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#20硝子の砂漠へ

 ケンとギィギが食事を続けていると、炊事場の入り口からルリが顔を覗かせた。


「ご飯を頂けますか……?」


 遠慮がちなルリを、ギィギは手招きで呼び寄せる。


「起きたか! もちろんルリのぶんもあるゾ! 一緒に食べるゾ!」


 静かに進む昼食。食堂から聞こえていた子供たちの声は静まり返っている。おそらく、食事を終え遊びに出たのだろう。


 黙って料理を口に運ぶルリだったが、やがて遠慮がちに口を開く。


「ここに来るとき、サリサさんとすれ違って……その……」


「うん……」


 ケンは、ルリに先程の話をする。痛ましい母親の想い、ギィギの覚悟……。聞き終えたルリは、ギィギの目をしっかりと見据える。


「私もサリサさんの気持ち、わかります。でも……ギィギさんの気持ちも、同じくらいわかります。そして、みんなで生きて帰ろうっていう、ケンさんの覚悟も」


「ルリ……」


「行きましょう、一緒に。私のルーンに、頼ってください!」


 ギィギは言葉もなくルリの手を握る。彼女もそれを優しく握り返す。


「さて、あとはエイとリョウだな。あいつら、帰って来たかな?」


「モノ拾いのあとは、広場でモノを確認するんだゾ。帰ってきているならそこにいると思うから、行ってみよう」


 三人は食器を片付けると、炊事場を後にする。


 広場にたどり着くと、近くの建物に人だかりができていた。


「みんな、どうしたんだゾ?」


「あっ、ギィギか。見てくれ! 海岸でこんなに……!」


 男が指す方向、建物内には様々な物資が山積みになっている。ペットボトルにはいったミネラルウォーター、コンテナに冷蔵された食料、その他備品の数々……。ケンとルリは、それらがクルーズ客船から流出したものだとすぐにわかった。


「これはすごいゾ……。でも、ケンたちを見つけた時にはこんなになかったゾ……。どうしてだろう?」


「多分、潮の流れの関係や、難破した船の沈み具合……それらの関係で時間差があるんじゃあないかと思います」


 ルリの推測に、ギィギは首をかしげる。しかし、彼は別のことに気が付く。


「そういえば、ケンたちの他に外の人は見てないゾ! これだけのモノが流れてきているんだ、大きな船が沈んだんだろ? 他の人たちは……」


「ああ、それなら大丈夫だよ。俺たち以外はみんな助かった……と思うから」


 ケンの言葉に、ギィギの疑念は更に強まったようだった。


「どうしてわかるんだゾ?」


「それは……」


「思えばケンたちは急に現れたよな? それにでっかい船が沈んだみたいだし……。知っていること、教えてほしいゾ……。オレだって……その、仲間なんだし……」


 ケンは困ったようにルリを見る。彼女は諦めたように首を横に振った。ケンの中で、ギィギを自分たちに巻き込むべきではないという考えと、彼を受け入れ全て話すべきだという考えがぶつかり合っていた。どうするべきか悩むケンだったが、ギィギの悲しそうな顔には勝てなかった。


「わかった……。何があったか話すから、聞いて欲しい。俺たちが、どうしてここに来たのかも……」


 ギィギのしなだれていた耳が、ピンと立ち上がる。ケンは、なるべく彼に理解できるよう嚙み砕いて話す。これまでのこと、そしてこれからのこと、その全てを。


「それじゃあ、ケンたちは……オウカテイコク? ってとこに行こうとしてて、その途中に海に落ちたのか……」


「うん。それで、ローレライって子が言うには、この砂漠に何かすごい人がいるみたいなんだ」


「すごい人……アトゥムのことなのか?」


「わからない。でも、俺たちはそうなんじゃあないかなって思う」


 しばらく黙り込み何かを考えていたギィギだったが、やがてその顔を上げる。


「……わかった。話してくれて、ありがとうだゾ。絶対に、一緒に西の神殿に行こうな!」


 ケンもルリも、絆の強まりを感じ笑顔になる。


「なあギィギ、お前たちが住んでいるこの砂漠って、ガラスの砂漠……でいいのか?」


「うん? 何だソレ? オレたちは、ここを“太陽の地《イウヌ》”って呼んでいるゾ」


 『あ、でも』と、ギィギは何か思うところがあるようだった。


「西の神殿、あそこらヘン……砂漠がヘンなんだゾ」


「変……? それってどんな?」


「うん。今は滅びが近づいてきて行けない場所なんだけど……。そこは砂がカッチカチになってて……そうだな。言われてみれば、確かにガラスみたいだゾ。それに、見たことのない岩もあるし」


 その言葉で、ケンの中で確信に変わった。間違いなく、自分たちの目的の人物はいる、と。


「お前たちも来たのか」


 聞きなれた声の方に顔を向けると、そこにはエイがいた。物資の整理を手伝っていたようで、額からは汗を流している。


「とんでもない量だからな。みんなてんてこまいだ。特にホラ――」


 エイが顎でしゃくる方向では、ガォガが物資の分配に大忙しの様子だった。


「みんなで平等に分けるんだとさ……。いいな、そういうの」


 いつも仏頂面なエイが、珍しく穏やかな表情をしている。


「そうだね。ところで、リョウは?」


 エイはいたずらっぽく笑い、ある方向を指さす。彼もこんな表情をするのかと思いつつ、ケンはエイの示す方向に顔を向けた。


 リョウは、砂漠の民の女性と協力して物資の仕分けを行っていた。褐色の肌をした、猫のような耳と尻尾を持つ女性。彼女は楽しそうにリョウと言葉を交わしている様子だった。


「お? おお~~?」


 エイの笑みの理由を感じ取るケン。


「ビーチコーミングの際に仲良くなったみたいだ。今のアイツには、いいことなんじゃあないか?」


「アイツは……トト・フェルネトだゾ」


 トトと会話するリョウの屈託のない笑顔を見て、ケンはどこかほっとした気分になる。


「二人がどうなるかはアイツ次第だけど……立ち直れるきっかけになったらいいな」


「そうですね。薄情な言い方になってしまいますが、これからの道を決めるのは、結局……生きている人ですものね」


「起きたことはどうすることもできない。それでも、胸の奥にしまって生きて行かなくっちゃあならないからな」


 ケンたちの視線に気が付いたリョウ。女性と一言、二言言葉を交わすと、ケンたちの方に向かってきた。


「みんなどうしたんや?」


「ううん、なんでも」


 リョウは不思議そうな顔をする。


「リョウ、昨日話しただろ? ギィギに協力するって」


「ああそうか。村長サンに伝えに来たんか。……でも、見ての通りや。落ち着くまで時間潰しとけ」


「ああ、それなら――」


 ケンもルリも、やることは分かっていた。


「私たちも手伝います!」


「ケン、ルリ、いいのか?」


 問いかけるギィギに、ケンは即答する。


「当然だよ。みんなでやった方が早く終わるだろ? さ、やろうよ!」


 それぞれが物資の仕分け作業につき、順調に進んで行く。たくさんの物資で埋め尽くされていた室内も、日が傾くころには広々としていた。


「いやー働いた働いた! 人生で一番働いたわホンマ!」


「ホラ、リョウ、これやる!」


 トトはリョウにペットボトルを手渡す。


「おっ、おおきに!」


「うん! オーキニ!」


 トトはリョウの方言が気に入ったのか、はにかみながら繰り返した。ケンはそんなやり取りを横目に、村長を見る。彼も相当疲れている様子で、ペットボトルから水を口にしていた。


「村長さん、お話があります。少しよろしいですか?」


 ケンのその言葉に、ガォガの表情に緊張の色が浮かぶ。


「構いませんよ。何でしょうか?」


 ケンの後ろから、ルリ、エイ、リョウがやってくる。その様子に気が付いたギィギも、遅れて加わった。


「俺たち、ギィギと一緒に西の神殿に行きます。それで、必ず生きて帰ってきます」


 ガォガの目が、一瞬大きく見開かれる。そしてすぐさま笑顔へと変わった。彼はケンの手を力強く握った。


「ありがとう、ございます……ありがとうございます……」


「父ちゃん、オレたち、ケンが言ったように生きて帰ってくるゾ! 生きて、村を救うから!」


 たくましい息子の宣言に、ガォガは思わず涙をこぼす。


「ギィギ……お前を……外の人たちをこんな目に遭わせる父親を、許してくれ……」


「村長さん、許すことなんて何もありません!」


「ああ。あなたはリーダーとしてできる限りのことを尽くしている」


「ギィギさんだって、そのことをわかっていますよ」


「とは言っても、昨日言ったように俺たちはただのガキや……期待せんで待っとってや。……必ずやり遂げるから」


 膝をつき嗚咽を洩らすガォガに、ギィギは優しく寄り添う。


「父ちゃん、きっとこの人たちは、アトゥムが寄こしてくれた奇跡の人たちだゾ。だから、きっと……絶対にうまくいくゾ」


 室内を黄昏が優しく染めていった。


 やがてガォガは涙を拭うと立ち上がる。


「皆様のお覚悟、確かに受け取りました。……ああそうだ、皆さまの分もありますので、お持ち下さい」


 ガォガは背後に積まれている物資を手で示した。


「わあ、こんなに、いいんですか?」


「西への旅路は過酷なものです。我々にできる、せめてもの餞別です」


 その言葉に、一行は気を引き締める。


「なら、ありがたく受け取ろうや。な?」


「そうだな。可能な限りを持っていくとするか」


 皆それぞれの鞄やリュックを取りに行こうと立ち上がったとき、砂漠の民の青年が部屋に駆け込んできた。彼は頭から血を流していた。


「ここにいましたか!」


 ガォガは深刻な表情をする。


「何があった!?」


「セトたちです! 残りの物資を拾いに行っていたら、彼らに襲撃を受けて……」


「被害は?」


「けが人が数名……しかし、みな物資をあきらめ逃げてきたので幸い死者はいません」


 ガォガはその言葉に安堵の息を吐く。


「ギィギ、セトって誰?」


 ケンは声を抑えて質問する。


「ん……村を持たない連中のリーダーだゾ……。オレたち砂漠の民《アアリアン》は、どんなにひどい目にあっても決してやりかえしたりはしないんだゾ。でも、セトはそれが気に入らないみたいで……生きるためだったらなんでもやる……そんなヤツだゾ……」


 砂漠の民も一枚岩ではない、ケンはそれを痛感した。


「よく戻って来た。けが人の治療を優先で、残りの物資はもう諦めよう」


 ガォガの言葉に、青年は頷きフラフラと部屋を出ていった。


「……お見苦しいところをみせましたね。申し訳ありません」


「構わんけど……大丈夫なんか?」


「こればかりは、本当に我々砂漠の民《アアリアン》の問題ですので、あなた方が気に病む必要はありませんよ……」


 力なく笑うガォガ。


「だが、これだけの物資を回収したことが知られたらマズいんじゃあないのか?」


「それは……我々の若い衆を集めて……見張りを置いてどうにかしますので……」


 エイの鋭い指摘にも、ガォガは正しい答えを出せなかった。ケンの中で、不安が大きくなっていく。


「さ! 堅苦しい話はここまでにして、そろそろ夕餉の支度もできます! それまでごゆるりとお過ごしください」


 その後、一行は口数も少なく必要な物資をそれぞれの鞄に詰め込む。


「なあギィギ、出発はしばらく見送った方が……」


 ケンのその提案に、ギィギは激しく首を横に振った。


「それはダメだゾ! 西の滅びは待ってくれないんだゾ!」


「でも、それだと村が!」


「モノを差し出せば、セトだって引いていくハズだゾ」


「でも――」


「ケン!」


 突然のギィギの大声に、ケンの体はビクッと震える。


「お願いだゾ……これ以上……これ以上、オレの決心を揺るがすようなこと……言わないでほしいゾ……」


 ギィギの体は小さく震えている。


「ごめん……」


「オレの方こそ、怒鳴ったりしてゴメンだゾ……」


 どうしようもない状況が、痛いほど静かな沈黙を生み出す。


 その後の夕餉も、美味しいはずの料理の味を楽しむ余裕もなく、ただ全員が黙々と口に運んでいた。


 サリサは何も言わないが、その表情は硬かった。


「オレ、明日の馬の準備もあるから……ここで……」


 食後、ギィギは短く別れを告げると馬屋の方へと消えていった。


「これでいいのかな……?」


「いいも悪いも、俺たちにはどうすることもできんやろ」


「ああ。村長の言う通り、こればかりは彼らの問題だ」


「でも……!」


 食い下がるケンに、ルリは諭すように優しく言う。


「ケンさん、種族の滅びと、種族の対立……片方は止めないと大変なことになってしまいますけど、もう片方は、時間で解決できることなんです。私はそう信じています」


 ケンは面と向かって『違う!』と反論したかった。現に、魔女にも砂漠の民《アアリアン》にも、未だに偏見の目は向けられている。しかし、ルリの真っすぐな瞳を見るとケンはとてもそのようなことを言えなかった。


「じゃあ、俺たちが囮になって引き付けて――」


 ケンは途中で言葉を切る。仲間たちの不安そうな表情、それにギィギの悲痛な覚悟。全員を危険に巻き込むだけの身勝手が許されるはずもない。


「ごめん……」


「しゃあないって。俺だって何が最良かなんて分からんもん。こうなったらできることはただひとつ、さっさと用事済ませて、さっさと戻る! どや?」


 リョウの心遣い、そして何よりもやり遂げることができると信じてくれていることが、ケンは嬉しかった。


「何が起こってもおかしくない。用心していこう」


 エイの言葉に、全員が頷く。


 かくして、四人は不安な心を抱えたまま夜は過ぎていった。


 翌朝。珍しく早朝に目を覚ますケン。まだ薄暗い中、彼は欠伸をしながら外に出た。


「あっ、ケンおはようだゾ」


 この村に来て三度目の目覚め、全て最初に会話をするのはギィギだった。ケンはどこかおかしくなり、ひとり笑い出す。そんな彼を、ギィギは心配そうに見つめる。


「ケンどうしたんだゾ!?」


「あっゴメン……。なんだかさ、この村に来てからおはようは全部ギィギだったんだよ。そう思ったらなんかおかしくって」


 ギィギも『ああ』と納得した様子で、ケンと一緒に笑い出す。二人の少年は、不安を吹き飛ばすように精一杯笑った。


「馬、だよね……本物は初めて見るよ」


 ケンはギィギが引いている馬に近づく。優しい目をしており、鼻を鳴らして力強い息を吐いている。


「砂漠に適した種なんだゾ。どんなに悪い足場でも、ガンガン進めるすごいヤツなんだゾ!」


 ギィギは馬の体をパシパシと叩いた。


「へえ……」


 馬体には荷物入れが取り付けられており、何かがみっちりと詰まっているようだった。


「馬はこの子一匹だけ?」


「あーそれなんだけど、ケン、ゴメンだゾ。どうしても四頭しか用意できないから、ケンはルリと一緒に乗ってほしいんだゾ……」


 ギィギの申し訳なさそうな顔に、ケンは慌てて伝える。


「あー気にしないで。足を用意してくれるだけでも本当にありがたいんだから!」


 その言葉にギィギは歯を見せて笑う。


「村の西側に繋ぐから、ケンも一緒に来るか?」


「うん、行くよ。ついでに、乗り方も教えて欲しいな」


「まかせろ!」


 ケンはギィギに馬の乗り方、操り方を教わる。それは今までに体験したことのないもので、とても貴重な時間だった。


 朝もやが晴れ、徐々に周囲が薄明るくなるころ、ケンとギィギは四頭の馬を繋ぎ終えていた。その帰り道――。


「そろそろ出発の時間だな……ルリ、エイ、リョウを起こして――その必要はないみたいだゾ」


 ギィギが指さす先で、ちょうど三人が出てくるところだった。


「みんな! おはようだゾ!」


「おはよう」


「おはようございます」


「おはよーさん」


 それぞれの挨拶をすませたところで、ギィギが改めて全員の顔を見回す。


「みんな、急かもしれないけど、出発するゾ」


「エラい早いな」


「なるべく太陽が出ていない時間を歩くためだゾ。メシは馬に乗りながら食べるゾ」


 リョウは驚きの声を上げる。


「馬に乗れんのか!?」


「それしか移動の手段がないゾ。……嫌か?」


「とんでもない! 俺一度乗ってみたかったんや!」


「それは良かったゾ。みんな、荷物を持って村の西まで行くゾ」


 一行は連れ立って村の出入口まで向かう。道中の家々から、人々が出てきてケンたちに頭を下げている。


「責任重大だな」


「ああ」


 ケンもエイも、使命感に燃えていた。


 到着した先で、ギィギはエイとリョウに馬の乗り方を教える。


 しばらくすると、ガォガとサリサがやってきた。


「父ちゃん、母ちゃん!」


 ギィギは二人のもとに駆け寄る。


「ギィギ、村を……頼んだぞ……」


 ガォガは、鞘に納められた二振りの大型ナイフをギィギに渡す。


「任せるんだゾ」


 二人は抱擁を交わす。


「ギィギ、これを……」


 サリサは、手にした装飾をギィギの首にかけた。手の込んだ煌びやかな飾り。おそらく彼女の手作りだろう。


「母ちゃん、これ……」


「あなたの成人のお祝いに贈るつもりだったけど、いろいろあって渡すのが遅れて……ごめんなさいね」


「そんなことないゾ! 母ちゃん、嬉しいゾ!」


 ギィギはサリサに抱き着き、彼女もギィギを強く抱きしめた。ケンはその姿を眺め、心の奥に僅かな痛みを覚えた。


「それから、これを」


 パンと干し肉。馬上で食すには手ごろなものだ。ケンたちは礼を述べ受け取る。


「皆さま、無理を聞いていただき、ありがとうございます。我々はいつまでも待っていますから、どうか、無事に帰ってきてください」


 ガォガは『そして』と震える声で付け加える。


「どうか、ギィギのことを……よろしく、お願いします……」


 深々と頭を下げるガォガとサリサ。ケンたちも、それを見て力強く頷いた。


「それじゃあ、行くゾ! 先頭はオレが案内するから、みんなはついてきてほしいゾ!」


 ギィギは慣れた様子で馬に飛び乗った。


「よっしゃ、行くで!」


 リョウもエイもそつなく乗馬する。


「よし……それじゃあ、ルリちゃん、掴まって。左足をあぶみに乗せて……右足で跨いで……」


 ケンは先に馬に乗ると、ルリに手を差し出す。


「わ、分かりました……えいっ!」


 乗り上げようと勢いよく上げたルリの右足が、ハイキックのかたちでケンの横っ面に直撃した。


「ああっ! ごめんなさい!」


「ケン! 大丈夫か!?」


「まったく……」


「ルリ、いい蹴りやな!」


「大丈夫! 俺は大丈夫だよ……」


 なんとも間の抜けたやりとりだが、彼らの緊張はいい具合にほぐれた。


「父ちゃん、母ちゃん、行ってくるゾ!」


 四頭の馬が、順に村を離れていく。見送るガォガ。サリサはこらえ切れずに泣き出す。そんな彼女の肩を、ガォガは力強く抱き寄せた。


「……どうか彼らに、太陽神の加護があらんことを」


 小さくなっていく姿に、ガォガの祈りが送られた。


 馬の背中に揺られる五人を、明け方の風が優しく撫でる。


「ギィギ、西の神殿にはどれぐらいで到着する?」


「そうだな……何事もなければ、明日の朝ぐらいには着くゾ」


 リョウが驚いた声をあげる。


「はぁ!? てことは、今日はずーっとお馬さんの上っちゅうことか!?」


「途中休憩は入れるし、日が昇ったら進むのは止めるゾ」


 ギィギは笑って答える。リョウはうなだれると、自身が跨っている葦毛の馬の首に抱き着いた。


「だってよー。気張りや? フグリキャップ」


「何ですか!? その下品な名前!」


 ルリは赤面する。


「ええやん。旅の仲間、名前があった方が親近感湧くもんやろ」


 笑い声が列になって朝焼けの砂漠を横切っていった。


「あっ、そうだ。ルリちゃん、ちょっと動くよ」


 ケンはリュックから方位磁石を取り出す。


「ええっ!?」


 手にしたそれは、北を指し示すことなく回り続けていた。


「どうしたんですか?」


 ルリの声に、ケンは手にした方位磁石を見せる。


「ルリちゃん、これって……」


「そうですね、おそらく、ここもマナの乱れの影響を受けているんじゃあないでしょうか」


 ケンは以前にカタシア山で遭遇したバナナ畑を思い出す。


「ここで迷ったら、一環のおしまいだね……」


「もっとも、砂漠に地図はありませんけどね」


「それもそうか」


 それからはただひたすらに前進を続ける。地平線から顔を覗かせた太陽は、次第に高度を増していた。


「みんな、ちょっと止まってほしいゾ」


 ギィギは一行を制止させると、馬から降りる。


「なんや? ションベンか?」


「ん? 行きたいならいってきていいゾ。俺が言いたいのは、そろそろ日除けを被った方がいいってことだゾ」


「そうだな。そろそろ太陽がきつくなってきたな」


 全員布を取り出すと、頭から外套のように被る。その姿は、まるで幽霊の一団のようだった。


「馬たちには何かしなくて大丈夫?」


 ケンの質問に、ギィギは馬に取り付けられた鞄から皿と水を取り出す。


「水分補給させてやるゾ。こいつらは、日差しにはめっぽう強いからそこまで気にしなくていいんだゾ」


「へえー」


 一行はギィギの見よう見まねで馬に水を与える。馬も人から与えられることに慣れているらしく、豪快に水を飲んでいた。


「これでよし……さあ、行こう。先はまだまだ長いゾ」


 再び歩き出す一団を、砂漠の太陽の容赦ない熱波が襲う。朝方は涼しかったが、日中は灼熱の地獄そのものだった。


 蜃気楼で揺らぐ地平線の向こうに、不気味に歪む空間が見える。


 そんなとき、先頭を行くギィギが馬を止める。その“音”はケンの耳にも聞こえていた。


「ギィギ、囲まれて――」


 そこまで言いかけたケンを、ギィギは手を上げて制止する。


「まずいゾ……」


 ギィギの声は震えている。


 周囲から、馬が砂を蹴る音が近づいてくる。一頭や二頭ではない。もっと多くの数だ。ケンたちはあっという間に囲まれていた。


 馬に乗った砂漠の民。しかし彼らは、ケンたちが滞在した村の住人とは明らかに様子が違っていた。彼らから放たれる敵意、殺意は、太陽の熱線とともにジリジリと突き刺さった。


「セト! オレたちは西の神殿に向かう途中だ! 邪魔しないでほしいゾ!」


 ギィギの恐怖を押し殺した声。それに釣られるように、集団の中でひときわ大きい馬に乗った大男が前に進み出た。


「――降りろ」


「セト! 聞いて――」


「降りろと言っている」


 圧の強い、恐ろしい声。ギィギは震えながら馬から降りる。セトも馬から飛び降りると、ギィギに近づく。そして、ギィギの外套を剥ぎ取った。


「ほう……南の村のチビか……」


 セトは外套の奥から眼光を飛ばす。


「どうしてオレのこと知ってるんだゾ?」


「見りゃわかるだろ。あそこでお山の大将やって、綺麗ごとほざいてる馬鹿親父。お前ソックリだぜ」


 セトは下品な声で笑う。彼の手下たちも同じように笑った。ケンは徐々に彼らに対する不快感が増していくのを感じた。


「父ちゃんはバカなんかじゃあないッ!」


「……ああ?」


 セトはギィギを睨みつけると、彼の首元に光る装飾に気が付く。そして、乱暴に引きちぎる。


「あっ、返せ! それは母ちゃんが作ってくれた――」


 セトの拳が、ギィギの顔面を捉える。鼻血を流し、ギィギは倒れる。それを見て、ケンの中で何かが弾けた。無限の軌跡《ヴェクター》を使い、勢いを乗せた蹴りをセトの顔面に叩きこむ。身長二メートルを超すセトの巨体が宙を舞い、砂の上に頭から落下した。


「ケ、ケン……」


 ケンはギィギを助け起こすと、彼の手に首飾りを渡す。


「いつの間に……?」


「言ったろ? 俺には普通の人にはない力があるって」


 周囲から聞こえる野次。セトは、仰向けに倒れた姿勢のまま手を突き上げそれを鎮める。


 訪れる静寂。風の音だけが無情にも響く。


 ケンとギィギのもとに、馬から降りたエイたちが駆け寄る。


「馬鹿野郎、何やっている!」


 エイは顔面蒼白だ。


「おーいいねえ、外のヤツらってのは、暴力が一番だって分かってらっしゃる!」


 セトは笑いながらその巨体を起こす。ジャッカルの耳に、黄色い肌。口の端からは血を流し、恐ろしい笑みを浮かべている。


 ケンはギィギの前に立ち、近づいてくるセトを睨みつける。セトは腰の鞘から大型のナイフを抜き取ると、先端でケンの頭に被さる外套を払った。


「あぁ? ……お前、外の人間だよなあ……?」


 セトはケンを見て怪訝な顔をする。


 その時、外野からケン目掛けて石が飛んでくる。スリングを使った、原始的だが効果的な投石法。それは無防備なケンの頭に直撃した。


「手を出すなッ!」


 セトの咆哮が響く。ケンは額を抑えながら、手下たちがたじろぐのを見た。


「お前、面白ェな……」


 言葉とは裏腹に、ケンを睨みつけるセト。ケンは早くなる鼓動を抑えつつ睨み返す。


「血が……黒い……? 何だぁ……? お前本当に人間か?」


 セトはケンをまじまじと観察する。その時、リョウが脇から飛び出してきた。


「いやー悪い悪い! コイツ、手グセ……いや足グセが悪くてな! 兄さん気の毒やな。せやけど、俺たちこの先の神殿に用があんねん。行かしてもらうで?」


「何だァ? てめェ……?」


 セトはリョウを睨みつける。しかしリョウは全く怯む気配はない。


「言ったやろ? この先の神殿に行って、ちょっとくらこの砂漠を救おうとしとるんや。アンタらかて住むとこ無くなるの嫌やろ? やったら邪魔せん方が賢い思うけどなあ?」


「死にてぇのか?」


「いやいや、死にとうないわ! けど、それは兄さんも同じやないんか?」


 セトの眉がわずかに揺れた。


「分かるよ? 過酷な環境、外のヤツらは助けてくれへん。そこに迫る滅び! ドン詰まりやなあ! そんなんなら、何も考えずに他人いびって盗んで、死ぬまでやりたい事やっとる方が賢いし楽しいわ!」


 外野からリョウめがけて罵倒の言葉が飛び交う。


「おめえら黙らねえかッ!」


 セトの怒号で再び外野は静まり返る。


「何が言いたい?」


「んー? つまりや、兄さんがコケにしとる南の村の人たち。あの人たちの方が、思考停止で楽な方に逃げとる兄さんよりずーっと強くて賢くて、生き生きしとるなーってことや」


 セトの手がわなわなと震える。ケンたちは息を呑む。しかし意外にも、セトはナイフを鞘に納めた。


「なら、てめえらなら変えられるのか? あの忌々しい滅びを。そして、俺らが定住できずにいるこの環境を、作り変えられるのか?」


「それはこれからのお楽しみや。せやけど、兄さんらがここを通せんぼしとったら……うーん、みんな仲良く滅びに飲み込まれてナムアミダブツやなあ!」


 セトは俯くと肩を揺らして笑った。


「口八丁のチビ野郎が……忌々しい。……まあいい、行かせてやるよ。通りな」


 表情が明るくなるケンたちだが、セトは指を三本立て『ただし』と付け加えた。


「三日後までにアレをなんとかして、日没までに俺らの前に来い。できなかったら南の村を滅ぼす。奪えるものは全て奪う。男も、女子供も、皆殺す」


「そんな!」


 狼狽えるケンに、セトは吠える。


「俺に啖呵切ったんだ。てめえらも相応のモン見せてみろ」


「わかったわ。やったる。……ただし、三日後までは絶対に村に手ェ出すなよ?」


 リョウの表情が変わった。


「約束してやるよ。三日後の日没。それまではコイツらには手を出させねェ」


「ん。なら通るで。道あけぇや」


 セトは振り返ると、『道をあけろ!』と大号令をだす。手下たちの壁が左右に分かれ、道が開ける。


 ケンたちは急いで馬に飛び乗ると、怯える彼らを宥めて先を急ぐように駆けていった。


「セトさん、いいんですか? あんなヤツらに舐められたままで?」


 手下の言葉に、セトは意地の悪い笑みを浮かべる。


「どうせヤツらにはできっこねえさ。……犬死にしていった愚か者どもみたいにな。それに……たった三日じゃあヤツらは戻ってこれねぇよ」


「あっ、そうっすね! どっちみち、やっちまえばいいってことっすよね!」


「よしお前ら! 進路は南の村だ! ただし三日後の日没までは手を出すな? なんたって俺は紳士なんだからなあ!」


 砂漠に男たちの声が轟いた。


 その後、ケンたちは休憩をはさみつつもひたすらに西を目指した。背中を焼く日差し、ずっと代わり映えの無い景色、そして三日というタイムリミット。それらはジリジリとした焦りとなり、心を焦がしていった。


 過酷な灼熱に体力が奪われる。視線の先の揺らぎは眩暈なのか蜃気楼なのか……。それすら曖昧な境界線に差し掛かったころ、ギィギは進む先の方角を指さす。目を凝らすと、陽炎に揺らぐ土壁の小さな建物が存在していた。


「ギィギ、あれは?」


「オレたちが作った、休憩所だゾ。これ以上進むのはキケンだから、あの中で夕方まで休むんだゾ」


 土と石で建てられた休憩所は、馬でも通り抜けられる高さの入り口を備えていた。日陰になっている内部は、尋常ではない暑さに参っていたケンたちにはまるでオアシスのように感じられた。太陽は頭上の高さまで昇りかけている。ケンははやる気持ちを押さえられずに馬を進めるも、ギィギはその直前で下馬した。


「入らないの?」


「少しだけ待ってほしいゾ」


 ギィギは鞄から薬草を取り出す。すると火を付けようとしゃがみこんだ。


「私に任せて下さい。優しき灯り《ケナズ・レウィズ》」


 ルリが袖の下から取り出した杖を振るうと、オレンジ色のルーンを描く。そしてそれは薬草を燃やす炎へと変わった。


「魔女がルーンを使っているところ、初めて見たゾ。ルリ、ありがとう」


 ルリは額の汗を拭いながらギィギに微笑んだ。


「それじゃあこれを持って……」


 ギィギは火のついた薬草の束を手に、建物内部へと入っていく。


「おい、見てみろ」


 ケンはエイの指さす方向に目を向けると、建物の屋根から伸びるまるで煙突のような突起から、もくもくと煙が立ち上っている。それを見てリョウは辟易とした声を上げた。


「うへえ……この暑い中焚火? ウソやろ……」


「みんな、もう大丈夫だゾ。馬をつれて中に入ってきて」


 ケンたちは馬を引いて休憩所へと進む。日光を遮った室内は風通しがよく、体感温度は外とは段違いだった。中央の窪みには先程の薬草が煙を上げている。ギィギは煙の出る束を片手に、汗を流しながら室内を丁寧に燻して回っていた。


「馬たちも分かっているから、外には出ないゾ。自由にさせておいて構わないゾ。みんなは……これに座って……」


 ギィギは砂の上の敷物を煙の上で念入りに叩いている。見かねたケンたちも見よう見まねで敷物を炙る。


「面倒だけど……念入りにやっておかないと危ないゾ……」


 全員汗だくで腰を下ろす。部屋の中には、薬草の燃える音と馬の鼻息だけが聞こえていた。日陰とはいえ室内にこもる熱気はすさまじく、ケンの額からは大粒の汗が滴り落ちる。


「暑い……死んでまうで……」


 リョウのつぶやきに、全員が葬式のような表情をする。ルリはたまらず杖を取り出すと、素早く空中にルーンの文字を刻む。


「氷結の主《ハガル・イサ》!」


 水色に輝くルーンの文字が、次第に形を変えていく。六角形の雪の結晶。実物と比べありえないその大きさを除けば、まさにそのものであった。


 結晶はゆらゆらと室内を漂い、熱気を中和していった。


「うはあ……生き返るわぁ……。魔女様サマやな」


 リョウがだらしなくシャツの襟元を引っ張りながら息を吐き出す。ケンもまた、肌を撫でる冷心地よさに、ようやく深く息を吐き出すことができたのだった。


 ルリも大きく息を吐くと、鞄から何やら取り出す。そしてギィギに手招きをした。


「こっちに来てください。傷の手当しますから」


 不思議な顔をするギィギの前で、ルリは手にした薄い円形の物体を捻る。回していくと蓋は開き、中には軟膏が入っていた。


「いてて……」


「よかった、鼻は折れていないですね。これをつけておけばすぐに良くなりますよ」


 ギィギの顔に優しく軟膏をすりこむルリ。そんな様子を、ケンたちはぼーっと眺めていた。


「ほら、次はケンさんも」


 ルリはケンの傍に近寄る。ペットボトルからハンカチに水を染み込ませると、黒い塊が貼り付く額に押し当てた。


「……やっぱり、完全に治っていますね」


 ケンの髪をかき分け額を見つめる。


「嘘だゾ! あんなでっかい石がぶつかったのに、もう治ってるわけ……本当だ……」


 ケンの体について、何も知らないギィギは驚愕しているようだった。


「普通の人には無い力っていっていたよな? さっきのあれも、いったいなんなんだゾ?」


「そうだね……ギィギも知っておいてほしいな。俺のこの力」


 そう言うとケンは、イースト・シティでの出来事から、ここに至るまでに起きた様々な出来事で、自身の力に関することを全て話して聞かせた。


「それじゃあ、ケンは研究所《グランギニョル》ってとこでなんかされて、それでそんななっちゃってるということか?」


「まあ、だいたいは……そんなカンジ……ごめんな、ギィギ、最初に会った時にこの耳を自分と同じだって喜んでくれてたよな?」


「そんなことどうでもいいんだゾ。種族が違って、見た目が違ってたとしても、オレはケンのことホントの兄ちゃんだと思ってるし、みんなだって、大切なトモダチだし」


「おっ、ギィギ、ええこと言うたな!」


「へへ……」


 照れくさそうに笑うギィギだったが、ケンの方を見て何かに気が付き、急に真剣な面持ちになる。


「どうしたんだ、ギィギ?」


「待て、動くな……」


 ギィギは鞄から小型のナイフを取り出すと、ジリジリとケンに近づく。その普通ではない様子に、ケンは冷汗をかく。


「え? 何? 恐いよ、何か言って……!」


 素早い動きで、ギィギはナイフの先端でケンの肩を軽く突く。思わず目を閉じていたケンが恐る恐る目を開くと、ナイフの先端には薄い黄色の小さなサソリがじたばたともがいていた。


「なんだよ、そんなチビか。驚かさないでくれよギィギ、ハサミだって頼りないじゃあないか」


 息を吐くケンだったが、ギィギは笑っていない。素早くそれを焚火の火で炙り殺した。


「……ハサミが太い奴は、獲物を力で抑え込むから毒は弱いんだゾ。でも、こいつみたいに“ハサミが細くて小さい奴”は、毒の一撃だけで獲物を仕留める……死の使いなんだゾ」


 ケンはゾッとする。


「こいつは通称“神の指先”。刺されたら最後、全身の穴という穴から血を吹いて、三日三晩、自分の体が溶ける痛みの中で踊り狂って死ぬんだゾ」


 リョウはその言葉を聞くと急に立ち上がり、狂ったように体中を叩いた。


「もう少し薬草を足すゾ。そうすれば安心できるゾ」


 焚火に薬草を投入していくギィギ。その時――。


「あれ、ルリ……? 大変だ! ルリがいないゾ!? さっきまでそこにいたのに!」


 鞄を残して忽然と姿を消したルリに、取り乱すギィギ。エイもリョウも同じ様子だった。ただ一人、ケンには彼女がどこにいるか思い当たる場所があった。


「多分ね、ここ。おーいルリちゃん」


 ケンはルリの肩掛け鞄を開くと、中に向かって呼びかけた。その様子を、エイもリョウもギィギも奇異の目で見ていた。


 しばらくすると、鞄の中からルリが申し訳なさそうに頭を出した。


「すみません……勝手にいなくなるのはよくないですね」


「え、ええ!? ルリなんやソレ!? 手品? 手品なんか?」


「魔法の鞄だよ。エイは知ってるだろ?」


「いや、まさかここまでとは……」


 いくつかの食料を手に、ルリは鞄から出てくる。ケンも最初は面食らった、フレイヤの鞄。他人の反応を見て、ケンは自分もこれくらい驚いていたのかなあ、などと考えていた。


 食事を終え、皆口数も少なく燃える薬草を眺めている。ルリは千切れたギィギの首飾りを器用に修繕していた。


「これで……はい、できました。どうぞ」


「ありがとうだゾ!」


 ギィギが尻尾を振りながら首にかけるのを確認すると、ルリは伸びと共に大きな欠伸をする。


「私は少し休ませてもらいますね」


「そうだな、陽が沈んでからまた移動するんだ。体を休めておくか」


「ん。せやな。おやすみ、みんな」


 それぞれが敷物の上で横になる。


 ケンも横になり、空中を漂う結晶を見つめる。ほどよい室温に、熱気で体力を消耗したケンはすぐに眠りへと落ちていった。


 それからどれくらい経ったのだろうか。ケンは目を覚ます。体を起こすと、ルリ、エイ、リョウはまだ眠りの中だった。


「ケン、おはようだゾ……ん? おはようなのか?」


 とぼけた挨拶に、ケンは笑って応える。


「夕暮れか……結構眠ってたみたいだ」


「ん。砂漠を進むのって体力をつかうから、休める時に休んでおくのは大事だゾ」


 微笑むケン。立ち上がり窓の傍まで行くと、陽は傾き空には星が見え始めていた。昼間の熱気が嘘のように引いており、ケンは自身の腕をさする。


 手持ちぶさたに大きく欠伸をするケン。


「んー……あっ、そうだ。ギィギ、みんなが起きるまでまた星を見に行こうよ」


 その提案に、焚火の様子を見ていたギィギはうれしそうに顔を上げる。


「いいゾ! でもあまり遠くには行かないようにしような!」


「ん」


 ケンは書置きを残すと、外套を羽織り歩き出す。焚火が小さく見える砂丘の上、二人は腰を下ろした。腕時計を確認すると、時計の針は19時を指し示している。そんな様子を、ギィギが横から興味深そうにのぞき込んだ。


「ケン、ずっと気になっていたけど、腕のソレは何なんだゾ?」


「これは時計だよ」


 ふとケンは気になる。砂漠の民たちはどのように時間を把握しているのか。彼らの村に、時計は見当たらなかった。


「ギィギたちってさ、時間はどうやって確認しているの?」


「時間? それなんだゾ?」


「えっ? いつ起きて、いつご飯食べて、いつ何をして……時間が無いと決められないよね?」


 ギィギはいたって真面目に答える。


「そんなの簡単だゾ。太陽が出たら起きる。太陽が沈んだら寝る。ハラが減ったらメシ食べる。な?」


「あ……あー!」


 ケンは感心すると同時に、それが本来のヒトの生き方なんじゃあないかと思った。


「でもそれ面白いな。少し見せてほしいゾ!」


 興味津々なギィギに、ケンは腕から外して手渡した。


「おー……数字が光ってるゾ……不思議だゾ……。ケンはこれどこで拾ったんだゾ?」


 ケンは笑いながら首を横に振る。


「違うよ、買ってもらったんだ」


「かってもらう……って、どういう意味だゾ?」


「ん? ……ああ、砂漠の民の人たちはお金は持たないんだっけ?」


 以前彼らについて学んだとき、ケンはそのようなことを耳にした覚えがあった。それに、南の村に店らしきものは一軒も見当たらなかった。


「おかね……って、確か外の人たちがモノのやりとりに使うもの……って父ちゃんから聞いたゾ」


「うん、だいたいそれで合ってるよ」


 いろんな角度から時計を眺めるギィギ。ケンは彼の腕に時計を付けてあげた。


「おお……それでケンは、誰に買ってもらったんだゾ? 父ちゃん? 母ちゃん?」


「マ……母さんだよ。俺がまだ小さいころ、一番最初に買ってもらった……プレゼントだったんだ」


「へえ! じゃあ、オレの首飾りみたいな感じだな!」


 ギィギは笑う。ケンは、昼間危険を冒してでも首飾りを取り返したこと……それは間違いではなかったと強く確信した。


「そうだね……」


 ケンはふと思う。まるでマリの形見のような腕時計。しかし、それにいつまでも縋りついていていいのだろうか? それで前を向けているのだろうか? 彼はゆっくりと口を開く。


「ねえギィギ、それ欲しい? よかったら――」


「それはダメ! 絶対に、ダメだゾ!」


 ギィギは腕時計を外すと、ケンの手に握らせた。


「ケン、さっき話してくれたよな? オマエの母ちゃん、死んじゃったって」


 改めて言語化すると、胸の奥から痛みがあふれ出してくる。しかし、ケンは頷いた。


「なら、これは二人の“繋がり”なんだゾ。ケンがこれを持っていれば、ケンの母ちゃんは……楽園から、いつでもケンのことを見ていてくれるんだゾ!」


 ケンはギィギに言われてハッとする。彼女との繋がりを、自ら断ち切ろうとしていたことに。


 自身の愚かさ、薄情さに嫌気がさし、ケンは掌の腕時計を強く握りしめると、胸に抱く。両の目から、涙があふれ出してくる。もういないから、そう自分に言い聞かせ蓋をしていた気持ち。しかし、見守っていると言われると、いないはずの存在が輪郭を形作る。どうしようもない想いが、胸の奥からとめどなく流れ出し、ケンには処理しきれなくなっていた。


「ラォラが旅立った日、ケンたちは辛さを共有してくれたよな。今度はオレも、ケンの辛さを共有するゾ」


 ギィギはケンの頭を抱きしめる。ケンは声もなく涙を流した。


 満天の星空の下、気の済むまで泣き尽くしたケンは、その気持ちに改めて向き合い、そして整理をつけた。


「ありがとうギィギ。……恥ずかしいとこ見せちゃったね」


 ギィギは首を横に振る。


「そんなことないゾ。家族がいなくなる、それはどんなことよりも辛いんだゾ。その気持ち、絶対に忘れちゃあダメだゾ」


「うん、そうだね」


 家族……ケンは南の村で過ごした数日を思い起こす。見ず知らずの自分たちを、まるで家族同然に温かく受け入れてくれた人々。今、彼らに危機が迫っている。彼らを失うことなど、あってはならない。ケンは力強く頷く。


「ギィギ、お前の家族も、村の人たちも……みんな、絶対に助けよう!」


「そうだな! オレたちで、絶対に!」


 決意を固めた二人は、立ち上がる。


「あっ、そうだケン。こっち向いてほしいゾ」


 突然の呼び止めに、ケンは振り向く。そこに、不意打ちのように背伸びをしたギィギの顔が重なる。そして、ケンの唇に柔らかい感触が触れた。


「え……えええ!? ギィギ、何するんだいきなり!」


 取り乱すケンに、ギィギはきょとんとした顔で答える。


「何って、親愛のしるしだゾ? 家族にもあまりしない、本当に尊重する相手にする魂と魂の触れ合いだゾ」


「お前のとこではそうかもしれないけどさ……!」


 ギィギは不思議そうな表情で、月明かりに照らされるケンの顔を覗き込む。


「赤くなってるゾ。変なケンだゾ」


「ああもう……行こう!」


 歩き出すケンに、ギィギはしょんぼりと付いていく。


「ケン、怒っているのか? 俺がオマエを尊重しているの、嫌か……?」


「怒ってないし、嫌じゃあない!」


「じゃあどうしてどんどん先に行っちゃうんだゾ……?」


 ケンは足を止め、振り向く。


「異文化交流は大事だけど、その……そういうのは相手の許可とってから!」


「そうなのか?」


「ギィギも将来村長になるなら、異文化についても勉強しておくべきだよ」


「うーん、よくわからないけど、わかったゾ」


 二人は遠くに見える焚火に向かって歩き出した。


 休憩所に帰ると、皆目を覚ましていた。手早く身支度を済ませると、五人は再び馬の背に揺られる。月の光を背に、ただひたすらに、西へ。


 空が白み、東の地平線から太陽がその顔を覗かせるころ、地平の先にある変化が見られた。


「なんだか、光ってる……?」


「あれが見えてきたら、左に曲がるゾ。そしたら谷に入るから、神殿はすぐそこだゾ」


 ケンは双眼鏡を取り出すと、光を放つ地平を眺める。


「何かわかりましたか?」


「いや……光が眩しくて……目が痛い……」


 目元を押さえるケンに、ルリはやれやれと首を振った。


 一行がしばらく進むと、周囲に岩が多く見られるようになる。そして地面は緩やかに下って行っているようだった。


「もうすぐシークに入るゾ。それを抜けたら神殿だゾ!」


 声を張り上げるギィギ。その声は、岩壁に反射しこだました。


「ルリちゃん、シークってなに?」


「ホラ、あれのことですよ」


「おお……」


 ルリの指さす先を見て、ケンは思わず声が出た。


 そびえ立つ岩壁、それは徐々に狭まっており、馬一頭がようやく通り抜けられるだけの隙間となっていた。


 馬たちはそこを慎重に進む。数十分ほど進むと、突然視界が開けた。


「ついたゾ」


 岩壁をくり抜いた巨大な窪みに、白亜の神殿が荘厳な佇まいで鎮座している。谷の切れ間から差し込む朝日が、その神々しさを際立たせていた。


「馬たちはここに置いていくゾ」


 ギィギは、飛び出した岩に手綱を括り付ける。ケンたちもそれに倣う。


「ギィギ、緊張してる?」


 神殿の入り口、強張った面持ちで見上げるギィギに、ケンは声をかけた。


「昔父ちゃんとここに来て……ここでみんなとお祈りをしただけだゾ……中は、どうなっているのか……分からないゾ」


「心配すんなってギィギ! 俺たちも一緒や」


「そうだな。一人で気負うな」


「リョウ、エイ……。ありがとうだゾ!」


「それでは、行きましょう……!」


 五人は不安を胸に神殿へと続く階段を一歩ずつ踏みしめる。谷間を抜ける風が神殿内部へと吹き込み、それが不気味な音を立てる。立派な柱がそびえる入り口。内部は薄暗く、よく見えない。


「何が起こってもいいように、慎重に進もう」


 ケンたちは神殿へと足を踏み入れる。瞬間、ひんやりとした空気に包まれ、彼らは身震いする。


「暗いな……」


「待って、俺懐中電灯を……」


 そう言ってケンがリュックを探っていたとき、突如神殿の壁に掛かる松明がひとりでに炎を上げる。


 手前から奥へ……順に灯っていくそれに少年たちは視線を奪われる。そして最後の松明が灯ったとき、そこには巨大なシルエットが現れた。


「な、何やアレ!?」


「アレは……アレが、聖獣スフィンクスだゾ……オレも初めて見るゾ……!」


 神殿の最奥部に威風堂々と鎮座する、三メートルをゆうに超える巨体。頭部はヒト、体は百獣の王であるライオン、背中には鷲の翼を携えていた。


 あまりの巨体にしり込みする一行。すると、スフィンクスは言葉を紡ぎ出す。神殿内部を揺るがすような、重低音の声だった。


『旅人よ、我が背に続く道を求むるならば、三つの問いに答えよ。正しきは道が開け、誤れば我が糧となろう』


 その言葉と同時に、ケンたちの背後の入り口に石でできた扉がせり上がってきて塞いでしまう。


「マジかよ……」


 ケンの心臓は跳ね上がった。


「否応なし、か」


「そうだゾ。どっちみち、オレたちにはこれしか道が無いんだゾ!」


 そう言うと、ギィギはスフィンクス目掛け声を張り上げる。


「受けよう! 我らは、正しき道を征く者なり!」


 いつもの彼とは違う頼もしさが、そこにはあった。


 ルリはハッと何か思いついた様子で、自身の鞄の中身を漁っていた。


『よかろう。では一つ――夜明けの鳥が天を舞い、罪を喰らう獣がその後を追う。最後に“混沌”が通り過ぎたとき、砂の上に刻まれた証はいくつあるか?』


 スフィンクスは一息に吐き出す。


「え? なんだって? もう一回言って!」


『それが汝の答えか?』


 リョウとエイが慌ててケンの口を押さえる。


「違う!」


「アホかケン! 余計なこと言うなや!」


「ご、ゴメン……でもあんな一気に言われたらわからないよ!」


 ばつの悪そうにするケン。そのとき、しゃがんでいたルリが立ち上がった。


「さっきの質問、書き留めておきました。速記だったので読みづらいから……はい、清書できました」


「ルリ、でかした」


 一行はルリが書き出した問題を覗き込む。


「砂の上に刻まれた証……? 何を聞いているんだコレ……?」


 エイは顎に手を当てしきりに何かを考えている様子だ。


「ギィギさん、鳥や獣……砂漠の民が信仰するお話に、似たようなものはいませんか?」


 ギィギはしばらく何かを思い起こすように唸っていたが、やがてひらめく。


「ルリ、いるゾ! 夜明けの鳥は……夜に死滅するけど、朝にはその灰から蘇り太陽と共に飛翔する……聖鳥ベンヌだゾ!」


「あ、それなら俺も聞いたことある……というか、キースさんと戦った時に使ったカードだ!」


「ケン、今はマジメな話をしているんだ」


 エイがたしなめ、ケンは耳を倒して反省の意を示した。


「罪を喰らう獣は……最後の審判の時に、マアトの羽根より重い罪深い者の心臓を喰らう……アメミットのことだな!」


「すごいです! じゃあ、最後の“混沌”は分かりますか?」


 それにもギィギはすぐに答えを見つけられたようだった。


「混沌、破壊、そして夜の闇の象徴……蛇神のアポピスだゾ!」


 そこまで聞いていたエイが、あることに気が付く。


「わかった! この問いの意味が!」


 全員が期待の眼差しでエイを見る。


「な、なんやエイ! もったいぶらんでさっさと言わんか」


「三匹の生き物が通り過ぎ、砂の上に残るもの……」


「あっ、足跡か!」


 エイは興奮した面持ちで頷く。


「それだと、ベンヌは鳥だから二本足、アメミットはカバの体だから四本足。アポピスは蛇だから足は無いゾ!」


「つまり、答えは……二足す四では六だな! おー――ぐえっ!?」


 手を上げまさに答えを述べようとしたケンの襟首を、エイは勢いよく引っ張った。


「何すんだよエイ!」


「待て、何か引っかかる……」


 エイはどこか納得のいっていない様子で、首をかしげている。


 再び問いを眺めていたケンは、閃いた。


「ああ分かった! ベンヌって鳥だろ? 飛んでるんだよ! スフィンクスも“天を舞い”って言っているし」


「それが何や?」


 リョウは首をかしげる。


「飛んでるから、足跡は残らないんだよ。つまり、四本足の何とかってのだけ! 答えは6と見せかけて4って引っかけなんだよ!」


 自信満々のケン。しかし、エイは依然難しい表情をしたままだった。


「どうしたんだよエイ」


「む……。ギィギ、アポピスは蛇……なんだよな?」


「そうだゾ」


「混沌……蛇……通り過ぎる……はっ、そうか!」


 エイは気が付く。


「分かった。俺が答える」


 彼の自信に満ちた顔に、全員が頷いた。


「聞けスフィンクス。答えは、“ゼロ”だ!」


『それが汝の答えか?』


「ああそうだ!」


 沈黙が流れる。全員、固唾をのんで顛末を見守った。


『正解だ』


 神殿内に、歓声が響き渡る。


「すげえなエイ! どうしてわかったんだ?」


「簡単なひっかけさ。足の数を数えさせるけど、重要なのは最後に全部上書きされ無くなるってことなのさ」


「なんやそれ、こっすいなあ!」


 リョウの忌憚のない意見に、皆笑う。その時、スフィンクスから二問目が告げられる。


『二つ――それは沈む太陽の行く先にあり、すべての者がその場所を指し示せるが、辿り着いた者でその場所を語れる者は一人もいない。お前の影よりも近く、星々よりも遠いものは何か?』


 ルリが凄まじい勢いで紙へと書き出す。全員がそれを凝視する。


 問題を読んだ瞬間、ケンに電撃が流れるような衝撃が走る。答えが分かったのだ。


 それは、彼がこの砂漠に来てから体験した経験の中に詰まっていた……。


「俺、答え分かったよ」


 ギィギを除く全員が、驚愕の表情でケンを見る。


 リョウは疑いが入り混じった眼差しを向けるも、ケンの真剣な眼差しを見て彼に対する疑念は消えていった。


 それから少し遅れて、ギィギも答えに気が付いたようだった。


「オレも分かったゾ……」


「ギィギが答えていいよ」


「いいやケン、一緒に言うゾ」


 ケンは頷くと、ギィギと共にスフィンクスを見上げた。


「答えは、“死”だ」


『正解だ』


 全員、答えを聞き納得したようだった。


「なるほどな」


「確かにみんな知っていますが、“そこがどんな場所であるか”……想像できても語ることができる人なんていませんよね」


「近くて遠い……。なんとまあ……いい得て妙、ってヤツやなホンマ」


 しんと静まり返る空間に、最後の問題が響く。


『三つ――それは羽毛よりも軽く、されどこの世のあらゆる黄金よりも重い。潔白なる者が持てば空を舞い、罪深き者が持てば奈落へと沈む。お前の中にありながら、お前自身では測れぬものは何か?』


 ルリの書きこむ手を、ギィギはそっと止めた。


「ギィギさん?」


「ルリ、書かなくていいゾ。答えは、わかったゾ」


「……分かりました」


 ギィギのその表情に、皆最後の回答を彼に託す。


「スフィンクス、最後の答えは……“真実”だゾ」


『正解だ。勇者よ、先に進むがいい』


 そう言うと、スフィンクスは巨体を動かし脇に退く。その先には、真っ暗な空間がぽっかりと口を空けていた。


「やったなギィギ!」


「ああ! この問題、最後の審判のことを言ってるんだゾ……死者の魂は“真実”によって裁かれて……ラォラもきっと、真実《マアト》に認められて楽園に行ったんだゾ……」


「そうだとも……絶対に!」


 一行は開けた先を見据える。


「何が起こるか分からないから、俺が先に行くよ。安全そうだったら呼ぶから、みんなは待ってて」


「ですが……!」


「大丈夫だよルリちゃん、いざとなったら、無限の軌跡《ヴェクター》でね?」


 ルリは何か言いたげだったが、渋々頷く。


「ケン、頼んだゾ。合図があったらすぐオレたちも行くからな!」


「ちょっとでもおかしなところがあったら、すぐに引き返せ」


「無理すんなよ……!」


 ケンは仲間たちに親指を立てると、慎重に踏み出す。懐中電灯で照らすも、通路の先は依然暗闇に包まれている。


 その時、背後から仲間たちの声がする。何事かと振り返ると、今しがたケンが進んできた道の出入り口を、スフィンクスの巨体が塞いでいた。


「おい! どういうことだ!」


 ケンはスフィンクスの巨体に拳を打ち付けるも、びくともしない。代わりに声が響く。


『主は“お前だけ”を呼んでいる』


 明らかに先程とは違う口調に、ケンは違和感を覚える。無限の軌跡で跳躍しようとするも、どういうわけか何も起こらない。


 その時、ケンは彼の背後から波と風の音を聞き、振り返る。スフィンクス越しに聞こえる仲間の声が、徐々に遠ざかっていく。


「なんだろう、この音、以前どこかで……」


 意識が薄れゆく中、ケンの足は暗がりに向かい勝手に歩き出す。歩いて、歩いて、歩いて――。


「あれ……ここって……」


 灰色の世界。


 空は雲に覆われ、鮮やかさを失っている。


 そして見渡す限りに続く遠浅の海、海、海。鼻腔を突きさす、血の匂い。


 ケンは、夢で見た海に再び立っていた。


「前に、俺はここに来た……?」


 記憶の糸を手繰り寄せるように、かつてイースト・シティで見た夢を思い返すケン。そして彼は、今自分が立っている場所が陸地だと気が付く。


「この前はずっと浅瀬が続いていたのに……どうなってんだ?」


 すると、ケンの背後から声が聞こえる。


「それは私が説明しようじゃあないか」


 弾かれるように振り向くケン。そこには、あまりにこの場に不釣り合いなものが存在していた。


 カラフルで大きなビーチパラソル。そしてその下では、南国調のシャツを羽織った肥満気味の中年男性がビーチチェアでくつろいでいた。


「ようこそ、ケン・スズハラ。私がオーバーシアだ」


 男はサングラスをずらし、青い目でケンを見据えていた。

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