なんでもどんどんやれちまうっちゅうわけや!」
「ですから、心配しないでくださいね。ギィギさんには頼ってもらいますし、頼りにしています。私たち、みんなで力を合わせます」
リョウとルリに微笑むサリサ。
「本当に、天から与えられたこの素晴らしい巡り合わせに感謝します。皆さま、出立の夕刻まではどうかおくつろぎください」
サリサと入れ替わるように、ギィギがやってくる。嬉しそうに去っていくサリサの背中を、ギィギは不思議そうに眺めた。
「ん? みんな母ちゃんと何話していたんだゾ?」
「ギィギが寝小便垂れるから心配なんやて!」
いたずらっぽくからかうリョウを、ギィギはぱしぱしと叩く。
「今はもうそんなことないゾ!」
今は……。昔はあったのかとケンは内心微笑ましく思った。
「それで、ギィギどうしたの?」
「あっ、そうだった。みんな、北の果ての森に向かうから馬や荷物の準備しよう!」
その後は、長旅に向けての準備に明け暮れた。行路やペース配分、必要な食糧……皆で額を寄せ合い細部に至るまで話し合った。
徐々に日は傾いていき、やがて旅立ちの時間が目前に迫っていた。村の出口に一行は集まる。彼らの横を、馬に乗った砂漠の民たちがユーラシアに向かって次々と発っていた。
「ギィギ、荷物は大丈夫だな?」
「環境がまるっきり変わるのだから、体には気を付けなさいよ?」
ガォガもサリサも気が気ではない様子だった。
「もう、何回目だよそれ……オレは大丈夫だゾ。それよりも、父ちゃんも母ちゃんも、弟たちもみんな元気でやるんだゾ?」
家族との抱擁を終えると、ギィギは元気よく馬に飛び乗る。ケンたちもそれに倣い馬に乗り込んだ。
「ルリちゃん、馬に乗るの上手くなったね。……ウマだけに。……ふふっ」
「もう、からかわないでください」
気の抜けるやりとりをする彼らの後方から、砂漠の民の若者二人が馬に乗ってやってきた。道案内兼、ケンたちの馬の回収役の者だ。
「ギオとダル、頼んだゾ」
二人は手を上げギィギに応える。
「それじゃあ、みんな行こうか! ……ん?」
ケンの視線の先、トトが血相を変えてこちらに向かってきているところだった。リョウは額に手を当て、やれやれといった様子で頭を振る。
「トト、どうしたんだゾ? そんな荷物持って……」
「私も一緒に行く!」
息を切らせるトトに、リョウは言い聞かせるような口調で語りかける。
「あんな? 俺らは旅行に行くとちゃうんや。トトは――」
「じゃあなんでギィギはいいの?」
「ギィギは社会勉強や。ええか、トト? お前にもやらにゃあかん事がぎょうさんあるはずや。みんなで力合わせ、立派な国作るんちゃうのか?」
トトは何か言いたげにリョウを睨みつけるが、やがて力なくうなだれた。そんな彼女に、リョウは優しく声をかける。
「……全部、俺がやるべきこと全部終わったらまたここに来るつもりや。そん時に、また会おな?」
トトは歯を食いしばったまま顔を上げると、笑顔と泣き顔が入り混じった表情を見せる。
「約束だよ?」
「ああ、約束や」
心機一転、一行は各々の決意を胸に新たなる門出に心躍らせる。ギィギが馬のわき腹を踵で優しく小突くと、馬は歩みを開始する。親しみのある村を最後に一目見ておこうと、ケンは身をよじる。すると、あることに気が付きケンはギィギに声をかけた。
「ギィギ! あれ見て!」
一行は馬を止めその場で振り返る。村の出口には、ガォガを先頭に砂漠の民たちが集まっていた。ガォガは両手を高々と掲げると、大きく息を吸い込み声を張り上げた。
「太陽神よ……どうか、この者たちの行く先を永劫照らし続けたまえ! 旅立つものたちに、祝福を……!」
ケンは顔を綻ばせ大きく手を振る。ルリ、エイ、リョウも。ギィギは隣に浮かぶトリッガーへ笑いかけると、彼もまた笑顔を浮かべた。
「“絆”……タグ添付。温かいってこういうことなのかな……」
トリッガーの独り言は、夕暮れの砂漠に消えていった。
ギィギは故郷を目に焼き付けるように見つめる。
(みんな、オレは行ってくるゾ。この目で外を見て、“国”がどういうものかって見極めて帰ってくるゾ……!)
* * *
ユーラシア内部、ヘヴンにて。
砂漠の民たちの調査は静かに始まっていた。巨躯を持つセトも、その身を丸めてしきりに過去の遺産を興味深げに調べている。そんな様子を遠巻きに、彼の手下は眺めていた。
「はあ……セトさん、すっかり丸くなっちまったな……」
黒い肌の男が溜息をつくも、隣にいる緑色の肌の男はすぐさまそれを否定した。
「何言ってんだお前? セトさんがこのまましょぼくれた位置に収まるような小物だと思ってんのか?」
怪訝な顔をする男。すると、二人の下にセトが近づいてきた。声を落とし、周囲に気を配りながら二人に告げる。
「今はあいつらのゴッコ遊びに付き合ってやれ。技術を理解し、使いこなせるようになってからが……俺たちの“出番”だ」
セトは邪悪な笑みを浮かべる。手下の二人もそれを見て嬉しそうな表情をする。
「セトさん……! てことは!」
「ああそうだ。“力”ってもんは使わなくっちゃあ意味ねえよなあ?」
「くうー! さすがセトさん! ずっとアンタに着いていきます!」
ユーラシアの壊れた天井から覗く空は、夜の闇に沈んでゆくところだった。
* * *
森、鬱蒼と茂る広大な樹海。重なる枝葉が影を落とし、何もかもを暗く染め上げている。
風が樹海を通り抜け、木々を揺らす。開けた広場、倒木に一人の女性が腰掛けていた。妙齢の彼女は、オーエド・シティの文化由来の“着物”を羽織っていた。はだけさせ、片腕は露出している。
彼女はキセルを咥えながら、刀に付着した血と脂を丁寧にぬぐい取っている。周囲のそこかしこに、胴と首とが生き別れをした野盗たちの遺体が転がっていた。
風が樹海を通り抜け、むせ返るような死臭を洗い流す。
「ふーっ、強すぎるってのも考え物よね。……って、もう聞こえないか」
彼女の吐き出す煙が、木々の間に消えていった。




