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#17再動

 翌朝は慌ただしさから始まった。


 子供たちの失踪事件が収束したため、ラヴィアン・ローズの学校が再開されたのだ。


 ルリとアカネは子供たちのお弁当作りに早朝から奮闘し、勢いよく飛び出していく子供たちをしっかりと見送っていた。


「はーっ! 忙しいけど、見慣れた風景……“戻って来た”って感じやなあ!」


 アカネのその顔には疲労よりも嬉しさがはっきり表れていた。


「子供たちも、みんな嬉しそうでしたね」


「ん。やっぱみんな友達に会えるガッコが一番なんよ」


「そういえば、タチアナちゃんはどんな具合ですか?」


「リノエさんが面倒見てくれたおかげで、徐々に回復しとるそうよ」


 アカネは『それにしても!』と腕を組んで怒りの表情を見せる。


「里子をあんな目に遭わせるなんて、ホントしょーもない里親や! 昨日さんざんおじさんに文句言ったけど、まだ腹の虫収まらんわ!」


 ルリは彼女の様子を見て本当のことを言うべきか悩んでいたが、すんでのところで胸中へとしまい込んだ。


「ま、過ぎたことグチグチ言っとってもしょうがないし。ルリちゃん、朝ごはんにしよか?」


 二人が食堂へ向かおうとしたそのとき、一人の女性が玄関ホールへつかつかと入ってきた。中年の背が高い女性で、厚化粧をしたその顔は活力がにじみ出ていた。


「ここね……。まーなんと狭いところやないの! 子供たちが可哀そうや!」


 突然現れたケバい女性に、ルリは訝しげな視線を送る。しかしアカネはそんなルリとは対照的な様子でその女性に近づいていった。


「おばさん! めっちゃ久しぶりやん! 元気しとった?」


 女性は近づいてくるアカネに気が付くと、満面の笑みで彼女を抱きしめた。アカネは香水のキツい匂いにむせながらも嬉しそうにしていた。


「アカネ大丈夫? あのロクデナシにこき使われとらん?」


「んーん全然! 毎日忙しいけど楽しいよ!」


 その言葉に女性は安堵の表情をみせる。彼女はアカネ越しにルリの存在に気付いた。


「あら、あちらの可愛いお嬢さんはどなた? ここのスタッフ? ……にしては幼いなあ」


「ちょうどええわ、ルリちゃんこっち来て。紹介するわ、こちらウチのおばさんのテルコさんや。おばさん、こちらルリちゃん。ワケあって今うちに居候中」


「まあそうなん。ルリちゃん、私アカネの叔母のテルコや。よろしゅうな」


「初めまして。アカネさんにはお世話になっています」


 笑顔で握手を交わす二人。そんな様子をアカネは目を細め眺めていた。


「ところでおばさん、突然どうしたん?」


「ああそうや。来た理由忘れるところやったわ」


 そう言うとテルコは突然大きく息を吸うと『サトルゥー! おるやろー! 出てこんかい!』と叫ぶ。それは孤児院中に響き渡るほどで、ルリは思わず耳を押さえた。


 その直後、廊下の奥からガタガタと慌ただしい音が聞こえたかと思うと、血相を変えたサトルが飛び出してきた。


「テ、テルコ! もう来たんか!?」


「当たり前やアホ! めずらしくアンタから連絡があったかと思えば、『孤児院が経営難でヤバい』だあ!?」


 テルコは青筋を立てサトルを睨みつける。


「あんときエラソーに『兄さんの孤児院を継ぐ』なんて言っとったくせに、それがこのザマかい!?」


「ち、違うんや……羽振りがいいと思ってた出資者が――」


「そんな言い訳、子供たちの前でできるんか!? できるってんならやってみいや!」


 サトルはテルコの勢いに『ひいっ』と小さな悲鳴を上げる。


「……私はな、私は……アンタにはついていけんって飛び出したけど……ホントは責任から逃れてるだけやった……せやから、アンタの力になりたくて非営利団体立ち上げて……それで……」


 徐々にトーンダウンしていくテルコ。ルリにアカネがそっと『おじさんとおばさん、別居中だったんよ』と耳打ちした。


「……ずっと寂しかったぁー!!」


 どすどすとサトルに近づくと、テルコはベアハッグで彼を締めあげ……抱きしめた。


「え? なに? なにごと!?」


 騒がしさにつられて顔を覗かせたケンが素っ頓狂な声を出す。


「あら、この子たちも居候? ずいぶん賑やかやなあ」


「あーもう! ごっちゃごちゃやから、一旦整理しよ?」


 アカネの提案により、その場にいた全員は食堂へと移動する。そこへちょうどタチアナの看病を終えたリノエも合流した。


 お茶を飲みつつ、全員でテーブルを囲む。ケン達はリノエが代表となって事の成り行きを説明した。もちろん、研究所グランギニョルのことは伏せた上で。


「なるほどね……そこの子らはイースト・シティから。でお姉さんはハバラから……と」


 『それは大変やったなあ』と神妙な面持ちのテルコ。一方、“お姉さん”と呼ばれたリノエはどこか嬉しそうだった。


「しかしなあ……ホント申し訳ないんやけど、近いうちに出て行ってもらうことになると思うわ」


 『信じられない』といった表情をするアカネに、テルコは落ち着いた口調で言い聞かせる。


「薄情に聞こえるのは堪忍してや。順を追って説明するとな? この孤児院は、私の運営する非営利団体“自他共栄会”に加わることになったんや」


「え? おばさん、それって――」


「そう。恵まれない子供たちへの、世界中からの支援で成り立っている組織やね。ボランティアもたくさんおるし、住まいもここやなくて一等地に今建設中の立派なとこに移るんや」


 アカネの表情がみるみる明るくなっていく。


「今まで一人で頑張ってたみたいやけど、これからはアンタだけの時間もしっかり取れるようになるさかい、自分のために時間を使いや」


「ホンマに? ウチ、福祉のガッコ行きたい! それで、孤児院のちゃんとした職員になりたい! ……でも」


 暗い表情になるアカネ。


「でも、ガッコ通うにはお金かかるし、無理やな……」


「そんなん気にせんでええ! お金なら私がいくらでも出したる。アカネさえよければ、私のこと母親のように頼ってもらっても構わんよ?」


「おばさん……」


「俺も、父親代わりとして……今まで以上に――」


「アンタはキリキリ働け! もう自他共栄会の一員なんやから、これからはその自覚もってもらうからな!」


 サトルを羽交い絞めにするテルコ。これも愛のかたちのひとつなのだろう、ケンは引きつった笑みを浮かべた。


「でな、自他共栄会……めんどいから共栄会って言うわ。その傘下に入ると、これまでみたいにユルくはできないんや。こればっかりは、子供たちの人生預かっとるからストイックにいきたいねん」


「そうだな……むしろ部外者の俺たちが、まるで宿屋のように入り浸っていたこれまでがおかしい――あ……すまない……世話になっている身で偉そうに……」


 珍しく会話に積極的に口を挟んだエイが、ばつの悪そうにする。アカネもサトルも、どこか居心地が悪そうにもじもじとした。


「ま、まあ、うちって忙しさを言い訳にいろいろズボラやったしね……マチちゃんが勝手に出歩くこともあったし……」


 しんみりとしてきた空気を、真夏の太陽のようなテルコが吹き飛ばす。


「とにかく! これからはお金に困ることもないし、誰か一人に負担が集中するわけでもない。生活にゆとりをもたせることこそ、人間らしい生き方ができるやろ?」


 満場一致で全員が頷く。


「ちょうどいい、と言うのも何だが、私らも明日にはここを出ようと思っていたところなんだ。この孤児院が今後も安泰でやっていけるって分かったなら、私らも後ろ髪引かれることなく出て行けるさ」


 リノエの言葉に戸惑うアカネ。テルコは申し訳なさの入り混じった表情だったが、小さく頷いた。


「お姉さん、医者なんやっけ? ハバラに戻るのが難しいってんなら、できれば自他共栄会の専属になってほしいんやけど……」


 突然の提案にリノエはまんざらでもない表情だったが、しぶしぶといった感じで首を横に振った。


「それはありがたい申し出だし……私も子供は嫌いじゃあないけど……今私にはやらなくっちゃあいけないことがあるんだ」


「でも――」リノエは続ける。「全部終わったら……その時は考えてもいいかもな……」


 残念そうな表情を見せたテルコだったが、すぐに笑顔に戻るとリノエに名刺を手渡した。


「期待して待っとるよ」


「結構かかるかもしれないぞ?」


「私辛抱強いんよ」


 二人の間に生まれた温かいものに、ケンは感動を覚えた。


「そういえばリョウは? 出かけとるん?」


「部屋におるよ。まだ起きとらんのかなあ? んー、よお分からへん。昨日帰って来たときからなんか元気なかったみたいやし……」


「まあ、あんな事件の後やしな。犯人、肉屋の女店主なんやろ? まだ捕まってないみたいやん」


 その言葉に、ケンは反射的に立ち上がってしまった。彼がしまったと思った時には遅く、全員が驚きの表情で視線を向けていた。


「ど、どうしたん……?」


「そ、その……犯人、本当にそう言われているんですか……?」


「せやで。今朝ニュースでやっとったわ。なんでも、そいつが地下で飼ってた謎の生き物がいて、子供をその餌にしとったとか……」


 ケンは力が抜けたように椅子に腰を落とす。事件の詳細を知らないテルコとアカネは不思議そうな表情をしていた。


「……そうやね。犯人が捕まらんのは気持ち悪いよなあ。でも、きっとそのうちなんとかなるわ。な?」


 テルコの優しさも、ケンの中では空回りしていた。


「さて、と。リョウに会えないのが心残りやけど、アカネやリョウのお友達と会えたし重畳の至りや」


「おばさんもう行くん? ゆっくりしてったらええのに……」


「なあに、今日は簡単な視察だけ。これからは毎日会えるから寂しそうにせんといて、な? ホラ、これから先は大人の話! ……オマエも来る!」


 そう言うとテルコはサトルの腕を掴み勢いよく立ち上がった。彼女に引きずられるようにサトルは扉の向こうに消えていった。


「アカネさん、良かったですね」


「うん、ホンマに……でも明日みんなとバイバイかあ……寂しいわ……」


「また会いに来ます。絶対」


「うん。絶対ね? 今度会う時は、ここよりもずっといい建物になっとるかもね」


* * *


 ラヴィアン・ローズのとある空き家、窓から光の差し込む、埃を被った室内に一人の少女がいた。窓辺に置かれた椅子に腰かけ、静かに目を閉じている。水色のショートヘアは日の光に照らされ輝き、彼女の胸にはなんとも形容しがたいデザインのぬいぐるみが抱かれていた。


 突如、静寂を破るように少女のポケットの中からコール音が響く。少女はゆっくりと目を開く。無表情のまま通話ボタンを押した。


『ローレライよ、私だ。状況は?』


「終わったよ」


 ローレライと呼ばれた少女は透き通る声でただ一言。端末の向こうからは男の声が聞こえた。


『プロジェクトGの報告をしろ』


「グールになる前はこれまで説明した通り。なった後は……何もしなかった」


 少女の意味深な報告に、男の声に疑問の色が混じった。


『どういうことだ?』


「わからない。店を飛び出して、広場の真ん中でうずくまって、そのまま。それで被害者の親たちに殺された」


 男の苛立ちを含んだ溜息が聞こえる。


『まったくもって時間と金と労力の無駄だったというわけか……忌々しい。適合者を探すだけでも骨が折れるのに、結果がこれでは話にならん』


 しばらく沈黙が続いた。


『――わかった。プロジェクトGは抹消。お前は戻ってこい』


「……ねえオスカル」


 ローレライから切り出されたことに、オスカルの声はわずかに驚きを帯びた。


『お前からものを言うとは珍しいな……なんだ?』


「私があの人に渡した薬……どうしてあの薬、“促進剤”だったの?」


 その問いに、オスカルは小ばかにしたような笑い声を上げた。


『決まっているだろう。完全に無防備な状態での発現、その状況下での動きが知りたかったからだよ』


「……どういうこと?」


『促進剤だと知ったら街のど真ん中で投与をするか? 自身への危険も意識して投与を見送るなんてこともあり得る』


「だからだましたの?」


『人聞きの悪い。効率の問題だ。違うか?』


「あなたがそう思うなら、それでいいんじゃあないの?」


 オスカルはローレライの意味深な問いに眉根をひそめるも、ただの戯言と切り捨てた。


『他に聞きたいことは?』


「もう、ない」


『そうか……ああそうだ。今そちらにデュナミスがいるはずだ。監視を“二人”つけてはいるが、所詮は底辺の生き物。信用などできん。お前もヤツの動向に目を向けろ。その後帰ってこい』


「……わかった」


 そこで通話は途切れる。ローレライはひとり、窓から空を見上げた。


* * *


 手持ちぶさたのケンはひとり、海沿いの防波堤まで足を延ばしていた。行き交う船、“いつも通り”を取り戻した人々。


 しかし事件は終わっていない。心を閉ざしたリョウ、いつも通りに戻りたかったがそれが叶わなかったリカ。


 船の汽笛を聞きながら、ケンはやるせなさに大きく息を吐いた。


「なんや辛気臭いのう」


 いつの間にか、隣にリョウがいた。ケンは驚きのあまりバランスを崩し、堤防から落下しそうになる。


「危なっ! 気ィ付けや!」


「リョウ! 驚かせないでよ!」


 リョウは悪びれる様子もなく笑った。ケンはどこかぎこちないその顔に違和感を覚える。


「……どうしたの?」


「あ、やっぱ分かる? さすがやなあ。お前、ぼーっとしとるようでわりと見とるもんなあ」


 ……やっぱりおかしい。空元気とはまた違う、どこか緊張を含んだ喋り。


「お前とは長いもんなあ……あれ? そうでもないっけ? 高等部からやから――」


「リョウ、リョウ!」


 ケンはリョウの腕を掴んだ。彼の腕は僅かに震えている。


「……何か、言いたいことがあるんだろ? 聞くよ」


 その言葉に、リョウの顔から笑顔が消える。


「ケン……今から俺は、お前にずっと隠してたこと伝える。それに対してお前がどう感じ、どう思い、俺をどうしたくなっても……俺は受け入れるつもりや」


「一体なにを……?」


「あのなケン、実は俺……今までお前を研究所グランギニョルの命令で見張っていたんや」


 汽笛の音、波の音、カモメの鳴き声……ぞわりと背筋に流れ込む冷たい感覚に、ケンの思考は鈍り聴覚だけが嫌に敏感になった。


「ど、どういうこと……?」


「そのままの意味や。お前がどういう状況か、何をしたか、変わったとこはないか……ヤツらに報告しとったんや。逐一な」


「笑えない冗談はよせよ。今そんな気分じゃあないよ」


「ホンマや。ウチの孤児院、経営が苦しいの知っとるやろ? せやから俺、報酬に釣られて二つ返事で引き受けたんや」


 ガンガンとケンの頭の中に響くリョウの言葉。


「じゃあ……今までお前と過ごした時間……喋ったり、バカやって笑い合ったり……助けてもらったり……全部嘘だったのか?」


「それは違う!」


 はっきりと感情のこもった言葉が彼の口から飛び出す。


「最初は……ぶっちゃけるとお前のことなんかどうでもよかった……スマン。でも、俺もアカネや孤児院のことで頭ン中いっぱいだったんや」


「うん……当然だよ」


「ありがとな……。そんでな、そんで……お前と学校生活送っていくうちに……こういうのも悪くないなあ……って思い始めて……」


 リョウの告白は、まるで過去の罪を吐き出す懺悔室のような空気だった。


「だから、ヤツらに気づかれんようにお前に協力したりもした」


「イースト・シティ脱出の手引きの時や、ホロウから俺たちを逃がそうとしてくれた時のこと……?」


「ああそうや。さすがにあの時は殺されるかと思ったわ。でも意外、地元へ帰れ、後の指示は追って出す――なんて言ってな。拍子抜けだったわ」


「あの時、俺はてっきりリョウが殺されたと思った……それで、そんなヤバい奴らが追ってくる、逃げなきゃて必死になって……」


「それも奴らの狙いやったんやろな。理由はわからんが、とにかくお前を追い込んで何か反応を伺っているって様子や」


 ケンは嫌な汗をかく。思い返せば、苦境のたびに自身の能力を使い苦難を逃れてきた。それさえも、研究所グランギニョルの経過観察の一環なのだろうか? 乗り越えてきたのは“自分の力”だとくだらない慢心を抱いていた己の小ささに、ケンはひどく打ちのめされた。


「……とにかく、俺はゼニのために親友――俺が勝手に思っとるだけやけど……ダチを売ってたクズだったんや。スマンなんて言葉じゃあ足りんわな……殴ってもかまわん。それでも気が済まないなら――」


「リョウ!」


 ケンのその声に、リョウの体はビクリと跳ねる。


「俺は怒ってなんかいないよ。そりゃあ、驚いたけど……今思い返せば、妙に情報通だったのも、四拾七番倉庫への手引きの手際の良さも全部ワケがあったんだね」


 『でも』とケンは続ける。


「親友だと思っているのは俺もそうだし、何よりリョウは俺を助けようとしてくれてるじゃあないか。情けない俺を、叱って、励まして、前を向かせてくれた。そんな素敵な親友を殴ったりなんてできないよ」


 リョウは俯くと静かに涙を流す。


 海から流れてくる潮風が、二人の間を通り抜けていった。


「でもなんで今その話を?」


 ケンの疑問にリョウは顔を上げると、涙を拭った。


「ん、話はここからなんや。俺はな、昨日の事件で吹っ切れたんや。研究所グランギニョルのヤツらは命をなんとも思っとらんドクズや。そんなヤツに従う理由なぞ毛頭あらへん。そんでな――」


 リョウは大きく息を吸う。


「俺は、研究所グランギニョルをブッ潰す」


 空気が、変わった。今まで脅威としか認識していなかった存在。生き残ることに集中しすぎて立ち向かうことなどケンの頭にはなかった。


「でも……無茶だよ。相手がどれだけ大きい存在なのかすらよくわかってないんだろ?」


「ん。青二才の俺らには厳しいやろなあ……でも、俺“たち”ならやれるんや。一人じゃあないヤツってのは強いんやで?」


 どういうことだろうか? ケンのそんな気持ちは表情に出ていたらしく、リョウは慌てて謝る。


「ああスマン。柄にもなくカッコつけたわ。……エイ! お前もおるんやろ? 出て来いよ!」


 リョウはケンの後方へと声を張る。振り返った先にはエイが気まずそうな表情で立ちすくんでいた。


「……本当に言うのか? 今?」


「当たり前や! 俺も言ったんや。お前も男見せろ!」


 ケンは嫌な予感がした。まさか、エイも“そう”なのだろうか……。


「……すまないケン。俺もリョウと同じく、お前を……監視していた」


「ハハ……なんかもう……びっくりすぎて……言葉も出ないよ……」


 黙り込むエイに、リョウが発破をかける。


「ホラ続けろ! どういうわけでーとか、でも今はーとか、弁明せんとお前アカンやつやぞ?」


「……分かってる。ケン、聞いて欲しい。いいか?」


 ケンはエイの目を見る。いつも以上に真剣な眼差し。嘘偽りない綺麗なそれに、ケンは頷いた。


「ありがとう。俺は宵闇の眼から派遣され研究所グランギニョルに手を貸していたんだ」


「エイ……お前暗殺者なのか!?」


「……それは追々話させてくれ。今はまだ、気持ちに整理がつかないんだ」


 その表情に暗い影を落とすエイを見て、ケンもそれ以上の追及を辞めた。


「でもエイ、いいのか?」


「何がだ?」


 ケンは宵闇の眼という言葉に対する“引っかかり”の違和感、その正体に気が付いた。イースト・シティの“あの日”、担任イチカワ・モナミが宵闇の眼出身ということをホロウの口から明かされたのだ。


 そして同時に思い出す。その残酷な最期を……。


「組織の者がどんな最期を迎えるか……モナミ先生だって……」


「ああ、彼女も“同郷”だったなそういえば……。ケン、お前は命を懸けているだろ? だったら、俺も同じ。それだけだ」


「答えになってない! 俺はお前が心配だ!」


 エイの腕を掴むケン。エイも彼らしくない表情をしている。


「……絶対にお前を死なせたりしないからな、エイ」


「……ありがとう。だが、それは俺も同じだからな」


 尋常ではない覚悟と決意を誓った二人。


「さて、もう“一人”、説明しておく必要がある。……姉さん、頼む」


 そう言うとエイはジャケットの下、ホルスターに収められた拳銃へ声をかける。聞き覚えのある声が返って来た。


「……しょうがないわね。それじゃあ、私のことについても説明してもいいかしら?」


 久々の登場に、ケンは軽く面食らってしまった。


「……お願いします」


「私は、研究所グランギニョルへのスパイとして宵闇の眼から派遣されていたの。研究所グランギニョルに従うふりをしつつプロジェクトAtoZの情報を探っていたわ」


「マジかよ……」


「あなたも目にしてきたでしょうけど、彼らの研究は“命を奪う”ということに関して残酷なまでに優秀なの」


 これまでのプロジェクトがケンの脳裏をよぎる。殺しを生業にする暗殺者ギルドなら喉から手が出るほど欲しいのも頷けた。


「結果はこのザマね。プロジェクトを追っていたものがプロジェクトの一部になる……皮肉なものね」


 悲痛な沈黙が流れ、エイはそれを遮るように喋り出した。


「俺の話を続ける。……俺もリョウのように、お前に友情を感じた。研究所グランギニョルはお前が親しみやすいように年齢の近い俺やリョウを選んだが、それがこういう結果になるなんてな」


「エイ……」


「そんなある日、どうやって知ったのかは不明だが、マリさんがアプローチしてきたんだ」


 エイの言葉にケンは衝撃を受ける。


「え!? マリさんがお前に!?」


「ああ」


「一体何を……?」


「“ペインキラーズ”への勧誘だ」


 何かの名前だろうか? ケンには全く想像がつかなかった。


「何なんだそれ? プロジェクトの一つ……?」


「俺もそこまで詳細は聞かされていない。だが、彼女が言うには、研究所グランギニョルに反旗を翻し、所長オスカルの野望を潰す唯一の手掛かりらしい」


 ペインキラーズ……痛み止め……ケンはマリが写真の裏に書いた言葉を思い出した。


 ――もしも私に何かあったら、教授に“痛み止めを造る時は今”と伝えて。


「……まさか」


「なんやケン、心当たりあるんか?」


 ケンはリョウとエイに話す。マリの書き残しからタカハシにたどり着いた、あの出来事を。


「間違いないな」


「せやな。そのオッサンが、研究所グランギニョルに立ち向かえるカギになるんや!」


 最初はバラバラで、一見すると無関係に見えたものが繋がり……次第に固まってゆく。ケンの胸は期待と不安で高鳴った。


「そうだな……逃げているだけじゃあなくて、立ち向かおう……みんなで……!」


「ああ! そこでなケン、俺もエイも、お前の監視役は続ける。その方が“都合がいい”からや。そこは分かってほしい」


「そうだよな。ここで変な行動をとると逆に怪しいもんな」


 非常に危険な橋を渡ることになるが、それでも三人の決意は揺るがなかった。


「見とれよ研究所グランギニョル……リカさんを……人の命を弄んだ落とし前、しっかりつけさせたるわ」


 帰路につく三人。足並みは揃い、力強く踏みしめる。


「みんなお帰り……ってリョウくんも出かけとったの? ……んー?」


 アカネは兄の表情の僅かな違いに気が付く。おそらく友人とのやりとりから元気をもらったのだろうと納得し、安堵の表情を浮かべた。


「アカネ、スマンが俺明日からまた家空けるわ」


「ええ!? また急に……ここ、自他共栄会にお世話になることになってな。引継ぎやら引っ越しで忙しくなるから手ェ貸してほしかったのに……」


「スマンて。世話になっとったとこが、また新しい仕事を斡旋してくれたんや」


「……次はどこ? またイースト・シティ?」


「いや、桜花帝国や」


 その言葉に、アカネは驚嘆の声をあげる。


「ホンマ!? めっちゃ都会やん! ええなあ……ウチも一度行ってみたいわあ……」


「仕送りも続けるから、アカネは引き続き子供たちのこと頼むで」


「わかった。おじさん、おばさんもおるし共栄会の人たちもおるから心配せんといて」


「おばさん……!? 帰って来たん!?」


 リョウは冷汗をかく。アカネはくすくすと笑った。


「リョウくんに会えなかったの、残念がっとったよー?」


「やめーや! ケン、エイ! さっさと荷造りしてここ離れるで!」


 リョウは二人の背を押し、階段を駆け上っていった。その後ろ姿を見送りながらアカネはつぶやく。


「……リョウくん、ええお友達に会えてホンマ良かったね」


 ケンとエイは、リョウに背中を押されて自室へとなだれ込んだ。


「おいリョウ、今出ていくって冗談だよな?」


 慌てるケンにリョウは笑って答える。


「冗談や……けど、おばさん苦手なのは……ホンマや」


「嫌いなのか?」


 控えめに尋ねるエイに、リョウは慌てて否定する。


「いや! 嫌いやない! ……けど……あの人、バイタリティに溢れすぎてて……な? どうも、苦手なんや」


 たじたじのリョウ。彼にも苦手なものはあるのだと、ケンとエイは顔を見合わせて笑った。リョウもつられて笑い出す。久しぶりに戻って来たように感じられる“日常”。ケンはその温かい空気に懐かしさを覚えた。


「さて、と。荷物を少しまとめておこうかな……ああ、そうだ」


 リュックに手を伸ばしたケンは、マリの“遺言”を二人に見せた。エイもリョウも、興味深そうに覗き込む。


「“痛み止めを造る時”……確かに書いてあるな」


「オバさんもリノエさんも若いなあ!」


「10年以上前だからね。その7の月の14日……」


 ケンの目に、0714という“4桁”の数字が映りこむ。


「4つの数字……そういえば……」


 4桁……ケンは不意にリュックの中に入っていた詳細の分からない小型のセキュリティボックスを思い出す。


 ――なんでもない日を最高の親友と。マリにとってこの日が思い出深いもの……意味のある数字だとしたら? ケンの鼓動は高鳴った。


 ケンはリュックの中から金属製の小さな箱を取り出した。


「なんやそれ?」


「セキュリティボックスの類だな。ケン、お前のか?」


「いや、マリさんがこのリュックの中に入れてたみたいで、何なのか全然わからないんだ」


 ケンは震える指先で天面に並ぶ小さなボタンを押していく。


 中身は何なのか。プロジェクト関係? それともペインキラーズに関わる何かか? 湧き上がる思考にケンははやる気持ちを抑えられなかった。4桁のボタンを押し、最後に緑のボタンを押す。カチリと小気味よい音がして天面のロックが解除される。


「……開いた!」


 ケンは痛い程に早い鼓動を抑えながら天面をスライドさせていく。エイとリョウも固唾をのんで見守った。


「これは……」


「お、おお……? ええ……?」


 中身を確認したエイとリョウは、肩透かしを食らったような声を上げる。しかしケンは違った。


「ああ、そうか。これだったんだ……」


 取り出された中身、それはM&W(モンスターズ&ウィザーズ)のデッキ(カードの束)だった。


「デッキ二つ分……ケンお前のか?」


「ううん、どっちもマリさんの。でも、これで二人でよく遊んでたんだ……」


 デッキを手に取り、かつての温かい日々を思い出すケンの眼差しにエイもリョウもそれ以上の追及はしなかった。


「懐かしい……マリさん、ホント強くってさ。何百戦とやっても一度も勝てなかったんだ」


 デッキ内容を確認するようにカードをめくっていくケン。その時、何気なしに横から眺めていたリョウの目の色が変わった。


「ちょ……ちょっと待て……! ケン、お前これ……!」


 震える声で驚愕するリョウ。ケンもエイもそんな彼を不思議そうに見つめる。


「どうしたのリョウ」


「ちょ、ちょっとそのデッキ見せて――いや、恐れ多くて触れんわ! ベッドの上に広げてみ。一枚ずつ見えるように」


 怪訝な顔をしたまま、ケンは言われた通りにカードを一枚ずつ並べていく。様々なイラストが描かれたカードがずらりと並ぶ様は圧巻だった。


 リョウは口元をハンカチで覆うと、一枚一枚をじっくりと見ていく。その姿はまるで、高価な美術品を鑑定しているようだった。


 やがてすべてに目を通したリョウは、ゆっくりとベッドから離れた。


「俺はな、M&Wにはある程度詳しいと自負しとるんや。何が強いか、何が弱いかとか……。カードゲームにおいて重要なことやな」


「うん?」


「何が言いたい?」


「でも、カードゲームにおける知識ってそこだけやなくて、“カードの価値”ってのも重要なんや」


 そんなに価値のあるものなのだろうか? ケンは今まで意識したことなどなかった。


「お前のその様子じゃあ……マリさんのこれ、そんな高いものなの?」


「高いなんてレベルやない……。豪邸を……いや、それ以上のもんを持ち歩いとるレベルや……!」


 ケンは衝撃を受ける。ただの紙が、そこまで価値を見出されるのだろうか?


「全部アルファ版(初期版)だったり、大会優勝者のみがもらえるプロモーションカードだったり……しかも全部カードスリーブに入って大切に使われとる……状態もミント(美品)で問題なしや……!」


「マリさんがかなり力を入れて集めてたのは聞いてたけど……そこまですごいものだったのか……」


「すごいなんてレベルやない! ケン! お前もう二度とリュックから目を離すなんてことすんなよ!」


 鬼気迫る表情で掴みかかるリョウに、ケンはただ頷くだけだった。


「はー、すごいモン見れたわ……よっしゃ! ケン、一戦やるで!」


 ケンが答えるよりも早く、リョウは部屋を飛び出していった。


「……今のアイツには、気を紛らわせるいい機会だろう」


 エイのその言葉に、ケンも頷く。死ぬほど辛い目に遭った時は、何もしていないのが一番辛いのだ。


「さあて、なんだかんだ俺は子供たちの相手しとるからなあ、腕はそれなりにあると自負しとるでえ! かかってきな!」


「久しぶりだからあんまり自信ないなあ」


 二人はベッドの上にカードをセットし、ゲームを開始した。エイは横からそんな彼らを眺めている。


 勝負は一方的だった。


「よし、俺の勝ち!」


「う、嘘や……!」


「……ずいぶん差があるな」


 幾度となく繰り返されたマリとのゲームの経験が、ケンのプレイングセンスを育て上げていたのだ。自分の中に彼女の生の証を感じ、ケンは嬉しさと誇らしさに胸が温かくなった。


「なんでそんなデッキ使いこなせるんや……! まぐれ……きっとまぐれや! ケン、もう一回やろ!」


 その後数回にわたってゲームが繰り返されるも、全てリョウの惨敗に終わった。


 全敗ではあるものの生き生きとした表情のリョウ。彼のそれが空元気なのかはケンにもエイにもわからない。しかしゲームが――友とのコミュニケーションが立ち直りのきっかけになるのならばそれでよかった。


「はー、楽しかったわ。……そろそろ、準備せなアカンな」


 リョウはカードをまとめると立ち上がる。その言葉にケンも現実に引き戻された。


「……いよいよタカハシさんに会えるのか」


「どうであれ、明日は事が動くのは明らかだ。何があってもいいよう構えておけ」


「そういうことや。ほな俺は行くで」


 夕日が差し込む部屋を出ていくリョウ。その背中を見送るケンの表情も、どこか以前とは違う決意を秘めたものになっていた。


* * *


 茜色に染まる波止場。多くの船舶が集うそこに、ひときわ目立つ一隻の豪華客船が停泊していた。まるで巨大な建物が海上に浮いているようで、積み荷を運び込む船員たちが蟻のように小さく見えた。


「ふう、これでよし、っと……ん?」


 積み荷の積載作業をしていた船員。彼が額の汗を拭ったとき、その耳に風の音に混じるような旋律が聞こえてくる。何事かと顔を上げると、彼の視界に不可解なものが映った。


 ショートカットヘアを風になびかせ、ただ一点水平線の彼方を見つめている、少女らしき姿。


「おい! そこ危ないぞ!」


 船尾に立つ小柄なシルエットに届くよう声を張り上げる。


「どうしたんだ?」


 声を聞いて同僚の男が近づいてくる。


「ほら、あそこに女の子が――」


「うん? お前何言っているんだ? 誰もいないだろう?」


 ――馬鹿な。慌てて視線を戻すも、同僚の言う通り船尾には誰の姿もない。男は自身の目を疑った。風に乗って聞こえていた旋律も、いつの間にか静まり返っている。いつも通りの港の営みの音だけだった。


「いや絶対に見た! あそこに女の子がいたんだ! 歌ってた!」


 男の必死の訴えに、同僚の男は茶化すように笑う。


「こりゃあアレだな。伝説の……」


「伝説って?」


「ああ! 俺たち船乗りの間じゃあちょっと有名なヤツだ。水上の歌姫、ローレライ伝説」


「水上の歌姫……?」


 怪訝そうな表情を向ける男に、同僚は得意げに語る。


「そいつはその歌声で、船乗りを惑わすんだ。それで――」


「それで……?」


「沈む。歌姫に魅入られた船は水底に引きずり込まれるのさ」


 男は身震いする。


「ば、馬鹿野郎! これから航海するヤツにする話か!?」


「あっはっは! ただの教訓さ。船に乗っているときは他のことに気を取られるんじゃあないぞ、っていうな」


「……縁起でもない!」


* * *


「短い間だったけど、みんなと過ごせてよかったわホンマ」


 翌日、ケン達一行はアカネ、マチ、タチアナと別れの挨拶を交わしていた。


「リョウのおじさん、おばさんに挨拶してないのが心残りだけど……」


「ああ気にせんといて。ウチから言っとくから」


「うん、ありがとう」


 律儀なケンに、アカネは微笑む。そんな彼女の背後から、マチとタチアナが顔を覗かせる。


「ホラ、タチアナちゃん。お世話になったリノエさんに言うことあるやろ?」


 タチアナはおずおずと顔を上げる。その表情は生気に満ちていた。


「リノエさん、ありがとう」


「ん。まだ数日はしんどいだろうけど、しっかり食べて、よく寝てりゃすぐに元通りさ。学校にだってまた通えるよ」


「うん!」


 マチとタチアナは手をつなぎ孤児院の中へと入っていった。リノエはそれを満足そうに見送った。


「じゃあアカネ、後は頼んだで」


「ん。リョウくんも、体に気ぃ付けや」


「アカネさん、絶対また会いましょうね」


「もちろんや。近く来たら寄ってな?」


 一行は孤児院を後にする。惜別の思いを胸に、彼らは中央広場までやってきた。


「リョウ、カモメ亭の場所知ってる?」


「ああ知っとる。せやけどその前に、リノエさんとルリちゃんにも伝えなアカンことあるやろ?」


 その言葉にケンとエイの表情は強張る。ルリとリノエはそんなやり取りを不思議そうな表情で見つめた。


「何だ? 重要なことか?」


 リョウは頷く。リノエも彼の表情から察し、静かに次の言葉を待った。


 ルリとリノエにとって、人々の声も耳に入らないほど彼らの口から聞かされる真実は衝撃的だった。


「……嘘、ではないですよね……」


 手で口元を覆うルリ。


「用意周到な研究所グランギニョルのことだ。なんらおかしいことはないさ……」


 『それにしても』とリノエは続ける。


「ケン一人に一体何人監視を付けるんだ? 明らかに普通じゃあないぞ」


「それだけ重要なんやろな……にしても、殺す勢いで追い立てると思ったら今度は放置。奴らの考えとることはよう分からんなあ」


「エイ、お前はマリからペインキラーズなるものに勧誘されたんだな?」


「そうです……ですが」


 エイは続ける。


「彼女はそれよりも大事なことを俺に託しました」


 まだ何かあるのだろうか? ケンは固唾をのんで次の言葉を待った。


「ケンを助けてくれ……と。研究所に立ち向かうことよりも、ケンを一人にしないこと……彼女は俺にそれを強く望んでいました」


 ケンの目頭が熱くなる。リノエも同じ様子だった。


「ハハ……アイツらしいな」


「俺は彼女の望みを守るつもりです。それに、姉さんを元に戻してやりたいし……俺のこの身体も……」


 エイは右手をきつく握りしめる。


「な? 協力する理由はバッチリやろ?」


「エイの言い分は分かったがリョウ、アンタは?」


 リノエの鋭い指摘に、リョウの表情が真剣になる。


「ケンには昨日言ったけど、俺は研究所グランギニョルが憎い。人を利用してリカさんをあんな目に遭わせたヤツらが」


「……わかった。もういい」


 リョウの震える肩を、リノエは優しく叩いた。


「エイ、リョウ。お前たちの覚悟は分かった。ただ、これだけは言わせてくれ……絶対に無理だけはするな。もしも、ペインキラーズってのが大所帯なら、そいつらに任せてお前たちはケンとルリの隣にいてやれ。な?」


 二人が頷くのを見て、リノエは安心したように息を吐いた。


「それとルリ、蚊帳の外にしちまって悪いな。アンタのこれからだが――」


「私だけここでさようなら、なんて言いませんよね?」


 ルリの真っすぐな瞳に、リノエは肩をすくめた。


「もちろんだよ。アンタが“普通の女の子”だったら何が何でも帰るべき場所に送り届けるけど、アンタは……その……」


「魔女です――まだ見習いですが……普通の人よりは役に立てると自負しています」


「ああ、ああ。そうだ。そうだとも……だから、私が言いたいのは……とにかく、お前ら先走って無茶するなってことだ。本当に頼む……胃が痛くなるんだよ……」


 大人としての責任感か、はたまた彼女の人間性か。どちらにせよリノエはその重圧に押されていた。


「なんだか、リノエさんってお母さんみたいですね」


「はあ? せめて大人の女性って言えよ!」


 広場に若者達の笑い声が響く。その時、リノエの携帯している電話端末に着信が入った。ケン達に緊張が走る。


「教授だ」


 リノエは素早く通話ボタンを押した。


「もしもし?」


『私だ。今日が約束の日だが、ラヴィアン・ローズに来ているかね?』


「当然だ。何なら今すぐにでも会えるぞ」


『それは重畳。ではカモメ亭で落ち合おう――』


「あっ、待ってくれ!」


 突然の制止に、電話越しに聞こえるタカハシの声に戸惑いの色が混ざる。


『どうしたのかね?』


「この前話をしたとき、あの時は“三人”で会いに行くって言ったよな?」


『そう記憶しているが?』


「状況が変わった。あと二人追加だ」


 タカハシの声から疑惑が伝わる。


『その人物は信用に足る存在である……と?』


「確かだ。会えば分かる」


『……どんな人物かね?』


「二人ともケンと年が近い。男で、一人は背の高いグラサン。もう一人も……背は高いな。ツンツンした髪をしているからすぐにわかる」


 しばらく何も聞こえてこない。やがてタカハシの考えがついたのか、ため息交じりの声が聞こえてきた。


『……分かった。これから向かう。店に入って右手側、一番奥のテーブルを取っておこう。私の目印は――』


「ああ言わなくても分かるよ。アンタ、医学誌で嫌と言うほど見るから」


 タカハシの『ああそれは失礼した』という声。わずかに笑っていた。


『……それでは、後ほど』


「ああ。また後でな」


 通話を終えるリノエ。ルリ、エイ、リョウは会話の内容が聞き取れていなかったらしく、皆一様に不安そうな表情をしていた。


「大丈夫、約束通り会えるよ」


 帽子を被りなおし、耳を動かしながら語るケンの要約に、リョウは感嘆の声を上げる。


「はー、ケンには相手の声聞こえとったのか」


「へへっ。さあリョウ、カモメ亭まで案内してよ」


 一行は中央広場を離れ、海に面した通りへと足を向ける。様々な店が立ち並ぶ中、古びた木製の看板が目に映る。


 ――カモメ亭。


 昼下がりの柔らかな陽光が差し込み、店先のテラス席には数人の客が談笑している。潮風に混じって、香ばしい料理の匂いが漂っていた。


「ここや。昔からある店でな、地元民には人気なんや」


 リョウが先頭に立ち、扉を押し開ける。カラン、と軽いベルの音が鳴った。


 店内は外観以上に落ち着いた雰囲気で、木の温もりが心地よかった。昼時を過ぎているためか客はまばらで、静けさが漂っていた。


「右手側の一番奥……って言っていたな」


 エイが小声で呟く。ケンは耳を澄ませながら店内を見渡した。


 ――いた。奥の席、窓際。


 黒いスーツに身を包んだ男性が、静かにコーヒーを口にしている。


 年の頃にして60代だろうか。整髪剤でまとまった白髪に穏やかな目元。そして何より、彼のまとう“知性の圧”が、周囲の空気をわずかに変えていた。


「……あの人が、タカハシ教授」


 ケンの呟きに、リョウとエイが同時に息を呑む。


 タカハシは、こちらに気づいたようだった。視線がゆっくりと三人を捉え、そしてその後ろのルリとリノエへと移る。


 その目は、驚きでも警戒でもない。ただ、静かに“観察”している。


「ほう……君たちが……」


 低く落ち着いた声。だがその奥に、何かを測るような鋭さがあった。


「聞きたいことが山ほどある。同席、構わないか?」


 リノエの緊張を含んだ声。タカハシは空いている席を手で示した。


「まずは互いを知ることからはじめようか」


 代表者として全員の紹介を簡潔に行うリノエ。タカハシは口を挟むことなく黙って聞いていた。


「……とまあ、こんなところだ。多種多様、なんとも賑やかになっちまったよ」


「なるほど。プロジェクトの当事者、研究所の監視役、そして……」


 タカハシは声のトーンを落とす。


「魔女、か……」


 ゆっくりとコーヒーを飲むタカハシに、リノエはやきもきした様子で続きを促した。


「なあ、頼む。聞かせてくれ。私の親友に何があったのか、痛み止めってなんなのか」


「……いいだろう。少し長くなるが、老人の長話は容赦してほしい」


 タカハシは静かに語り始めた。


* * *


 創世暦1012年、桜花帝国。


 明るく照らされる街の明かりを避けるように、一人の女性が少年の手を引き足早に路地を進んでいた。


「もうすぐだから、あとちょっとだけ頑張って歩こうね」


「うん……」


 マリのかける言葉に少年は弱々しい声で応えた。


 二人は豪勢な造りのアパートメントの前で立ち止まる。


「どうか教授が引っ越していませんように……!」


 マリは祈るようにそうつぶやくと、少年を連れ建物内へと入っていった。


 エントランスホールに入った彼女は、真っ先に明かりの付いた管理人室へ向かった。


「夜分遅くにすみません、こちらにタカハシ教授はおりますでしょうか?」


「……どちらさん?」


 神経質そうな表情をした中年の女性が睨む。マリは慌ててサングラスを外すと丁寧にお辞儀をした。


「私、教授の教え子でして……」


 管理人はマリと少年を一瞥する。


「6階。エレベーターで上がって廊下の突き当りだよ」


「ありがとうございます……!」


「面倒ごとは勘弁だからね」


 そう言うと女性は管理人室へと姿を消した。


 マリは少年を連れエレベーターに乗り込むと、操作盤の6のボタンを押す。上昇していく感覚と共に、マリの焦燥感も強まった。


 廊下に出ると、都会の夜風が二人を撫でる。マリは神経質に周囲を見回しながら廊下の突き当りを目指した。


「ここね……」


 表札には、確かにタカハシの名が刻まれている。マリははやる気持ちを押さえ震える指でインターホンを押した。


『タカハシだが――』


「先生! 私です! スズハラ・マリです!」


『スズハラ君? どうしたのかね急に』


「お願いです、助けてください!」


 マリの悲痛な声に返事はない。代わりに彼女の目の前の扉がゆっくりと開いた。


「先生……!」


 タカハシはマリと少年にそれぞれ目を向ける。


「その様子、ただごとではないな……入りなさい」


 招き入れられた二人は、タカハシの促すまま椅子に腰かけた。


「君が大学を出てからしばらく経つが、どこで何をしていたのかね。心配したぞ」


「先生、私……研究所グランギニョルという、とある研究施設にいたんです」


 聞きなれない言葉に眉根を寄せるタカハシ。


「グランギニョル……? 初耳だな……」


「そうなりますよね。ですが、この名前には聞き覚えがあるのではないでしょうか? ……オスカル・ムトニエ」


 タカハシの表情に驚愕の色が浮かぶ。


「まさか……ありえない。彼――わが師は遥か昔、不慮の事故で命を落としたはずだ……!」


「彼は死んではいません。“ガラスの砂漠”の遺跡で見つけた“少女”がもたらした座標、その先にいる“彼”にオスカルは呼ばれたのです」


「待てスズハラ君、君はいったい何をいっているのだ? まるで意味が分からんぞ!?」


「プロジェクトAtoZが形を成したのです」


 マリのその言葉にタカハシは息を呑む。師の唱えた人類を躍進させるメソッド。あまりに人命を軽視したそれを到底タカハシは受け入れることができなかった。


 しかし、それが“形を成した”……? 彼の背筋に寒気が走る。


「それでは、その子は……」


「はい。プロジェクトDの被験体です」


 衝撃を受けるタカハシ。目の前にいるのは何の変哲もない少年。しかし、被験体である以上“普通”とはかけ離れた存在であることは確かなのだ。


「君の目的は……?」


「ここに、プロジェクトAtoZ全計画の草案があります。おそらく、以前先生が目にしたであろうものよりも具体的なものです」


 マリは鞄から一枚のMOディスクを取り出す。


「その中に、全プロジェクトに対する抑止的な機能を持つものがあったんです。その名も、“プロジェクトA”。プロジェクトが機能不全に陥った時の防衛措置です」


「プロジェクト、アンチドーテ……まさか、君は私にそれを……?」


「お願いします。今も世界の裏側で“痛み”を生み出し続けている研究所、それを“止める”ことができるのは先生とこの子だけなんです!」


「その子が……?」


「はい。この子の開発コード“デュナミス”は、可能性……プロジェクトDの中でも特別なのです」


「まさか、その子をプロジェクトAの触媒に?」


 タカハシは嫌悪感を抑えきれずに語気が強まった。マリはそれをはっきり否定するように首を振る。


「違います先生。私は、この子に生きていてほしいんです。だから、生き抜くための力を与えてその先に進めるように導いてあげる必要があるんです」


「そんな……なんと大それたことを……私にできるのか?」


「先生じゃあないとできない事なんです」


 『それに』とマリは続ける。


「私も、自分にできることをするつもりです。協力者を募って、いつしか先生の下同じ場所を目指す“ペインキラーズ”を結成するんです」


「ペインキラーズ……痛み止めか……その子を中心に添え、プロジェクトAを遂行し、AtoZを崩壊させる……簡単にはいかないぞ?」


「覚悟はできています。私とこの子はじきに研究所グランギニョルに連れ戻されると思います。でも、きっと上手くやってみせます。だから、先生もAtoZを読み解いてプロジェクトAを形にできるようにしてください」


 教え子の痛い程に真っすぐな眼差しに、タカハシの心は揺さぶられる。彼女は意思の強い女性だったが、これほどだったとは……タカハシは覚悟を決めた。


「分かった。しかし、決して無理はしないと約束してくれるか? 立ち向かうだけが戦いじゃあない。時には逃げることも肝要だ」


「分かっています先生。時が来たら“痛み止めを造る時は今”と伝えますから、それまでお互いにできる限りのことをしましょう」


* * * 


「それで、その後マリとケンはどうなったんだ?」


 身を乗り出すリノエ。


「数日は私の下に身を寄せていたが、ある日忽然と姿を消したよ」


「ああ、連れ戻されたんだ……それから二人はイースト・シティに……」


「随分長い間待ったが……シナリオは最悪の形で動き出したようだね……」


 タカハシは溜息をつきコーヒーを口にした。穏やかな雰囲気のカモメ亭とは裏腹に、一同は重い空気に包まれた。


「タカハシさん、アンタの方はどうなんだ? プロジェクトA、どの程度わかった?」


 リノエの問いに、タカハシの目の色が変わる。その表情に難色が滲んでいた。


「理解はできた。……ただ、設備や資材、それに人材……私一人でどうにかできるものではない」


「じゃあ、何もできない、ここでドン詰まりなわけか?」


「そうではない。今言ったように、設備や人材が要る。スズハラ君は協力者を集めると言っていたが……」


 タカハシは言葉を濁す。


「オッサン、俺たちじゃあ力不足言いたいんか? 確かに俺らはアンタやリノエさんからしたら学もないガキやけど――」


「分かっている、分かっている……。私も君たちを邪険に扱うつもりはない。しかし現実問題、プロジェクトAを立ち上げるには相応な人物が必要なのだよ。ミュラー君、君なら分かるだろう?」


 リョウを宥めつつ、タカハシはリノエに視線を向ける。彼女は苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。


「……ひとまず、桜花帝国にある私の研究室に向かおう。私も交流のある研究者に声はかけてある。彼らの協力があれば、多少は進展するだろう」


「じゃあ……!」


「ああ。私としても、師の人道から外れた行いを見過ごせない。そして、教え子との約束を反故にすることも」


 ケンは胸の奥が熱くなるのを感じ、無意識のうちに立ち上がるとタカハシに手を差し出していた。


「タカハシさん、ありがとうございます……!」


 タカハシも静かに微笑むと、力強くケンの手を握り返した。


「よし! それじゃあ進路は桜花帝国だな!」


「……ですが、そうなるとかなりの長旅になりますね。陸路は……考えたくありませんので、海路になりますよね……?」


 勇むケンとは裏腹に、ルリは渋い表情を見せる。そんな彼女にタカハシは心配ないといった様子で答えた。


「ちょうど今日、復路として私が乗る予定の船がここを出るから、皆でそれに乗ればよかろう。船長は知り合いだ、急な乗船も融通を効かせてくれるだろう」


「そいつは助かる。まさに渡りに船だな!」


 リノエは指を鳴らす。


「では、向かうとしようか」


 沸き立つ一同。そんな中エイは遠慮がちにタカハシに声をかけた。


「すみませんタカハシさん。あなたに“医者として”診てほしいものがあるんです」


「見せてみなさい」


 エイはサングラスを外し、右手の手袋を脱ぎ去る。あらわになるそれに、タカハシは小さく息を呑む。


「……見たことのない症状だ。一体何が?」


 注意深く観察するタカハシに、エイは事の詳細を語る。事の成り行きを見守っていたケン達だったが、返ってきた彼の返答は望んでいたものではなかった。


「初めて見る症状で、今の段階ではっきりと告げられる症例はない」


「……そうですか」


 肩を落とすエイ。リノエは漂う暗い空気を払うように言った。


「こうなったら、やっぱ桜花帝国が持ってる過去のデータを見る必要があるな」


「大戦時のデータか……確かにあるな。私の権限ならアクセスできるだろう」


「決まりやな! 進路は桜花帝国! はよ行こうや!」


 一行は立ち上がると、カモメ亭を後にする。午後の日差しと潮風が、新たな旅立ちに向かう彼らの背中を押していた。

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