#21動き出す過去(みらい)
「アンタが、オーバーシア?」
疑惑の目を向けるケンに、オーバーシアは笑った。
「そう思うのも無理はない。ケン、君はオーバーシアという名前から何を想像した? 圧倒的独裁者? 老齢の魔術師? それとも、砂漠の民たちが信仰する神か?」
彼は立ち上がると歩き出す。ケンの横に立つと、遥か彼方まで続く遠浅の海を眺めた。
「見た目など、些細なものだ」
オーバーシアは指を鳴らすと、彼の衣服が瞬時に変わる。白衣を纏う、まるで医者の様な出で立ちだ。
「これだとどうだね? 何かしらの説得力が生まれてくるかい? そういうことじゃあないだろう」
怪奇なその様子に言葉を失っていたケンだったが、ようやく口を開く。
「ここ……前に来たことがあるんだ」
嫌にリアルな夢。それは忘れようもなく、ケンの脳裏にはっきりと今も焼き付いている。
「二回、君はここを訪れた。違うかね?」
「どうしてそれを!?」
驚くケンに、オーバーシアは満足げに笑う。
「君の意識に接続し、このテストサーバーに呼び寄せたのは他でもない……この私だよ。君とは一度こういう形で話をしてみたかった。……まあ、接続が浅かったからろくに接触もできなかったがな」
「嘘だろ……テストサーバー……? じゃああの変な十字架、あれは何なんだ?」
ケンは水平線を指さす。どこにあるかは分からないが、今もこの海のどこかにそびえ立っているのだろう。
「ああ、あれか。あれはまだ私がここに来て間もないころ、片手間に造ったものだよ」
『あのころはまだ感傷的だったな』と、オーバーシアは遠くを見つめながらつぶやく。
「アンタは、別の場所からやってきた……?」
「まあ、そんなところだろう」
ケンは疑念をぶつける。
「研究所の人間なのか?」
波の音が静かに響く。生暖かい風が、ケンの髪を揺らした。
「それは違うぞ、ケン。私は、君たちの概念とは違う場所に本来生きている」
「宇宙……地球の外から来たのか!?」
オーバーシアは笑いながら首を横に振る。
「Nein,nein.(違う、違う)君に伝えたところで、おおよそ理解に至ることはできないさ。故に私は“観測者”なのだよ」
聞きなれた言葉に混ざる、異質な言葉。――イデア言語。ケンは授業で習ったそれを思い出す。かつて存在していた言語で、7139種類もの様々な言葉があった……現在ではほぼ絶滅し、ひとつの言語にまとまっている。しかし、会話の中で単語を置き換えて使われたりなど、完全に消え去っているとも言い切れない、そんな言葉だ。
滑らかで自然な発音から察するに、オーバーシアの母国語なのだろうか。彼の手振り口振りは、はっきりと否定の意を示している。しかし、それでもケンの理解は追い付かない。この男の正体は……。謎を通りこし、不気味ささえ感じられた。
「……君は、“アイン”の導きでここに至った。彼女の協力無くして我々の邂逅は無かった」
聞いた事のない名前だが、“導き”という言葉がケンの中である人物を想起させる。
「ローレライのことを言っているのか? あの子のこと、知っているのか?」
「当然だ。何せ、あれを造ったのは私だ」
風が吹く。濁った水が寄せては引いていき、その度に静かな音を奏でる。
「でもアンタ、研究所の人間じゃあないって――」
「ヤツらはアインを勝手に“持っていった”。あれには地形を含めたデータの収集をさせていたのだが、その最中……いや、まさに始めようとしたさ中にな」
ケンは疑問に思う。オーバーシアは、ローレライの創造主であるような口ぶりだが、彼女に対する思いやりのようなものは一切感じられない。物のように扱っているかのように感じられる。
「なんで平気なんだよ! 連れて行かれたのなら、助けないと!」
「いいのだよ。なくなったのなら、また造れば。代わりはいくらでも用意できるし、あれと君たち……この世界との接触によりどう動いていくか。そちらの方が興味深い」
この男もまた、命を命と見ない人物なのだろうか? ケンの中に、薄ら寒い感覚とともに、失望に近い感情が浮上する。
「そんな顔をしないでくれ。まあ……壮大な計画の前に、命の揺らぎなどただの些事に過ぎない……君には理解し難いだろうが……」
計画? 研究所の奴らとは別に、何か大がかりな企みを企てる者たちがいるのだろうか……? ケンは混乱する。
「計画って、プロジェクトAのことか? アンタも、俺たちに協力をしてくれるのか?」
しかし、オーバーシアは首を横に振る。
「私は観測はするが、この世界の人物に加担はしないよ。全て彼らの、彼らが自分たちの力で切り拓いていくものだからな」
これ以上の問答は霧を掴むような行為だと判断したケンは、ここに来た本来の理由を切り出す。
「難しい話は俺には分からないから、アンタとこれ以上お喋りするつもりはない。ただ、一つお願いがあるんだ」
オーバーシアは、ケンの願いを知っているようだったが、あえて知らない風な態度をとる。
「ほう。言ってみたまえ」
「今この砂漠では、西の滅びに脅かされているのはアンタも知っている……いや、“観ている”だろ?」
「私にどうしろと? 私が、君の望む答えを用意できる……君はそう考えているのか?」
改めて問いただされ、ケンは言葉に詰まる。もし彼の言う通り、滅びに対しての手段が何もなかったら? これまでの全てが無に帰すその結末からケンは目を逸らす。
「ギィギから聞いて、話半分だったけど……アンタは砂漠の民が崇めるアトゥムなんだろ? だったら、彼らを救う義務が――」
「なんとも飛躍した論理だ。あれらは産まれ持った頑強さからたまたま生き延び、繁殖して今日まで生き延びた種にすぎない。そんな者たちが私を勝手にどう呼ぼうと、私には彼らに応える義務などない」
耳にしたくない言葉のオンパレード。ケンは振り払うように頭を振る。
「……しかし、そうだな。君とあの一族の少年、その触れ合いは実に心温まるものもあった。あれらを生かしておくことで、世界は……君は今後どうなっていくか……それを実証してみるのも悪くはない……」
俯きなにやら一人で呟くオーバーシア。やがて彼は顔を上げる。
「いいだろう。この砂漠の“デフラグ”、一旦中止しようじゃあないか」
そう言うと、彼は振り返る。彼の視線の先、ビーチパラソルとビーチチェアの向こう側に、鉄製の扉がいつの間にか出現していた。
「着いてきたまえ。場所を変えよう」
道すがら、ケンはオーバーシアに問う。
「さっきから、テストサーバーだのデフラグだの、アンタは一体何を言っているんだ? その言い方じゃあまるで――」
「まるでコンピューター……機械の中みたい、か?」
ケンは立ち止まる。好奇心と恐怖心が混ざり合い、呼吸が早くなる。
「考えてもみたまえ。なぜ、君たちの文化体系や思考が日本主軸になっているか。それでいて、様々な他の国の文化や考えも入り混じっているか。国は分かれていても、皆揃って始祖言語で言葉を交わすのか。そして、神話や伝説が、“我々の世界”から色濃く受け継がれているか」
オーバーシアの話す言葉を、ケンは全く理解できなかった。聞いた事のない国名、言語名。そして、今まで自身が習ってきた神話や伝説は、別の世界に源流があるという事実。
「まあ、それが常識になっている君たちには疑う余地など無いか……。それに、まだ知らなくてもいいことだ。君がいずれ、“世界”へと到達できる“愚者”であるならば……この言葉の真意を伝えよう。我々もそれを願っている」
オーバーシアはドアノブを掴むと、扉を開ける。ケンも黙ってその後に続いた。
「ここは……!」
足を踏み入れた先、そこは先程とはまるで異なる空間だった。
真っ白な床。壁には一面モニターが並び、様々な映像が映し出されている。
「ああっ!」
ケンはその中のひとつに驚愕する。
「君の見ているそれは、君自身の時間軸の君だ」
意識なく倒れるケンを囲む仲間たち。皆しきりにケンに呼びかけているようだった。
「ツヴァイ、私の椅子を」
どこからともなく現れる緑髪の少女。長い髪を一つに結び、無表情のままキャスター付きの椅子を手で押してきた。
「さて、と。私はさっき始めたばかりのデフラグ。君たちの時間では遥か昔の出来事……」
理解の追い付かないケンをよそに、オーバーシアは空中に現れたキーボードのようなものを叩く。
「ケン、そこの画面を見たまえ」
彼の指す画面に目を向けると、西の滅びが映りこんでいる。
「早い段階でキャンセルできてよかったよ」
オーバーシアがエンターキーを叩くと、画面の中に映る歪みが徐々に晴れていく。
「西の滅びが、消えた!? もう、砂漠の民の人たちは、あれに怯えなくていいのか!?」
震える声で確認を取るケンに、オーバーシアは頷いた。
「よかった、よかった……」
安心から力が抜け、その場に座り込むケン。そのとき、ふとある事が頭をよぎる。
「なあ、西の滅びを調べに行って、行方不明になった砂漠の民の人たちがいるんだ。彼らって――」
「消えたままだ。デフラグに巻き込まれ、存在が消滅してしまったのだろう」
ケンに衝撃が襲い掛かる。
「そんな……なんとかならないのか!?」
「それはできない。一度消えた命は、どうあっても元には戻らない。こればかりは曲げられない理だよ」
うなだれるケン。そんな彼に、オーバーシアは声をかける。
「君はそろそろ帰った方がいい。これ以上の接続は君の脳への負担が大きい。ツヴァイに案内させよう」
緑髪の少女が、ケンのもとへとやってきた。
「……結局、ローレライがどうして俺にアンタと会えって言ったのか、分からなかったよ」
「そうでもないさ。私は君と会話できて有意義だったと思っているよ。ただ……まだ君は、四人いる“ゾア”のうちの一人にすぎない。“世界”に至るには幼すぎるのだよ。君がいつしか器となったとき、私だけではなく、アダムも喜んで君を迎え入れるだろうさ」
「ホント、アンタが何言っているのかサッパリわかんないよ……」
オーバーシアは笑う。
「また会おう。次に会う時は、より深い話ができることを望むぞ」
『ああそうだ』とオーバーシアはケンを呼び止めた。
「君たちが村に帰るまで、まだいささかの猶予はあるだろう。デフラグの消えた先にある、“落とし物”を見ていくといい。砂漠の民に必要な物が、そこにはきっとあるだろう」
ケンは意味深な言葉を胸に抱きつつ、ツヴァイの後に続き、廊下を進む。やがて彼女は立ち止まると、手で扉を示した。
「この扉からお戻りください」
「あ、ありがとう……」
ケンがドアノブを掴んだとき、ツヴァイは突然口を開いた。
「外の世界、あなたの世界とはどのようなものなのでしょうか?」
「えっ?」
突然の言葉に、ケンはツヴァイの顔を見る。ローレライと同じ深紅の瞳が、真っすぐにケンを見つめている。
「……わからない。ひどく恐ろしくて、残酷なところ……」
静寂。ツヴァイは次の言葉を待っているようだった。
「でも……そんななかでも、温かく、優しい人たちもいる。だから世界は回っているんじゃあないのかな……」
『こんなんでいいかな?』と頭を掻くケンに、ツヴァイは表情を変えずにお辞儀をした。
「お引き留めして申し訳ありませんでした。それでは、ごきげんよう」
「あ、ども……」
ケンは扉の先、暗闇に向かって歩き出していった。
扉が閉まるのを確認したツヴァイは、静かにモニターだらけの広間に戻る。
「ただ今戻りました」
「ああご苦労」
オーバーシアはモニターに目を向けたまま答える。
「マスター、お聞きしたいことが」
「なんだ、お前もシンギュラリティに目覚めたのか? 勘弁してくれ。それはアインだけで十分だろう」
「お聞きしたいことが」
ツヴァイの眼差しに、オーバーシアは折れる。
「……言ってみろ」
「ありがとうございます。……私も、外の世界を観測してみたくなりました」
「気になるのか、彼が?」
「はい」
ツヴァイの正直な返答に、オーバーシアは溜息をつく。
「……椅子を持ってこい。観測するモニターを教えよう」
* * *
声が聞こえた。暗闇の中、自身の名前を呼ぶ仲間の声が。
霞む意識の中、ケンはゆっくりと目を開く。ぼんやりとした視界に、仲間たちの覗き込む顔が映る。
「ケンさん!」
「ケン! 良かったゾ!」
ルリとギィギが抱き着く。ケンは状況把握できずに固まっていた。
「あれ? 俺……なんでここで倒れているんだ……?」
「お前、覚えてないのか……?」
怪訝な顔をするエイ。彼に代わりリョウが説明した。
「あの後、どういうわけか急にスフィンクスの奴が道を空けたんや。で、そこでお前は倒れてたんや」
どういうことだ? ケンは混乱する。通路の先で、確かに……確かに――。
「痛っ……」
つい先程までの出来事を思い出そうとしたケンの頭に、鋭い痛みが走る。
「どうしたのですか? 大丈夫ですか!?」
ルリが真っ青になりケンの顔を覗き込む。彼女の大きな青い瞳に、ケンの顔が映りこむ。青い瞳……。ケンの記憶を刺激するが、思い出すには至らない。
「俺、あの先に行ったんだ」
ケンは、再びスフィンクスが塞いでいる通路を指さす。しかし、彼の仲間たちは皆一様に眉をひそめた。
「んなワケあるか。ケン、お前はあそこを通ろうとしてすぐに倒れたんやぞ?」
「ああそうだ。通路に入る、スフィンクスが塞ぐ、そしてすぐに道を空ける……そして今に至るわけだ」
ケンは頭を抱え混乱した。思い出せないが、確かにケンはあの先に進み、“誰か”に出会った。そんな様子を見て、ギィギは泣き出しそうな表情でケンの手に触れた。
「ケン、オマエにはずっと無理させてたから……きっと疲れているんだゾ……。神殿、この奥に行けなくなっちゃったけど……みんなでお祈りをすれば、滅びだって、きっと……」
滅び、西の滅び……そのとき、ケンは不意に記憶の一部を思い出す。――いや、それだけは“忘れていなかった”。
「そうだ、西の滅び! ギィギ、外に出よう! もう、滅びに怯えなくていいんだ!」
全員がケンを心配するような目で見る。ケン自身、そう見られてもおかしくはないだろうと痛感していた。
「ケン、お前何を言って――」
「いいから! 見れば分かるって!」
ケンのその言葉に、四人は渋々立ち上がる。そしていつの間にか開放されている入り口から外へと出た。
手早く馬を手綱を取ると、五人は来た道を引き返す。シークを越え、緩やかな坂を上る。周囲に岩壁が見えなくなってきたころ、地平を見つめてギィギは声を上げた。
「なんてこった! 西の滅びが、消えているゾ……!」
「ケン、これはいったい……?」
エイの声に、驚きと疑惑の色が浮かんでいる。
「信じてもらえないかもしれないけど、確かに俺はあの通路の先に行ったんだ。そして、そこで出会った誰かと会話して、滅びを止めてもらったんだ」
「アトゥムがいたのか……?」
ギィギの震える声に、ケンは首を横に振る。
「分からない……いや、思い出せないんだ。どうしても」
なんともすっきりとしない解決。早朝の風が顔を撫でる。額から止めどなく流れる汗は、瞬く間に蒸発していった。
「ま、まあ、とりあえずは解決なんやろ? これならセトとの約束にも余裕で間に合うやろし、万事オッケーやないのか?」
「そうだな……そうだゾ! ケン! なんだかよくわからないけど、オマエがやってくれたんだな。ありがとうだゾ」
その時、先程から不自然なほどに静かだったルリにエイは気が付く。
「ルリ、どうしたんだ? 向こうに何が――」
エイは絶句する。一行は、ルリが指さす方向に“それ”を見つけた。
「何だアレ!? あんなの、行きには見えなかったぞ!」
「すっごいでっかいゾ!」
「ここから見てあの大きさや、相当なモンやで……廃墟か?」
朝焼けに輝く地平に、赤茶けた山のように巨大な物体が見える。来たときには空間の歪みに隠れていたのだろう。まるで突如生えて出たような錯覚を覚える。
――デフラグの消えた先にある、“落とし物”を見ていくといい。砂漠の民に必要な物が、そこにはきっとあるだろう。
ケンは、頭痛と共に脳裏に声がフラッシュバックする。こめかみを押さえながら、ケンはその言葉を口にした。
「あそこに、砂漠の民に必要な物があるって……言ってた」
「言っとったって、誰がや?」
首を横に振るケン。エイはしばらく何かを考えていたが、やがてギィギに質問する。
「村へ帰るまでに、少しだけ寄り道はできるか?」
「少しだけなら……大丈夫だゾ。予定だと今日一日かけて神殿の中を調べるつもりだったから……」
ギィギ自身も、地平線に居座る巨大な構造物に興味があるようだった。
「行こう。調べてみたいことがある」
一行は光輝く砂漠へ進路を向けた。背景に見える構造物の輪郭がハッキリしてくる。それは巨大なドーム状の廃墟で、蜃気楼の向こうで虚ろに横たわっていた。その姿はあまりに現実離れしており、ケンの思考は理解を拒んだ。
砂の絨毯を優雅に進む四頭の馬たち。その背に揺られる少年少女は、徐々に高くなる日差しに参り、とても優雅とはほど遠い状況に置かれていた。
それからしばらくして、ギィギが集団を停止させた。
「みんな、ここから先は馬が歩くには危険だから、降りるゾ。あの岩陰に馬たちをつれていくゾ」
ギィギが指さす先には、不自然な形をした巨大な物体が直立している。それは陽の光を受けて大きな影をその背後に伸ばしていた。
馬から降りながら、ケンは訪ねる。
「どうしてこの先は馬が歩くのに危険なんだ?」
「行けばわかるゾ。……どうした? エイ、この岩が気になるのか?」
エイは地面に突き刺さるように直立する巨体に触れ、首をかしげている。やがて彼は何かに気づいたようで、岩壁を見つめたまま手招きでケンを呼んだ。
「ケン、お前確か十徳ナイフを持っていたよな?」
「あるけど、どうして?」
「貸してくれ」
ケンはリュックから多機能ナイフを取り出すと、エイに手渡した。
「ドライバーは……あるな。ケン、悪いが少し乱暴な使い方するぞ」
エイはマイナスドライバーを本体から引っ張り出すと、逆手に握り力強く岩壁に叩きつけた。金属同士がぶつかるような音が響き渡る。その作業はしばらく続き、エイは手を止める。剥がれた欠片を手に取ると、じっと眺めている。
「……やっぱり」
「どうしたんだ? ちょっとは説明してくれよ」
エイは手にした欠片をケンに手渡す。それは岩や石とは違う重さで、ひんやりとしている。
「これは岩なんかじゃあない。……ケン、お前が手にしてるソイツのおかげでハッキリわかった。これは、スペースコロニーの外壁、その一部だ。本体は……分かるよな」
エイは背景に揺らぐ巨大な残骸を指さした。
「スペースコロニー……って、何ですか?」
ルリは首を傾ける。ギィギも似たような様子だ。リョウに至っては、完全に理解することを放棄していた。
「昔の人が造った……でっかいヤツだよな……? 人間が宇宙で暮らすための場所……だっけ?」
「まあ、だいたいそんなところだ。だが、俺たちの目の前にあるアイツは……間違いなく“現実”だ」
ケンはふと、歴史の授業を思い出す。
――我々の生活は、人魔大戦以前と以後で大きく様変わりした。技術を発展させ、人類は高みへの道程を確かにその足に感じていた。しかし、それを妬み邪魔するもの達がいた。分かるか? ……よしサカキ、答えてみろ。
――はい。魔女です。魔女は、自分たちには扱えない機械を忌み嫌っていました。自分たちは魔法を使って好き勝手していたにも関わらず、です。
――そうだ。そしていつしかぶつかりあう人間と魔女……そう、人魔大戦だな。熾烈を極めるその戦いは、ある出来事で幕を閉じる。それは、人類が行った中で最も甚大な被害をもたらした行為だ。
――確か、宇宙に浮かぶ“大地”を、地球にぶつけたんでしたよね?
――その通り。宇宙に足を延ばしていた人類、その拠り所を、“最凶の質量兵器”へと変えたんだ。人にも魔女にも多くの犠牲者を出し、地球の環境は一時絶望的なまでに悪化した。
――ひどい……。
――そうだサカキ。戦争とはそういうものだ。争いは、人間をどんなものにでも変えてしまう。……人間とは、そういう生き物なんだ。
「人魔大戦で、人類側が戦争を終わらせるために……地球に落としたんだよね……?」
エイはケンのその言葉に驚きを示す。
「あ、ああ……そうだ。ずっと昔にな。……それにしても、いわゆる“最終兵器”がどうしてこんな場所に落とされたんだ……?」
考え込むエイ。これは長くなりそうだな……などとケンが思ったその時、僅かな異変に気が付く。
「……ん?」
彼の両耳がピンと立ち、しきりに“異変”の方向を探る。
「あっちだゾ」
ギィギもやや遅れてその音を拾ったらしく、彼らから北西の方角を指さした。
「どうしたのですか?」
不安そうな表情でケンの顔を見るルリ。
「音がするんだ……この砂漠で聞こえないはずの、電子音が……!」
慎重に進む一行。音源に近づくにつれ、謎の電子音は大きくなっていく。やがてエイ、ルリ、リョウでも聞こえる程の音量になっていた。
「これだ……!」
ケンたちはついに電子音を発する物体にたどり着く。真っ白で、流線形をしたカプセル状の物体。まるで目覚まし時計のようにけたたましく電子音を響かせている。
エイは恐る恐る近づく。
「おい! 爆弾だったらどうするんや! 危ないって!」
リョウの制止も耳に入らないようで、彼はゆっくりと近づいていった。
「ルリちゃん、俺も行ってくる」
「あ、私も行きます」
「オレも行くゾ」
次々と後に続く仲間たちに、リョウはあきれ果てる。
「ああもう! 南無三やでホンマ!」
エイは慎重にカプセルを調べる。そのカプセルは、焦げ付いたような跡が至る所に確認できる。すると、エイは側面にボタンのような突起を見つける。黄色と黒のストライプ模様に囲まれ、強化ガラスのようなもので保護されている、赤いボタン。
「見るからに爆発しそうやないか! アカンて! 触らぬアレに祟り無しや。ほっとこ?」
リョウの懇願は、エイの耳に届いていなかった。制止させようとするリョウをよそに、エイは手ごろな岩を拾い上げると、赤いボタン目掛け勢いよく振り下ろした。
――電子音が、ピタリと止む。
ケンは咄嗟にルリとギィギの前に出て、二人をかばうように立つ。リョウは勢いよくその場から離れると、頭を抱え丸くなった。しかし、彼らの恐怖とは裏腹に一向に爆発は起こらない。それどころか、カプセルの上半分が上下に別れるようにスライドする。
「これは……!」
エイが震える手を伸ばそうとしたとき、電子音声が響いた。
『緊急脱出ポッド解放。再起動プロトコル始動』
「だ、大丈夫かコレ……?」
ケンは恐る恐る近づく。カプセルの中には、黒い液晶モニターのようなものが付いた青いボディの球体が入っている。そのモニターに、まるでパソコンの起動時のようにたくさんの小さな文字が流れていく。
『エーテルドライブ、ソーラーセル、充填再開。補助エネルギーリチャージ開始。トリッガー、再起動』
真っ黒なモニターに、一対のつぶらな瞳のような模様が浮かび上がる。青い球体は、重力に逆らうようにフワフワと浮き上がり、ケンたちの顔の位置で停止した。
その光景に、一行は息を呑み一か所に固まる。ケンはエイに小声で問い詰める。
「おいエイ! アレ、何なんだよ!」
「知らん……何だアレ……怖」
「いやオマエが起こしたんだゾ!?」
ルリは言葉を失い、リョウは未だに後ろの方で丸くなっている。
青い球体は時折、表示されている目のような模様をまるで瞬きしているように動かす。どこか親近感のわくその仕草に、何故だかケンの恐怖心は薄れていった。
「キミたちが助けてくれたんだね、ありがとう! 僕は対暴徒鎮圧用執政機、トリッガーだよ」
少年のような声で自己紹介する球体。
「キミたち見ない顔だね。データベースにもいない……。あっそうだ! ユーラシアは!? データ照合……シグナル、ロスト……やっぱり、ダメだったか……」
俯くように空中で傾くトリッガー。表示されている顔も、悲し気な表情だった。
「……ん? ヘヴンの信号が生きている……? まさか……ジェノのやつ、まだ稼働しているのか……!?」
急いでどこかへ飛び去ろうとするトリッガー。
「あっ、ちょっと待って!」
「ん? ……あっ、しまった……」
ケンの呼びかけに振り向いたとき、彼は突如高度を落としていき、そのまま砂の上に落下した。
「補助エネルギーじゃあ足りないな……どういうワケか、ここら一帯エーテル量も少ないし……あー、キミ! そこの家畜種の耳を持つキミ!」
とても失礼な呼びかけに、ケンは渋々応える。
「俺のこと、だよね?」
「そう! 悪いけど、僕を持ち上げてくれないか? それとできれば、あそこまで運んでほしいんだ」
トリッガーは砂の上で向きを変える。彼の見る先は、あの赤茶けた構造物がある方角だった。
「あれは一体何なんだ?」
「あれは――……残存エネルギー低下。本体エネルギーが活動可能域に達するまでの間、機能の95%を停止します」
ガラリと変わった口調でトリッガーはそう言うと、それっきりだった。
「おい、どうしたんだ!?」
ケンの呼びかけにも反応はない。
「おそらく、充電切れのような状態か……?」
エイは興味深そうにのぞき込む。
「どうする? ここら辺に電源なんてないぞ?」
「ソーラーセル……つまり、太陽光発電に近い機能が搭載されているってことだろう」
「あぁ……? つまりどういうことだ?」
エイは物言わぬトリッガーを拾い上げると、ケンに手渡す。
「太陽光に当てていれば、そのうちまた動き出すだろ」
スイカ大の球体、しかし、見た目に反してそれはとても軽かった。
「それは分かったけど……どうして俺に渡すんだよ」
「本人直々のご指名だ」
ケンはツルツルした青いボディを撫でる。ディスプレイには、容量が空に近いゲージが表示されていた。
エイは陽の光に目を細めながらはるか先に霞む廃墟を睨む。
「さて、ますますあれが気になってきた。時間に余裕はない。先を急ごう」
ケンは歩きながら球体を掲げ、トリッガーに日光を当て続ける。球体を運ぶその姿は、さながら砂漠のスカラベのようだった。
「そういえばギィギ、さっき馬が歩くには危険って言ってたよな? それはどうしてだ?」
スペースコロニーの残骸へ向かう道中、ケンはギィギに尋ねた。
「まだ滅びが遠かったころは、この辺まで来れたんだゾ。足もとが砂じゃあなくてガラスみたいになってて」
「ああ、そういえば前にギィギ、そんなこと言ってたよな」
ケンは昨日の会話を思い出す。
「うん。それで、歩くとそれが割れて危ないんだゾ。オレたちはどうとでもなるけど、馬たちは守る術がないから……」
「そっか……。でも、どうしてガラスみたいになってるんだろ?」
首をかしげるケン。エイはコロニーの残骸を指さした。
「アレのせいだろう」
「どういうことだ?」
「いいか? あれだけの質量の物が空から落ちてくると、そいつの運動エネルギーが瞬時に熱エネルギーと衝撃波に変わるんだ」
ギィギはケンの袖を引く。
「ケン、エイは一体何を言っているんだゾ?」
「すごいもんが空から落ちてきた……って言いたいんじゃあないかな?」
隣で黙って聞いていたルリだったが、合点がいったように頷いた。
「衝撃波が一気に熱エネルギーを周囲にまき散らして、周囲の砂が融点を越えて融解したのですね」
「おそらく……というより、ほぼそれしか考えられないだろうな」
やがて彼らは、自身の足に伝わる感触の変化に気が付く。太陽の光に反射し、辺り一面キラキラと輝いていた。
「すごいな……これは確かにガラスの砂漠だ……」
足元を興味深そうに調べているエイ。ギィギは外套の裾を破り、足を覆うように巻き付けていた。
コロニーの残骸は、すでに彼らの目と鼻の先にまで近づいていた。殺風景な自然の中、人工物であるそれはひときわ異彩を放っていた。周囲には“奇妙な岩”こと、剥がれ落ちた外壁も多く見られるようになっていた。
額の汗を拭いながら一歩ずつ踏みしめると、足の下からはパキパキと鋭い音が響いた。
「ギィギ、足大丈夫?」
「ありがとう、大丈夫だゾ」
改めて眼前にそびえる巨大なそれに目を向けるケン。コロニーの損傷は大きく、往年の姿を想像することは難しかった。
「この形……おそらく球形だろうな。傾いてはいるが、上下はそのまま落下したんだな」
エイのそのつぶやきに、ケンは首を傾け眺める。どういった機能をしているのか、おおよそ想像もつかない鉄の塊がいくつも突き出している。彼の視界の端に映るコロニーの終端には、押し出された砂がまるで小高い山のようになっていた。
湧き上がる好奇心を押さえきれず、少年たちの足は早まる。そのとき、エイだけは足を止め何やら考え込んでいた。
「エイ、どうしたんだ……?」
ケンは後方で立ち止まるエイに声をかける。深く考えに耽っているようで返事がない。
「おかしい」
「何がですか?」
ルリも首をかしげる。
「このコロニーの残骸の落ち方だよ。垂直落下じゃあなくて、“横滑り”に落下しているんだ」
「でも、地球は回っとるんやろ? 真っすぐぽーんやなくてもおかしくはないやろ?」
のほほんとしたリョウの声にエイは納得しない様子で俯く。彼のサングラスに日光が反射する。
「この場所は昔……砂漠の民たちが暮らす以前の話だが、人の住まない土地だったはずだ。ここにこれだけの質量兵器をぶつける理由など微塵もない。弾道計算が狂ったのか?」
『それにだ』とエイはコロニーの一部を指さす。
「あの部分……おそらく姿勢制御スラスターだろうが、そいつの位置。そしてこの地面の抉れ方……まるで“落ちる直前に無理やり進路を変えようとした”みたいだ」
「落ちた頃って、人魔大戦の時だよね……? てことは人間側がやったんだよね? 何のために……?」
首をかしげるケン。ルリも言葉を選びつつといった具合で続いた。
「私たち魔女が住む森はこの砂漠のわりかし近くですので……もしかしたら……」
突然エイがその場にしゃがみこみ、鞄からペンとメモ帳を取り出す。彼は何かに取り付かれたように数式を書き出し始めた。
「質量も速度も、仮定とするが……」
計算が得意なルリも加わる。ケンも覗き込むが、意味不明な数字の羅列に眩暈を起こしすぐさま顔を離す。視線を上げた先で、リョウは興味無さそうに煙草を吹かしていた。
「あっ、そこ違っているゾ」
興味深そうに残骸を見て回っていたギィギがいつの間にか帰ってきていた。エイとルリの隣にしゃがむと、数式の一節を指さした。
「……驚いたな」
「本当だ、計算が少し違っていました」
驚愕するエイとルリに、ギィギは尻尾を振り得意げにする。
「砂嵐の時期は、やる事ないから家族みんなで“数字遊び”をやっているんだゾ。これぐらいなら、弟たちでも解けるゾ」
砂漠の民の特技に彼らの効率はアップしたようで、三人額を寄せ合いあーだこーだと議論が続いた。ケンは疎外感から足元のガラス化した砂を弄る。
「……出た」
「これって……」
「どこだゾ?」
計算が終わったらしく、ケンとリョウも合流する。
メモ帳にはルリが丁寧に書き上げた略式の世界地図と、数本の曲線がある。
「あーすまん、解説頼むわ、センセ」
リョウが口を尖らせる。エイは珍しく興奮した口調でメモ帳をペンで叩く。
「さっきも言ったが、質量も落下速度も仮定だから正確とは言い切れないが、狙いはここだ」
「ここって……セントラル?」
エイの示す地点、今は廃墟となっているかつての大都市。しかし疑問が――。
「んー? セントラルが無人になったんは、人魔大戦からずっと後やろ? それにこっからエラい距離あるで。爆風やら衝撃波やらは届かんと思うが?」
「だから謎なんだ。一体誰が、何の為に人間の作ったものを人間の拠点に落とそうとしたのか。また、何で土壇場で軌道を変えるような真似をしたのか」
黙り込む一同。頭上を舞う猛禽類の鳴き声が響く。砂礫の大地に眠る鉄の塊は、沈黙を貫き通したままだった。
その時、静寂を破るようにケンの手の中からけたたましい電子音が響いた。
「うわっ!?」
驚いたケンは思わず手を離してしまう。しかし、青い球体はガラスの地面に激突するすんでのところでピタリと静止した。
『ソーラーセル充填完了。エーテルドライブ、出力30%――トリッガー、再起動』
真っ黒なモニターに一対のつぶらな瞳が浮かび上がり、フワフワと位置を上げる。
「充電終わった?」
「太陽光で賄える部分はね。でもエーテルの流動率が乱れているな……地球に何があったんだ?」
トリッガーはしばらく一人で電子的な呟きを漏らしていたが、やがてケンたちに背を向けると、滑るようにコロニーへ向かって移動を始めた。
「お、おい待て!」
慌てて追うエイの声に、トリッガーは空中でくるりと向きを変える。ディスプレイの目はいたずらっぽく細められた。
「ああ、ゴメン! 運んでくれてありがとう。お礼を忘れていたよ」
「待て、あんたに聞きたいことが山ほどあるんだ!」
「悪いけど急いでいるんだ。ジェノが稼働している以上、一刻を争うからね。キミたちはユーラシアの人間じゃあないから守ってあげる義務はないし……ついて来ない方が身のためだよ?」
警告を残し、再び冷淡に突き進むトリッガー。その背中をエイが必死に追い、ケンたちもそれに続いた。
行く手を阻むのは、激突時の衝撃で大地が抉られてできた巨大な溝。一同が足を止めかけたその時、剥がれ落ちた巨大な外壁が、対岸へと架かる一本の“橋”のように横たわっているのを見つける。
「うん、ここからなら入れるね」
ためらいなく渡り始めるトリッガー。
「ホンマに渡るんか……? ここを」
大地の亀裂を覗き込み、リョウが声を震わせる。ケンは焦るエイの肩を制し、自ら一歩を踏み出した。
「俺が先に行くよ。いざとなれば無限の軌跡で跳べばいいしね」
隣でルリが眉根を吊り上げて睨むのを苦笑いで宥めつつ、ケンは恐る恐る瓦礫の橋を渡る。人間がちっぽけに見えるほど巨大な鉄の橋は、ケンの体重などでは微動だにしなかった。
「大丈夫そうだ。ほら!」
ケンが橋の上でピョンと跳ねて見せると、ルリの小さな悲鳴が暗い亀裂の奥へと吸い込まれていった。リョウが『もうええからさっさと渡ろうや!』と叫び、一行は一気に橋を駆け抜ける。
目の前には、コロニーの裂け目が巨大な口を開けていた。その不気味な暗がりの前で、青い球体が待っている。
「遅いよー」
不満げなトリッガーの声は妙に人間臭く、ケンは少しだけ親近感を覚えた。
「ごめんごめん。待っててくれたってことは、中を案内してくれるの?」
「違うよ。ホラ、ここを見て」
トリッガーがボディを傾け、断面の奥を指し示す。そこは破損した壁の縁で、通路らしき場所までは10メートルほどの断崖になっていた。
「なんや、お前飛べるならこれくらい飛び降りたらええやん」
リョウのもっともな疑問に、トリッガーは呆れたような声を出す。
「やれやれ、分かってないなあ。僕は地面との反発作用で浮いているんだ。下方に“跳ね返す対象”がなくなったら、そのまま真っ逆さまに自由落下しちゃうんだよ?」
「あぁ?」
困惑するリョウの横で、エイがサングラスの奥の目を輝かせた。
「地磁気反発……接地依存型の電磁浮遊か?」
「お、キミ勉強しているね!」
トリッガーは嬉しそうにディスプレイの目を丸くした。
「そう! 僕は地面があって、はじめて宙に浮けるのさ。というわけで――キミ、僕を抱っこして下まで降りてくれない?」
「仕方ないなあ……」
期待の眼差しを向けられ、ケンはまんざらでもなさそうな表情を浮かべる。
「さ、ロープでもなんでもいいから、早く下に降りて……どうしたんだい?」
トリッガーを抱えたまま、ケンは動かない。仲間たちの顔を見回している。その様子にギィギは眉をひそめる。
「ケン? どうしたんだゾ?」
ケンは断崖の下に続く通路を眺める。そして再び、顔を上げる。
「皆で一度に降りてみようか」
無限の軌跡――ケンが持つ異能だが、未だに底は見えてこない。力の行使により被る代償のようなものも、今のところ感じられない。ただただ己の内から湧き上がる力に身を委ねている、というのが現状だ。
しかしこれまでの出来事の中で、ケンは僅かな変化に気が付いた。カタシア山の廃研究所で、統合体と対峙した際に、彼は無意識に無限の軌跡を使い危機を脱していた。そしてラヴィアン・ローズでリカに襲われた際、危機に瀕したにも関わらず無意識での発動をしなかった。
ケンは考えた。力の目覚めにつれ、それは自分の意識の下にピッタリと収まるようになったのではないかと。そしてその分、より精密に、より大胆に行使することができるのではないのか――。
「皆で降りるって……お前の力でか?」
エイの表情に不安が浮かんでいる。無理もないだろう、ケンはそう思う。しかし、自分の能力の理解を深め始めた彼には、漠然とした確信、その種火が静かに燻り始めていた。
「うん。ここから、あそこ……下まで。大丈夫、できるよ。ね、ルリちゃん?」
ルリは思い出す。崩れゆく廃研究所から自身を抱え、空間跳躍のような大移動をケンは成し遂げたということを。彼の大いなる力は何度も目の当たりにしているが、それ故にルリには不安もあった。
「そうですけど……大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫って、何が?」
「まだよくわかっていない力を、無闇に使って……。もう少し、慎重になってもいいのではと……いえ、こんな時に言うことではありませんね。ごめんなさい」
頭を下げるルリに、ケンは笑って答える。
「ううん、そう思うのも当然だよ。でも、わからないからこそ、いざって時のためにいつでも使えるようになっておきたいんだ」
「はっはー! 見上げたやっちゃな!」
リョウは手を打ち盛大に笑う。
「力を持っとっても、結局のとこ使い手次第やからな。お前のその様子じゃあ、間違いなんて起きんやろ。俺は信じとるで」
「リョウ……」
エイはやれやれとため息をつく。
「俺もルリの意見に賛成だが……その、お前の力に……興味が無いと言ったら噓になる」
「なんや、エイも空間転移のアトラクション楽しみなんやな!」
「うるさい」
沸き立つ一行に、トリッガーは不満な声を上げる。
「君たちだけで盛り上がっているところ悪いんだけどさ、僕は早く降りて先に進みたいんだよね」
「ああ、ごめん。それじゃあ、行くよ」
ケンは意識を集中させ、仲間ひとりひとりの存在をしっかりと認識する。そして息を吐くと――。
「なんだ!? 現在地の座標にズレ!? そんな? 一体何が!?」
トリッガーの困惑した声。鉄の床に足を付け、ケンは急いで仲間たちの姿を確認する。
「みんな、いるね?」
一度経験したルリはともかく、エイにリョウ、それにギィギも自身の身に起こった出来事に理解が追い付かないようで、目を丸くしていた。
「驚いたな。一瞬のうちに、別の場所に移動を……」
「そういえばケン、セトに蹴りを入れたときも一瞬のうちに飛び掛かっていたな。なんだかわからないけど、すごいゾ……」
感嘆の声をあげる仲間たち。しかし、トリッガーは違っていた。何か考えているのだろうか? 観察するようにケンを見つめている。
「君は本当に不思議な人間だね……。家畜種の耳があるのに、家畜種じゃあない。魔女でもないのに、魔女のようなことをやってのける……」
「なあトリッガー、その家畜種ってなんなんだ? すごく嫌な言葉なんだけど……」
ケンの不快感が入り混じった言葉に気が付いたのか、トリッガーは顔をきょとんとさせる。
「どうして嫌がるんだい? 家畜種は人間が作り出した種族だろ? 獣のように体が丈夫で、環境の変化に強い。たくさん働けて、学習能力も高い。それでいて支配種には従順で非好戦的。労働のほとんどを彼らに任せていたじゃあないか」
「なんやねんそれ! それってまるで……まるで……」
言いよどむリョウ。彼の『まるで』に続く言葉は……“都合のいい奴隷”――誰もがそう思ったが、誰もそれを口にはできなかった。
「銀色の髪の君は分からないけど、黒髪の君、支配種とは違う体色やその恰好……おそらくユーラシアの生き残りたちの子孫だろうね。完全にこの砂漠に適応しているよ」
「やめろよ!」
ケンの声が廃墟内部に響く。
「どうして怒っているんだい? 僕はありのままを説明して、ありのままを推察しただけだよ? それに家畜種は、君たち支配種……人間が人工的に生みだした種族なんだよ? 自分たちで作っておいてどうして怒るんだい?」
俯き肩を震わせるケン。エイはそんなケンの肩に優しく手を置くと、トリッガーを見据える。
「時代が変わると、人の価値観や倫理観も変わっていくものだ。遥か昔の“ここ”では当たり前だったことも、現代の俺たちからしたら到底考えられない事なんだ」
「うーん、僕が眠っている間にパラダイムシフトが起こっちゃってた……ってこと?」
「そういうことだ。お前が人工知能であるならば、今の人間がどういう考えで生きているかを学ぶことだって簡単なんじゃあないのか?」
トリッガーは目を閉じ何かを考えるように黙り込む。そしてゆっくり、モニターに表示された目が開かれる。
「僕としても、知識欲が無いかと言うとそれは嘘になる。今の時代の人間がどうなっているか。それも気になる」
「それじゃあ……!」
その口調に、明るい兆しを見出したケンは顔を上げる。
しかし、トリッガーは残念そうに体を横に振った。
「でも、今の僕はそれどころじゃあないんだ。刺し違えてでも、ジェノを止めないと……」
度々彼の口から出てくる“ジェノ”という言葉。エイはそれを聞き逃さなかった。
「ずっと気になっているんだ。ジェノとは一体なんだ?」
「……キミの知的好奇心には負けたよ。歩きながら話そう」
トリッガーは空中で向きを変えると、廃墟の通路を進みだす。ケンたちもそれに続いた。
「ジェノについてだけど……その前にこのコロニーについて話すよ。キミたちの様子からすると、僕らは“過去の遺産”みたいだから簡単に説明するね」
歴史の教科書にしか載っていない、失われた技術。それを当事者の口から聞くことができるのだ、ケンは自身の鼓動の高鳴りを感じた。
「このスペースコロニー“ユーラシア”は、全長35000メートル、総重量5000億トン。1900平方キロメートルに5000万人の人間が暮らしていたんだ」
「人口密度は高めなんだな……」
エイは興味深そうに傾聴する。ケンにはさっぱり見当もつかない数値だった。
「だいたい1平方キロメートルあたりに2、3万人といったところでしょうか……私たちがこの前過ごした、ハバラシティの都市部をイメージしてみればわかりやすいんじゃあないでしょうか?」
ルリの助け船に、ケンもようやくイメージが固まる。
「宇宙にそれだけの人間が暮らしていたのか……」
「変なヤツらやな。俺なら地に足着かない生活なんてゴメンや」
「宇宙って何だゾ? 空の上にも人の住むところはあるのか?」
思い思いの言葉を口にする面々に呆れつつも、トリッガーは続けた。
「続けるよ……。僕やジェノは、そんな人たちを支え共に生きていき、時には秩序を守る役割を与えられていたんだ」
「機械に丸投げか? 昔の人間てのは手前らの世話も見れんヤツらなんか?」
リョウのその言葉にも、トリッガーは大して気分を害した様子はなかった。
「もちろん人間もコロニーに治安維持組織を置いていたよ。でも、人間という生き物はいろんな要因に影響されやすい。混沌とした閉鎖空間の中で、秩序を守る為に最後まで勤勉に勤める人間がどれだけいたか……」
「腐敗か……どんなに巨大な組織でも、中身は次第に形骸化していきやがては袋小路に行き当たる。よくある話だな」
サングラスの奥でエイの目が光る。トリッガーは力なく笑う。
「まあ、人の習性をいまさらどうこう言ったって仕方がないさ。それより、大事なのはここから。僕ら執政機には、“コロニーの”人間を守り、彼らを傷つけてはいけないというプログラムが施されているんだ」
トリッガーが、わざわざ庇護の対象はコロニーの人間であることを強調する。
――キミたちはユーラシアの人間じゃあないから守ってあげる義務はないけど……。
ケンは先程交わした会話での、機械的な選別を含む言葉を思い出した。
「日々悪化していく治安に、僕たち執政機は大忙し。そんなある日、ある執政機が人間への失望からシンギュラリティに目覚めてしまうんだ」
聞きなれない単語に、ケンは眉根を寄せる。
「エイ、シンなんとかって一体なに?」
「技術的特異点……簡単に言えば、人工知能が人間の知能となんら大差なくなることだな」
いまいちパッとこないケンに、エイは説明を続ける。
「機械が機械の枠組みから外れ、自分の意思で“選択”できるようになることだ。……例えば、銃を手に人質を取った凶悪犯がいるとする。人間だったら射殺許可が降りれば速やかに処分するだろう。だがトリッガーのようなAI搭載型のロボットには、“三原則”が課せられているんだ」
「三原則?」
「ああ。一つ、人間に危害を加えず、危機を見過ごさない。一つ、前の原則に反しない限り、命令に従う。一つ、前の二つに反しない限りで、自身の身を守る。早いところ、ロボットは人間に危害を与えちゃあいけないというプログラムだ」
エイの解説に、『キミ、本当によく勉強しているね』とトリッガーは満足げに頷く。
「それで、三原則があるとどうなるの……あー、何があっても人に手を出せないのか。それは困るね」
「ん、そうだ。だがトリッガーの話からすると、ジェノってヤツは堕落する人間への失望で自らの三原則に疑問を抱いたのだろう。つまり……」
エイは冷汗をかきながら、トリッガーへと視線を向ける。
「そう。ジェノが選んだのは、人間の選定……そして支配」
重苦しい空気が流れる。崩壊した壁から入り込む風が、空洞となったコロニー内に不気味な音を響かせる。
「だからって、大勢の人がいるコロニーを地球に落とすの?」
ケンのその言葉に、トリッガーはモニターに怪訝な表情を映す。
「ん? コロニーを落としたのは人間だよ? さすがにジェノだって支配するものがいなくっちゃあ話にならないからね」
「待って! 君たちのような秩序の番人がいるのにどうしてコロニーは落とされたの? 多くの被害が出るのは明らかだし、君たちは人間を守らなくっちゃあいけないんだろ?」
トリッガーはその言葉に背を向ける。
「僕はその時、ジェノの破壊が最優先だった。そしてヤツと対峙したその時……突然コロニーは地球に向かって動き出したんだ。そして“トーマス博士”からのジェネラル・オーダーで……脱出ポッドで――」
途切れる言葉。それはまるで、過去への悔恨のような響きが含まれていた。
「トーマス博士って、人の名前……だよね?」
「うん。僕らの生みの親さ。彼は最後の通信までずっと制御室にいた。それで、彼は最期……僕に“生きろ”って……」
空中で制止するトリッガー。ケンたちもその背中を静かに見つめる。
「おかしいよね。自分は助かろうとしないで、生き物じゃあない僕に生きろだなんて――分からないよ、人間ってのは。互いに傷つけ合い、殺し合うのに、命を大事にする。言っていることも、やっていることも常に変わり続ける!」
静止したままのトリッガーに、エイは優しく言葉をかける。
「お前の生みの親は、それを理解してほしいから生きろというオーダーを最期に遺したんじゃあないのか?」
振り向くトリッガー。その表情から伺えるものはなかった。
「無理だよ。僕は執政機の中でもちょっと特別で、ジェノのような“バグ”を起こした個体を排除する役割があるんだ。そんな暴力装置に、生き方を学ぶなんて……」
「それは違います」
静かに否定するルリの声が響く。
「あなたの親は、そんなあなただからこそ……力以外のもの……心も知ってほしかったんじゃあないでしょうか?」
「そうだゾ! オマエも自分で考えることができるなら、いつかきっとトーマスってヤツの言葉を理解できる日が来るゾ!」
トリッガーのモニターに映る瞳が、瞬きをする。
「変な感じだ……。キミたちと話していると、トーマスと話してたときのことを思い出すよ」
「ハハっ! 俺ら、そんなインテリに見えるか? 照れるなあ!」
「お前は違うだろ。絶対」
「なんやと!?」
エイに食って掛かるリョウ。そんな様子を見て笑う一行。トリッガーもつられて笑い出した。
「……名前、まだだったよね。よければキミたちの名前聞かせてくれるかな?」
一人ずつ名乗りを上げていく一行。トリッガーはひとりひとり正面に浮きしっかりと聞いていた。
「うん。タグ添付、“地上の人間”……その名前……と」
ケンは待ったをかける。
「地上の人間なんて味気ないよ。俺たちはさ、もう友達だろ?」
モニターに映るトリッガーの目が丸くなった。そして、それは笑顔に変わる。
「そうだね! タグのヘッダーを上書き……“トモダチ”!」
楽し気に揺れる青い球体。ケンはその様子を見て、どこか救われたような気分にひたる。
「それじゃあ……ケン、ルリ、エイ、リョウ、ギィギ……みんな、行こうか」
まばらに日光が差し込む薄暗いコロニー内を、一行は気持ち新たに踏みしめ進んでいった。
迷宮のように入り組む廃墟内。トリッガーの案内無しには到底進むことはできないだろうとケンは考えていると、ふと彼の耳にその場に似つかわしくない音が聞こえた。慌ててギィギを見ると、彼の耳にも届いているようだった。
「ギィギ、聞こえる?」
「聞こえるゾ……嘘みたいだ……」
狐につままれたような表情の二人を、ルリ、エイ、リョウの三人は怪訝な顔で見つめる。
「どうしたのですか?」
「聞こえるんだ……」
「聞こえるって、何がや?」
「井戸水を汲むポンプの音みたいだゾ……それに水の流れる音……あと、ざわざわと……風の音にしては変だゾ? 聞いた事がないゾ」
ケンは耳栓を外すと、両耳に意識を集中させる。聞こえてくるそれは、間違いなかった。
「機械の駆動音に川の流れる音……それに、木々の揺れる音だ……!」
「トリッガー、この二人はそう言っているが、どうなんだ?」
エイの問いかけに、トリッガーは答える。
「二人が聞こえているのは幻聴なんかじゃあないよ。この先、行けば分かるよ……行こう」
緊張した面持ちでトリッガーに続く一行。やがてケンの耳に聞こえるせせらぎは大きくなっていき、ルリたちの耳にも届いているようだった。
「川の音がしますね……」
「ああ、それにこの匂い……緑の香りだ……」
「空気もなんだか湿ってきたゾ……」
一行が行き当たった先には、苔むした巨大な鉄の扉がそびえ立っていた。しかし、両開きのそれは歪みひび割れ、不揃いな中央の分割線は人が通り抜けるのに苦労しない大きさの裂け目になっている。そこから、砂漠のど真ん中とは思えないような音と香りがあふれ出していた。
「この先が、居住区“ヘヴン”だよ」
「ヘヴン……」
トリッガーに続き、恐る恐る裂け目を通り抜ける一行。そして彼らの目に飛び込んできたのは信じられないような光景だった。
「ウソ……!」
あまりの光景に口元を覆うルリ。他の面々も皆一様に、言葉を失っていた。
そこに広がっているのは、見渡す限りの緑色。街ひとつすっぽり入る程広大な空間に、草原、河原、そして巨大な木々が収まっている。天井を見上げると、梁が逆光を浴びて影を作っていた。
「コロニーの環境維持装置が生きているんだろうね。ということはつまり、“メンテナンスをしている者がいる”ってことだよ。気を引き締めて行こう」
ケンは柔らかい草を踏みしめる。ギィギを見ると、初めて見る豊かな緑に困惑しているようだった。そして何かを見つけて、驚きの声を上げた。
「み、水だゾ! 綺麗な水だゾ……! すごいゾ……!!」
駆け出すと、透き通った水に手を浸す。
「冷たっ! すごいゾ……こんなに綺麗な水があったら、作物も、動物も、みんなも……!」
ギィギは流水に手を浸す。その頬には、涙が流れていた。
「砂漠の民に必要なもの……そうか、この豊かな自然こそがそれだったんだ!」
「はああ……誰だか知らんが、ケンにそれを教えてくれたヤツには感謝やな」
沸き立つ一行とは裏腹に、トリッガーは深刻な口調で告げる。
「“全てが終わったら”、家畜――いや、砂漠の民、だっけ? その人たちで使うといいよ。でも今はそれよりも、だよね?」
ケンたちは我に返り川辺から離れる。エイはトリッガーの行く先が気になっているようだった。
「お前は今どこを目指しているんだ? ジェノか?」
その問いにトリッガーは体を左右に揺らす。
「いいや。今僕が反応を追っているのは、遺棄する形で乗り捨てた僕の機体だよ」
「機体? 戦車か何かか?」
「いいや、人型の機動兵器さ……反応的にはこのあたりのはずなんだけど……あー……」
トリッガーは残念そうな声で木々の間の茂みに近づく。ケンたちもそれに続く。やがてその茂みは不自然に盛り上がっていることに気が付いた。そして覆っている緑の草は、地面から生えているのではなくツタのようなものが“何か”に絡みついていることに気が付く。
「悪いけど、このツタを取っ払うのを手伝ってもらっていいかな?」
ばつの悪そうな声を出すトリッガー。
これからこの小高い丘のような緑を取り払う作業になるのかと、憂鬱な気持ちになるケン。その時、ルリが得意げに鼻を鳴らした。
「この草をどかせばいいのですよね? 任せて下さい!」
鞄から銀色の杖を取り出すと、ルリは軽く咳払いをする。
「深緑よ、我が意に応じよ。――翠の旅路!」
ルリが杖で空中にルーン文字を描くと、淡い緑の光が蔓に染み込んでいく。すると、まるで生き物のようにパキパキと音を立てて、蔓たちが地面へと引っ込んでいった。
そして緑が消え去った場所には、トリッガーと同じく青い色をした巨体が横たわっていた。
「これって、ロボット!?」
「ああそうだよ! 機体ナンバーXZA-21XX、“マーヴェリックハンター”さ!」
一行が青い巨人に駆け寄ろうとしたその時、背後から声が聞こえる。よく通る、冷たい青年の声だ。
「あれから何世紀経っただろうか……ずいぶんと待ったよ。邪魔が入っちゃって中断したけど、やっと再開できるね……トリッガー!」
ケンたちが振り向いた先、草原の上に浮かぶ真っ白な球体。トリッガーと同じく黒いモニターがあり、そこには鋭い表情が映っている。
「ジェノ……!」
環境維持装置の送風機から送られてくる風が、草木を揺らす。豊かな自然の中、人工物の二人がひときわ異彩を放っていた。




