#19砂漠の民(アアリアン)
――身体が熱い。
――喉が激しく痛む。
――目を開こうとしても、目に映る景色は揺れ吐き気を誘発させる。
ケンは虚ろな意識のなか、誰かが近づいてくる気配を感じた。
「ホラ、これ飲むんだゾ。頑張れ」
その誰かは、ケンを抱き起すとコップの様なものを彼の口に添え、傾ける。
流し込まれる液体。わずかに塩味があり、香草が強く香るものだった。
「――う」
その液体は、焼けつくような痛みの喉を癒していく。
身体の熱や喉の痛みが和らいだケンの意識は、再び暗闇の中に沈んでいった。
それからどれくらいの時が経ったのだろうか、ケンは目を覚ます。
「――ん……」
ケンは体を起こす。体にかけられている薄い布が、するりと滑り落ちた。わずかに感じるだるさはあるものの、意識ははっきりとしていた。
「どこだ、ここ……?」
ケンは辺りを見回す。薄暗い室内で、床に敷かれたボロ布の上に寝かされている。窓は閉じられており、枠から日光が漏れていた。
鼻を鳴らすと、鼻腔に薬草のような香りが刺さる。
一体何があったのか、ケンは記憶の糸を手繰り寄せる。クルーズ客船の沈没、海に投げ出され――。
すると突然、ケンの向かいにある扉が開け放たれ、日光を背に黒いシルエットを作り出していた。そしてその人物の頭頂部には――。
「え……犬の耳……?」
ケンが状況を把握するよりも早く、その人物は傍に寄ってくる。咄嗟の出来事に身を縮めるケンの目の前、まさに目鼻の先にその者は自身の顔を近づけた。
「おー! 元気になったか!? それともまだどこか苦しいか?」
その人物からも薬草のような強い香りが漂う。
「え? え? だ、誰ですか!?」
その人物は立ち上がると、窓を勢いよく開け放つ。差し込む光に、ケンは目を細めた。そして、その姿を確認し、理解した。
「君は……砂漠の民……?」
ピンととがった黒くて長い耳に、同じく漆黒の髪。腰からは艶のある黒い尻尾が伸びていた。灰色の肌に、引き締まってはいるが小柄な体。年の頃はまだ子供だと考えられる。
「そうだゾ! オレはギィギ! ギィギ・ヌビアスだゾ! よろしくな!」
ギィギは元気よくケンに近づくと、金色の双眸でケンを興味深そうに観察する。ケンは気まずくなり、思わず視線を逸らした。
「オマエ不思議だな! 外の人なのに、オレたちみたいな耳や尻尾があるのな! 外ではそれが普通なのか?」
「いや……その……俺はちょっとワケありで……」
ギィギは『ふぅん、そうなのか』と大して気に留める様子もなかった。
「まあいいや。オマエ、お腹すいたか? メシ持ってきたけど、食うか?」
彼は手にしたカゴから、楕円形の褐色の物体と、深皿に入った緑色のスープのようなものを取り出した。
「わあ、嬉しい! もらっていいの?」
その言葉に、ギィギも満足げに頷いた。
「当たり前だゾ! 外の人にひもじい思いなんてさせられないんだゾ!」
ギィギは手慣れた様子で、茶色い物体にナイフを入れる。どうやらそれはパンのようなものだった。
「ホラ、このままじゃあ固いから、このスープに付けて食べるんだゾ」
ケンは言われた通り、パンをスープに浸す。そしてよく染み込んだことを確認してから恐る恐る口に運んだ。
「これは……!」
塩気が強く、ニンニクで風味づけされたシンプルなスープ。しかし、シンプルが故に――。
「美味い……!」
ケンは夢中で口に頬張る。そんな姿を、ギィギは嬉しそうに眺めていた。
「オマエ、名前なんていうんだゾ?」
「俺? スズハラ・ケン。よろしくな」
「スズハラ……? 変わった名前だな!」
「あー違うちがう。ケンが名前ね」
「なんで名前が後なんだゾ?」
「なんでって……なんでだろ?」
『変なの!』と朗らかに笑うギィギ。その口元に、鋭い牙が見える。ケンもつられて笑うが、ふとある事を思い出し急に青ざめた。
「ああっ! そうだ! ギィギ! 俺って、どこに倒れてたんだ!?」
「どこって、海岸だゾ……。他にも――」
「いたの? 何人!? みんなは無事なの!?」
鬼気迫る表情でギィギの肩を掴むケン。そんな様子に、ギィギは目を丸くした。
「お、落ち着くんだゾケン! あの三人はオマエのトモダチなのか? だったら安心しろ。みんなオマエよりずっと早く目を覚ましたから」
その言葉に安堵し、力が抜けるケン。ギィギもその様子をみて、提案した。
「オマエももう元気になったみたいだし、仲間に会うか? 案内するゾ」
「ああ! 頼むよ! ご飯、ありがとな! おいしかったよ!」
フラフラと立ち上がるケン。ギィギはしばらく“ある一点”を見つめた後、気まずそうに窘める。
「……さすがに、外へは服を着てから出た方がいいゾ……オマエの服、あそこにまとめてあるから……」
自身が産まれたままの姿であることに、ケンはその時初めて気が付き赤面した。
慌てて布の束へ駆け寄り、砂と塩でざらついた自分の服を手に取った。乾いてはいるが、ところどころ白く粉を吹いている。
「……うわ、ひでえなこれ」
「海の水はすぐ乾くけど、塩は残るんだゾ。砂漠じゃよくあることだゾ」
ギィギはケラケラ笑いながら、ケンの尻尾を指さした。
「それに、オマエの尻尾、さっきからずっと砂まみれだゾ。ちゃんと振って落とすんだゾ」
「えっ、あ、ほんとだ……!」
ケンは慌てて尻尾を払う。砂がぱらぱらと落ち、ギィギはそれを見て楽しそうに尻尾を揺らした。
「あれ、帽子……ギィギ、俺の帽子知らない?」
「帽子……? オマエの服はそれで全部だゾ」
流された際にどこかへいったのだろう。ケンはどうしたものかと思案を巡らせるも、ここは砂漠の民の土地。自身の耳など特に珍しくもないだろうと、隠さない選択をした。
「よし! じゃあ行くゾ。みんな、村の広場にいるはずだゾ!」
「ありがとう、ギィギ。案内頼む!」
「任せるんだゾ!」
ケンはギィギに続き家屋を後にする。そこに、強烈な日差しが襲い掛かった。
「熱っ……痛っ!?」
今までに感じたことのない太陽光。それは、ケンが今まで住んでいた場所とは全く違う世界であることを否応なく知らせていた。
「あっ、ごめんだゾ……」
ギィギは建物内に戻ると、先程までケンにかけていた布を手に戻ってくる。
「昼間は日差しが強いから、これを頭から被って」
すっぽりと布に包まれるケン。日差しからの熱は和らぐが、乾燥した空気は容赦なく喉に突き刺さる。ケンはたまらず布で口元を覆った。
「呼吸は浅く、早くやってればだいぶ楽になるゾ。それじゃ、こっち。ついてこい」
ギィギの背中を追うケン。黄金色の砂の上に、まばらに建ち並ぶ家屋。どれも流木や石、泥で固められた簡素なものだった。
しばらく進むと、村の中央部か、井戸らしきものがあった。丸い石造りの井戸の脇に、古びた機械――おそらく水汲み用のポンプがあった。
「ん? みんなどうしたんだゾ?」
ポンプの周りに数人、砂漠の民たちが集まっている。皆布を被っているものの、頭頂部には獣の耳らしきでっぱりが見られた。
「あぁギィギか。今な、この人がポンプを見てくれてるんだよ」
「あー、それ壊れて動かなかったもんな」
ケンはギィギの後ろから覗き込む。ポンプの横にうずくまり、作業しているその人物は――。
「エイ!」
突然名前を呼ばれたエイは、驚いたように顔を上げる。
「ケン、目が覚めたのか」
「おっ、彼も知り合いなのかい? いやあ、全員無事でよかったよ」
「本当に、何と感謝を言っていいか……」
恐縮するエイに、砂漠の民の男は手を振る。
「やめてくれよ。俺たちは当然のことをしただけさ。それにアンタは、機械の様子も見てくれてる。それで十分さ」
エイは微笑むと、再び真剣な眼差しで装置に向かい合う。
その場の全員が、固唾をのみ見守る。ケンの額から流れる汗が、頬の途中で乾き消えていく。
「――ああ、これだ。ここがダメになっている。代わりはあるか?」
「それだったら、確か似たようなものがあったと思う」
男たちは駆け足でどこかへ消えていくが、程なくして手に機械の部品を携え戻って来た。
「これだろ?」
エイは男の手の上の部品を見つめると、頷く。
「ここ、押さえてもらえるか?」
「ああ、任せろ」
数名がかりで作業を執り行い、やがてそれは終わりを迎える。
「これでいいはずだ。やってみてくれ」
エイの合図に砂漠の民の男は頷くと、勢いよくスターターロープを引っ張った。
一回、二回……そして三回目を引っ張ったとき、機械は震動とともにエンジンを始動させた。
湧き上がる歓声。エイも満足げに額の汗を拭った。
「ありがとう! これで女たちが水汲みで苦労することがなくなるよ!」
「直射日光に当たっているとまた壊れるから、簡易的な屋根をつけて保護を」
「わかった!」
井戸から離れ、ケンのもとに近寄るエイ。その表情は清々しいものだった。
「エイ、無事だったか!」
「お前も、その様子じゃあ大丈夫そうだな」
再会を喜び合う二人。ケンは広場を見回し、ルリとリョウの姿を探す。
「ルリちゃんとリョウはどこに……?」
「子供たちと遊ぶとか言っていたが……ギィギ、分かるか?」
「それならあそこだな……ついてこい!」
ギィギのあとに、ケンとエイは続く。その道中、彼らの前に杖を突いた砂漠の民の男性が現れた。彼はバケツを手に、危なっかしい足取りで歩いていた。
「リャオ! 水汲みか? オマエ足が悪いからオレが代わりにやるゾ」
「いや、いいんだ……ありがとう」
リャオは静かにギィギを制止させる。その表情は、どこか陰りのあるものだった。
「ニャーミの具合は……どうだ……?」
「相変わらずさ……。それでも、いつかきっと立ち直ってくれる……信じているさ……」
「そうだな……」
「失礼するよ。外の人……か……」
ケンとエイを一瞥し、よろよろと去っていくリャオ。
「あの人は……?」
「俺たちに良い印象を持っていないのは……確かだな」
ギィギが申し訳なさそうに二人に弁明する。
「二人ともゴメンだゾ……アイツに悪気はないんだゾ。……ただ、昔外から来たヤツらに撃たれて……ニャーミは赤ちゃん取り上げられて……」
震える声のギィギに、ケンはかつてリノエから聞いた言葉を思い出す。
――『“プロジェクトT”なんて、砂漠の民からさらった子供を使ってるって聞いたぞ』
灼熱の日差しとは裏腹に、ケンの背筋に冷たいものが流れる。やがてそれは、彼の中で義憤へと変わっていく。
「それって、研究所の、ヤツらなのか……?」
怒りに体をわななかせるケン。途切れ途切れに紡がれるその言葉に、ギィギは不思議そうな顔をする。
「ぐらん、ぎにょる……? よくわからないゾ」
『ただ、』とギィギは続ける。
「リャオとニャーミは別の村に住んでて……生き残ってここに逃げてきたんだゾ……。オレは今よりも小さかったから、大人たちが慌ててたなあってぐらいしか記憶に無いけど……」
熱を帯びた風が吹き、ケンの羽織る布をはためかせた。
黙り込むケンとエイ。ギィギは焦った様子で、取り繕うように言葉を絞り出す。
「あっ、二人にこんなこと話すべきじゃあなかったゾ。これはオレたち砂漠の民の問題だから、二人は忘れて……」
口を開きかけるケンの肩に、エイは手を置き制止する。首を横に振るエイに、ケンはやるせない気持ちでうなだれた。
「さ、さあ! トモダチに会うんだろ? こんなとこで止まってないでさっさと行くゾ!」
ギィギの明るい声に急かされるように、ケンは顔を上げた。
「ああ……そうだな。行こう」
まだ胸の奥にくすぶるものはあったが、今はそれを押し込めるしかない。ケンは小さく息を吐くと、再び歩き出した。
やがて三人は大きな造りの建物にたどり着く。
「外は日差しが強すぎるから、子供たちはここで遊ぶんだゾ」
ギィギは、暖簾のように垂れ下がっている布をめくるとケンたちに中へ入るよう促した。中からは子供たちの楽しそうな声が響いている。
中に足を踏み入れたケンは、かつて体育館で無邪気に体を動かしていたことを思い出した。規模こそ小さいが、子供たちの体躯には十分だろう。
「ん? おお! ケン! 目ェ覚めたんか! エラいお寝坊さんやなあ!」
子供たちとボールのようなものを使い遊んでいたリョウが、ケンたちに気が付く。
「ケンさん!」
ケンは声のする方に目を向けると、壁を背にルリが腰を下ろしていた。彼女の膝の上には、ギィギに似た出で立ちの幼い子供がすっぽりと収まっている。
「ラォラ、すっかりルリのこと気に入ったみたいだな!」
「この子、とってもかわいいです!」
「えへへ……」
ルリはぎゅうっとラォラを抱きしめ、彼はうれしそうに目を細めた。
「この子は?」
「オレの弟……コイツは一番下の末っ子だゾ」
「他にも兄弟いるの!?」
「まあな!」
ケンは部屋の中を見渡す。黒、灰、茶、黄、緑、紫……様々な体色をした子供たちが、思い思いにはしゃいでいる。彼らは皆、様々な獣の耳や尻尾がついていた。
「さて、と。オマエたちはもうちょっと時間を潰しててくれ! 夕飯はとっておきのおもてなしするから楽しみに待っているんだゾ!」
そう言うとギィギは楽しそうに部屋を後にした。ケン達四人は、互いの生還の喜びを改めて分かち合った。
「なんとかみんな無事だったね!」
ケンは嬉しそうに一人一人の顔を確認する。
「はい! 砂漠の民の方々が、“話に聞いた通り”の方たちで、本当に助かりました」
ルリの含みのある言い方に、ケンは怪訝な表情をする。
「あっ、言っていませんでしたね。私たち魔女は、この砂漠のずうっと向こうにある森に暮らしていて、砂漠の民とはある程度の交流があるのです」
「ああ、そういうことなんだね」
「はい。……と言いましても、私はお会いするのは今回が初めてなのですけどね」
リョウは何かに気がつく。
「……ん? と言うことは、ルリの住んどるとこはもうほとんど目と鼻の先っちゅうことか?」
「それは……そうですけど……」
ルリは気まずそうに口ごもる。リョウはその反応に不思議そうな顔をする。ケンは思い出す……ルリは“家出中”なのだ。そしてその事は彼女の師匠であるフレイヤも“見ている”……。
「……ぼくも遊んでくる」
「はい、どうぞ」
ラォラは退屈したのか、ルリの膝から立ち上がると、子供たちがいる方へと駆け出していった。
「まあとにかく、今晩はここでお世話になって、明日ナントカってヤツを探しに行こうや」
ケンはリョウのその言葉で本来の目的を思い出す。それと同時に、不安も湧き上がって来た。
「俺さ、こんな砂漠に来るの初めてで……日差しもシャレにならないぐらい強くて、空気も乾燥しきっているし……そんな中でどこにいるかも分からない人を探すことなんてできるのかなあ?」
一同黙り込む。皆同じ考えだったようだ。
「砂漠を歩き回るんだったら、かなりの準備が必要だな。明日にでも、俺たちが打ち上げられてた海岸に行ってみるか」
「何で?」
「あのクルーズ客船から、物資が流れ着いているかもしれないだろう?」
「ああ……!」
ケンはエイの頭の良さに感心する。
その時、ふと子供たちの方へ視線を向けたリョウが何かに気づき、血相を変えて駆け出す。
「どうしたの、リョウ!」
ケンの声に答えることもせず、リョウは一直線に子供たちの間をかき分ける。
「ちょっとゴメンな! ラォラ! どうした! 返事せえ!」
リョウは震える手でラォラの口元に手をかざす。続いて胸元に手を当てる。
「……アカン、心臓止まっとる……!」
ケンたちも慌てて駆け寄る。
「落ち着けリョウ。心臓マッサージだ。分かるか?」
「分からんわ!」
「胸骨圧迫三十回に、人工呼吸二回のローテーションだ。胸の間、厚みの三分の一が沈むくらいの強さでやれ。その体格だと……掌底で十分だ」
「ああもう一気に言うなや! ええと、掌底で三十……」
リョウは必死で言われた通りに心臓マッサージを行う。ケンはいてもたってもいられず、立ち上がった。
「俺、ギィギ呼んでくる! エイはリョウのサポートそのままお願い!」
「私も行きます!」
エイは短く頷く。ケンとルリは脱兎のごとく部屋を飛び出していった。
「死ぬなよ……頼むでホンマ……!」
リョウは必死に心臓マッサージを続ける。周りの子供たちも不安そうにその様子を眺めている。
「代わるか?」
エイの提案に、リョウは首を横に振る。そしてそのまま、必死の救命措置を続ける。そして――。
「ああ、良かった……」
ラォラの胸に、鼓動が蘇る。エイは大きく息を吐いた。それと同時に、血相を変えたギィギと、その後ろに女性が続いてやってきた。
「ラォラ!」
女性はぐったりとした小さな身体を抱き上げる。ギィギはその様子を見て胸を撫でおろしていた。
「良かった……リョウ、エイ、本当にありがとうだゾ……」
耳は垂れ、うなだれるギィギに、エイは問いかける。
「あの子、病気か?」
「病気じゃあないゾ。ただ、生まれつき心臓に問題があって、激しい運動をしちゃあいけないんだ……。俺、それをみんなに伝えてなくて……」
震えるギィギに、リョウは額の汗を拭いながらもフォローを入れる。
「……まあ、子供がたくさんおるとどうしても手が回らんことあるわな……。俺にも覚えがあるから、強くは言えんわ」
ギィギの肩を優しく叩くリョウ。その時、ケンとルリが遅れてやってきた。
「二人とも早すぎ……それで、大丈夫だった!?」
ケンは女性に抱かれたラォラを見て安心する。
「外の方、ラォラを救ってくださり、ありがとうございました……」
深々と頭を下げる女性。
「みんな、紹介遅れたな……この人は、オレの母ちゃん。サリサだゾ」
顔を上げるサリサ。彼女はやつれ、目は落ちくぼんでいた。
「皆さま、私たちのことはお気になさらず、どうかおくつろぎください」
彼女は何度も頭を下げながら部屋から出ていった。
サリサの背中が布の向こうへ消えていくと、室内には重たい静寂が落ちた。さっきまで響いていた子供たちの笑い声も、今はすっかり鳴りを潜めている。
「……大事にならんで、ほんま良かったわ」
リョウはその場にどさりと腰を下ろし、荒く息を吐いた。腕はまだわずかに震えている。
「判断も処置も的確だった。よくやったな」
エイの短い言葉に、リョウは照れくさそうに鼻を鳴らす。
「そらアンタが横で指示出しとったからやろ。俺一人やったら完全にパニックや」
「それでも、手を止めなかったのはお前だ」
淡々とした言い方だが、その中には確かな評価があった。
一方でケンは、じっとラォラが運ばれていった方を見つめていた。
「……あの子、また発作起きる可能性あるよな」
「ありますね……」
ルリも静かに頷く。
「この環境……医療設備も整っていないでしょうし、かなり危険だと思います」
乾いた空気、強烈な日差し。どれも心臓に負担をかける条件ばかりだった。
押し黙る一行。そのとき、入口の布が再び揺れ、ギィギが戻ってきた。その表情は、先ほどまでの明るさを無理やり引き戻したようなものだった。
「ラォラ、今は落ち着いたゾ……母ちゃんがついてるから大丈夫だ」
「そっか……よかった」
ケンが安堵の息をつくと、ギィギは少しだけ笑った。
「それとみんな。父ちゃん……村長がみんなと話したいから、来てもらえるか?」
四人は静かに頷き、ギィギの後に続いた。
村の中でもひときわ大きな建物、その入り口前までたどり着いたとき、ケンの耳に声が聞こえてきた。
――牛を一頭潰そう。
――しかし村長、そうすると今後の農作業に支障が……。
――しかたあるまい。我々の覚悟をあの方々に見せるためだ。
『ぐぅ……』と男が歯噛みする声の後、ケンたち一行の目の前の扉から砂漠の民の男が出てきた。彼は会釈をすると、そのままどこかへ向かって歩き出した。
「ギィギか? 皆さまは?」
建物の中から聞こえる声。深みのある、落ち着いたものだった。
「父ちゃん、みんないるゾ! 今入るゾ!」
ギィギに促され、ケンたちは敷居を跨いだ。
建物内は、やはり薬草のような匂いが満ちている。カーペットが敷かれたその部屋の奥に、一人の男性が腰を下ろしている。
ギィギと同じ耳に、同じ色の髪、肌……そして瞳の色。
「よく来てくれた。さあ、座ってください」
彼は落ち着いた仕草でケンたちに促す。柔らかいカーペットの上、皆それぞれが腰を下ろした。ギィギも父親の横に同じように座った。
「私はこの村の村長、ガォガと申します。サリサから聞きました。息子を助けていただいたようで、なんとお礼を申したら良いか……」
ガォガは胡坐をかいたまま両の拳を床に着けると、頭を下げる。リョウは恐縮しつつも、はっきりと言った。
「礼はもらっとくが……村長さん、あの子、このままじゃあアカンやろ」
「わかっております……しかし、我々にはどうすることもできないのです」
「なんでや!? 魔女たちと交流しとるそうやないか! それなら薬だって――」
ガォガはリョウを落ち着かせるように手を上げる。
「あれの体は、薬でどうにかなるものではないのです。生まれつき心臓が肥大していき、それはやがて自身の体に圧迫される……」
「だったら手術なり、なんなりが……あっ――」
リョウは自身の軽率な言葉に声を失う。
誰もが理解していたことだ。この地に精密な外科手術を行える場所などなく、かといって外の国で砂漠の民を受け入れる者などいないということを……。
「これもまた、自然の摂理なのです。冥界へ赴き、最後の審判を経て、その魂は楽園へと導かれる……。あれはその時期が早い、それだけのことです」
「んな大人の都合、あの子には理解できへんやろ!」
「いずれ誰もが向かう場所……そこに至ることに理解も無理解も必要は無いのです。我々がなぜ楽園の住人を意味するアアリアンと名乗っているか……それは楽園への到達を至上の目的とし、それを支えに生きているからに他なりません」
「おかしいッて! 死ぬのが目的で生きとるのか!?」
リョウの叫びに、ギィギは思わず反論する。
「それは違うゾ。オレたちは、ただ死ぬために生きているんじゃあない。ちゃんと、次の世代を産み、託し、繋いでいくことを一番の目的に生きているんだゾ。楽園への到達は……頑張った人へのご褒美なんだゾ!」
ギィギを諫めるガォガ。
ケンは何も言うことができなかった。環境も境遇も、全てが異なる人たちに、自分たちの物差しで強制することなどもってのほかだと理解しているからだ。
「……スマン。熱くなりすぎてもうた。頭冷やしてくるわ」
外へ出ようとするリョウを、ガォガは引き止めた。
「お待ちください。それならば、皆さまに見てほしいものがあるので、共に屋根の上に行きましょう。……ギィギ、梯子を」
ギィギは頷くと、部屋の隅に立てかけられている梯子を手にする。ガォガは細長い棒を手にすると、部屋の隅の天井に押し当てた。部屋の中に光が差し込む。
「さあ、足元に気を付けて登ってください」
ケンたちは注意深く梯子に足をかける。屋上に上がると、地平の先まで続く砂漠が目に入る。
「おいケン、あれを見てみろ!」
珍しく興奮気味なエイが指さす方向、ケンはそれを見て自身の目を疑った。
「な、何だアレ……!」
遥か西の彼方、地平の先の空間が歪んでいた。
「ルリちゃん、俺のリュックある?」
ルリは自身の鞄からケンのリュックを引っ張り出すと、ケンに手渡した。
「確か双眼鏡が入ってたはず……あった!」
ケンは震える手で双眼鏡を掴むと、覗き込む。
「どうなってんだコレ……?」
それはまるでモザイクのように景色を覆い、明らかに異様な光景だった。
「なんや? 俺にも見せろ」
リョウへと双眼鏡を手渡す。
「歪み自体は遥か昔から存在していたのですが……ここ数年、徐々に規模を拡大させ、こちらに迫ってきているのです」
「な、なんやアレ?」
ルリに双眼鏡を手渡しながら、リョウの声は震えている。
「わかりません。ただ、あそこに近づく者は、皆消えてしまうのです。我々は、あれを“西の滅び”と呼んでいます」
「西の滅び……」
ルリから受け取った双眼鏡を覗き、エイはつぶやく。
「我々は西の地に冥界があると信じています。そして、あれは地上に現れた死者の世界だと言う者もいます」
「どうにかできないんですか?」
ケンのその言葉に、ガォガの眉がわずかに動く。
「西の果てにある神殿……我々が代々信仰してきたその場所に、聖なる守り手がいます。それが守る我らの創造主、それに頼りたいのですが……」
澱むその言葉に、先程の“近づく者は皆消える”という言葉を思い出す。
「あの歪みを調べに行ったヤツら、誰一人帰ってこないんだゾ……。エイ、さっきポンプの修理してくれたよな? ホントはオレたちの村に修理できるヤツがいたんだゾ……。でも、ソイツ、アレを調べに行ったまま……」
傾き、沈んでゆく太陽。オレンジ色の光は、不気味な歪みによって屈折され、まるでこの世のものとは思えない光景を生み出していた。
「さて皆さま、そろそろ夕餉の支度ができる頃ですので、中へお戻りください」
一行は重い空気のまま室内へと戻っていく。
こんな気分のままもてなしを受けていいものかと思う彼らの考えは、運び込まれるごちそうの前にあっという間に吹き飛んでいった。
「す、すごい……!」
女性たちが皿に乗せ次々に運んでくる、見たこともない料理。串に刺さり香ばしい匂いを放つ肉、何枚も重ねられたピザ生地のようなもの、湯気を立てるスープ……どれも彼らの視覚、嗅覚を刺激し、空腹感を増幅させた。
「さあ、遠慮なさらず、どんどん召し上がってください!」
ケンはピザ生地のようなものに手を伸ばす。出来立てで、まだ熱をもつそれをケンはゆっくり手で千切る。すると、中からチーズが糸を引いて伸びていった。
「美味そう……!」
ルリは串を掴み、肉を食む。彼女の眼の色が変わった。
「す、すごいです……! 何種類ものスパイスが合わさり、味に深みが出て……!」
リョウはスプーンでスープを掬う。
「これはレンズ豆やな……う、美味い……!」
各々が料理に感動する中、エイは手を付けずにガォガに視線を向けていた。その様子に彼も気づいたらしく、優しく促す。
「どうされましたか……? 何かお嫌いなものが……?」
「違います。……これだけの豪華な食事、あなたたちにとっても貴重なはずだ」
「ええ、ですから我々はもてなしとして――」
「何か……俺たちに頼みがあるんじゃあないのですか?」
空気が凍り付く。ケンもルリもリョウも、食事の手を止めた。ガォガは力なく笑う。
「さすがお聡い方だ……」
ガォガは息を吐くと、覚悟を決めたようにその表情を変える。先程したように両の拳を床につけると、深々と頭を下げる。
「どうか……っ! 私の息子と共にっ……西の神殿に行き……! 滅びを止めていただきたいっ……!」
静まり返る室内。最初に口を開いたのはリョウだった。
「どうして俺たちなんや?」
「それは申し訳ない、しかし、もうこれ以上……我々の中から犠牲が出ると……種族そのものが立ちいかなくなってしまって――」
「違う、そうやない! 俺たちなんぞ、たまたま流れ着いただけのただのガキやぞ? アンタらの存亡がかかった大事なことに首を突っ込んでもええのか?」
ガォガは予想外の返答に目を丸くする。
「俺らだって完璧やない。アンタらの望むようには……いかへんかもしれんで?」
静かに目を閉じると、ガォガは首を横に振る。
「外の方、それは違います……。我々からしたら、あなた方も立派な大人です。うちのギィギも、つい先日15になり成人したのです」
「ほー、アンタらは15で成人なんやね……って、年齢の問題やない!」
リョウの鋭いツッコミに、ガォガは笑う。
「お戯れが過ぎましたな。許していただきたい。……本当のところは、種族的な問題もあるのですが、もう一つ」
「もう一つ?」
エイの怪訝な声に、ガォガは頷く。
「ギィギから聞きました。ラォラを助けていただいたときの、あなた方の働きを。突然の出来事にも動じず、それぞれができる最大限のことに取り組む。懸命なその姿に私は心打たれ……あなた方に力を貸していただきたい、切実にそう思ったのです」
必死に頭を下げるガォガ。
「こちらの都合だけの、調子のいいお願いだとは重々承知しております。しかし……しかし、我々にはもう残された時間が少ないのです!」
「そうか……どうする、ケン?」
エイからの突然の振りに、ケンは手にしていた料理を危うく落としかけた。
「えっ、ええ!? 俺!?」
リョウもエイに同意する。
「そうやな。俺らの進む先は、ケン、お前と同じとこや。お前の決定に俺らは従うで。なあルリちゃん?」
「えっ? ですが……」
ルリは救いを求めるような視線をケンに送る。
(どうする……? 危険なのは明らかだけど、放っておくなんて絶対にできない。でも、二つ返事で引き受けていいことじゃあないし……)
俯いたままのケン。数秒の、“長い”沈黙が続いた。やがて彼は顔を上げる。
「少し、時間をもらえませんか? 一度、みんなで話し合ってから決めたいと思います」
一瞬、ガォガの表情に失望のような色が浮かんだ気がする。しかし彼はすぐに笑顔を作ると、何度も頷いた。
「ええ、そうでしょうとも。一晩……いや、明日一日待ちますので、お考えください。もし断るようでしても、お気になさらず。ギィギにこの砂漠の出口まで案内させますので……」
「すみません。ありがとうございます」
複雑な気持ちが入り混じった言葉。ケンは気まずくなりガォガから視線を外すと、部屋の出口から砂漠の民の子供たちが覗いている事に気が付く。
「あっ、コラお前たち! 兄ちゃんたちは大事な話しているんだから来ちゃあダメって言っただろ!」
追い払おうと立ち上がるギィギを、ケンは止めた。
「ガォガさん、あの子たちも呼んで、みんなで食べませんか?」
「え? あ……ああ、構いませんよ」
ケンは立ち上がる。ルリ、エイ、リョウもそれに続いた。
「ほらみんなおいで! 一緒に食べよう!」
ギィギの弟たちは、みな目を輝かせ部屋になだれ込む。
「お客さんに失礼のないようにするんだゾ」
彼もまた、どこか嬉しそうな表情をしていた。
夕餉は賑やかに進む。そんなとき、ケンはふと気になったことをギィギに問いかけた。
「ねえギィギ、お前の母さんいないみたいだけど……一緒に食べないの?」
弟にパンをちぎって渡しながら、ギィギは答える。
「母ちゃん、たくさん子供産んだせいで少し……体悪くしててさ。でも今日は『外の人たちに料理を振舞うんだ』って張り切っちゃって……ああ、自分の食べる分は用意してあると思うから、そんな顔しなくていいゾ」
「兄弟いっぱいだもんな、ギィギ」
ケンは先程の話を思い出す。種の存続……ケンは今まで一度も、こんなに大きなスケールで命について考えたことはなかった。
「家族が多くて楽しいけど、ちょっと状況はよくないんだゾ……」
「それはまた、どうして……?」
「オレの兄弟、みんな男だろ? 女が、いないんだゾ……。男に赤ちゃんは産めないんだゾ……」
ケンは衝撃を受ける。
「オレは隣村のシスイのとこから嫁をもらうからいいけど、もしオレも女の赤ちゃんを作れなかったら……産むヤツがどんどんいなくなっていって……そのうち……」
「ギ、ギィギ! その……未来はどうなるか分からないから……その……」
ケンは思わずギィギの手を掴んでいた。全く中身のない彼の言葉にも、ギィギは笑って答えた。
「ありがとうだゾ、ケン。そうだな! 未来なんて誰も知らないんだから、今くよくよしてたってしょうがないもんな!」
食後、ガォガに礼を伝えケンたちは村長の家を後にする。ギィギの案内でその夜を過ごす建物に辿り着いた。
「よし、“煙焚き”も終わってるな。少し匂いがキツいけど、ガマンしてほしいゾ」
この村に来てから気になっていた匂い。ケンはギィギに質問した。
「ずっと気になってたんだけどさ、この薬草みたいな匂いって、何なの?」
「虫避けだゾ。砂漠って暑いだろ? 毒を持った虫やらヘビやらは、太陽を逃れて日陰に行くんだゾ。だからそいつらを追い払う為に、こうやって嫌がる匂いの薬草を染み付かせるんだゾ」
「なるほど!」
砂漠の民が築き上げてきた知恵に、ケンは純粋に感心した。
「それじゃあ、オレは行くゾ。朝メシ用意しておくから、明日起きたら声をかけてほしいゾ」
部屋を出て行こうとするギィギ。ケンはその表情に、どこか物寂しさのようなものを感じ、思わず彼を引き留めた。
「待ってギィギ」
「どうしたんだゾ?」
「今晩、ギィギもみんなと一緒に寝ようよ!」
目を丸くするギィギ。リョウは嬉しそうな声を出す。
「おっ、ケン、たまにはええこと言うやないか!」
「たまにってなんだよ……」
ギィギは狼狽える。
「でも……いいのか? トモダチどうしでおしゃべりしたいだろ……?」
「でしたら、ギィギさんも、もう“トモダチ”じゃあありませんか?」
ルリの言葉に、ギィギの表情は明るくなる。
「あ……うん! じゃあ、オレ、弟たちを寝かしつけてくる! そしたら、そしたら……!」
「いろいろお話しようよ! まだお互いのこと、全然知らないしな!」
「じゃあ、また後で……だゾ!」
ギィギは勢いよく部屋を飛び出していった。
蝋燭の明かりが揺れる室内。ケンは何気なく窓から外を眺めると、何かに気づき建物の外に出る。そして、天を仰いだ。
「みんな……! ちょっと外に出て! すごい……!」
その言葉に、ルリ、エイ、リョウは慌てて飛び出してくる。
「どうしました!?」
ルリはケンの視線を追い、空を見上げる。そして――。
「すごい……綺麗です……」
感嘆の声。
「都会じゃあ、こんな景色見ることができないな」
「ホンマや……」
エイとリョウも、広がる満天の星空に心奪われたようだった。
「ここに案内されるときはさ、いろいろあって空を見てる余裕なんてなかったから全然気が付かなかったよ……」
「私もです」
「俺もだ」
「なんや、どうりで葬式みたいな雰囲気だったんやな」
「リョウはどうなんだよ?」
ケンは星々を眺めながら、リョウに投げかける。
「……俺もや」
月と星が照らし出す幻想的な夜景に、少年少女は言葉もなく眺め続けていた。
「みんなどうしたんだゾ?」
厚手の布を手にしたギィギが、不思議そうな顔をして戻ってきた。
「あれ、早いねギィギ」
「母ちゃんに話したら、行ってきなって言ってくれたんだゾ」
サリサの息子への思いやりに、ケンは心が温かくなるのを感じた。
「空、綺麗ですね」
ギィギはルリの言葉に空を見上げる。
「そうなのか……? 別にいつも通りだゾ? ……でも、それだったら……ついてこい。空を眺めるのにうってつけのところがあるゾ!」
四人はギィギの後に続く。村を少しだけ離れ、砂丘のひときわ小高い場所に出る。
「ここなら家の光も邪魔しないし、よく星が見えるゾ!」
そう言って、彼はその場に腰を下ろす。ケンたちもそれに続いた。
風の音が時折聞こえるだけの、静寂に包まれた世界。五人は静かに空を見つめる。
「今見ている星の光も、“ずっと昔”のものなのですよね」
「えっ、そうなの?」
ルリのつぶやきに、ケンは間の抜けた声を上げる。エイは溜息をついた。
「お前、授業でやっただろうが……。星と星は距離が離れすぎているから、途方もない時差があるって」
「そうだっけ……?」
リョウは声を上げて笑う。
「俺もケンも、昼寝の名人やからな! 睡眠学習のしょーもなさを証明してもうたってことや!」
「なんだかよくわからないけど、面白いな!」
ギィギは尻尾を振り話に加わる。ルリは咳ばらいをして星を指さす。
「……とにかく、今見ている光は、私たちが産まれるずっと前にあの星を旅立って、今こうして私たちに会いに来たんです」
「おっ、ルリなかなかのポエマーやな!」
「それを言うならポエットです!」
ルリは砂を掴むとリョウに投げつけた。
「光の速さだと一瞬だけど、その間には本当に長い時間が流れているんだよね……。星の瞬きの間にも、人間にはたくさんの出来事が……」
喜び、哀しみ……ケンが今日までに経験してきた様々な出来事も、星の光からしたらほんの刹那にすぎないのだろう。
「瞬間っていう時間の流れの中で、消えないように必死に今を生きている人もいるんだって、俺……恥ずかしいけど、今日初めて知ったよ」
全員がケンを見つめている。
「誰かがぼーっと生きた一日も、誰かが生きたかった一日だったかもしれないし……ええと……なんて言ったらいいんだろう……」
ルリはクスリと笑う。
「無理に言葉にしなくてもいいんじゃあないでしょうか」
「うん、そうだね。でも、これだけはハッキリと言える。誰だって、消えたくないし、生きていたい」
「そうやな……」
リョウは思いに耽るように星を見つめる。エイは静かに頷く。
「今まさに消えそうな命がそこにあるんだったら、やっぱり……力になりたい。そう、思う」
ギィギを除いた全員が、頷く。
「みんな……」
「ギィギ、俺たちも力になるよ。どこまでやれるかは分からないけど、できる限りを……ね」
「ケン……! ありがとうだゾ!」
ギィギは勢いよくケンに飛びつくと、力いっぱい抱きしめる。そんな彼の背中を、ケンは優しく叩く。
その後彼らは語り合う。育ちも文化も違うが、だからこそ話の種は尽きなかった。
「そういえばさ、ギィギはオーバーシアって言葉についてなにか知らない?」
「なんだソレ? 初めて聞くゾ」
首をかしげるギィギ。
「彼らは別の呼称をしているかもしれないな……ギィギ、お前たちの言っていた、“聖なる守り手”って一体何なんだ?」
「オレも父ちゃんからちょっと聞いただけだから詳しくは知らないけど……ソイツは先祖代々守って来た神殿にいて、守っているんだゾ」
「何を守っているのですか?」
ルリの問いに、ギィギは空を見つめ答える。
「“アトゥム”だゾ。守り手の先にいるソイツは、オレたちが困ったときに力を貸してくれる……そう聞いたことがあるゾ」
「アトム? なんやソレ? 人か? モノか?」
「アトゥム、だゾ。オレたちが信じている、オレたちの創造主のことだゾ」
――我らの創造主、それに頼りたいのですが……。
ケンは、屋根の上でガォガが言った言葉を思い出した。
「……つまりは、アンタら一族が守っているとこにいるヤツは、神さんを守っとる……っちゅうことか」
「幾重にも厳重にかけられた守り、そして緊急時に現れる神……。まるでデウス・エクス・マキナだな」
エイの口から出てくる聞きなれない言葉に、ケンは首をかしげる。
「なんだ、それ?」
「物事が困難に直面した際に現れ、事態を強引に解決、収束させる絶対的な力……ええと、確か“機械仕掛けの神”って意味でしたっけ?」
ルリの言葉にエイは頷く。
「うーん……ローレライが言っていたオーバーシアは観測者って意味だよな? 近いと言えば、近いか……?」
「どうやら手を貸す貸さない以前に、俺たちにも関係がありそうだな」
ローレライがわざわざこのような場所に導いたからには、無関係とは言い切れないだろう。ケンは鼓動の高鳴りを感じた。
夜の砂漠に吹く風。昼間の息の詰まるようなそれとは違い、生気のない冷たさだった。ケンは思わず身震いをする。
「……なんか、寒くない?」
気付けばギィギ以外、皆体を縮めている。そんな彼らをみて、ギィギは砂を払いながら立ち上がる。
「昼間は灼熱だけど、砂漠の夜はとっても寒いんだゾ。そろそろ戻ろう」
一行は確かな足取りで村へと向かう。その時、ケンの耳に普通ではない声が届く。それはギィギも同じだったらしく、彼は血相を変えて駆け出す。ケンたちも慌てて後を追った。
村長の家に、多くの人々が集まっている。家の中からは、女性の泣き声が聞こえる。
「何があったんだゾ!?」
「あぁ、ギィギか……」
男は目を伏せる。ギィギは悲痛な面持ちで家の中に入っていった。
「一体何があったんですか?」
少し遅れてやってきたケンは、俯く男に話を伺う。彼は辛そうにしていたが、やがて口を開いた。
「ラォラが、死んだ」
胸を掴まれたように息が詰まる。村長の家から聞こえてくる泣き声は、おそらくサリサのものだろう。
ケンは震える足で家の中へ向かおうとするが、彼の腕をエイは掴んだ。
「エイ……」
静かに首を横に振るエイ。ケンは力なくうなだれた。
やがて家からガォガが出てくる。砂漠の民の人々が、彼の傍に集まる。
「村長……」
「火葬の準備を、頼む……今はちょうど夜だ、コンスの浮舟が、ラォラを冥界へ導いてくれるだろう」
「わかりました……」
散り散りになっていく人々。ケンはそれと入れ替わるようにガォガのもとへ駆け寄る。
「村長さん、俺たちにできることは?」
「そうですね、一緒に、立ち会っていただけますか? 見送る人は、少しでも多い方がいい……」
一行は重い足取りで村の広場へと向かう。中央に木材が並べられている。ケンは目を逸らした。
しばらく経った後、村長の家の方から歩いてくる人影が見える。先頭のガォガは、白い布に包まれたものを抱いている。その後ろに、サリサ、ギィギ、そして眠そうに目をこする、彼の弟たち。
ガォガは、白い包みを組まれた木々の中央に丁寧に置いた。
「村長、これを」
ガォガは松明を受け取ると、火を放つ。乾燥した木材は瞬く間に燃え上がり、夜空めがけて一本の火柱を立てる。
サリサの嗚咽が聞こえる。ケンの隣、ルリも手で顔を覆っている。
美しい夜空と、悲しい炎……儚いその光景に、ケンは拳をきつく握りしめた。
どれだけ待っただろうか。炎はやがて消え去り、そこに灰とその存在の名残だけを残した。ガォガとサリサが、その中から遺骨を拾い上げ、灰も含め壺の中に入れていく。
「旅立ちの見送りがあるから、ついてきてほしいゾ……」
泣き腫らした目でケンたちを見るギィギ。一行は頷いた。
村から出てしばらく進んだ西側。小高い砂丘の上に、壺を持ったガォガは立つ。
「月の神、コンスよ。どうか、我らの願いを聞き入れたまえ。今宵、一つの魂が冥界へと旅立つ。その征く道を、導きたまえ」
高々と掲げられる壺。
「ラォラよ、我ら、その名前を――楽園で再生できる――よう、永遠に――胸の内に刻もう」
途切れ途切れに、絞り出すように紡がれる言葉。ガォガは勢いよく壺の中身を砂漠めがけてばら蒔いた。
月光に照らされた灰は、夜風に吹かれて砂漠へと還っていった。
「皆の衆、ありがとう……。ラォラも、冥界へと旅立った……」
その言葉に、人々は村へ向かい踵を返す。
「みんな、見送りに参加してくれて、ありがとうだゾ……村に帰ろう……」
とぼとぼと村に続く人の群れ。夜の砂漠に吹く風は、冷たかった。
「みんな、悪いけど、今日はオレ、家に帰るゾ……」
「うん……」
寝室の前で、ギィギは別れを告げる。誰もそれを止めることはしなかった。
「母ちゃんの傍にいてやれ」
「リョウ、ありがとだゾ……」
肩を落とし小さくなっていくギィギ。やけに小さく見えるその背中は、痛々しく見ていられなかった。
一行は床に就くが、なかなか眠りにつけない。ケンは背後からルリのすすり泣く声を聞いた。
世界について、命について考えさせられる経験をしたケン。答えのない考えが彼の脳裏を巡る。しかし、それはやがてまどろみに溶けていく。彼の意識の途切れていく途中、忘れかけていた“あの感覚”――闇に沈むような感覚に襲われた。しかし、今回のそれは以前のようにハッキリとしたものではなかった。人物の姿はまるで靄がかかったように滲んでいる。そして聞こえる声は、まるで水の中に響く音のような、聞き取りづらいものだった。
* * *
――行って、早く!
――ブリュンヒルデ、どうしてだ!?
――いいから……時間が無い!
――……すまない。
――絶対に、添い遂げなさいよ……シーグルーネ。
――誓おう、我が友よ。
* * *
ケンは眩しさに目を覚ます。窓から差す光が、彼の顔に直撃していた。
「う……ん……」
寝不足気味の頭を振ると、ケンは部屋を見回す。リョウとエイの姿は無く、珍しいことに、ルリはまだ寝ていた。ケンは彼女を起こそうかと考えたが、あのルリが寝坊する理由を考え躊躇した。
腕時計に目を向けると、もう正午に近かった。
「あっ、ケン、おはようだゾ!」
外に出ると、ギィギと鉢合わせる。彼は明るく振舞っているが、その目元は腫れていた。
「朝ごはん……もうお昼か……一緒に食べよう!」
「ギィギ、エイとリョウ見なかった?」
「あの二人なら、みんなと海岸に行っているゾ」
「海岸に……?」
不思議に思うケンだったが、すぐに思いつく。
「ああ、ビーチコーミングか!」
「うん? なんだソレ?」
「漂着物を拾いに行ってる、ってこと」
「へえ、外の人はそう言うのかあ!」
「ギィギは何て言うの?」
「ん? モノ拾いだゾ」
「まんまじゃん!」
二人は笑いながら歩き出す。ギィギの案内で、ケンは村長の家、その炊事場に来ていた。
「ホントは食堂に案内したいんだけど、今の時間弟たちも食べてるから……こんなとこでゴメンだゾ」
ギィギは申し訳なさそうに二人分の皿を持ってくる。
「気にしないで。お前と一緒にご飯食べられて嬉しいよ」
ギィギはその言葉に照れくさそうに笑う。その時、彼の背後、鍋の様子をみているサリサがこちらに視線を向けていることに気が付く。彼女はケンと目が合うと、視線を逸らすようにすぐに前を向いた。
「どうした? 食べないのか?」
「あ、ああ、食べよう! いただきます!」
二人は昼食を楽しむ。相変わらずのおいしさにケンは感動していると、食堂の方から子供たちの騒がしい声が聞こえてくる。
「あー……ケン、ゴメンだゾ。ちょっと行ってくる」
慣れた様子でギィギは声のする方へ向かう。ケンは特に気にする様子もなく食事を続けていると、彼のもとにサリサが近づいてきた。深刻な表情の彼女に、ケンの手も止まる。
「あの、どうかしまし――」
「お願いです、ギィギを連れて、この砂漠から出て行ってください!」
サリサは懇願するような顔でケンの腕を掴む。その手は震えていた。
「お、落ち着いてください。一体どういうことですか?」
「あの人は、あなたたちが協力するしないに関わらず、あの子を西に向かわせるつもりです。私は……私はこれ以上自分の子供がいなくなるのを見たくないんです!」
悲痛な叫び。ケンは彼女の気持ちが痛いほど分かった。しかし、分かったところでこの場にふさわしい言葉はあるのだろうか? ケンは言葉に詰まる。
「母ちゃん、それは違うゾ!」
ケンとサリサは同時に声のする方を向く。そこにはギィギが立っている。怒るわけでも、悲しむわけでもない、ただ落ち着いた顔をしている。
「オレは絶対にやるゾ。みんなが困っているのに、一人だけ逃げるなんてこと……将来村長になる男がすることじゃあないゾ!」
「ダメっ……! 私があなたをどれだけ大事に想っているのか、どうしてわからないの?」
「分かってるゾ。分かってるから、オレは行くんだゾ。オレだって、母ちゃん大好きだゾ」
サリサはギィギを抱きしめ泣き出す。ケンはゆっくり立ち上がると、二人に近づく。
「サリサさん、大丈夫です、絶対……絶対にギィギのことは死なせません」
顔を上げる二人。サリサとギィギ、その二人の表情は違っていた。
「ケン……!」
「うん……昨日みんなで決めたからね」
ケンはサリサの肩に手を置く。
「俺たちみんなで、絶対に生きて帰ってきますから……証明できるものはありませんが、信じてもらえないでしょうか?」
「母ちゃん! 一人じゃあ無理でも、力を合わせればできるって、母ちゃんも言っていたじゃあないか!」
「砂漠の民とあなたたち、何が違うと言うのですか? 今まで誰も成し遂げられなかったことを、できるというのですか!?」
ケンははっきりと首肯する。
「自慢じゃあないですが、俺、普通の人にはない力を持っています。それで結構死線を越えてきたんですよ。それにルリちゃんは魔女で、とっても頼りになります。エイはどんな時も冷静で頭がいいし、リョウは――リョウは元気ですし」
信じることができない、そういった表情のサリサに、ギィギは力強く語りかける。
「母ちゃん、オレたちは死にに行くわけじゃあないんだゾ。絶対に無理はしないし、危なかったら逃げてくる。だったら仲間はたくさんいた方がその確率が上がるだろ?」
サリサは口を堅く結んだまま立ち上がると、炊事場から飛び出していった。
「あ、待って――」
「ケン、いいんだゾ。それより、手伝ってくれるってホントか? ホントに、オレたちに協力してくれるのか!?」
ギィギは不安そうな表情でケンの手を掴む。必死な再三の確認。ケンは彼を安心させるように微笑む。
「ああ。手伝うし、絶対にみんなで生きて帰ろう!」
「ケ、ケン……!」
ギィギは涙を流しケンに抱き着く。
(リノエさん、今回はしっかりと考えてから決めました。俺たちにしかできないこと、やり遂げてみせます……!)
ケンは心の中で決意を固めたのだった。




